静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

「2050年までに沈む国」 ツバルがオーストラリアと難民受け入れ協定を締結  日本はどう? 準備は初めてる?

2023-11-30 10:28:03 | 時評
【TABI LABO 編集部】
 地球温暖化による影響で、2050年までに沈むとされている島国「ツバル」の安全保障と、オーストラリアの経済支援。いま、両国は大きな転換点にきているようだ。
 オーストラリアが、太平洋に位置する島国ツバルとの新たな協定<Falepili協定>を締結した。これにより、気候変動の悪化に伴い、ツバル国民はオーストラリアへの移住が
 可能となる。
  ツバルの安全保障と経済支援の提供が目的のようだが、『TIME』が伝えたところによると、アンソニー・アルバニージー豪首相は、この「Falepili協定」を同国史上
 もっとも重要な太平洋協定であると捉えているようだ。両国の首相は、今月、クック諸島での記者会見にて署名。「Falepili協定」により、ツバルから年間280人の国民が
 オーストラリアに移住し、修学、就労することができるようになる。 
   ← これは「まさか」ではなく、現実問題として両国が対応を開始したということ。此の報に接し、他の諸国もやがて動き出すだろう。

NASAの研究によると、ツバルの国土の大部分が2050年までに平均高潮位以下になると予想されている。太平洋に位置する国、オーストラリアやツバルは、気候変動による影響を受けやすい地域であることは明らかで、「温暖化で沈む」という危機感を共に有している。
 そんななか締結されたこの条約は、オーストラリアが太平洋地域における外交努力を強化して以来、最大の前進であり“希望の光”と国内でも高く評価。特に、中国との安全保障協定を発表したソロモン諸島に対する米国とオーストラリアの対応を背景とし、太平洋地域における彼らの影響力を再確立するものでもあった。
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 温暖化による海面上昇の影響は日本も受ける。ツバルの憂慮は対岸の火事ではなく、日本列島沿岸の標高が低い大都市部は今から同じような心配をしなくてはならない。
2050年といえば、あと何年先? 南海大地震や富士山噴火・豪雨被害もさりながら、潮位上昇に季節性はなく、一旦始まったら・・・・もう終わりはない
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迫る頓挫の危機:関西万博プロジェクトにみる  不成功が見えても 途中で止める勇気を否定する”日本社会の変わらぬ悪癖”  

2023-11-30 09:04:35 | 時評
東洋経済On Line★<参加国から不満も・・「大阪万博」で見えた日本の問題>レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員: 
要約抜粋   https://toyokeizai.net/articles/-/717946?page=5

 この記事は、参加国からみた「大阪万博」開催への問題点・疑問点の指摘で、これは日本政府・大阪府・大阪市の誰もクチにせず認めてこなかった視点なので紹介する。
此の指摘は大阪万博に限らず、日本人が改められない悪癖:『合理的な判断を捨て、道理無き美学に自己陶酔を始めると、失敗に気付いても止める勇気を封じる』習性だ。

アルノー氏が挙げる問題とは?
【1】パヴィリオン建設コストが高すぎる(<例:タイプX=80万円/m2)は欧州平均の10倍
    ターナー&タウンゼントの建設価格表によれば、タイプXパビリオンの建設費は、リゾートホテルや高級車のショールームよりも高く、東京の総合病院の2倍もする。
   「主催者は参加希望国を助けるのではなく、金をむしり取ろうとしているのか?」とある万博関係者は話す。
   スマートフォンであらゆる発見がワンタッチでできる時代、ほとんどの大都市は万博にもう存在意義がないと考えている。経済的にも、万博における二酸化炭素排出量的にも、
   日本には主催する余裕などないのだ。万博は、大阪で初めて万博が開催された1970年に若かった人々にとっての「夢よもう一度」でしかない
    大阪万博はすでに、あるべき姿の影を潜めている。約56のパビリオンは当初すべて各国が直接担当する「タイプA」になるはずだったが、コストと時間の制約から、最大25のパビリオンは主催者が提供する
  「タイプX」となる。「これらのパビリオンXは、オリジナリティのショーケースであるべき万博の精神を裏切る空っぽの箱でしかない」とあるプロジェクトマネジャーは言う。


【2】日本の官僚主義の非効率さ
  「建設許可を取るのに3カ月も4カ月もかかる。迅速に進める方法がとにかく必要だ」と、プロジェクト管理会社SPIの創設者であるディートマー・カウシュティッツ氏は話す。
  「建設が認可されるには4つの許可が必要だが、すべて日本語で当局からの助けは何もない。その過程で多くの国が迷子になった」と。

【3】規格外・例外への対応ができない
  「日本人は計画が決まれば非常に正確で信頼できるが、例外的なケースに対応するのは苦手だ」「問題は、万博が例外の集まりにすぎないということだ。どの国も独自の規制や手続きを持ち、何か新しいものを
  見せたいと考えている。万博にはオリジナリティがつきものだから、参加国は開催都市が自国のルールの例外を受け入れてくれることを期待している。しかし、日本はそれに消極的だ。とはいえ、建設が始まれば、
  日本がいかに超効率的であるかを示すことになるとは思う」と語るのは、建設プロジェクトマネジメントLC&PartnersのCEO兼創業パートナー・ロレンツォ・キャンデルパーガー氏。
     ← この「一旦始まると信じられないスピードでやり遂げてしまうチカラ」が皮肉にも、日本人を真に反省させない遠因となっている(小李)

【4】大手ゼネコンが指摘する主催国担当者側の非
  海外勢の要望に応えるのは、参加国の傲慢さによってより難しくなっている、と日本のゼネコン幹部は言う。同氏は30以上のパビリオンの提案を断ったと言う。どこの担当者も真剣さがなかったという。
  「3年前、私は彼らに期限を守るよう明確なスケジュールを提示したが、彼らは聞く耳を持たなかった。今はもう時間がない」。ゼネコン大林組、竹中工務店、清水建設は、タイプXパビリオンの調達支援にのみ
   参加する予定だという。 ← プロジェクト管理手法の差、時間感覚の違い、顧客意識の差などの文化的差異だろうが、海外ビジネス経験豊富なゼネコンが今更何を言うのか?(小李)


【5】基本インフラ整備の遅れ
  参加者のためのホテルの部屋不足、万博のためのスタッフ不足、夢洲への輸送の難しさ……。外国人コンサルタントこうはっきり言う。
  「大阪万博は、妻に隈研吾の家を約束した夫が、口座に100万円しかないことに気づき、妻に言うのをためらっているようなものだ」。

【6】市民巻き込みの失敗
  大阪万博はすでに、2005年に愛知で開催された「愛・地球博」との比較に苦しんでいる。愛知万博は「ローカル」な博覧会で、来場者の95%が日本人、全体の53%が東海地方から訪れていた。それでも、
  主催者側は市民社会を巻き込むことに苦心し、日本人に万博へのコミットメントを感じさせた。「愛知万博は公園で開催され、テーマは環境だった。国家、企業、NGOが賛同した。今回は産業界が主導権を握って
  いる。もちろん、産業界は重要だが、市民は蚊帳の外になってしまっている
」とアトリエ・ワンの塚本氏も指摘する。

★ 「日本は戦争に負けるとわかっていながら真珠湾を爆撃した。勝つためではなく、ベストを尽くすためだった。今回も同様のことが起きている
  止めるべきだとわかっていても、誰も中止の責任を取る勇気がない」
と某ロビイスト。  ← だから日本は負けた、そして今も負けているのだ
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廃れ逝く歳暮贈答 手軽になった年賀挨拶

2023-11-28 09:33:29 | 時評
★【毎日新聞】「お金かかる」「面倒」お歳暮文化、衰退か 「贈らない派」は7割 【島袋太輔】
◎ 「Job総研」(東京)が27日に公表したアンケート結果:調査は11月にインターネットで実施し、20~50代の社会人900人(男性498、女性402)から回答を得た。 
  全体の70・6%が贈らない派で、年代別でみると、20代が75・1%▽30代が71・5%▽40代が69・3%▽50代が63%。
  *60・1%が「不要」と回答。その理由として「お金がかかる」が53・9%、「他の手段であいさつや感謝を示せる」が35・7%、「準備が面倒」が33・5%。
  ←「受け取ると返す義務が発生し、精神的にも経済的にも負荷を感じる」「お歳暮を贈ったり、受け取ったりしたことがなく、そもそも文化としてなじみがない」も。
  *過去4年の推移:19年-56%▽20年-21%▽21年-20・1%▽22年-24・1%。20年以降の新型コロナの感染拡大を機に年末の贈答を取りやめ、そのまま定着しつつある。


◎ 年賀状について51・5%が年賀状を「多分送らない」「送らない」←「年賀状は不要」と回答したのは54・3%、うち49・4%が「SNSなど他の手段で代用できる」と。
 総研は「お歳暮は文化として無くなる傾向にある一方、年賀状はデジタル化と組み合わさることで、文化が継承される可能性があり、明暗が分かれる結果となった」と指摘。
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 「歳暮」の贈答は、大家族時代の親類縁者付き合いの延長が職業上での「社交・挨拶」に延長したのだが、家族構成の変化と職場での上下関係における変化があいまち、
 アンケート結果に現れた「贈答しない理由」となったのだろう。或いは、モノで挨拶や謝意を示す根回し習慣への抵抗が増えたのかもしれない。

 「年賀挨拶」:これは宗教行事と暦の結びつきが薄い日本社会ならではの心理かもしれない。仏教にはユダヤ教・基督教・イスラム教のような、始祖の生誕祭を1年の節目とする事がない。神道では天皇が天地四方を拝する儀式(四方拝)及び正月3日に宮中三殿において皇位の元始を寿ぐ(元始祭)があり、各地の神社でも(元始祭)を行うところがあるそうだ。天皇家の祭典でありつつ、庶民レベルでは神棚を拝むしきたりは私が幼い頃まで我が家でも続いた。今や、どれほどの家庭が神棚を飾り、年賀としているか?
 家族単位での年賀習慣が薄れたいま、年賀挨拶は、親しい知己或いは業務上必要な人間関係でのみ維持されるのではなかろうか。
  年賀挨拶交換のデジタル化は断捨離もスピーディーにでき、拘束観も軽いから、たぶん廃れはすまい。
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近頃のNHKTV 相撲中継に流行る アナウンサーの不可解・無意味な質問や言い回し  

2023-11-26 22:26:28 | トーク・ネットTalk Net
◆ 私は幼い頃から大相撲の魅力が捨て難く、時間にゆとりが出来た昨今、場所中継を楽しみにするファンの一人。以前は民法も放送していたと記憶するが、現在は国営放送
  たるNHKの独占中継となった。だが、いつごろからか中継を担当するNHKアナウンサーに共通する不快感?或いは、コマーシャリズムに毒されたあざとさを感じる。
   あざとさ? 具体的に、どういうことか?

◇ まず、どの場所も耳に触るのは、場所が続く15日間の僅か1/3にあたる5日前の前半。 NHKアナウンサーは『まだ早いのですが、今場所の優勝予想は?』と解説者に
  聞く。一発勝負または短期決戦のゲームと違い、15回を闘う格闘競技は稀だ。怪我や様々な不調はどの力士も抱えながら土俵に上がる。
   北之富士や舞の海は毎回苦々しい設問に怒る口調をこらえながら、アナウンサーを傷つけぬよう「まだ判断は早いですから・・・」とかわす。 
  NHKアナウンス部の上司は、これを毎回わざと言わせているのか?

▲ 次に目立つのが、10日目頃に差し掛かると、アナウンサーがいそいそと<勝ち越し・負け越し予想&番付の昇進/降格>を細かく話題にする。
  これは、まるでサラリーマンが出世競争にうつつを抜かす心理に重なり、『NHKアナウンサー、君もそうなのか?』と私は呟く・・・。
  NHKアナウンス部の上司は、これを毎回わざと言わせているのか? 

◎ あと一つ目立つのは、アナウンサーが解説に当たる元役力士・親方に「本日の取り組みに臨むA力士の心理状態はどうでしょう?」と振る愚問の瞬間だ。
  たとえ自分が10代から育ててきた弟子であれ、力士本人はとんでもないスピードで変わってゆくものだ。
   大勝負を目の前にした力士の心の内をリアルタイムで予想し、誰が語れるのか?  NHKアナウンス部の上司は、これも毎回わざと言わせているのか?

★ 詰まるところ、NHKアナウンサーが定番として解説者に向けるこれらの設問は生業・遊戯を問わず、劇場型シナリオに傾くコマーシャリズムの範疇に過ぎない。
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秋の国営「昭和記念公園」(立川市・昭島市)を散策

2023-11-26 10:41:08 | 旅行
                
 秋らしい青空に恵まれた土曜の午後、そこは家族連れ、恋人たち、外国人たちで大賑わいだった。ザっとみて2割くらいは外国人と思われたが、聞こえる言葉からも紅葉を知らない南方諸国からの人達が目についた。白人系は少なく、中国語も少ない。 噴水に続く銀杏並木の葉は、もうこれで最後と言わんばかりの姿で秋の終わりを告げていた。

この場所、戦前は初の民間航空機用の飛行場でスタート(1922年)。羽田に空港ができると陸軍航空隊の基地になった。敗戦後は駐留米空軍の基地に。1973年の全面返還後は跡地を東・中・西に3区分され、中区分部が此の国営公園(1983年開園)になった歴史をもつ。

 この日はペット犬を連れた人がとても多く、まさか品評会でも?と見渡したが、そうではないらしく、穏かな陽射しの下、互いに見せ合い・自慢し合い・写真を撮る人達で
溢れかえっている。小型簡易テントを芝生上に張る家族連れも多く、広場からは若者ソングがバンド付き演奏で流れる。ドッグラン用のスペースも常設され、遥か15年前、
家内と散策した際の静かな雰囲気とは程遠く、時の流れを痛感した。
 先日、テレビ番組で日本庭園の紅葉を紹介していたが、加齢で歩き疲れたのと人混みに倦み、日本庭園はパス。今回は銀杏の黄葉を楽しむにとどめ、帰宅の途に就いた。
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