静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ 日本人に強い”土地への執着” ≫  文化論的分析と 倫理面での得失

2017-09-27 08:43:59 | 時評
★ 【毎日】水説:土地に執着する気質=中村秀明 https://mainichi.jp/articles/20170927/ddm/003/070/046000c?fm=mnm
・ 「日本人と不動産」(平凡社)を書いた吉村慎治さんによれば<「欧米だと土地は、最後には神に返さなくてはいけないという公的な色彩が強く、活用すべきものだと考えている。
  日本では神すら宿るものと信じ、守っていかなければいけないという意識が強い」>
・ <こんな心理が土地神話を支え、新たな価値をもたらしそうな開発や建設が「起爆剤」の言葉とともに肯定されてきた。その結果、部分的にはきれいで洗練されていても、 
  広く見渡せば美しさや温かみのない街づくりがせわしなく続いている。気質論に立つ吉村さんは「それが日本の風景です」と語った>。

 ⇒ ふむ、そういう見方も頷ける。宗教観、自然との向き合い方などを含む広範な文化論に立てば、<大地と人間の関係>意識について、こういう捉え方もあり得るだろう。
  吉村氏の所論が上に引いた言葉に要約されているとするならば、重要な指摘は、【部分的にはきれいで洗練されていても、 広く見渡せば美しさや温かみのない街づくりが
  せわしなく続いている】・・・此の部分だと私は感じた。

 これは、都市・郡部問わず、観光地でさえ建築物の高さ/景観規制に取り組まない、或いは、電柱の地下埋設に費用を投じて来なかった日本人全体の姿であり、それを誰も本気で改めようとしない歴史だ。 それを「気質」という用語で総括するのが妥当か否かについて私は若干の異議を感じるが、それはさておき、同氏が指摘・分析するそのような傾向を、田中角栄氏の責任だけに帰するのは誤りだという事に、私は改めて気づかされた。
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≪ 沖縄:集団自決跡に悪ふざけの少年たち ≫  知らなかった『歴史』とは どこまでを含むのか?

2017-09-20 09:41:16 | つぶやき
◆ チビチリガマ荒らし:「歴史知らなかった」逮捕の少年 https://mainichi.jp/articles/20170920/k00/00m/040/076000c?fm=mnm
・ なんとも衝撃の大きな事件であり、且つ、逮捕された少年たちが警察で語ったという<チビチリガマの歴史について「ほとんど知らなかった」などと供述している>言葉は、
  我々が受けたショックに追い打ちをかけた。

⇒ ふと、私は此の報道記事で短く引用されている<チビチリガマの歴史について「ほとんど知らなかった」>の中身について疑念が湧いた。 疑念とは、何も知らなかった歴史というのが
 「チビリガマ」で起きた惨事だけを指すのか、沖縄本島が米軍との地上戦の戦場になり悲惨な死者を出した事も含んで知らなかったのか、いや、大日本帝国が繰り返した戦争の流れ
  そのものも知らなかったのか。 いったい何処まで、(沖縄に限らず)少年たちの知識として1945年以前の出来事が残っているのだろう? との根本的な問いだ。

★ 此の少年たちが沖縄地方で生まれ育った子供たちだとすれば、彼らに教室で接した教師たち、その親や周囲の人々は、此の”悪ふざけ”と過去の出来事の記憶との落差に苦しみ、
  唖然としているだろう、と思いたい。 一方、沖縄から遠く離れて生きる人にとっては、行為の表面だけ見れば、壁や電柱などに落書きしたり、神社仏閣でイタズラする悪ガキどもと
  心理は同じかもしれないが、はたしてその程度でうっちゃって良いことか?  
◎ 広島/長崎の慰霊施設や記念館などに、外国人や狂信的右翼が破壊行為をすることは有ったが、そこには明白な政治意図があり、悪ふざけとは全く違う。靖国神社境内公衆トイレに
  外国人が何やら仕掛けておく、というのとも違う。
   これらに共通するのは、戦前までの日本が行ってきた行為を加害者なりの歴史観で糾弾する動機である。歴史的意味合いを持つ場所で、自分なりの歴史観から意思表示をするのと、
  場所の意味合いも過去の出来事も無知のまま無目的に破壊行為を行う行為。 どちらも破壊行為として同じ犯罪だが、行為者が歴史と現在の自分を乖離させない生き方をしているか
  否かにおいて違う。 この差異は、なぜ「歴史を学ばぬ日本人」と外国人から批評されるのか?への答えでもある。 「何処にでも居る若者さ・・・」などと嘯いて済む話ではない。
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≪ 海外新規事業のリスクヘッジは 誰がすべきか? ≫  本来は銀行/企業連合ではないのか?   なぜ旧国有企業等の金融資産が充当されるのか?

2017-09-19 21:35:56 | 時評
☆ 官民ファンド 相次いだ設立 官依存助長の恐れ=論説委員・福本容子 https://mainichi.jp/articles/20170919/ddm/004/070/027000c?fm=mnm
・ <機構」「ファンド」というとわかりにくいが、資金を集めて成長しそうな企業に投資する会社だ。投資先の事業が成長し、利益があがれば株主である機構ももうかる。
  反対に失敗すれば最悪の場合、出資金は1円も戻らない。国が出資というが、元は国が保有するNTT株やJT株の配当金であり、国民の大事な財産である。>
・ <中国・浙江省の寧波市に来年秋、大規模商業施設が開業する。東京ドーム3個分超の広大さで、阪急百貨店が中核店舗として入る。クールジャパン機構は最大110億円を出資し、
  阪急百貨店の親会社、H2Oリテイリングと並ぶ筆頭株主となる。>
・ <なぜ、H2Oやソニーのグループ企業といった、自力で資金を調達できる相手に支援の必要があるのか。すでに中国でショッピングモール事業を展開するイオンには出資せず、
  H2Oを後押しする合理的説明はつくのか。>
     ⇒ これぞ、経団連と自民党政府の関係を白日のもとに晒す明々白々な事例ではないか? 

★ <新しい市場や事業に打って出る企業に資金を付けて、後押しする役目は本来、民間の金融機関や投資資金が果たすべきものだ。日本には、900兆円もの個人金融資産が現金か事実上
  金利ゼロの預金という形で眠っているのである。ベンチャーなど成長が見込める企業に民間資金が流入するきっかけとなるのが官民ファンドの役目とされるが、そうした現象はまだ
  認められない。むしろ官依存を助長することになりはしないか。>
* <クールジャパン機構(4年間の損失計59億円)や農林漁業機構(同44億円)など、官民ファンドには赤字続きのものが少なくない。10~20年で使命を終える計画だが、
  出口間際になって「投資したお金が戻ってこない」と問題になるのは困る。その時、安倍政権は終わっているはずだし、ファンドの現幹部も大半は残っていないだろう。
  責任はあいまいになる。責任を問われない投資が果たして成功するだろうか。>

⇒ そう。ここである。・・・企業にリスク負担させない見返りに得た政治資金で自民党政権は安泰だから、投資収支がどうなろうが、幹部官僚は粛々と退職金を手にして知らん顔だ。
  そういう構図はこれまでと同じように反復を重ねている。  選挙で勝つ目的以外に何を問うのか説明さえできないまま、此の国の仕組みでは内閣総理大臣という位置づけで、
  衆議院解散ができる。其の特権を自分の利益の為に使う男が安倍だ。 此の仕組みを変えることこそが、日本を変えたい人、選挙で投票する意欲が有る人に求められている!
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≪ 外語翻訳にみえる『語感忌避』≫ ⇔ 『直言を避ける言い換えによる本質すり替え』と紙一重  気をつけよう!

2017-09-19 11:08:11 | つぶやき
★ 朝日(天声人語)翻訳語の世界 http://digital.asahi.com/articles/DA3S13139958.html?rm=150
・ <日本遺伝学会が先ごろ、「優性」「劣性」という言葉遣いをやめると発表した。遺伝子の特徴が現れやすいかどうかを示す訳語だったが、優劣の語感が問題とされた。
  劣性遺伝病などと診断されれば、不安になる人がいるのではないかと。代わりとなる新しい言葉は「顕性」と「潜性」である。少々とっつきにくいが、こちらの方が正確という。>
・ <例えば「農薬」はごまかしのある訳語だと、翻訳家の垂水(たるみ)雄二さんが著書『悩ましい翻訳語』で述べている。> ← そのような書が出ているとは!
・ <「殺虫剤」とすべきところを農業の薬とすれば、悪い印象が薄まってしまう>。
▼ 「環境汚染」でなく「公害」と訳すのも問題があるとする。公が害をなすと思われ、私企業の罪があいまいになるとの批判が、かつてあったという。今はむしろ被害の広がりを意味し、
  企業の責任の重さを示すように思えるから、言葉はまさに生き物である>
▼ふだん使う言葉の多くは、先人たちの試行錯誤の上にある。ソサエティーは「人間交際」「仲間連中」などと訳された末に「社会」に落ち着いた。家族とも村落とも違うつながりがある。
◎ そんな考え方が定着していった。最近はどうも翻訳の努力が足りないようだ。コミットメントやガバナンスなど、そのまま持ち込まれる例が目につく。
  意味をあいまいにし、ごまかすために使われるのでなければいいが。

◆ 「天声人語子」は、外来語を対応する日本語に翻訳せず、それがアカデミックで恰好良い姿と錯覚したかのように平然と使う風潮に潜む「ごまかし」の氾濫を指摘しているが、私は、単に外国語の多用における翻訳努力の低下よりも、<元の言葉の持っている意味/意義そのままで音や文字にした場合の語感>を気にし、直截に伝えることを避けてしまう、この傾向が昨今強まってきている現実の方に注意を向けてもらいたいと感じている。

☆ もうかなり前になるが、私は若い世代に顕著な〔あいまい表現/非断定表現〕の増大に警鐘を鳴らした記憶がある。<・・・・ですよね><~とか><~になります>
  <~ていうか・・・><~かな?>等々、相手の同意を探る姿勢を語尾に残しながら表情を読み取り、「~である」「~と思う/感じる」とは言い切らないポーズのことだ。

この断定忌避ポーズは、マスメディア中心に作られては消える流行語の消長にみえる他愛なさと同じレベルではなく、”言葉の持つ意味/表現効果そのものを正確に自分が示し、相手の応答を得て共有しあう対話の基本”を避けることに繋がるものだ。 
 ここに、相手が不正確に受け取るかもしれない可能性を相手の返す言葉や疑問の問い返しで確かめる姿勢は無い。 表情を読めないままに終わることがあっても、そこで更に追及などせず話題は移ってゆく。それがスマートにみえるからだろう。 その対話スタイルには「ごまかし」をやり過ごす危険がいっぱいで、非断定口調に段々慣れてゆくにつれ、「本当にそうか?」と問い直す姿勢そのものが失せてゆく。・・・・・これが今世間に溢れ、政治家までが悪用し始めているのだ。  私はそこを危惧している。。。
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≪ 小池百合子の実像とは? ≫  本質を語らぬ人   都民どころか ”人々ファースト”にはなれない! 

2017-09-17 22:13:24 | 時評
(1) 朝鮮人虐殺 都知事の追悼文見送りを巡って=中島京子・作家 https://mainichi.jp/articles/20170917/ddm/002/070/063000c?fm=mnm
(2) <小池都知事> 地方分権の本気度疑わしい 全国知事会やり玉 https://mainichi.jp/articles/20170917/k00/00m/020/033000c?fm=mnm
* どちらも読者が自ら記事にあたって戴きたい内容なので、要約はしない。 (1)は、小池百合子という政治家の体質を明らかにするもので、(2)に引用される発言の浅はかさと
  呼応するものだ。
* <小池知事は、民族差別を背景にした虐殺の犠牲者を追悼することに意義はないかと問われて、「民族差別という観点より、災害で亡くなられた方、さまざまな被害によって
  亡くなられた方の慰霊をしていくべきだと思う」と答えた。>
* <また、追悼文の送付中止によって、震災時に朝鮮人虐殺があったことを否定する動きにつながらないかという懸念に対しては、「さまざまな歴史的認識があろうかと思うが、
  関東大震災という非常に大きな災害、それに続くさまざまな事情で亡くなられた方々に対する慰霊をする気持ちは変わらない」と、答えている。>
<この二つの答えは、後半はほとんど意味が同じだ。地震や火事で亡くなった人も、流言飛語を信じた人々によって虐殺された人も、ざっくり大括(おおくく)りで「被害者」とまとめて
  慰霊をしますよ、と言っている。都知事が、このような発言をされたことを、残念に思う>。

1)<天災は、これからも起こるかもしれない。しかし、虐殺などというおそろしいことは、二度と起こしてはならない。そして、起こさないことができる。それ自体が、私たちの希望で
  なければならない。二度と起こさないためには、それがどんなことだったのか、きちんと知っておく必要がある。
★ 天災で亡くなった人と、人の手で虐殺された人を、いっしょには語れない。「さまざまな歴史認識がある」という言葉で、史実をぼやかすべきではない>。
 ← この「ぼやかし」は、<侵略の定義には諸説あり、後世の歴史家に委ねるべきだ>とか言う人たちが用いるテクニックと同じだ。 今回の二つの発言は、小池氏の思想が保守右派と
   同じ流れであることを図らずも証明したことになる。

2) 全国知事会の席で小池氏が<地方分権の論議が進まない>と述べた背景や流れが不詳なことを留保したうえで、記事に引用された言葉に限って判断すれば、地方分権が何故いま
  必要なのかという根本論;即ち(中央と地方政治の在り方、中央集権の在り方とデモクラシー伸長の観点からみる是正)が起点となった展開には見えない。
* <小池氏は、若者の東京一極集中是正のため、文部科学省が2018年度以降は東京23区内の私立大の定員増加を認めない方針としたことを「全くおかしな話」と批判。  
  「東京にある大学の問題ではなく、もっと世界(の大学)と戦わなくてはいけないのに、そんな小さなところに照準を合わせているちっぽけな政治は一体何なんだと思う」と持論を
  展開した。
⇒ 小池氏は(日本の主要大学ランキング低下とグローバル化欠如、それと文科省の首都圏規制のナンセンスさ)をこきおろす。だが、それは政治経済共に中央集権の極みがもたらす現象の
  論難であり、明治以来続いている中央集権統治体制そのものが日本国の将来に及ぼす本質的課題とは無縁の空虚な言辞だ。
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