静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ ”村上春樹”現象 ≫  何を何の為に 文学は表現するものか?   川村 湊 氏

2017-02-27 15:58:43 | 時評
★ 「村上春樹は 世界文学か」 http://www.nikkei.com/video/5333700025001/
 引用したサイトは記事ではなく、川村氏が日経新聞のインタヴューに答えている場面の映像だ。 其の主なポイントを整理すると;
 (1) 村上の小説が売れる背景は、村上が寓話やイリュージョンを借りて描写する生活日常が、現代若者の日常/文化と近いことでの親近感だろう。 
   加えて、グローバリズムの進展で、現代の生活様式や文化が従来にはない規模で多くの国々に浸透しているのも流行を支えている。先進国との経済格差が薄く
   なってくるにつれ、共感する読者人口が拡大したのだ。
 (2) 国籍を超えた人気と売り上げから、ノーベル文学賞を受賞するかどうか騒がれるが、日本人が日本語で書く小説ゆえの特徴づけ、またはエポック
     メイキング的評価を得ないと難しいかもしれない。 
     例えば、川端康成では「日本にも文学があったのだ」と知らしめたこと。次の大江健三郎の場合は「日本にも現代文学と呼べるものがあるのだ」
     と認識させた。 では、村上の場合は何を認めさせると授賞理由になるかと言えば「日本発でも世界に通用する文学がある」であろう、と川村氏は言う。
      ⇒ ここで「世界に通用する文学とは何か」という大きな設問が待っている。
 (3) ノーベル文学賞はエンターテイメント系には与えられない。村上作品が人気を博す理由がエンターテイメント性と評価されている点は否定できない。
 (4) 村上の登場が日本の文学を変えたか、という問いに答えるならば、村上は、近年の日本における作品が<ライトノベルのように文化の表層を軽く表現
     してゆく傾向>を強めた方向性の旗頭だといえよう。 村上春樹以降、若い日本人の作品は思想や政治のしがらみから自由になったとも言える。
      それは「言葉だけ、表現だけ、文化の表層描写だけに走る」傾向になったことでもある。

 ⇒ 川村氏の言葉は、これまで私がぼやっと感じていたことを的確に表わしてくれている。 文学と呼ばれる営為においては、詩であれ小説であれ、或は他の如何なる形式であろうとも、およそ『表現すると名乗る行為』が意味する中身に、<人間が人間たる所以であるべき「思惟」「考察」と無縁な、精神性からかけ離れた気晴らし=エンターテイメント>は含まれない、と私は定義してきた。  そうでなければ”娯楽読み物”に過ぎない。 極論すれば、探偵/スリラー小説を私は文学とは呼ばない。
   たぶん川村氏が婉曲に述べていることの核心も、私が上に挙げた内容ではないのか? 此の観点からすると、村上春樹の受賞は見込みが薄く、仮に受賞させたとなると、平和賞のようにノーベル賞自体の権威を貶めることになろう。    私は、そんな日が来るのをみたくない。
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書評 066-4 <止め>     『 ラジオのこちら側で』 ピーター・バラカン 著 2013年刊 岩波新書

2017-02-27 11:10:29 | 書評
【3】 有償放送への態度と”お上意識”・・・・有償配信への価値観(リスナー側)、放送ビジネス vs 地方文化
【4】 公共放送の在り方・・・・ BBC vs NHK, インタネット活用と国の電波監理政策、日本メディアの『ガラパゴス化』
★ 【3】【4】は互いに関連するポイントなので、PBの語るところを併せて拾いたい。 書物では4,5章に対応する部分である。
   日本で番組に対価を払ってもらう習慣は欧米諸国に比べ薄い、とPBは指摘する。ここでいう”有償放送”に企業/事業者向けの<有線放送>は含まず、
   一般大衆が金を払い(ラジオならリスナー、TVなら視聴者)となる事業のことだ。 
 なるほど、私が知る限り、ラジオで特定の局または番組を個人リスナーが「買う」という事例を日本で聞いたことが無い。<事業者がインタネット経由のラジオ番組を職場のBGM用等に契約する事例は別だ>  TVではスカパーと呼ばれる局の特定チャネルなどに金を払い視聴する個人はいる。だが、そもそも其のチャネル数、有償契約者の数は、いずれも外国に比べると圧倒的に少なく、現在も変わらない。 それは何故か? そこにPBは着目している。
 
日本のラジオ放送は嘗ての欧米諸国同様、国家が実験放送を開始し、免許制による周波数帯管理を行って来た。それが今も続いていることはご承知のとおりであるが、電信電話の総括的国家管理の色彩が近年では欧米に比べ色濃い。
 平たくいえば「放送とは(ラジオであれ何であれ)国が税金で、企業がコマーシャル収入で運営・提供するものである」との固定観念が今も厳然と通用する国柄ゆえ、放送事業自体が顧客企業からの収入ではなく、自らの裁量でリスクを取りつつ≪番組内容で勝負するビジネスだ≫との発想が育まれてこなかった、というのだ。

このことは、嘗てはNHKと似た国営放送だった英国のBBCがラジオもTVも、チャネルを増やし且つインタネットの活用で外国の番組やニュースの採用を大幅に拡大した歴史と日本の官民の現状を対比したPBの叙述を参照されたい(P198-199)。 イギリス出身の出自を活かした鋭い指摘であり、中でも興味深い指摘は2011年の東日本大震災時、外国のメディアが果敢に被災現地入りし、津波被害及び福島原発事故の惨状を精力的に発信した仕組みだ。 
 それは常日頃から広く外国の事件をキャッチする体制を持つだけでなく、自国内に多彩な報道を受け入れ/待ち望む視聴者の存在が不可欠である。 其の存在を拡充するには、公共放送だけのパワーでは限界がある。 日本の現状はまさにそれだ。
 そこで、国家の電波監理の規制緩和、並びに民間事業者側のビジネスモデル変換が求められるわけだ。 日本の公共放送の在り方に関する根本的議論を政府も国民も避けてきた歴史を見直さない限り、日本の放送事業は官民そろって『ガラパゴス化』する、とバラカン氏は温かい警告を発している。

放送がとかく国家の統制ツールとされる現象は遺憾ながら続いている。 自由資本主義経済を標榜しながら、日本は「公共概念」が「国家」と併置されるため、民間ビジネスまでが委縮するのだろう。 安倍内閣で強まって来た国家主義色と公共放送の姿、これを考える上でも、バラカン氏の指摘に耳を傾むけたい。 < 了 >
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≪ 不在地主追跡にこそマイ・ナンバーを活用したら? ≫  ≪ 自民党員が回復? ≫  

2017-02-27 08:39:44 | つぶやき
◆ 持ち主不明地 増加に歯止めかけよう http://mainichi.jp/articles/20170227/ddm/005/070/003000c?fm=mnm
 ・ 土地所有者の把握が難しい最大の要因は、法律通りに相続の登記がなされていないことだ。国土交通省が4市町村で行ったサンプル調査では、最後の登記から
   50年以上たった土地が、11~30%に上った。資産価値の乏しい土地が所有者の死亡に伴って放置されている現状が数字からは読みとれる。
   相続登記の促進がやはり欠かせない。京都府精華町は、死亡届が提出された際、登記や社会保障などの手続きを併せて案内することで登記の届け出数が増加
   したという。
  ⇒ こんな生ぬるい手続案内で問題が改善/解消するとは思いにくい。 (死亡届/転居=住民票異動)の届出時にマイナンバー付与を義務付け、全国カヴァーの
    データベースで管理する。そして、其の内容と土地登記簿を連動させたら済む話し ではなかろうか? 緊急度から、此の処理の優先度は高いのじゃ???

◇ 自民党員、100万人を回復 野党転落前の08年以来 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS24H58_W7A220C1PE8000/?n_cid=NMAIL001
・ 総裁選の投票権をもつ自民党員は18歳以上の日本国民で年4000円の党費を払うことなどが条件。1991年に約547万人とピークを迎え、98年以降は減少が
  続いた。 野党時代に100万人を切り、70万人台まで落ち込んだが、12年12月の第2次安倍内閣発足後は持ち直している。
 ⇒ 民進党をはじめとする野党は、当然この事象から党勢拡大にとっての教訓を学ぶ努力をしている、と信じたい。 然し、新しく(または復帰して)自民党員に
   なる人たちのプロファイルとは いったいどういうものなのか?  私は興味をそそられる。  あなたの身近にそういう方 いますか?
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書評 066-3 『 ラジオのこちら側で』 ピーター・バラカン 著 2013年刊 岩波新書

2017-02-26 20:52:58 | 書評
【2】 芸術・メディアに生きる表現者の政治コメント・・・国家との対峙、商業主義との向き合い方
 * 前回は<【1】 現代ジャズなどポップス音楽の共時性・・・クラシック音楽選好人種の階級性、「聖 vs 俗」、現実逃避と共生>と題して、音楽を愛する者、
   音楽で生計を立てる者の中に、2種類あることを述べた。

 今日の話は、【1】とも繋がる主題だが、PBが Broadcaster となり地歩を固めた50代、即ち世紀が21世紀に移った以降に起きた大きな事件に際し、彼が番組で政治に関する自分の見解や意見を発したことにまつわるエピソードに因む。 彼が取り上げている事件とは<2011.09.11>に起きた例のテロのことだ。 
 NY世界貿易センタービルに乗っ取られた旅客機が突っ込む映像は、ソ連崩壊後に一強となったアメリカの増長した振る舞いへの強烈なしっぺ返しであるが、多くのアメリカ国民は激怒し、我を失い、イラク・アフガニスタンの泥沼に入っていく。 
 其のツケは今も米国を苦しめているのだが、それはさておき、私がここで取り上げたいことは、PBが<9.11.>直後の全米に溢れたという『自粛ムード』に、<これはオカシイのでは?>と番組で喋ったところ、様々なリスポンスがリスナー、ラジオ局企画者等から返って来た点だ。  『自粛』の具体的な中身とは、<空><飛行機><反戦>などをイメージさせる言葉の入った100曲を全米第一のラジオ局が”自粛対象”と定めたことだ。 まるで戦前日本の”戦時中”を彷彿とさせる実話だが、文字通り、当時の米国は戦争ムード一色になり、イラク攻撃に突っ込んでいったことは皆さん承知の流れである。
 
 PBは、リスナーであるアメリカ人女性から「あなたの選曲は楽しいが、政治コメントは聞きたくない」とピシャリと言われたという。英国人たるPBの胸中を想像すると実に複雑だが、PBは、<9.11.>に3年先立つ<昭和天皇崩御:1988>の際、日本で観られた『自粛』との類似も説く。これは私には少なからぬ驚きであり、卓抜な指摘だった。 <昭和天皇崩御:1988>の頃、音楽メディアに生きる日本人で同種の軋轢をした人はいただろうか?
  日本で芸術、芸能に携わる者のうち、PBのように社会/政治の出来事や動きに対する意見を述べる人は昔も今も 極めて少ない。此の国で、意見を述べ続けつつ地位を保ち続ける人を貴方はいったい何人思い浮かべられるだろう? それはクラシック/ポップスどちらも同じ貧しさだ。 彼我の 此の違いは何からくるのか?
 
 ここで「国民性」などというお手軽なフレーズは、何の答え・解ももたらさない。  恐らく、解の一つは 次の(066-4)で述べる内容に在る。
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≪ 共謀罪法案&障碍者隔離 ≫  個は全体の為に在るというのか?  日本に忍び寄る全体主義 

2017-02-26 08:36:58 | つぶやき
☆ 多数派のエゴ、その先は 毎日・編集委員・松下秀雄 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12815163.html?rm=150
★ (社説)共謀罪 「テロ対策」が隠すもの http://www.asahi.com/articles/DA3S12815015.html?ref=nmail_20170226mo
       今朝は二つの記事を並べたが、その意図は、共通する危険な政府の意思と 国民の空気を嗅ぎつけて欲しいからである。
・ 「多数派のエゴ」と題した松下編集員は、障碍者を多くの人間が棲む都市から離れた僻地に隔離する施設に集める現状が、障碍者の存在さえ視野から除き、
   少数派に貶めていると指摘する。 
・ 「画家の山下清さんは知的障害者でしたが、全国を自由に歩きました。いま、できますか? たぶん無理です」
  「『こじき』という言葉がありました。多くは障害者だったんじゃないでしょうか。そこに『こじき』がいてよかった時代、食べ物やお金を分け与えることが
   許された時代と、なんのかんの縛られているいまと、どっちがいいのかなと思うのです」

車いすで現れた上田さん、私たちに問いかけた。なぜいま多様性が叫ばれていると思いますか? 現実はそうじゃないから、全体主義がみえてきているからでは?
 その前段で話していたのは津久井やまゆり園での事件。被告は「ヒトラーの思想が降りてきた」といったそうだから、全体主義や優生思想が潜んでいるのはまちがいあるまい。けれど上田さんの話は個人の思想ではなく、社会のありようを問うていた。 ← これ以上、私が余分な言葉を差し挟む必要はない。

◆ (共謀罪法案の審議で問われているのは)人権擁護と治安保持のふたつの価値を、どう調整し両立させるかという難しい問題である。イメージに頼らず、
  流されず、実質に迫る審議を国会に期待したい。 その際はっきりさせなければならないのは、法案作成や審議の前提となる条約の解釈だ。
 政府は一貫して、条約に加盟するには600超の犯罪に広く共謀罪を導入する必要があると訴えてきた。それへの疑義として「各国の事情に即した対応が
 認められており、現にそうしている国がある」との指摘を受けても、頑として譲らなかった。
 ところが一転、対象犯罪を減らすことも可能と言い始めた。絞り込み自体は結構だが、ずいぶん都合のいい話である。
 * 皆さんもお感じのとおり、国会で論議されている同法案の出し方自体に我々が嗅ぎ取るのは、「テロ対策」を錦の御旗に掲げ<国民の安全を守るため>なら『事前検束(犯罪発生前から拘束すること)』も合法化し、それで人権や個人の行動領域が犠牲を強いられることも止むを得ない、という風潮を醸し出す意図だ。 
・ 政府は一貫して、条約に加盟するには600超の犯罪に広く共謀罪を導入する必要があると訴えてきた。それへの疑義として「各国の事情に即した対応が
  認められており、現にそうしている国がある」との指摘を受けても、頑として譲らなかった。
・ これらの疑問に対し、政府は法案が国会に未提出なのを理由に説明を拒んできた。加盟した187カ国・地域の法整備状況についても、報告をまとめたのは
  野党の要求から1カ月後、それも約40カ国分にとどまる。

 ⇒ 此の不誠実な対応が示唆するのは<人権擁護と治安保持のふたつの価値を、どう調整し両立させるかという難しい問題>に向き合うことを避け、
   多数をたのみ、国家主義=全体主義にもってゆこうとする強い意思以外の何物でもない。   
  皆さん、衆議院解散さえせねば、自民党は多数のチカラで何でもやろうとし続けられる、これに終止符を打つには どうすれば良いのでしょうか?  
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