静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 ≪ ボブ・ロバーツとのお喋り ≫

2022-05-30 20:29:51 | トーク・ネットTalk Net
Bob) ハ~イ、シャオ・リーパイ。・・今、時間ある? うん、良かった。 元気かい? 随分ご無沙汰だね?  I'm doing wel, thank you !. Time flies. How old am I ? Haha hah !
(小李) おいおい, 大丈夫かい! 歳を忘れる程だね、何か月前かな? 君が電話くれたのは? ・・・仕事は順調? おっと!奥さんや子供さんも元気かい?
(Bob) うん、有難う。君のファミリーは皆なハッピーかい? それなら、結構だね。俺の方も、何とかやってる。
(小李) What's up, Bob ?  世界がオカしなことに成って来たから、君のナマの声を聴きたかった。 ウクライナで起きている事、アメリカに住む君たちは何を考えてるのか?
(Bob) う~む。 どうだろうね、俺の見るところ、ゼレンスキーやバイデンだけでなくアメリカ国民も、ロシアの中身が判らないまま楽観的な見通しに寄り掛かってるのでは?
     楽観的という以上に、戦後70年続けてきた戦争に疲れたアメリカ国民は、もう、同でも良くなってるんじゃないかな。
(小李) そういう雰囲気は、Bob、哀しいが、俺も感じているよ。・・ま、始めてしまったFist Fight の喧嘩だ、先の見通しはどちらも難しいな。プーチンよ、永遠なれ!

(小李) ところでBob, 学校で銃を乱射し、射殺された少年はどういう教育を受けたんだろう? 飛び道具でしか劣勢・鬱屈を撥ね返せないなら、それも自己主張と教えてきた社会だ。
(Bob) うん、いつもながら殺人の理由は無いね。一斉に国民が銃を放棄すれば「悪い奴が来たら射ち返すのは正当な権利だから」とガンに縋る。是に終止符を打てるのではと俺は思うんだがね・
(小李) そこだね、Bob。トランプが全米ライフル協会のセレモニーに出てたのを東京でも見たが、チキン・エッグ論争だね、これは。Vicious Circle だ。俺達にはstupid でしか見えないんだ。
(Bob) その通りだ。Ultimate Stupidity ! ・・・日本は、軍隊や警察を除き、個人が銃を持てない法制度なんだろ? それがUSでもできたらな・・・
(小李) 日本じゃね、長い内戦を終えて最後の侍の世の中となった17世紀、「カタナ狩り」と呼ばれた手段で、サムライ階級は庶民から全ての武器を没収したんだ、それが今も続いている。
(Bob) Katana-Gari ?  ・・・西武開拓時代が終わった時、いや、南北戦争が終結したときこそ、其の最後のチャンスだったんだろうがね。それが、此のクニじゃ誰も出来なかった・・・。
(小李) 個人の銃だけじゃない。軍需産業が柱となっているアメリカ経済だから、シンボル的にも、経済面でも憲法以前にたぶん、踏み切れないかもな。
(Bob) うん、シャオ・リー。・・・君の言う通りだろな、残念だが。国家として実に莫大なロスだ、これは。命のロスだけじゃない、人材のロスでもあるからね。。。バァイ!
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 営利企業ではない教育現場に「数値管理」を持ち込み 得々と反省しない愚かな 教育行政  子や孫を任せて良いのか?

2022-05-29 07:37:47 | 時評
▲ 毎日【時代の風】数値目標による評価 「測りすぎ」ていないか?=長谷川眞理子・総合研究大学院大学長 <要旨転載>
1) 国立大学は、6年ごとに中期目標・中期計画を立て、その達成度を測るための指標を設定せねばならない。各大学が独自に設定する指標と、文部科学省によって一律に設定される指標とがあり、
  それらの達成度によって、運営費交付金の額が増えたり減ったりする。
  私はこんなことに10年ほど付き合ってきたが、数値目標の設定と達成のための努力とデータ収集は大変な苦労であり、徒労感を覚えることが少なくない。「評価疲れ」という言葉をよく聞くが、
  現場は本当にその通りなのである。
これは私たちが真剣に取り組むべきことなのか。このような評価をすることによって、何が具体的に良くなるのか。疑問が尽きないのだ。

2)もちろん、いろいろな成果を数値化して表し、それを公表し、似たような組織同士や個人同士で比較することによって、そうしない時にはわからなかった実態が明らかになり、事態を改善する方策が
 見つかることもある。しかし、数値化した指標が、知りたい事柄の実態を本当によく代表しているかどうかは、どうしたらわかるのだろう?
  数値目標をもとにして、組織に対する配分金額や個人の給与に差をつけるという発想は、組織の目的は複雑であり、単純に測れないものがあることや、個人が働く動機は、金銭的なものだけに
 限らないことを忘れていないか。そもそも、こういうことに躍起になるのは、ある分野の人間が培ってきた経験値と価値観による、その人の判断というものを信用しないからなのではないか。

3)ジェリー・Z・ミュラー著「測りすぎ」(松本裕訳、みすず書房、2019年)の中には、私(長谷川氏)が個人的に思っていたことのほとんどが明確に分析されている。
 <1>測ろうとすると、数値で測定できるものしか測定できない 
 <2>そうやって測定できたものが、測定したいものを正確に反映しているとは限らない 
 <3>数値目標の達成度によって資源の配分などを決めると、低い数値目標を置いたり、事柄の分類を変更したりする欺瞞(ぎまん)を招く 
 <4>数値目標の達成こそが目的となり、それが達成されたとしても、その組織や個人が本来やるべき業務はかえって悪化することもある
 <5>数値化して比較すると、各組織や個人の個性は消されて均質化を招く――などなどだ。


4)自由市場で利益をめぐって互いに競争している会社以外の組織に対し、会社と同じような原理に基づいて競争させれば、中身がもっと良くなるはずだと考えた人がいた。
 それはロバート・ロウという英国自由党の議員だったようで、なんと、1862年の話である。
  ロウは、政府から学校への財政援助は「結果に応じた支払いを基本とする」とした。そして、公立学校の生徒に対して読み書き、算数の一斉テストを行い、その成績に応じて補助金に差異をつけた。
 すると、テストの前には、読み書き、算数以外の科目を全部取りやめてテスト勉強だけをさせる学校も出てきたということだ。まさに悲喜劇である。

★ それに対する批判は当初からあったものの、測定の文化は、利潤追求以外が目的の組織にまでどんどん拡大していった。ミュラーはこれを「測定執着」と呼んでいる。
  どんな批判があっても、目に見える数値というのは、客観的で真実らしく見えるらしい。日本は欧米に比べて周回遅れで測定執着にはまりこんでいるのではないか。

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 ここまでくれば、もう皆さんもおわかりだろう。今の日本の教育現場で指摘されている根本的な問題の根っこが1世紀以上前の英国に始まったのに、それが未だにこの国では幼稚園から大学に至る迄、
 首をかしげながらも「じゃ、他にどういう教育効果の測定法があるのだ?」との開き直りに反論できぬまま、明治このかた150年以上も連綿と続いている事を。

☆<目に見える数値というのは、客観的で真実らしく見える>:長谷川氏が此の論考で説いている大事なポイントは此処にある。
 数値で相対比較するのは確かに「客観的」だが、かたや、営利企業には単純明快な「利益指標」そのままの概念で教育現場を測った時≪ 数値管理の陰でこぼれ落ちていく大事なモノは何か? ≫
*「教育における真実」の判断基準とは、多彩な能力の開発を助け、多様性を尊び、国民の一人でも多くが画一的でない人間になれるよう支える教育か否か? これに沿っているか?だと私は考える。


そんな内省など掻き消される、それがまさに現在進行形で起きている。端的に言えば、国家の経済発展・エネルギー開発・軍事技術向上など即戦力的に貢献できる人材育成とそのためのコース造りが
数値測定の模範モデルとなり、それ以外の基礎研究・人文科学・社会科学・文藝分野などは「即戦力」ではないから補助金・助成金の重点配分と無縁になる。これは近未来の想定とか誇張ではなく、
実際に大学で起きている事実である。 私の友人に、某国立大学で工学系の教授を勤め、定年退官した者が居る。彼が嘆いていたのは、寸分たがわず長谷川氏の指摘している本質的危機感であった。

皆さんもお気づきのとおり、5月20日;時評欄<「文学」選択科目化の罪深さ/高校教科書問題・・・教育者・斎藤孝さんに聞く>で斎藤氏が指摘している事と「測定執着」は表裏一体なのだ。
こんな歪んだ価値観で教育行政が続くとしたら、ますます国の将来は近視眼的猪突猛進でしかなく、滅びの道を転げ落ちるだけではないか??
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 亡国のインキュベーター(孵化器)に成り下がった日本の国会  質問にわざと答えない首相に怒らない国民・有権者のめでたさよ!   嗚 呼

2022-05-28 07:31:56 | 時評
◆【毎日】岸田首相、ゼロ回答徹底 「検討ばかりの検討使」皮肉も 衆院予算委
* 26、27両日の衆院予算委員会では、夏の参院選を前に激しい論戦が予想されたが、岸田文雄首相は野党のみならず与党の質問にもほぼ「ゼロ回答」の徹底した守りの姿勢で乗り切った。

 「どっちなんですか。安全保障強化をやるのか、やらないのか」(日本維新の会・青柳仁士氏)「やるべきことをやるわけだ」(首相)「答えになっていない!」(青柳氏)
   ☆彡 安倍内閣以来、何度同じ光景を国民は観てきただろう?  どうして、これが続くのか?? 何故、此の誤魔化しを国民は放置するのか???


 ⇒ 英国議会でジョンソン首相が「私はやるべきことをやるわけだ」<I say I'll do what I should do >禅問答みたいな答弁をする姿を貴方は予想できますか? イメージしてみて下さい。
  ジョンソン氏が仮に岸田首相と同様の言葉で逃げようとしたら、失笑のあと英国議会はどういう混乱になるか? 西洋人がどういう人たちかを知り、少しでも中継映像を見た人ならすぐ判るだろう。
  議事はストップ、糾弾の声が怒涛の様に轟き、ジョンソン氏は釈明もしくは本音を言わざるを得ない状況に追い込まれよう。内閣支持率は低下し、選挙にすぐさま影響するだろう。
  首相退陣を求める街頭デモ行進を招くかもしれない。

  何故なら、国会とは論理に即した言葉で主義主張を述べ合う場であり、論戦を尽くした後は必ずしも一致せずとも良い場だからだ。
  日本の国会はどうだ? 論理以前に言葉で闘うことを逃げ、質問に正面から答えない議員を誰も咎めない、有権者を含め。・・これはカタチを変えた言論の封殺ではないか!!  
  そして、其の封殺を赦しているのは首相ではなく、国民自身なのだ。 そこに気付いているのか?
 

 もっと言えば、論理を突き詰めるのを嫌う風潮を美と錯覚し、逆に「良き伝統」などと国民の大半が未だに信じている日本だからこその珍風景。それすら気付いていない!
 ほんと珍風景だね(笑)フフフなどと、これは笑い事ではすまされないのだ。


★ 首相の慎重な答弁ぶりに、質問に立った共産党の宮本徹氏は「同じことの繰り返しで、のれんに腕押しだ」と批判。国民民主の玉木雄一郎氏は首相に対し「遣唐使」をもじって「検討ばかりの
 『検討使』と呼ばれている。検討ではなく決断をしてほしい」と皮肉った。 ← 皮肉を言って何になる? それで貴方の仕事は終わりか? それで国会に座る議員か?

 毎日新聞の全国世論調査で内閣支持率は2月45%、3月48%、4月50%、5月53%とじわりと上昇しており、野党の追及ムードが盛り上がりにくい面もある。← 誰がこういう内閣を支持してるのだ?
 与党からは首相の答弁を「面白くはないが、丁寧な答弁がいい」(公明幹部)と評価する声が出ており、自民幹部は「首相は上手だ。何も言っていないのがいい」と余裕の表情を見せた。
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 ≪ 今 朝 の お 目 覚 ≫  知 床 観 光 船 沈 没 に ひ そ む  此 の 国 の 抱 え る 大 き な 問 題

2022-05-27 07:53:50 | トーク・ネットTalk Net
★ 知床半島沖 観光船引き揚げ・・此の事故で浮かび上がった事・・
・ 一つ目:安全管理基準を事業者が本当に遵守励行しているか、行政機関のチェック体制の杜撰さだろう。これは国会の場で どこまで具体的に取り上げられているか?
  人命損失事故が起こってから事業免許取り消しなどと大臣が息巻いても、それは法整備&行政指導管理体制の不備・瑕疵責任を帳消しにはしない。
  知床観光船ビジネスは今後も続くとすれば、1日も早い罰則付きのチェック体制を整えねばならない。 其の審議は「後回し」か!
   今日も他の観光船は動いている? 私は今回事故を起こした会社の船ではないが、海からの観光を孫と共に2度愉しんでいるので、他人事ではないのだ。


・ 二つ目:それは昨日だったか、一旦は沈没船を「海中に」吊り下げた状態のまま曳航しかけたら、吊り具が切れて再度海底120m に落下してしまった事。
  素人の私は、最初からサルヴェージ船に載せるのではではなく、海中20mに吊り下げたまま航行する理由が思いつかなかった。何故そんな二度手間を踏むのか?
   水面よりも水中の方が船体に加わる抵抗が少ない事は私も知っている。が、変化する潮流速度や見えない海中で障害物に接触するリスクは無視したのか?

  これに関する合理的説明をTVに登場する専門家の誰からも、私は聞いていない。 皆さんの中で、どなたか腑に落ちる説明を聞いた方はいらっしゃるか?
   <海面からサルヴェージ船に引き上げる数メーターでの作業が波浪で不安定になるので、浅瀬まで移動するのが安全>というのを耳にしたが、沈没船とのサイズを比べたら、
  其の説明はストンと入らない。あの大きさの作業船が(突風や豪雨・嵐でもないかぎり)揺れ過ぎて沈没船を落としたり、或はデッキを損傷するのだろうか?

・ 三つ目:これは些細な点だが、海面からサルヴェージ船へ引き上げる時からブルーシートをかぶせるらしい。・・何のため、わざわざ? 貴方は疑問に感じなかった?
  沈没船内に”万が一”遺体が遺って居たら・・との配慮と誰かが述べていたが、最初の120mで潜水士が船内をくまなく探査し「遺体は発見されず」ではなかったのか?
  火事あるいは殺人・交通事故現場から被害者を救急車に移す際、消防隊員がブルーシートで覆うのは目にする。然し、あれと今回は同じではなく、無駄な時間とコストでは?

・ 四つ目:未発見の遺体の行方について想定され得るのは、①国後島または択捉島沿岸に漂着した場合、及び ②海中に沈んだ場合、此のどちらかであろう。
   ①については、海水温が上昇に向かう季節なので腐敗も進む。ロシア側の協力が得られないと早期発見・回収は困難であろう。それに両島とも人口過疎である。
     またウクライナ侵攻でロシアとの外交関係は、笑顔で協力を依頼できる環境ではない。「人道的見地」が通用する相手かどうか。幾ら払うのか?これも壁になる。
   ②については、時間がたつほど現実的な発見可能性がゼロに近づく。   ⇒ 捜索対象と期間。どこに線を引くのだろうか? 

* 此の引揚と遺体捜索に要する費用だが、法制上、国税から賄うのだそうだ。経営不振だった事故発生業者に負担能力は無いので、税金がこういう後ろ向きの事に消費される。
  サルヴェージ作業で発生する費用だけで10億円は優に超えると当初から言われている。陸上も含めた捜索の人件費+漁を一部犠牲にしてまで捜索に協力した漁船の機会損失。
  トータルすれば莫大な金額であろう。国交省以下、行政機関は杜撰な管理が招いた無駄遣いの責任を肝に銘じよ!   これも亦、国力がほころびている証拠なのだ。
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【書評155】      米 原 万 理  を 語 る     井上 ユリ/小森 陽一 編著     かもがわ出版    2009年5月 刊

2022-05-22 14:36:20 | 時評
 山形県東置賜郡川西町にある「川西町フレンドリープラザ」内に『遅筆堂文庫山形館』が2008年9月開設された。そのオープニングにあわせ、≪米原万理展「ロシア語通訳から作家へ」≫が3ヶ月に
わたり開催された。本書は、其の開催期間中に米原万理没後3周年を記念して行われた”ギャラリートーク”の内容をまとめたものである。

 井上ユリ氏は万理さんの妹で、劇作家・井上ひさし氏と結婚した縁もあり、井上氏と対談している。井上氏は川西町の生まれゆえ、地元の熱心な支援者が作った「川西町フレンドリープラザ」内に、
とうとう井上氏の蔵書等を展示する『遅筆堂文庫山形館』まで作ってもらった。井上氏が没する2年前に同図書館ができあがり、米原万理展も開催できたのは幸せなことだったろう。

 井上氏以外で本書に登場したうち、講演した一人はノンフィクション作家の吉岡忍氏。もうひとりはTBS報道局出身の金平茂紀氏。井上氏以外でユリさんと対談したのが国文学者・小森陽一氏。
各氏の略歴はお調べ戴きたいが、井上氏・吉岡氏・金平氏、其のどなたも万理さんが職業人になってから親しく接した間柄なのに、小森氏だけは米原姉妹と同時期にプラハのソ連大使館付属学校に
在籍していた。(生まれは共に1953年だが、小森氏が5月生まれに対し、ユリさんが1月生まれなので、日本にいた頃の学年差そのまま「弟」扱いで対談中も喋っているのが日本的である(笑))。

 小森氏との対談は井上氏との対談同様、身内同然に至近距離から観た米原万理について二人が語るのだが、万理さんの両親、その生家に始まるファミリーヒストリー、プラハでの生活に散見する独特の
性格・性癖などは、成人後、ロシア語同時通訳を皮切りに言葉で生きる作家という職業人に変身してゆくバックグラウンドを支えた、と捉えれば、すっと腑に落ちる。
                    
               <1975年:25歳>        <1985年:35歳>          <1997年:47歳>         <2003年:53歳>

◆ 井上ひさし氏は妻ユリさんとの対談の冒頭で、米原万理の業績をどのように自分は評価しているかを述べている。流石の分析だなと思う整理なので、引用しておく。
  <1> 翻訳論は昔からあるが、通訳あるいは同時通訳とはそもそもどういう仕事で、どこが大変で、どこに注意すべきかを通訳論として発表し、確立した。
  <2> エッセイストとして、真実に対して誠実、正義に対し率直、チカラ有る者に対しては辛辣で面白い。何よりも、ジョークを自分で考え出せる書き手は珍しい。
  <3> 時には日本のことを批判的に言ったが、日本で身に着け損ねた日本語への愛着ゆえか、日本人・日本を愛する眼で外国を複眼的に視られた稀有な人物。

 職業人としての米原万理評価は井上氏の此の集約に尽きるだろうが、そういう逸材に育つ前の裸の人物像は『姉・米原万理』(文春文庫)にくっきり描かれているので、関心のある方は、どうぞ。

 上に並べた顔写真をご覧になれば、私が言うまでもない。整った美貌だ。 ゆえに何故「生涯オスを飼わなかった」のか? との疑問は尽きないが、本書154頁でユリさんはズバッと言っている。
 また『姉・米原万理』36頁でも、デートで失敗をやらかし二度とお誘いが来なかったエピソードをユリさんは書いている。両方読めば「なるほどな・・」と男性なら、肯くだろう。   < 了 >
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