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≪ 中曽根元首相の死去 ≫  ”戦後政治”の『総決算』”という括りは 正しいか?    政治家と国民をミス・リードしないか?

2019-11-30 08:37:16 | 時評
▲ 毎日【社説】中曽根元首相が死去 戦後政治の針路を変えたhttps://m ainichi.jp/articles/20191130/ddm/005/070/060000c?fm=mnm
 昨日来の報道で主に使われているキャッチフレーズは、元首相の功績を集約するものとして『戦後政治の総決算を行った首相』だ。
 私は此の語句に違和感を覚える。 ”戦後政治”とは何を言うのか? それを”総決算する”とは、具体的にどれを指しているのか?

★ まず後者からいくと、真っ先に挙げられるのが<3公社5現業の民営化>だ。あれから30年以上が経過。巨大な国営企業の累積赤字と非効率性の構造を
 是正した功績は誰も否定しようがない。
  他方、この民営化が強力だった労働組合運動の勢力弱体化を狙ったものでもあったことは明白で、その目論見は概ね成功。労使関係の均衡は大きく変わり、
 90年代以降の「非正規雇用形態の合法化」「身分差による所得格差拡大」に繋がった点は周知のとおり。

 
 これらの変化は、確かに戦前・戦中に形成された国営企業主導型経済の残渣を経営形態ならびに雇用形態の両面を清算したという意味で”総決算”したといえよう。
   もうひとつ、政府機構の整理(いわゆる行政改革=行革)も今は功績に挙げられているが、省庁統合や内閣府の人事権掌握に道を開く遠因でもあり、
  この行革の意義付けも、民営化に因る労働組合弱体化とともに今後の展開を暫く待たねばならず、性急な<評価はできまい。

☆ 一方の対外政策・外交の点で”戦後政治”とは何か? 敗戦後、進路転換してからの日米同盟、それと連動する対ソ連(ロシア)・共産中国との対峙。
 これは90年余り経過した今も基調に於いて何も変わらない。此の意味で戦後政治の大枠は不変だ。
   ソ連がロシアに変わっても、ロシアが米国と対立する限り、向こうも日本との関係は変えられない。資本主義経済に転じた中国とて全く同じ。
 1978年の日中国交回復も所詮は、この大枠の中で相互が得失計算した戦術的妥協でしかない、今も。

 こう大枠を観るなら、中曽根氏以後、日本が変わったのは対米・対ロシア・対中国への外交姿勢ではなく、上に述べた労働運動弱体化を踏まえた自身の右傾化だ。
 靖国参拝は其のシンボルであり、今に至る国家主義的思潮と政治家の行動に顕われている。此の意味で、中曽根氏の政治体質は戦後自民党の本流ではない。
 此の意味において【社説】が指摘する<戦後政治の針路を変えた>の表現は正しい。

  
  ここで我々国民が忘れてはならないのが、此の中曽根路線の延長線上に今の安倍政治があるという俯瞰である。つまり”戦後政治”の基本をどう認識したうえで、
 安倍首相が口にする”戦後政治の総決算とは何か?”をどのように捉え、評価するか、である。
   メディアが、国民にここを正確に評価させられないミスリードをするようなことがあってはいけない。
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≪ 政治家を志す男にとっての私情 ≫  安倍晋三にとり 祖父の怨みを晴らす為の改憲か?  政治に浪花節は要らない!

2019-11-27 19:58:12 | 時評
〇 改憲に見る首相の私情=与良正男 https://mainichi.jp/articles/20191127/dde/012/070/009000c?fm=mnm
 幾日か前、私は安倍晋三が山口の亡父に墓参した際、首相としての在任新記録を作ることが恩返しであり、自民党総裁選に敗れた父の無念を晴らすことだ、
 と述べた事に関し、私的怨念だけでなく、そこには「男として生まれたからにゃ、ひとかどの者になった証を地上に残したいものだ。例え悪い事でも」
 という如何にも浪花節/日本情緒のマインドセットがあると指摘している。 

 まさしく与良氏の本文は、首相就任だけではなく改憲意欲における私情の陰をも炙り出した。期せずして与良氏も私と同じ角度から政治家・安倍の源を視ている。
 どんな国であれ、一国のリーダーに昇りつめるのは夢の夢と思う男は多い。男としての生きがいとすら考えるだろう。
 だが、改めて言うまでもない。一人の男性の私情で国家が動かされるのを勇んで歌う講談師のように国民は喜ぶことなどできない

▲ 観桜会疑惑を筆頭に、何かと≪政治の私物化≫といわれる不祥事が増えている。
  それは与良氏が指す、安倍の『私情』がもたらす汚濁そのものではないか? 日本は、其の汚濁の真っただ中に居る!
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植木等が草場の陰で泣いてるぞ ≪ニッポン無責任時代≫ 『東大准教授がヘイトスピーチ:無処分』  『禁酒の新宿御苑も首相ならOK?』

2019-11-26 12:43:35 | 時評
★ 東大大学院特任准教授が中国人差別ツイート  https://mainichi.jp/articles/20191126/k00/00m/040/003000c?fm=mnm
              
これまた、空いた口が塞がらない。 唯一の救いは、かかる人権否定の民族差別主義者が経営する企業への寄付を取り下げる決断をした2社だ。
     
      ・金融会社「マネックスグループ」 ・インターネットサービス関連企業「オークファン」。 
                         * 東京大学当局は、記事によれば未だに当該准教授を処分していない。

                                                                          ▽ 新宿御苑、お酒ダメなはずなのに…首相「桜を見る会」だけ特例?https://mainichi.jp/articles/20191115/k00/00m/040/004000c                                               日本国の首相は独裁者かい??  東大の件といい、此の国の指導層の呆れてモノも言えない”いい加減さ”はどうだ!

 
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≪ 今朝の2題 ≫   記憶を消したがる日本人の”いい加減さ”     なぜ横綱なら「張り手/かちあげ」ダメ?

2019-11-26 08:28:43 | トーク・ネットTalk Net
 【火論】忘却のかなたに潜む=玉木研二 https://mainichi.jp/articles/20191126/ddm/002/070/019000c?fm=mnm
 世代として、どれほど若い年齢層の方が本ブログを読んで下さってるのか知りようはないが、玉木氏の説くところは戦後のフレッシュな平和教育をうけなくなった
 年代でも読みやすく、平易な内容と思うので是非とも目を通して戴きたい。 
 人間は辛く哀しい記憶ばかりでは生き続けられないから、忘却は必ずしも「悪」ではない。然し、人生には「忘れていい事」と「無期限に忘れてはならない事」
 の二つが有る。戦争犯罪は「無期限に忘れてはならない事」だ、とドイツ人は今も崩さない。  さて、日本人はどうだ??


 立ち合いでの張り手やかち上げ 白鵬への注意を横審が要望https://mainichi.jp/articles/20191125/k00/00m/050/339000c?fm=mnm
 これまた、いつもながら相撲協会/横綱審議会が示す非論理的勧告ではないか? 横綱は「張り手」「かちあげ」を何故禁じられるのか? 他の位に居る力士なら
 許されるのは何故だ? <横綱相撲>は常に受けて立つという大前提があるからだ。其の美意識/美学、これを外国人にどう教えられるのか?

 ボクシングを想起してみよう。チャンピオンだから・・先に手を出すな、と言ってるのに等しくないか? 相撲も同じ格闘技だ。理屈なくいけないというならば、
 「張り手」「勝ちあげ」を禁じ手とせよ。 立ち合い以後の「突っ張り」「頭突き」とどこが違う??  <横綱の美学>? それは何だ?
 
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≪ 多数決万能の落とし穴: ≫     ≪ 今後ITで不要になる人間は何処へ? ≫

2019-11-21 13:07:14 | 時評
 【木語】14億人の最大公約数=坂東賢治 https://mainichi.jp/articles/20191121/ddm/002/070/024000c?fm=mnm
・ 坂東氏の指摘は、嘗て英国の学者で功利主義の創始者、ジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」が、事もあろうに1党独裁で専制統治を続ける
  中華人民共和国で使われている皮肉から始まる。高校の政経?で学習した記憶も多くの人には薄れていようが、この格言は”国の治め方の要点は、出来るだけ
  多くの国民が幸福になれるような政策を追求することである”というものだ。
・ 然し乍ら、此の最大多数を規定するのは王様や専制的独裁者ではなく、平等で公正な選挙で選ばれた議員たちが集まって決めてゆく。これがベンサムの唱えた
  格言の大前提にある。つまり独裁専制統治の国家においてベンサムの言葉が援用されるのは笑止千万なのだ。中国人民はどこまで此の滑稽かつ厚顔な
  言い換えに気づいているのだろう?


 ⇒ いやいや、日本人だって中国を笑ってはいられないぞ。 ”得票数(~率)を反映せず、人口分布にもそぐわない選挙区割りで選出された両院の議席数、
  それを梃子に”多数決だから”と好き放題しまくる日本の議会制度/内閣制度。 ここでもベンサムの格言の前提は歪められており、専制国家と<五十歩百歩>
  ではないか!!

☆ 中間層の圧縮 坂村 健の眼  https://mainichi.jp/articles/20191121/ddm/002/070/024000c?fm=mnm
 坂村氏の指摘;日本に限らず世界中で社会の中間層が圧縮され、結果として所得格差&国論の分断が激しくなっている遠因は、グローバリズムの進行だけでなく、
 それと車の両輪で補完し合ってきたIT(情報通信技術)の進化自体が大きな原因となっている。端的な例が物品物流における在来チャネルの消滅であり、
 広告・娯楽流通、放送業界における音源媒体産業(レコード、CDなど)の衰退だ。そして失業へ。
   ここまできて、私はふと思う。

* モノではない情報が商品として流通/配信される事に係わる全ての在来ビジネスで今後は愈々この衰退が強まるとすれば、これらの在来ビジネスで暮らしてきた
  人々はこれから何処へ行けば生きてゆけるのか? 人間の体が最後まで必要なビジネス或は産業とは何か? 人工知能で代替される業種も一層増えるとしたら、
  残るのは第一次産業<農林漁業、林業、鉱物関連産業>そして<芸術・教育・観光・医療>にしか人間の居場所は無くなってしまうのだろうか??
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