静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪連載:2≫ 言葉の流行と 民族の文化資源として守るべきもの

2015-08-31 10:40:04 | 時評
 昨日は【新語】と括った3種の内の(B)メディア/各種媒体で人気を得て広まった流行表現<=動詞・形容詞・副詞・感嘆詞>・・・「ラ抜き言葉」「ヤバイ」「うっそ!」「まじ?」などは「多数決原理」に任せるままでは良くないと私の持論を述べた。何故なら、この(B)に属する流行表現が流行語に有りがちな排他性を強く伴うので、社会集団間/世代間の断絶を招いているからである。つまり同じ文化集団/民族集団が共有する言語なのに、理解/不理解の2層を形成してしまうことは「しようがないこと。いつの世もそんなもんだよ」と見過ごしてはいけないのではないか?という異議である。
   唯、ここで注意いただきたいのは、私の異議は単に理解しない集団が存在すること自体でいっているのではない。Y氏の二つ目の論点<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>と私の申し立てる異議が深く繋がるからである。 Y氏が云う<空疎な言葉>という中に込められた「空疎」とは、単に聞こえ方が<チャらい>ではないだろう。人間同士が感情や論理を遣り取りするツールとしての言葉が人間の生活に占める重さ/重要さを損なう、或は其の重要さをもたない(空っぽな)音声でしかないコトバ。そういう状態に堕落してしまった音声。Y氏の云う<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>との呼びかけは、いつの時代も重要な意思疎通の重みを損なう言葉遣いの蔓延が、結局は日本社会・日本文化の維持・向上にとり有害になるということである。 それを私は≪民族の文化資源≫としての「言葉の重要性と流行」の対比で述べている。
  では、日本語の言葉遣いにおいて≪民族の文化資源≫というとき、具体的に何を私は指しているか? 
 まず第一に、外国人が日本人/日本文化の長所・美点と挙げる『謙虚さ・慎み深さ・他者への敬意・謙譲・自然への敬意と共存(優しさ)』を体現する日本語の言葉/言葉遣い/言い回しである。 真っ先に挙がるのは(丁寧・謙譲・尊敬)表現であろう。何度も蒸し返される「敬語表現の封建性/貴族性」という攻撃は、如何なる外国語にも(例え単語単独の語形変化ではなくても)必ず敬意を表す形式/成句があるという事実を知らない蒙昧なものであることを復習しておきたい。 また、男言葉/女言葉に残る性差/男尊女卑の問題と「敬語表現」は別である。ここも混同してはいけない。
 次は(やまと言葉)に根差す丁寧で柔らかな単語/表現/言い回しであろう。例えば<ようこそお運び下さいました><いいえ、行き届きませんで><お心おきなく>などで、謙虚・謙遜・奥ゆかしさなどが伝わる。 

 「敬語表現」と「やまと言葉」に残る美点・長所を音声表現と文字表現において保つ品詞/成句/言い回しは残念ながら高齢者、或は限られた伝統的文化集団に属す人々が使うものになり、広くは使われていない。理由は、都会も田舎も生活が忙しくなったことに尽きよう。 だが文化だけは、経済生活のスピードが速くなったので犠牲になるのもやむを得ないという対象ではいけないと私は考える。また、普段のビジネス生活/日常生活はスピードに合わない表現は使わず、リラックスタイム/プライヴェートタイムには丁寧で綺麗な言葉遣いをすればいい、という使い分けは実際にはうまくゆかないものなので、年齢・世代・男女を問わず<空疎な言葉を使わない心がけ>をいつも心に留めたいものだ。                ≪ つづく ≫
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≪連載:1≫ 言葉の流行と 民族の文化資源として守るべきもの

2015-08-30 14:11:37 | 時評
 某月刊誌に元NHKアナウンサー・Y氏が「若者言葉に目くじら立てず、自分で考え発見した言葉を語れるよう応援してあげましょうよ」とのタイトルで寄稿していた。その主旨は2点:<言葉は変化する生き物ゆえ柔軟に受け入れよう>。そして<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>だ。2点とも総論では誰も反対しないが、その論旨を追うと私はいささか異議が出てきた。 まず、最初の「変化」をめぐる論点に関して。
1: 新しい単語(動詞・名詞・形容詞・副詞・感嘆詞)/言い回し/略語/隠語など・・・・仮にこれら全てを【新語】と今は括っておく・・・が”多数決原理”に従い
 世で使われ、やがては「正しい言葉」として定着する。確かに此の原理は今も昔も真理であり何人も抗えない。だから従容と受け容れよ、がY氏の言い分だ。  
 (1) 【新語】といっても種類は多いので、分別しよう。
   (A)技術進歩に伴ない世に出現した新しいモノの名前<=名詞> ・・・・IT関連用語/医療・科学技術用語が其の最たるもの。
   (B)メディア/各種媒体で人気を得て広まった流行表現<=動詞・形容詞・副詞・感嘆詞>・・・「ラ抜き言葉」「ヤバイ」「うっそ!」「まじ?」など。
   (C)文法上は疑念が残る”あいまい(思いやり?)”言い回し<=コンビニ/カフェ用語>・・・・「コーヒーに成ります」「煮汁に塩を混ぜてあげます」
   この3つの範疇で、多数決原理のまま定着するのは(A)だ。これとて同じ原理に抗えずに変化してゆくわけだが、この名詞は「守るべきもの」に関わる対象
   ではない。  私が「民族の文化資源として守るべきもの」との兼ね合いで取り上げたいのは(B)(C)である。
 (2) まず(B)の流行表現から。但し、流行表現といっても、中には(XX年度流行語大賞)などで選ばれるものにみられるとおり、若者だけでなく全ての
   世代から不快感や嫌悪感を招かず、笑みを伴ない受け入れられる語句/言い回しは有る。そういうものは「守るべきもの」には恐らく抵触するケースは少ない。
   何故なら、言葉の変化を既に体験し、長い時間を生きてきた世代層でさえ抵抗を感じないこと自体が「守るべきもの」の損傷は無いことを意味するからだ。
   私が問いたいのは{音の省略/短縮/変型などで、聞いた瞬間に意味が伝達できず、聞き直したり違和感を覚えさせるプロセスがハードルとなる流行表現}。
   それらは「仲間意識」の囲い込み、悪く云えば(業界)隠語めいた排他性をもつゆえに世代間断絶を招く。加えて、それらの音韻面でのハードルは外来語
   がらみの変型が多いので、外国語に親しみのある中高年しか克服し難い。

 言うまでも無く、言葉は音と文字の組み合わせで意味やイメージを伝達する。音では意味が瞬時に掴めずとも、文字表記が補助するのは何語も同じだが、漢字仮名混じり表記の日本語は同音異義語さえ峻別し得る。 ところが流行表現は音だけでなく変型や短縮で文字を想起する手がかりまで失っているので「この言葉はこういう意味なんだよ」と教えられるまでは外国語も同然になる。 耳慣れない音への違和感と不快感に加え、一度に意味を掴めなかった不愉快さ、仲間外れ感、これこそが世の中に広く歓迎されない理由なのだ。そこへ「多数決原理」だと追い打ちを受ける。こうなれば、民族共通の資源である筈の言葉が分裂していることへの嫌悪感が生まれるだろう。  
 これはY氏が云うように拱手静観してよいことか? せめて、若者向け番組/企画であってもメディアに生きる人はこれらを使わない、それをNHK/民法で申し合わせしてほしい。そして学校の先生方もだ。 これが(B)に関する私の異議である。             < つづく >
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☆ 2015.08.30  ≪ 大気汚染防止法 精製品質向上効果は都市部のみ? 本丸は国有企業派閥の撲滅? ≫ 

2015-08-30 11:42:43 | トーク・ネットTalk Net
 ☆ 中国、大気汚染防止法を15年ぶり改正 ガソリンに品質基準 http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM29H30_Z20C15A8FF8000/
・ 中国の全国人民代表大会(国会に相当)常務委員会は29日、大気汚染防止法改正案を可決した。大気中を漂う微小粒子状物質「PM2.5」の排出を抑える
  ためにガソリンの品質基準を定め、石油精製企業にも新基準に従うよう求めるのが柱。
・ 中国の大気汚染をめぐってはガソリンの品質が悪くPM2.5の原因物質が多く含まれているとの指摘があった。新基準の制定には老朽化した設備を持つ
  国有企業の再編を促す狙いもあるもようだ。
2014年末、中国政府は<鉄鋼・石油精製・製紙>の3分野で外資規制の緩和策を採った。これにより諸外国の支援を得ながらガソリンに精製する段階での有害物質削減研究開発の取組努力は続いているようだが、肝腎の精製設備の更新には莫大な投資が必要だ。「人民の健康を守る」という御旗の下、環境投資を推進するための法的強制力を使う。古くは米国カリフォルニア州の故智に倣ったやりかただが、ここには鉄道と並び江沢民体制の牙城とされるエネルギー閥への切り崩しも見逃せない。  同時に「投資型から民需型へ」のスローガンで中度経済成長に移行したい中国経済の推移が、これらの大型国家投資をどこまで許容し得るかの懸念もある。
  いまひとつは、発電用熱源の76%を占める石炭を使用する火力発電所の有害物質制御がある。こちらも日本を含めた抑制技術の導入拡大が必要だが、カントリー・リスク概念が広まりつつある現状で、石油閥と並び、どこまでのスピードで抵抗を排除のうえ成果を出せるか? 

 「中国指導者は、有り余る人口が公害で減っても内心はクチ減らし出来て助かったくらいの気持ちなんじゃないの?」などとヒドイことを言う人も昔はいた。
まさか現在の指導者がそういう意識だとは思わないが、巨大人口の利点と裏腹なのは、大気/水質/化学物質などの公害防止に失敗した場合、被害者のスケールも他国では有り得ない数にのぼるマイナス面も抱えていることだ。 水俣病やその他幾多の公害被害で日本人が学習し克服し得たのも、必死の努力と法規制でなんとか抑え込めたほどの人口と国土サイズだったからであろう。 中国はその点、一旦コントロールできなくなれば、被害のマグニチュードは制御不能の域に達するのではないか? いや、PM2.5に象徴される大気汚染は既にその危険水域を超えたのかもしれない。
   「対岸の火事」ではない。地理的に日本は引っ越しできないから技術援助も真剣に行ってきたが、問題は受け入れる政治的/経済的/感情的な余裕を中國が持ち続けられるか? ではなかろうか。
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★ 2015.08.28  < 女子に三角関数教育は無用? 鹿児島県民よ 怒れ! > 

2015-08-28 23:42:53 | トーク・ネットTalk Net
 ★ 鹿児島知事:「女子に三角関数教えて何になるのか」 http://mainichi.jp/select/news/20150828k0000e040234000c.html?fm=mnm
・ 鹿児島県の伊藤祐一郎知事は、県教育委員らが参加した会議で「高校教育で女子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」
  と発言したことが分かった。
・ 発言は、全国学力・学習状況調査の結果が25日に公表されたことを受け、27日の県総合教育会議で知事としての目標設定について問われた際にあった。
  伊藤知事は「サイン、コサイン、タンジェントを社会で使ったことがあるか女性に問うと、10分の9は使ったことがないと答える」とも述べた
* この発言に潜む看過できないことは何か?  それは(1) 男尊女卑 (2)実学教育偏重(=情操教育の軽視)⇒  文系廃止論に通じる
    この発言が如何に愚かで馬鹿げたものか、よもや 説明は不要だろう。

この知事に投票した県民は発言をどう思うのだろう? 笑って許せる失言だと伊藤知事の支持者は、内心では(1)(2)に賛成している人達なのだろうか?
伊藤氏に投票しなかった県民、そして投票に行かなかった県民は、こういう人物が選出される風土について、どう考えるのだろう? いやいや、鹿児島だけじゃないよ、ということか?  そうなら、いったいこの国はどうなっているのだろう。
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 ≪ 「維新の党」は政党ではない? ≫ 橋下氏よ いつまで利用されるのか?

2015-08-28 10:57:58 | 時評
 毎日社説:維新の党 党の体をなしていない  http://mainichi.jp/shimen/news/20150828ddm005070057000c.html?fm=mnm
* この社説で指摘されているとおり<混乱の背景には、党のいびつな二重構造がある。維新の党はもともと自公政権と距離を置く「旧結いの党」系と、橋下、
  松井氏ら安倍晋三首相と親和的な「旧日本維新の会」系の間で路線対立を抱える。
  旧結いの党出身の柿沢氏が党の要職に就いていることに、旧維新の会系で松井氏に近い大阪系議員は不満を募らせていたとされる。山形市長選の応援を
   きっかけに路線対立や主導権争いが火を噴き、泥沼化したのが実態だろう。
* 橋下氏/松井氏らが大阪に根拠を求める「地域政党」とは、<都構想>を突破口にした≪道州制導入≫を本丸とする「中央集権打破」であった。今でも
  それは堅持している、という。私もかねがね此の理念には賛同している。日本の民主政治の成熟を願うからである。

 だが、「中央集権打破」理念は、自民党に代表される明治以来の中央集権型国家統治是認の保守潮流に真っ向から反するのであり、自民党が本気で「道州制」を進めるとは幻想も甚だしい。自民党が<都構想>騒ぎを利用して与党取り込みを謀った如く、橋本/松井氏ら側も、与党に対するキャスティング・ヴォウト勢力化することで自己の理念実現に近づく方便だ、とさえ思っているかもしれない。橋下氏の南京虐殺報道を巡る「反中」的発言・反日教組・嫌韓的言動などは、彼の個人的信条と同時に大衆受けを計算し、保守派との融和にも資するからこそ演じていると思う。

 「あいつ、おもろいやないか。何か・・・やってくれるんとちゃう?」式の英雄願望心理を巧みに操る才能は豊かだが、それを保守派から老獪に活用されている。いや俺の方が利用してるんだと今後も橋下氏はうそぶき続けるだろう。 彼にとり政党とは「主義・理念」が一致する人の集団ではなく、実現したい課題処理に用いる媒体でしかなく、離合集散は「悪」でもなんでもない。そうやって泳ぎ続けるのが橋下氏の人生における『政治活動』なのだろう。 だから「もう政治家としての活動はやめます」と言った舌の根が乾かぬうちから、このような騒ぎが平気でできるわけだ。
  だが、漁夫の利を得ているのは誰か?   云うまでもない。
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