昨日は【新語】と括った3種の内の(B)メディア/各種媒体で人気を得て広まった流行表現<=動詞・形容詞・副詞・感嘆詞>・・・「ラ抜き言葉」「ヤバイ」「うっそ!」「まじ?」などは「多数決原理」に任せるままでは良くないと私の持論を述べた。何故なら、この(B)に属する流行表現が流行語に有りがちな排他性を強く伴うので、社会集団間/世代間の断絶を招いているからである。つまり同じ文化集団/民族集団が共有する言語なのに、理解/不理解の2層を形成してしまうことは「しようがないこと。いつの世もそんなもんだよ」と見過ごしてはいけないのではないか?という異議である。
唯、ここで注意いただきたいのは、私の異議は単に理解しない集団が存在すること自体でいっているのではない。Y氏の二つ目の論点<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>と私の申し立てる異議が深く繋がるからである。 Y氏が云う<空疎な言葉>という中に込められた「空疎」とは、単に聞こえ方が<チャらい>ではないだろう。人間同士が感情や論理を遣り取りするツールとしての言葉が人間の生活に占める重さ/重要さを損なう、或は其の重要さをもたない(空っぽな)音声でしかないコトバ。そういう状態に堕落してしまった音声。Y氏の云う<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>との呼びかけは、いつの時代も重要な意思疎通の重みを損なう言葉遣いの蔓延が、結局は日本社会・日本文化の維持・向上にとり有害になるということである。 それを私は≪民族の文化資源≫としての「言葉の重要性と流行」の対比で述べている。
では、日本語の言葉遣いにおいて≪民族の文化資源≫というとき、具体的に何を私は指しているか?
まず第一に、外国人が日本人/日本文化の長所・美点と挙げる『謙虚さ・慎み深さ・他者への敬意・謙譲・自然への敬意と共存(優しさ)』を体現する日本語の言葉/言葉遣い/言い回しである。 真っ先に挙がるのは(丁寧・謙譲・尊敬)表現であろう。何度も蒸し返される「敬語表現の封建性/貴族性」という攻撃は、如何なる外国語にも(例え単語単独の語形変化ではなくても)必ず敬意を表す形式/成句があるという事実を知らない蒙昧なものであることを復習しておきたい。 また、男言葉/女言葉に残る性差/男尊女卑の問題と「敬語表現」は別である。ここも混同してはいけない。
次は(やまと言葉)に根差す丁寧で柔らかな単語/表現/言い回しであろう。例えば<ようこそお運び下さいました><いいえ、行き届きませんで><お心おきなく>などで、謙虚・謙遜・奥ゆかしさなどが伝わる。
「敬語表現」と「やまと言葉」に残る美点・長所を音声表現と文字表現において保つ品詞/成句/言い回しは残念ながら高齢者、或は限られた伝統的文化集団に属す人々が使うものになり、広くは使われていない。理由は、都会も田舎も生活が忙しくなったことに尽きよう。 だが文化だけは、経済生活のスピードが速くなったので犠牲になるのもやむを得ないという対象ではいけないと私は考える。また、普段のビジネス生活/日常生活はスピードに合わない表現は使わず、リラックスタイム/プライヴェートタイムには丁寧で綺麗な言葉遣いをすればいい、という使い分けは実際にはうまくゆかないものなので、年齢・世代・男女を問わず<空疎な言葉を使わない心がけ>をいつも心に留めたいものだ。 ≪ つづく ≫
唯、ここで注意いただきたいのは、私の異議は単に理解しない集団が存在すること自体でいっているのではない。Y氏の二つ目の論点<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>と私の申し立てる異議が深く繋がるからである。 Y氏が云う<空疎な言葉>という中に込められた「空疎」とは、単に聞こえ方が<チャらい>ではないだろう。人間同士が感情や論理を遣り取りするツールとしての言葉が人間の生活に占める重さ/重要さを損なう、或は其の重要さをもたない(空っぽな)音声でしかないコトバ。そういう状態に堕落してしまった音声。Y氏の云う<空疎な言葉を使わないよう心がけよう>との呼びかけは、いつの時代も重要な意思疎通の重みを損なう言葉遣いの蔓延が、結局は日本社会・日本文化の維持・向上にとり有害になるということである。 それを私は≪民族の文化資源≫としての「言葉の重要性と流行」の対比で述べている。
では、日本語の言葉遣いにおいて≪民族の文化資源≫というとき、具体的に何を私は指しているか?
まず第一に、外国人が日本人/日本文化の長所・美点と挙げる『謙虚さ・慎み深さ・他者への敬意・謙譲・自然への敬意と共存(優しさ)』を体現する日本語の言葉/言葉遣い/言い回しである。 真っ先に挙がるのは(丁寧・謙譲・尊敬)表現であろう。何度も蒸し返される「敬語表現の封建性/貴族性」という攻撃は、如何なる外国語にも(例え単語単独の語形変化ではなくても)必ず敬意を表す形式/成句があるという事実を知らない蒙昧なものであることを復習しておきたい。 また、男言葉/女言葉に残る性差/男尊女卑の問題と「敬語表現」は別である。ここも混同してはいけない。
次は(やまと言葉)に根差す丁寧で柔らかな単語/表現/言い回しであろう。例えば<ようこそお運び下さいました><いいえ、行き届きませんで><お心おきなく>などで、謙虚・謙遜・奥ゆかしさなどが伝わる。
「敬語表現」と「やまと言葉」に残る美点・長所を音声表現と文字表現において保つ品詞/成句/言い回しは残念ながら高齢者、或は限られた伝統的文化集団に属す人々が使うものになり、広くは使われていない。理由は、都会も田舎も生活が忙しくなったことに尽きよう。 だが文化だけは、経済生活のスピードが速くなったので犠牲になるのもやむを得ないという対象ではいけないと私は考える。また、普段のビジネス生活/日常生活はスピードに合わない表現は使わず、リラックスタイム/プライヴェートタイムには丁寧で綺麗な言葉遣いをすればいい、という使い分けは実際にはうまくゆかないものなので、年齢・世代・男女を問わず<空疎な言葉を使わない心がけ>をいつも心に留めたいものだ。 ≪ つづく ≫