* みんなの広場 閣僚の靖国参拝発言に怒り=無職・舛本屋悌二・68才 http://mainichi.jp/articles/20160831/ddm/005/070/020000c?fm=mnm
(A) 高市早苗総務相と丸川珠代五輪担当相は、記者団の質問に異口同音に「自国のために殉じた方々への慰霊は当然であり、外交問題になるべきものではない」と発言した。
しかし、自国のために殉じたと単純に言い切っていいのだろうか。軍部の圧力で動員され、不帰の客になられた方々が多かったことを忘れていないだろうか。
(B) 銃後でも、学徒動員で原爆や無差別空襲によって亡くなられた方々も多い。満蒙(まんもう)開拓団に動員され、他国の土地を略奪に等しい手段で耕作し、現地の人の反感を
買い、戦後は守ってくれるはずの(関東)軍に放置され集団自決を強いられた方々もいる。加害責任を含め、前の戦争の実相は、単なる深い反省だけで済まされないと思うが、
どうだろうか。
国家の戦争責任について庶民が思うことの最大公約数的見解が、此の投書には揃っている。 然し、ここに埋もれていていいものなのか? 私が思うに・・・・
1。 まず(A)で、国家/軍部に動員・強制されるカタチで受けた人的/物的被害を「国に殉じた」といわないでくれ、との想い。喜んで/進んで戦争に加担したのではない、との気持ちである。 此の感情は理解されるが、厳しくいうなら国民として国家の暴走を止められなかった、或は付和雷同した多数の庶民の浅薄さを同時に反省し、「二度と扇動には乗るまい」と誓う行動が伴わない限り、きっと我々は同じ過ちを繰り返すに違いない。そういう民族なのだ。
2. (A)で参拝閣僚が「外交問題になるべきものではない」と語る背景には、言わずもがなだが<A級戦犯合祀>の擁護がある。此の投書者は触れていないが、<昭和天皇に替わり戦争責任を問われた政府/軍部指導者を国民/国家に対する加害者>だとする立場を否定する自公政府に我々はどう対処するのか? ここが、合祀以来、ずっと問われ続けている。
だが、これは、何度も云って来たように、これは「東京裁判の正統性云々」で左右される問いではなく、『指導者と一般国民を合わせた戦争責任』をどう整理するか、を国民全てが考えない限り、今後も「国民は常に被害者で、悪いのは政治指導者だ」と逃げることになってしまう。 結局、付和雷同の裏返しでしかないのである。 これを肝に銘じたい。
(A) 高市早苗総務相と丸川珠代五輪担当相は、記者団の質問に異口同音に「自国のために殉じた方々への慰霊は当然であり、外交問題になるべきものではない」と発言した。
しかし、自国のために殉じたと単純に言い切っていいのだろうか。軍部の圧力で動員され、不帰の客になられた方々が多かったことを忘れていないだろうか。
(B) 銃後でも、学徒動員で原爆や無差別空襲によって亡くなられた方々も多い。満蒙(まんもう)開拓団に動員され、他国の土地を略奪に等しい手段で耕作し、現地の人の反感を
買い、戦後は守ってくれるはずの(関東)軍に放置され集団自決を強いられた方々もいる。加害責任を含め、前の戦争の実相は、単なる深い反省だけで済まされないと思うが、
どうだろうか。
国家の戦争責任について庶民が思うことの最大公約数的見解が、此の投書には揃っている。 然し、ここに埋もれていていいものなのか? 私が思うに・・・・
1。 まず(A)で、国家/軍部に動員・強制されるカタチで受けた人的/物的被害を「国に殉じた」といわないでくれ、との想い。喜んで/進んで戦争に加担したのではない、との気持ちである。 此の感情は理解されるが、厳しくいうなら国民として国家の暴走を止められなかった、或は付和雷同した多数の庶民の浅薄さを同時に反省し、「二度と扇動には乗るまい」と誓う行動が伴わない限り、きっと我々は同じ過ちを繰り返すに違いない。そういう民族なのだ。
2. (A)で参拝閣僚が「外交問題になるべきものではない」と語る背景には、言わずもがなだが<A級戦犯合祀>の擁護がある。此の投書者は触れていないが、<昭和天皇に替わり戦争責任を問われた政府/軍部指導者を国民/国家に対する加害者>だとする立場を否定する自公政府に我々はどう対処するのか? ここが、合祀以来、ずっと問われ続けている。
だが、これは、何度も云って来たように、これは「東京裁判の正統性云々」で左右される問いではなく、『指導者と一般国民を合わせた戦争責任』をどう整理するか、を国民全てが考えない限り、今後も「国民は常に被害者で、悪いのは政治指導者だ」と逃げることになってしまう。 結局、付和雷同の裏返しでしかないのである。 これを肝に銘じたい。