静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 警察官の発砲の許容基準 ≫   日本は犯罪者に優しすぎないか      【明日から旅行で 休筆します】

2018-06-26 22:05:56 | トーク・ネットTalk Net
富山県・交番襲撃事件: 警官ら2人死亡 拳銃奪った男も重体 https://mainichi.jp/articles/20180627/k00/00m/040/007000c?fm=mnm
・ 此の事件報道、これから詳しい経緯がある程度明らかにされるのだろうが、私が第一報で感じたのは、幾つかある。 
  まず、写真で見ると襲撃された交番の建物は一人勤務の小さな”街のお巡りさん詰め所”的サイズではない。住居が兼用となっている可愛らしい交番ではない。
・ 広さからみて、事件の時、警官が少なくとも二人以上は居たと想像される。 では、どうやって犯人が交番に入ってきて、警官を油断させたのか? というのも、抵抗・制圧する余裕も
  ないほど、刃物で複数回刺されたというからには、後ろを向いていたか、横向きで不意を襲われたのか? という疑問が湧く。だが、今回、襲われた警官が死亡しているため、
  正確な犯行状況の再現は困難だろう。 
   とまあ、素人探偵もどきの推理をしても意味はないので、私の疑問はやはり(犯人に武術の心得が仮にあったとしても)、どうしてやすやすと刺されたのだろう?に行きつく。

刺殺された警官は老齢ではない。46歳というから、抵抗できないほどたまたま病弱で衰えていなかったとすれば、何故こうなるのか? 男が交番に近づく時から刃物を見せていたら状況は違っていた、とも当然考えられるが、然しである。 いわゆる『通り魔的犯行』の一種と分類できるにせよ、被害者が不通の人ではなく武道の修練を積み、逮捕術を学んだはずの警察官であるだけに、やはり私は釈然としない。  ありていにいうと、ガッカリしたのだ。

 周知のように、日本の<KOBAN>制度は諸外国から称賛され、取り入れようとする国も少なくない優れた制度だ。それは否定しようがない。唯、其の一方、私見では日本の司法執行制度の特徴として外国と最も極端に異なるのは2点ある。 (A)<射殺ではなく、生け捕り最優先> (B)<更生期待含みの刑罰思想>これだ。 

(A)について我々の脳裏に直ぐ昇るのはアメリカの映像だ。スピード違反で停車を命じた交通警官でさえ、停車させた車に近づくとき腰のピストルに手をあてがっている。無論これは銃器携帯が自由な国だからこその自衛手段であり、少しでも怪訝な動作が観られたら容赦しない。他の国で一般市民に銃器所持が禁じられている場合でも、警官は拳銃どころか、治安出動では自動小銃を持つ。 此の二つの姿は日本では起こらない。それは銃器所持規制が厳しいお蔭で、暴力団くらいしか銃で歯向かってこない故だ。

 だが、今回のように、銃ではないが刃物で向かってくる事件は少なくない。立てこもり事件をみよ。警察は実に忍耐強く何時間もかけて説得工作を続けながら突入チャンスを狙う。
外国のように狙撃は滅多にしない。  何故だ??  被害者/人質/警官が晒される危険を冒してまで、どうして(A)<射殺ではなく、生け捕り最優先>なのだ? 射殺すると裁判が出来ないからか?  じゃ、そこまでして裁判する値打ちは常にあるのか??  此の間の絶大な”無駄”および”命のリスク”に替えてまでも犯罪者の人権はバランスするほど大事か???  
 此の発想が (B)<更生期待含みの刑罰思想>とも連動していることはすぐにお分かりだろう。  詳しくは以前掲載した<書評>「死刑と正義」を参照されたい。

 東海道新幹線の車内で突然刃物で切りつけた22歳の青年は「死刑になりたかった」からと。ブロガーと言われる人物へのヴァーチャルな恨みから実際に刃物で殺した42歳男は、日常の鬱憤と怒りの対象にのめりこんんだ実世界で実際に殺人を犯した。  今回の交番襲撃犯だけでなく、こういう因果関係不明龍な犯罪(端的には秋葉原事件等も同じだが)、こういう自己破滅願望犯罪者をも殺さずに刑務所で養い、「更生」を期待する。 ・・それは博愛的ヒューマニズム精神には美しかろうが、現代社会はそういう甘さ/優しさを包込む余力を有して居るのだろうか?
 日本で詐欺犯罪を働いた某国犯人が「二ホンのケイサツ、やさしいからね。。撃たれないし、殴られないし(笑)」とうそぶいた映像が どうしても重なるのだ。
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≪ 高槻・ブロック塀倒壊までの顛末に驚愕! ≫  危険指摘を放置のうえ対応を誤った 刑事責任は誰が負うべき?

2018-06-23 08:28:20 | トーク・ネットTalk Net
 連日、正直に事実関係が表に出されるので称賛している此の事件、今朝のTVニュース報道を聴いていたら、とても聴き捨てならない内容だったので筆を執る。

1) 「防災士」という資格を持つ人が一昨年(?)事故の起きた小学校の内外を見回った際、プールの外側に設けられたブロック塀の継ぎ足された部分が危険だとリポートしていた。
2) ところが、校長は何と4ヶ月も経ってから、別の用事で同校を訪れた市教委の職員に安全調査を依頼した。
3) 市教委は、建築知識を持つ専門家に調査依頼するのではなく、何の資格も専門知識ももたぬ職員に「目視」と「打音検査」をさせたが、其の職員は<安全には問題なさそう>と判定、
   それを
   市教委の上司に伝えた。
4) 市教委からの報告を聞いた校長は、校長は何の対応策も採らなかった。
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 私は不勉強で<ブロック塀診断士>なる技術資格制度があるのを知らなかった。だが、此の制度は何も1~2年前に出来たものではない。平成7年(1995年)発足した資格だという。
★ 本件で指摘・究明すべき疑問点の第1は、市教委が何故、有資格者ではなく身内で無資格の職員に調査をさせたのかである。経費節減の為? 安全確保の任務なのに?
★ 第2に、校長は、「防災士」の指摘を受けながら、直ぐ行動せず、何故、教育委員会にお伺いを立てるのか?  それが教育委員会と学校の間の(内規)だから?
  校長とは与る教育施設の最高責任者の筈だ。どうして、第三者の有資格者に診断を仰ぐ行動が自分の裁量でできないのか?  仕組みでないとすれば、個人的怠慢なのか?
  何もせず放つておいた間にもし事故が起きたら? と先回りする思考方法が何故とれないのか?・・其の「もし」が今回はからずも現実の出来事になったのだから、この校長の責任は
  多大である。 遺族にしてみれば ”万死に値する!”という気持ちに違いない。

 このように、校長個人に帰すべき責任の領域と、教育委員会側/もしくは「教育委員会制度そのもの」に帰す領域が本件では重なっている。こう論理的に分析したうえで、警察・検察は
 (教育行政制度の現実肯定から出発しないことも含め)「ああ、可哀そうに・・・・」の声と遺族賠償支払いで一件落着とせぬよう願う。また高槻市民は厳しい目で責任追及の透明度を
 注視されたい。    昔<未必の故意>というフレーズが使われた。 思うに、本件は事故というよりも「怠慢が招いた犯罪」に近いのではないか?
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≪ 海賊版業者にも『言論の自由はある』だって? ≫  笑わせるな  ヘイトスピーチ擁護論と同じだね

2018-06-22 20:33:21 | トーク・ネットTalk Net
▼ 海賊版サイト遮断に期待と懸念 法整備の議論始動 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32099920S8A620C1000000/?n_cid=NMAIL007
・ <コンテンツ海外流通促進機構の推計によると、3サイトによる著作権者側の被害額は2017年9月から18年2月までで4000億円以上。漫画本や電子書籍の売り上げも鈍化している
  出版業界は、政府の対応を歓迎するコメントを発表した。>
・ <これに対し、法学者やネット接続業者(プロバイダー)の業界団体などは「憲法違反だ」と強く反発した。サイト名を挙げて遮断を求めることが「検閲」に当たるうえ、 
 「表現の自由」を侵害していると主張。利用者が問題のサイトに接続したかどうかを逐一監視することは「通信の秘密」に抵触すると訴えた。>

 著作権概念を巡っては先般から、舞台や録音・録画でもない、素人音楽教室での使用にさえ著作権料ロイヤルティー支払いを求める訴訟が出ており、物議を醸している。
 然し、海賊版と呼ばれる違法な複製・コピーは此の話題とは次元の違う明らかな「盗み」でしかない。  プロヴァイダー業界団体は「盗み」と解りながら擁護するのか?
 
 物品強行犯ではない分類での「盗み」とは、創作した人/団体が投じた知的ノウハウ・時間とコストに正当な対価を払うことなく、無断で利用した利益を得ることを指す行為だ。
 これに関わる行為を取り締まるのに、どこをどうひねくり回せば、<検閲>とか<表現の自由>といった概念が対峙し得るのだ? 

 海賊版を作り流す行為は「盗作」を作るのと、知的努力の片鱗すら無い点において決定的に違う「盗み」でしかない。盗みの犯人の名を公表し、二度と流させないようにブロック
 するのは刑事犯罪では当然だが、なぜ<検閲>とか<表現の自由>に抵触すると弁護士は屁理屈をこね、依頼人から金儲けをするのだい?  正気か、業界団体お抱え弁護士は? 
 そこまでして儲けたいか?

 ヘイトスピーチを巡る奇妙な弁護/憲法違反論とよく似てるね?  差別を助長する「悪」であるヘイトスピーチ行為に「自由の尊重」を適用する必要は全くない。
 <殺さず/盗まず/差別せず>・・この最低限の人権を破る「悪」は、<~の自由>といった言い訳が介入を許されぬ「絶対悪」なのだ。
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≪ 大阪・高槻ブロック塀倒壊後の事実開示に想う ≫  市長/市教委/校長など 包み隠さず経緯を話す  何故、国政レベルで同じ率直さがでないのか?

2018-06-22 19:57:07 | 時評
 去る月曜日(6/18)発生した地震で高槻市立寿栄小学校のプール傍のブロック塀が倒れ、偶然そこを通りかかった女児が亡くなった。 まさに人生誰にも等しく潜む<運・不運>を絵に描いたような出来事で、言葉がない。 言い古された表現だが”人生一寸先は闇”を浪花節のセリフではなく、具体的に人々に突きつけたわけだ。然も、それが僅か10年しか此の世に生きて来なかった人間にも起る、・・・ここが辛すぎる。

 さて、私が一連の報道を通覧して、一種爽やかな驚きを以て感じ始めたことがある。それは、安全検査の杜撰さが次第に白日の下に明らかにされる流れが、余りにも早く鮮やかで、高槻市関連の人々に誰も隠したり誤魔化したりする気配が見られないことだ。  開示しているのは、全て市長以下・関係者全員に不利益なことばかりなのに、である。
 建築基準に違反する工事が行われたこと、それを発見すべき検査がいい加減だったこと、安全への疑念提起がなされた後の市役所のチェック能力が無かったこと、これら全てが実に正直に・赤裸々にメディアの前に出てくる。 ここまでの素直さは、どうだ! 

此の姿は、国会で連日有権者が見せられてきた「嘘つき野郎どもの猿芝居」「モラル・良心の崩壊」と対比する時、落差が余りにも大きく悲しい。<ミス・チョンボは誰にでもある。
だが、それを隠さず、握りつぶさず、上位職の誰かを守る為にシラを切り通すなどしない、正直に事実を開示する>この姿勢を貫く良心/倫理を中央の政治家と公務員が持っているか、
否かなのだ。

 高槻市と同じような爽やかさは「加計学園獣医学部新設を巡る忖度疑惑」において、愛媛県知事が見せている真っ当な姿勢にも通じる。愛媛県知事の政党的立場がどうであれ、彼はごく当たり前の常識と良識、そして人の上に立つリーダーの良心を捨てては居ない。 ”日本社会は良識を失ってきた”とは先日紹介した片山虎之助氏の言だが、私は地方に垣間見える良心/良識の発露に救われる思いがしてきた。 
 ”甘いよ”と言う声は耳元で聞こえなくもない。 だが、≪テレビを消したくなるような政治≫にうんざりし、あきらめの境地に陥り始めた有権者の一人として、せめて地方の良識が、
  国会議員を送り出す地方選挙区でじわじわと浸透して欲しいと願うばかりだ。 

 老いた我々は嘆いている内に世を去る。 だが、若い人々は此の醜悪な 良心崩壊の世の中が変わらず続くなら、あと何十年も 日本に誇りをもって生きられるのだろうか?
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≪ 穴見議員を当選させ続ける後援会の人達よ 人間として恥ずかしくないか? ≫  『野次』という名の侮蔑:何の見返りで 此の人を支え続けるのか??

2018-06-21 21:13:58 | トーク・ネットTalk Net
自民議員、がん患者にやじ 受動喫煙巡り衆院厚労委 https://mainichi.jp/articles/20180621/k00/00e/010/291000c?fm=mnm
自民・穴見陽一議員 「がん患者にやじ」認め、謝罪 https://mainichi.jp/articles/20180621/k00/00e/010/325000c?fm=mnm

<患者団体によると、やじを飛ばしたとされる議員は穴見陽一氏(48)。15日の委員会で、日本肺がん患者連絡会代表の長谷川一男さんが、屋外の喫煙場所について「なるべく吸ってほしくないが、喫煙者にとって吸う場所がないと困るという気持ちも分かる」と話した際に、「いいかげんにしろ」などとやじを飛ばした>
  穴見氏は21日午後「喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶやいた」とする謝罪のコメントを発表した。

 ⇒ 呆れるのは”タバコが好きな人の気持ちも尊重するが・・”と奥ゆかしく長谷川氏が前置きをしている最中に<喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶやいた>
   ・・・と後で苦し紛れに釈明する”いいかげんにしろ!”なる暴言を吐いた、その与太者心理だ。・・・いい加減にしろ!とは方言を問わず、相手を封じる言葉である。

 『与太者心理』と私は言う。何故なら、受動喫煙の被害防止対策に関する議論が行われる筈の国会の場で、「受動喫煙低減イコール喫煙者の立場を追い詰める議論だ」と短絡する思弁能力の無さ+脈絡の無いことを声の大きさと威圧態度で封じようと企む、この低能で野卑な姿勢は歓楽街をうろつきゴロを巻く”与太者”そのままだからだ。

パチンコ店、居酒屋、ゲームセンター、大衆酒場、ギャンブル場など、ここで喫煙者が吸うのは勝手だ。吸わないが我慢できる人は入ればいいし、我慢できない人は近寄らなければいい。
それだけのことだ。 然し近寄らねば良いで済まない公共の場所は残るので、どうしようかという議論をしている場で「喫煙者を必要以上に差別すべきではない・・」というセリフは単に場違いであるに留まらず、積極的な攻撃になるのだ。  
  こういう簡単なことが解らない人間が国会議員になれる国だ、日本は・・・・・。そういった人物を支える後援会組織が無くならない限り、日本の腐敗構造は無くならない。。。。
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