静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

昭和天皇実録/皇室・皇族制度  < 天皇制は歴史且つ政治制度だった  >  これからも?

2014-10-29 09:52:25 | 時評
 今朝で此の水曜連載「キーワードで読む昭和天皇実録」シリーズが終わる。 前回は、<退位>を昭和天皇自身がどう考えていたかを周囲のメモや記録と併せて記者が取り上げていたが、今回は<皇室・皇族制度>について当時の昭和天皇がどう観ていたか、に焦点を当てている。  http://mainichi.jp/shimen/news/20141029ddm012040066000c.html
   敗戦後の昭和22年、皇族人数・家数の縮小を求められ51名の皇籍離脱が実施された。また同57年「ヒゲの殿下」寛仁(ともひと)親王の“離脱希望”申し出があった。それに際して<入江侍従長ら周囲の反応は「そんなに皇族といふものに重圧があり、それがいやならサツサとおんでてもらひたい」と厳しい言葉を記すなど、周囲の反応は冷ややかで、殿下は体調を崩す>とある。← 侍従長という立場に在る人がこのような非難めいた感想を例え自分の日記であれ書き残したことに私は驚くと同時に、日本の宮廷制度における侍従職の隠然たる影響力を想像してしまう。 この隠然たる影響力が入江氏に限るのか、代々そういうものであったのか?

 もうひとつ興味深いのが<天皇自身に「違う立場になってみたい」との思いはなかったのか。実は訪米直前の75年9月の米誌インタビューで、(昭和天皇は)王子と貧者が立場を入れ替える英国が舞台の小説を挙げ、「それは私が深く心に秘めていた願いでした」と語っている。小説では王子は市井の暮らしを知った上で結局宮中に戻り、王となる。天皇はそのインタビューでこう語った。「かりに私がそのような望みを実現したら、結末はその物語と同様のことになったのではないでしょうか」>という記述っだ。 実録はインタビューを受けたことを記すが、この問答は掲載しなかった。 ただ、「自らの定め」について側近に語った言葉が別の場所に載る。    <祖先から受け継いだこの国を子孫に伝えることが自分の任務であり、(退位せず)苦難に堪えて日本再建に尽くす方が国家に忠を尽くすことになると考えた>(68年4月24日)・・・・

 自分はこの国を<祖先から受け継いだ>と天皇自らが意識している。これは「歴史であると同時に政治制度でもある」のが天皇制/皇室の在り方だ」と信じて疑わない立場を最も端的に表現した言葉だろう。天皇制肯定/賛美/支持者の想いもこれだと推察できる。 ここには、《 国と個人、或は国と市民の在り方/関係性 ≫において、今も王制を残す諸国と共和政に転換した諸国との間の顕著な相違が在る。西欧諸国の例よりも、日本により近いタイ王国における統治の姿、王室の役割を照らしてみるのも日本の天皇制/皇室制度の考えるとき参考になるだろう。(日本はタイと同じで好いと言っているのでは勿論ない。)  片や、アジアには隣の某国のように、共和国と名乗りながら独裁体制で実質上は過去の王朝と大差がない統治を行う大国もある。 
   <自由/民主>を国民の幸福追及のためには最善(もしくは次善)の価値規範と肯定し、国家の在り方の大前提にするなら、その視座から今後の統治制度における天皇制のよりよい在り方を、国民一人一人が 面倒がらず考えたいものである。 
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若者の低投票率 主権者教育を進めよう=与良正男    < 空気に流されない国民づくり >

2014-10-28 09:54:22 | 時評
今朝の毎日「火論」は、改正国民投票法成立で4年後(2018年)から18歳に引き下げられる<重要法案に関する国民投票の投票年齢>に関し、これまでの国政/県政等各レベルの選挙における若年層の低い投票率を如何にして上昇させられるか、其の努力を紹介かたがた、与良氏が論じている。  与良氏によれば、様々な大学やNPOが展開する活動は、高校生や大学生がシンポジウムやデイベート形式で特定のテーマについて語り合い、発表しあうスタイルが多い。政治への関心を高めることで、投票行動の意義を理解してもらう狙いだが、未だまだ広範囲な広がりにはなっていないという。 そこで与良氏は、投票権が18歳以上になった高校での正式な取り組みとして「主権者教育のすすめ」を提唱する。無論<どの授業を削るか。先生が中立性を保てるか。そもそも先生に知識はあるか。課題はあるが、文部科学省幹部も今春の国会では「模擬投票やディベートを取り込んだ学習を進めたい」と答弁している>事に期待を寄せている。

 若年層が、選挙での参加意識や手ごたえを感じるチャンスがないまま、暴力や無関心で政治不信を消極的あるいは逆説的に意思表示しているつもりになる。然し、現実の社会体制の仕組みは自分が与かり知らぬ選挙で固められてゆく。このギャップに苛立ち、ますます不貞腐れ、社会参加そのものに興味をもたなくなる。イスラム国に走る代議制民主主義国の若者心理も恐らくこの悪循環の産物であり、世界共通の現象だが、日本はそれに高齢化社会のひずみが加わっており、世代間嫉妬が事情をややこしくしている。
  さて、与良氏は「主権者教育」という。 有権者が心底から「おお、確かに自分の意思表示で行政当事者が交替し、世の仕組みも変えられる可能性を創ることはできるのだ!」と実感できる機会は地方自治体レベルでも国政レベルでも有る。有るにはあるが、その変化の結果が幻滅を招くようでは若者の不信を悪化させるばかりだ。残念だが、幻滅度の最たる実例が民主党政権の失敗であり大阪府・大阪市における混乱と停滞だろう。
  それでも「国民ひとりひとりが主権者である」と教えるには「人権と自由の無い独裁政治の弊害」を説き続けるしかない。それは何も外国に事例を求めるまでもなく、議会制民主主義を失った戦前日本の歩みを(政治的中立性を保ったうえで)淡々と伝え、国民が参画しない国家の危うさに気づいてもらうことだ。具体的には、日露戦争後から第1次大戦後の大事な時期における政党政治の堕落・停滞と軍国化の流れを教えると好いだろう。
  従来、戦前の軍国主義を語ることは左翼社会主義教育だ、日教組の陰謀だ、などと政府自身が忌避してきた。だが、政党政治が機能しなくなった戦前の一時期の否定は社会主義思想固有ではないうえ、必ずしも明治維新後の全否定でもない。 要は、左右いずれにせよ全体主義を否定し、現時点で我々が守るべき社会は(明治以来戦前までの国家ではなく)戦後70年の歩みだ、との基本姿勢さえ揺らがねば教育現場でのブレは生まれまい。「取り戻したい日本」は、間違っても戦前までの日本じゃない。

 2018年は明治維新150年にあたる。東京オリンピック前でもあり、政権交代の有無とは別に、政府が記念ムードを煽る可能性は十分ある。明治以後の歴史の全面肯定を許すと、その中に軍国日本も埋め込まれてしまう。「日露戦争までは祖国防衛戦争だったが、その後の増長が国を破滅に導いた」とする歴史観に私は100% 与しない。帝国主義の潮流がどうだったから、こうだったからの弁明は無用。現在の価値観尺度である代議制民主主義の成熟に向かい、この社会をどうしたいのかを教える。この1点で良いのではないか。
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書評; 026   < エンジェル フライト  国際霊柩送還士 >    佐々 涼子   集英社

2014-10-27 22:38:59 | 書評
 本書は「国際」の語が示すとおり、日本国内で亡くなる人の納棺を巡る話ではない。 海外で亡くなった邦人(及び日本で死去した外国人)の遺体を遺族の待つ家に送り届けるまで全てのプロセスを請け負う業者≪エアハース・インターナショナル≫に密着取材し、実態を明らかにしたノンフィクション作品である。死生観、弔い/埋葬に関する習慣、遺体保存技術水準が違う外国で死亡し、最初の処置が施された遺体を、故国で待つ家族の望む姿に整えて引き渡すサービスだ。
  国内と違い、死亡から家族の手元に戻るまでに要する日時が長いので遺体の劣化が激しいこと、そして丁寧とはいえない保存処置のため、外国で亡くなる邦人の遺体は損傷変形が総じて甚だしい。従い、このサービス業者は驚くばかりの配慮と緻密さで遺体及び顔の復元修復に努め、遺族や親族が期待する死者の生前の印象を壊すまいとする。 その姿勢は偏えに「いつまでも遺体/遺骨の確認にこだわる日本人・日本文化」の求めに応えるものだ。 卑近な例では、東日本大震災や御嶽山遭難で行方不明のままになった人、遠い例では南洋での戦死者やシベリア抑留犠牲者などの遺族が決して遺骨発見を諦めない事実をとってもわかる。 ・・・この「遺体/遺骨へのこだわり」を、筆者は全編を通じて読者と共に問い続け、以下のように整理している。
 
 <魂は死で肉体を離れるが、現世を去る魂をもう一度呼び戻して別れを告げてからでないと、生き残った者は諦めきれない>と梅原猛氏の云う「魂呼び(たまよび)」のため、日本人は遺体を生前の姿に近づけ、生きていた時の記憶の最終確認に拘るのだ。遺体がなければせめて形ある証としての遺骨に拘ることになる。 レーニンや金日成の例が物語る如く、科学技術の粋を尽くして遺体の永久保存に必死になるのは時間を止めたい;不死願望であり、それとは異なる 。← 梅原氏の説く「魂呼び」概念と「形あるものへの執着」が私の中ではいまひとつ明瞭に繋がらないが、他にこれを凌ぐ説明を知らない。

 筆者は≪エアハース≫の創業者から従業員まで、めいめいが「死」「弔い」をそれぞれの立場・生き様でどう捉えているのか、克明に描く。また、親しい人を喪う悲しみを突き詰め、印象深く紡いでいる。例えば;
  「人は生きてきたように死ぬ。そして、残された者の心の中に、これまで生きてきたようにして、これからも生きる」・・・・或は「悲しみぬかなければ悲嘆は其の人を捉えていつまでも放さない。悲しみを潜り抜けた時、亡き人はきっと別のかたちで戻ってくる」・・

 筆者は実母の介護で<尊厳死>についても深く悩み苦しんだ。苦しんだすえ胃瘻(いろう)に同意するが、迷いを抱えたまま今に至ると告白している。この部分は私も父のケースを想いだし、胸が詰まった。 今にして思うと、母の意思を尊重し亡父に胃瘻を施したことを巡る想いが日本尊厳死協会への入会動機になったのかもしれない。
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政治家の後援会組織とは何か     < 利権誘導 vs 政治家育成>

2014-10-27 09:40:06 | 時評
  今朝27日、毎日朝刊の<風知草:何が起きたのか?=山田孝男>から。 これは、経産相を辞任した小渕優子氏の無知過ぎる後援会活動理解と、時代錯誤な有権者意識のまま繰り返される後援会活動について、政治資金の実務に携わる古参秘書・議員に取材したものだ。 http://mainichi.jp/shimen/news/20141027ddm002070104000c.html
    <北関東選出の別の議員に仕える古参秘書は、法を知り、現実を管理するのは当然と力説した。 「法律はよく読まなければならないし、何ができるか、できないか、判断がつかなければ選管や総務省に聞く。弁護士を入れて勉強会をやる。でないと命取りになりますから」> <新人ならぬ当選5回の身で政治資金に無頓着、すべて秘書任せは解せない。そんな受け身で、リーダーシップと危機管理能力が問われる政治という営みに耐えられるか。小渕の課題は極めて重い>。 ここまでは昨日まであちこちで聞こえた言葉だが、私は次の言葉にこそ政治家の後援会組織なるものをどう考えたらよいか、の鍵があると感じた;
  <・・・関西選出の長老議員の感想はさらに重要だ。「一番大切なのはネ、後援会とは何かということなんですよ。後援会というのは、本来、政治家の政治活動ではないはずなんだ。ボランティアで政治家を育てたい、応援したい、当選させて自分たちの意見を反映させたいという組織であるべきなんです。催しで人を集めるにせよ、収支は自己完結で処理する任意団体でないとね」>。 ・・・・・この言葉の核心を敷衍すれば、
  1) 「本来、政治家の政治活動ではない」と、ここで長老議員が言うのは、集票確保のための見返り供与の対象組織(活動)ではない、との意味である。
  2) つまり、議員(候補)が政策訴求広報/演説活動を行う際の支援準備などにボランティア奉仕する活動こそ後援会組織の存在意義であり、
     観劇会・温泉バス旅行などは「政治家を育てる」ことと無縁な利益供与でしかない。それを政治資金規正法が禁じるまさに理由でもある。
 小渕議員の醜態は、この1)2)を全然理解できていないことを天下に晒した。恐らく、彼女だけでなく他にも居るであろう。

 さて、いまひとつの論点は、<収支は自己完結で処理する任意団体でないとね>の部分だ。過度な政治献金を禁じる代わりに税を投じた公的資金が政党に配布される制度の下で、後援会組織は<自己完結する任意団体>で良いのか? という疑問である。 自己完結とは??
   議員は司法・行政に携わる人々と同様に3権分立の一翼を担う公人である。およそ公人は其の特権と資格/義務を背負って公務に携わる以上、匿名での発言/逃避は許されない。先日≪21日「女性2閣僚辞任に思うこと」≫で提案したように、国政/自治体問わず、全ての政治資金管理団体報告に公的会計監査(連座背金と刑事罰付き)を義務づけてはどうか。
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事勿れ体質よ 永遠なれ…    < 公人として何が恥ずべきことか、わかっているのか? >

2014-10-25 23:30:00 | 時評
<朝から酒を飲み続けた揚げ句、小樽で女性3人をひき逃げで死なせた男。遅ればせながら地検が危険運転に訴因変更の申し出。遺族と7万人の署名に背中押されたので>
  ・・・・ここでの言い訳は「逮捕時の残留アルコール濃度が不十分もしくは境界ギリギリだったから訴因変更はテクニカルに難しかった」といったところか。 だが、罪と罰を決めるのは、残留数値XXのボーダーライン判定ではない。 危険運転犯罪を冒す状態か否かの判断は、容疑者個人の酒の強さではなく、事故を起こした事実1点で十分なのだ。 万一、血中濃度が低くても、事故を起こしたことが危険運転そのもの。そもそも酒気帯びvs危険運転、この区別は必要か?  薬物障害とアルコールによる危険運転を峻別する正当性は?
   
   <原発ADRで議事録の不開示と委員名黒塗り。情報公開どこ吹く風。カネの話は内密に、か。被災者の疑心暗鬼を募らせる愚挙>。  これもヒドイ話ではないか。 情報公開請求が法令で定められた目的は、特定の個人に損失を招く恐れが想定される情報に限り部分的に秘匿を許すほかは、国民・市民が知る権利を行使するのを最優先にすること。 かたや、国家の定めた司法試験に合格して法執行に携わる人は、公に関わった事案で匿名にされる根拠はどんな事案であれどこにもない。 公人としての法執行資格と見識を前提に損害補償認定業務に就いた弁護士の名前はおろか、審議過程をも秘匿する正統性は何処にあるのか?  もっと率直にいうと、公人は公務についている間、守られるべき秘密や純粋の個人利益などないのだ。  それが厭なら公務に就かなければよい。
   議員も含め、およそ公人は其の特権と資格/義務を背負って公務に携わる以上、匿名での発言/逃避は許されないのだ。 君は誰の為、何を隠すのか?
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