静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ ジャングルで最もカッコイイ猿 ≫  白人よ、袈裟の下の鎧 見えたり!    ≪ 安倍首相の時に改憲したくない:54.8%≫

2018-01-15 10:35:19 | 時評
★  南アフリカ:H&M広告で暴動に 休業店舗も https://mainichi.jp/articles/20180115/k00/00m/030/032000c?fm=mnm
・ <スウェーデンの衣料品大手H&Mが「ジャングルで最もかっこいいサル」と記されたパーカを黒人少年のモデルに着用させ広告ウェブサイトに掲載していたことが今月上旬に発覚し、
  南アフリカでは13日、左翼野党が行った抗議行動の参加者が暴徒化し、ヨハネスブルク市内の店舗などが休業に追い込まれた。>
・ <問題の広告は、英国版サイトのオンラインストアの新年セールとして発信され、8日ごろからソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でカナダの歌手や米国の
  プロバスケットボール選手らが批判。>
 ⇒ スエーデン、英国どちらも白人が支配する国だ。だから通販とはいえ、このようなキャッチコピーと写真の掲載が平気で行われるのだろう。東洋世界にいる我々には想像さえ難しい
   人種差別観念だ。間違えないで欲しいが、人種差別は民族差別と異なる。日本人・中国人・朝鮮人が互いに相手を嫌ったり、差別/優越/劣等意識を抱くのとは次元が違うのである。
   <有色人種間の差別/優越/劣等意識>は過去の歴史的交流の産物だが、皮膚の色などに基づく人種差別は、アフリカから出た人類が済み分けるようになって以来で、実に根深い。
   加えて、白人の有色人種に対する優越感情は16世紀以降の科学技術発展に裏打ちされた植民地拡大の歴史があり、これと生理的嫌悪感が合体したものである。然も、愚かなことに、
   人間は宗教を創り出し、信仰心が原因で憎悪しあい、差別感情を増幅している。

※ 私は何度も差別やヘイトスピーチを本欄で取り上げて来た。それは『イエローフェロー』『ジャップ』と面前で言われた体験をアメリカでしたからだ。
  此の体験の無い人に、差別される側の心の痛みは想像するのが難しいだろうし、差別を憎む感情の激しさも出まい。

★★ 【共同通信調査】 安倍首相下の憲法改正、反対54% https://mainichi.jp/articles/20180115/k00/00m/010/087000c#cxrecs_s
・  やはりな、というのが率直な感想だ。人徳/人品の欠如を国民は直感で味わい続けた5年だ。改憲の話が出るたびに想うのだが、国民投票を発議するにあたり、改憲それ自体に
   ぜったい反対の立場の政党は除き、与党のみならず各党は改正したい条項を改正条文案と一緒に、具体的に明示せねばならないルールを国会で定めては如何か? 
   白紙委任のような形での国民投票では絶対にいけない! 今の「国民投票法」にそれが銘記されていないならば、そこの改正が先であろう。
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≪ 異論併記の名の下での 歴史歪曲 ≫  「言論/思想の自由」の対象にできない”絶対悪=人権否定”の存在を 貴方は認めるか?

2018-01-11 09:02:33 | 時評
★ 【朝日】修正主義の危険性 歴史教育で「悪意」封じよ 武井彩佳 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13307390.html?rm=150
・ <ホロコースト否定のように史実を意図的に矮小(わいしょう)化したり、一側面を誇張したりする行為は歴史修正主義と呼ばれる。特定の民族やマイノリテログイン前の続きィーへの
  憎悪をあおることが多く、ヘイトスピーチの一種とみなされている。欧米ではこの裁判を機に害悪が広く認識され、特に2000年の判決後、社会が監視し、時に法規制で封じ込める
  体制が作られた。>
 ⇒ 日本でもヘイトスピーチ規制の法制化は体裁を作ったが、罰則規定なしのザル法だ。其の言い訳に使われるのが≪罰則は言論規制に繋がる怖れがある≫であり、人権侵害の最たるもの
   である差別をも≪思想・言論の自由≫の対象に含める”誤魔化し”だ。 此の誤魔化し/言いくるめこそ、武井氏のいう『修正主義』の本質であることは誰でも見抜けるだろう。

・ <修正主義は欧米だけの問題ではない。日本でも程度の差こそあれ、歴史の矮小化を試みる言説が散見される。だが、「南京事件はなかった」のような単純な史実否定を除けば、
  何を修正主義とみなすかの線引きは難しい。修正主義者が特定の史料を無視したり拡大解釈したりした時、指摘できるのは専門家だけで、普通の人には判断できないためだ。>
・ <修正主義の危険性は、まさにここにある。一般的に確立した歴史理解に対し、あたかも議論に値する別の解釈が存在するかのように思わせることで、同じ土俵にはい上がることが
  修正主義者の狙いだ。彼らは史実に反証できないため、発言に立証責任を負う意思はない。意図的に「言いっ放し」をし、批判されると「個人的な見解」と言い逃れる。
  それでも声高な主張は、人の心に「火のない所に煙は立たぬ」と認識の揺らぎを呼び起こし、人々は修正主義の主張にも一定の真実があるかもしれないと考え始める。結果、有罪立証
  までは無罪という推定無罪の原則で、修正主義は一つの「見解」の地位を手に入れる。いったん土俵に上がった悪意ある言説は増殖し、社会的な合意を切り崩してゆく。>
  <それでも声高な主張は、人の心に「火のない所に煙は立たぬ」と認識の揺らぎを呼び起こし、人々は修正主義の主張にも一定の真実があるかもしれないと考え始める。結果、
  有罪立証までは無罪という推定無罪の原則で、修正主義は一つの「見解」の地位を手に入れる。いったん土俵に上がった悪意ある言説は増殖し、社会的な合意を切り崩してゆく。>

 ⇒ 此の解析は鮮やかに、いま日本で起きている国粋主義者勢力からの巻き返しのプロセスを描いている。櫻井よし子、百田尚樹などに代表される活動、横浜や大阪でのヘイトスピーチ
   デモ行進、これらを巡る暴力行為と裁判弁護の論陣は、まさに武井氏が描くプロセスそのままであることに 皆さんはお気づきだろうか??

<日本の若い世代は、現代史教育がタブー視される中で育ち、深く学ぶ機会を与えられていない。政治的な意図はなくても、きちんとした歴史解釈に触れる機会が少ないため、むしろまっとうな歴史像を「偏っている」と感じるようになっている。危惧すべきは、日本社会にじわじわと広がる、こうした「体験としての修正主義」だ。修正主義を社会が封じ込めることを怠ってきたがゆえに、「もう一つの歴史解釈」として受け入れる人が増えているのだ。>  
 ← そう、この企みに「永遠のゼロ」(百田尚樹)などの宣伝手段が効果を上げているのだ!  実に狡猾、巧妙ではないか。。。。

<現在、EU加盟国の約半数がホロコースト否定を法で禁じている。妄言に「自由な言論」などという看板を掲げさせてはならないが、法による規制は言論統制の手段にもなりかねない。
修正主義を封じるのは第一に十分な歴史教育であり、悪意ある言説を許さないという一人ひとりの意思であるべきだ。>
  
 武井氏は、法規制が諸刃の剣に悪用される危険から学校での歴史教育に修正主義ストップの責務を期待している。お説ご尤もだが、政権側はとっくに教育現場の締め付けで対応しており、現代史がタブー視されて教員になった人たちが殆んどの現在、期待するだけでは駄目ではないだろうか? 学校に子供を行かせる親ひとり一人こそが最後の砦だと私は思う。
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≪ 改元が 生活にもたらすもの ≫ 国民意識での影響は?    ≪ IT進歩と過信 ≫ コンピュータなき時代の慎重さを失った報いでは?

2018-01-09 09:13:39 | 時評
★ 改元で起こる、コトバの出来事 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/216653/122200030/?P=1
・ <元号の選定において留意すべき事項は、1979年(昭和54)に大平内閣に報告された「元号選定手続きについて」に記されています(なお元号法の成立・公布も同年)。これによると
 「国民の理想として相応しい意味を持つ」「漢字2字である」「書きやすい」「読みやすい」「これまでの元号や諡(おくりな=この場合は天皇の死後の呼称)とかぶらない」
 「俗用されていない」といった基準があります。>
・ <以上のほかにも留意すべき事柄が存在するようです。例えば「中国の古い文献に典拠を求めること」「ローマ字表記の始まりがM(明治)・T(大正)・S(昭和)・H(平成)
  以外であること」といった条件も考慮される見込みです。>
 ⇒ もり・ひろし氏は<新元号の登場に伴い、固有名詞、人名、マスコミ、ITなどに影響が生じる可能性について紹介。続いて旧元号と化した平成が、旧世代を象徴する言葉となる
   だけでなく、商標にも影響を与えそうなことを紹介。改元の社会的影響が「言葉の分野に限っても」いかに多大なのかが分かる>という。詳しくは本文記事で。

私は、明治以来の皇室典範が定めた「死去による譲位」ではなく平成天皇自身の意思による「生前退位」がもつ全く新しい意義を、国民がどれほど受け身でなく捉えるかが重要だと思う。 つまり、天皇制がこれまで果たしてきた歴史上の役割を振り返り、これからの自分の国にとって天皇制はどうあって欲しいか、生前退位は国民一人一人がこれを積極的に考える絶好のチャンスだと国民が思わないと、所与のモノとして大気循環や地震を受け入れる心理と同じ受け身のまま、時が流れる、その危うさがあるからだ。

 私のいう<受け身の天皇制からの脱却>なしに改元が時代感覚の追認と繰り返し、即ち「明治は遠くなりにけり」と同じ「昭和/平成回顧と私の人生」的な感傷に国民を浸らせる効果しかもたらさないとすれば、”国家主義に利用されるのではない象徴天皇制”の持続を願う平成天皇自身の決意とメッセージは空振りに終わってしまう。 そんなことになれば、最も悲しむのは退位後の平成天皇ご自身だろう。   空振りにしたい勢力が現に居ることを思うと、メディアに働く諸君はもっともっと国民への意識喚起に努めてもらいたい。 

☆ 【火論】自省の鏡=玉木研二 https://mainichi.jp/articles/20180109/ddm/003/070/048000c?fm=mnm
・ 玉木氏の説くところは、新幹線車両の台車亀裂の見逃しと大阪大学入試におけるミス否認、この2つの事例の向こうに透けてみえる問題の重大さである。
・ これを「組織風土論」の抽象的土俵で括ってしまうのではなく、またシステム信仰だと片づけるのでもなく、私は人工物への依存心/怠慢に加え、世代間伝承の軽視が重なった人間軽視
  だと言い換えたい。 そこに人口構成の変化も災いしている。つまり、伝承される側の世代の絶対人口が少ないので、幾らシステム化/マニュアル化が進んでも、文字に残せない
  ノウハウや経験を伝える対象が目の前に居なくなったのだ。米軍ヘリ/飛行機の重なるトラブル/事故はすべからく、上に述べた諸要因と同じことが米国でも起きているのだと確信する。
  ロボットだ、AIだと囃し立てる傍らで、他でもない人間が機械やロボットを使うことは変わりようがないことを今こそ肝に銘じなければ、此の種のミスは増え続けるだろう。

マニュアルの本家本元たるアメリカを日本も真似たものの、身に就くところまでゆかず「以心伝心」などと”文字化の限界”をうそぶく。言語化に限界があることは何びとも否定できないし、日本人の趣向は恐らく無くならない。とすれば、日本人こそ生身の人間同士が伝えあい、機械やシステムを疑ってかかる仕組みを西洋人以上に絶やしてはならない筈だ。
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≪ 天皇生前退位がもたらすもの ≫  与えられたモノ/受け身の天皇制 から国民の脱却を願う

2017-12-31 09:47:50 | 時評
 平成天皇自身の退位意思表明から足掛け2年。 退位時期が西暦2019年4月30日に決められ、今日の報道では新天皇の「即位の礼」を2019年10月に行う方針も発表された。
平成天皇自身が模索し、編み出した<象徴天皇の存在意義>創りとしての「被災地慰問」「侵略戦争の戦跡巡り」、これらが内外諸国で人々の気持ちを捉えたことは誰も否定できまい。  
 うがった見方をすれば、中国や韓国が言い募る<歴史認識の欠如>批判に天皇制批判が含まれないのは、何も”主権尊重””内政不干渉”原則からだけではあるまい。

 平成天皇による生前退位意思の表明は、上に述べた<象徴天皇の存在意義>創りの成果に自信を得た背景があろうし、父であった昭和天皇が結果的に明治維新以来の膨張/侵略の歩みを止められず、国を滅ぼしてしまったことへの反省から、国家主義回帰への警戒心は恐らく国民全般の誰よりも強く、戦後70年の軌跡に強い危機感を抱いたゆえと私は想像する。 

 生まれながらにして「天皇」という役割を背負わされた人にとり、それをいわば世襲の「天職」として悩みぬく日々を30年近く、いや皇太子時代から数えると戦後のほぼ全てを今の明仁天皇は苦しんでこられたに違いない。 君主制を統治制度/政体の機能面からだけ考えるなら、天皇自身の個人的苦悩は別次元の話題にすぎないだろう。だが、個人的苦悩ではなく、
若し「象徴天皇制」の意義づけを今後とも国民が共有できるなら、皇太子時代からの悩みの日々は報われるのではないか? さらには、現在の皇太子(=新天皇)も救われるだろう。

最後に、私は平成天皇の生前退位意思表明が国民全般に与えたものを高く評価したい。それは、国家ではなく「国民統合の象徴としての天皇」という憲法条文の意味合いを抽象的な
言葉ではなく、我がものとして考える機会を国民に初めて与えている点である。
 
★ 無論、退位意思表明に続く様々な論議の中には、私が評価する方向ではない論調も出ている。それは(国体)(国柄)といった言葉で、どうしても天皇制を日本文化や神道、伝統・歴史の文脈上に紐づけし、戦後の日本の国の在り方<=主権在民>とは別の次元で、無条件に守護すべき価値だと断じる人々の言葉である。換言するなら、(神道)(クニ)(天皇制)が
いわば『三位一体』の如き思考となり、それを善と信じる人々の言説が安倍内閣の国家主義復古思潮と歩調を合わせ、拡大していると言われている現象をも指す。

 今の自民党政府を支持する基盤に神道信徒、神社本庁、日本会議参画者などの一団がある。此の集団が上に挙げた論調★を為す人々である。私は問いたい、此の人々のような天皇制の価値観/考え方は、明仁天皇の苦悩を思う時、そして日本という国家集団の将来を考えるとき、執るべき道であり、且つ新天皇の気持ちとも一致してゆくといえるのだろうか? 
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≪ 相撲を”国技”と呼ぶのを まず止めよう! ≫  大和民族ファースト主義への 危険で排他的な兆候だと気づこう

2017-12-18 21:56:52 | 時評
★ 【日経】日馬富士問題の裏にある「日本人ファースト」の危うさ https://mainichi.jp/premier/business/articles/20171215/biz/00m/010/011000c?fm=mnm
・ 山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員の説くところは、差別される側である女性ならではの視点から描く”大相撲における民族差別感情の勃興”である。
・ 私は、白鵬の所作や言動に対し相撲協会やファン、評論家などが寄せる批判に潜む典型的な「日本文化ユニーク論」「神事としての歴史」「国技意識」の危うさを何度か当コラムで
  指摘してきた。  伝統的所作に反するからという理由だけで、非日本イコール排斥なのだ。 
   考えてみよう。 あなたは15歳で渡った外国で、異国の言葉をネイティヴ同様に話すばかりか、動作/作法を完全にマスターできますか? 
   <バイリンガル/バイカルチュラル>でも、ネイティブには絶対になれない、これは何人であれ同じ。
 
・ 「日本人vs日本出身」の滑稽な使い分けには笑ってしまうが、笑えないのは、親方制度における<日本国籍取得へのこだわり>と<国技意識>の奇妙な結びつきだ。
   そして、力士(=選手)の国際化を美味しいビジネスとしてチャッカリ進めながら、≪スポーツとしての国際化≫を何が何でも認めたくない矛盾した心情が有る。
 
   排他的であろうがやむを得ない、独特であるがゆえに伝統は尊いのだから・・・・相撲に限らないが、日本文化賛美に傾く人は、この陥穽にはまってないか? 
   これは協会幹部だけでなく、国民全般にある情緒だからこそ、私はとても危険だと感じるわけで、捨てておけないのだ。

※ 周知のように「国技」と呼び始めた明治このかた、その流れは戦前の軍国化に重なる。国家神道の称揚と「すもうは神事」「すもうは国技」意識は符合するわけで、排他的な
  民族ファーストがもたらした愚かな結末を、日本人は忘れたのか?
     多くの関係者がモンゴル出身力士を<モンゴル力士会に群れる>と非難するが、大和ヤマトと群れる己の姿と何ら変わりないではないか。  
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