静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ 編集者の資質低下:チンギスカンへの冒涜落書きを なぜ止められない? ≫     ≪ アルマーニ制服校長問題 ≫ なぜ閣議で答弁書を出す?

2018-02-24 22:22:18 | つぶやき
☆ 「ココロコミック」チンギスハンに落書き漫画 小学館謝罪 https://mainichi.jp/articles/20180224/k00/00m/040/098000c?fm=mnm
・ 本件は、いつの世にも、何処にでもいる「大バカ者」「ど阿呆」「たわけ者」が冒した悪質な悪戯話よ、・・・で一件落着じゃない。
・ 私が問題にするのは、かような愚か者の存在や不始末そのものではない。憂うべきは、新聞や雑誌でも時折ある可笑しな、または失礼/無礼な見出しや語句/言い回しを
  うっかり、或いは無知ゆえ記事に使ってしまうミスを、責任ある立場に居る管理監督者がチェックできず、パブリックに出してしまう、其の言語感性と良識感覚の衰えだ。
・ 此の衰弱は、マスメディアに限らない。メディアもまた社会を映す鏡であるからだ。

★  「アルマーニ」制服閣議で政府答弁書決定「配意が必要」 https://mainichi.jp/article/20180224/k00/00m/010/127000c?fm=mnm
・ 政府は23日の閣議で、東京・銀座の中央区立泰明小学校が高級ブランド「アルマーニ」監修の高額な制服を標準服として採用することに関し「保護者らの負担が過重なものと
  ならないよう配意が必要」とする答弁書を決定した。同時に「そのような配意がなされるよう、文部科学省で各教育委員会に対する通知の発出を含め、対応を検討している」とした。

 ⇒ 皆さん、またも私は開いた口が塞がらない、どころではなく、汚く罵倒する言葉さえ思い浮かべない。何故、本件が国会予算委員会の貴重な時間を費やしてまで論じられるのか?
  質問者が立憲民主党議員!とは呆れると同時に、ああ、こんなことでパフォーマンスを期待しているとすれば安倍1強を許すのもムベなるかな。・・情けない、の一言しかない。
  先日も述べたが、このようなアルマーニ男が校長になれる仕組み、ここにこそ、公務員の人事評価システムに潜む何か、笑って済ませられない何かを国民は嗅ぎ取らないといけない。
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≪ ”働き方改革”? ≫ それは個人ではなく 経済界が引っ張る改革なのか?

2018-02-23 10:25:30 | つぶやき
 昨今、「裁量労働制」と「聖歌報酬型賃金」そして「雇用形態の多様化」がセットになった議論がかまびすしい。其の源流は<年功賃金型雇用及び賃金体系>の残渣が残る中で進行
 してきた約30年の推移が底に在る。
 更に其の元をたどれば、60・70年代に亘って続いた高度成長が国際競争力の低下で鈍化したため、生産性底上げの必要から人件費ウエイトを下げるには、年功序列型体系と正規
 身分保障の繋がりを断ち切らざるを得なくなった、こういう背景がある。此の流れは労使で立場が違えども、否定できない現実であり事実だ。競争力の低下を呪っても始まらない。

 一連の<働き方改革>論議は此の大きな流れの中にあるものであることは、経営者だけでなく勤労者自身が自覚せねばならない。正規雇用と身分保障が揺らいだことで転職斡旋が
 ビジネスになった。これまた自然な成り行きであり、勤労者ひとりひとりが自分の値打ち/能力価値やスキルをいつも振り返らないといけなくなった。それは企業規模や業種と無縁だ。

 と、ここまでは理屈通りだが、純粋の意味で日本の労働市場は制約のないマーケットトいえるか? と問えば、一番の障害となっているのが何を隠そう「4月の一括定期採用」しか正社員にしない、此の慣行ではないか。 会計年度途中での欠員補充は飽くまでも補助的手段でしかない。これでは自由なマーケットといえない。東京大学が打ち上げた秋の入学試験が一顧だにされなかった影の力は、経済界自身の保身だろう。つまり、年度を通じた採用訓練の手間は新たなコストアップ要因でしかないためだ。

ここを変えないで何が<働き方改革>だ?  一部の高能力者にしか転職市場が自由に開かれていないままでは、社会全体の底上げにならない。経済界こそが雇用慣行を変えない限り、改革にはならない、と私は思う。 裁量性労働論議以前の本質的論点ではないか?
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≪ 長寿社会 vs 引き際めぐる個人の美学 vs 凡人 ≫     ≪ アルマーニ制服を正気で考える校長 ≫  彼を任命する制度とは?

2018-02-20 08:52:53 | つぶやき
☆ スキージャンプ葛西、悔しさにじませ「4年後にメダルを」 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27120330Q8A220C1CC1000/?n_cid=NMAIL007  
・ 何事においても「引き際の大切さ」はある。芸術やスポーツの世界で生きる人にとっては今も昔も同じ問いだろう。当人そして周囲の人々がそこで向き合うのは、人生において何かに
  注ぐ時間と努力に賭けるモノの意味合いである。
・ 言うまでもなく、注いできた時間・想い・満足感・達成感と自然の摂理、即ち「老い」との間の葛藤をどう捉え、どのように終わり方を区切るかは偏えに本人の美学が命じること
  であり、飽くまで本人しか決めることはできない。俗にいう「最後がどんなに惨めな成績でもいい。燃え尽きるまでやります」という選手/芸術家は居る。それなりに、後のことを
  考えているのか、居ないのか? それすら明かさない。 こういう猪突猛進型の人は『特攻精神型人生』の好きなメディアと世間が持て囃すが、全体では珍しい例だろう。
    ところが”言うは易し”で、多くのベテランにとり悩ましいのは、中々これが自分自身だけで決められない現実だろう。   鈴木イチローの場合は???

・ 決められない理由とは、名誉・名声への執着だけではない。世話になった人への義理というレベルのこと以外にも、実際には、止めた後の時間の過ごし方、新しい自分ができるであろう
  生き方と過去の姿との対比、生計への不安などが、自分の守って来た美学に照らし、どうなのか? という苦しい煩悶が止める前から予感される為に違いない。 
    凡庸な暮らしを生きて来た大多数の人にとり、そのような苦しみ/悩みは想像すらできない。 できるのは、己の人生の引き際に想いを馳せる、それだけだ。

◆ 先日、高級ブランドと名高い外国の某ブランド製品を小学校の制服にしようと発案した校長が話題になり、失笑を買った。保護者の本音はどうなのか? などなど野次馬的興味は
  ほじくり出せば切りがない。   だが私は唯ひとこと言いたい。・・・・ ”こういう人物でも校長に任命される制度/仕組み”こそが問われるべき本質ではないのか?
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≪ 『坂の上の雲』で司馬が描きたかった真意を観よう!≫ 負の歴史に触れ、繰り返さぬ施策の実行こそ 明治150顕彰に値し 周辺諸国の疑念も解ける

2018-02-14 09:40:46 | 時評
◆ 【毎日】「明治150年」を考える 負の遺産、清算の緒に=栗原俊雄(東京学芸部) https://mainichi.jp/articles/20180214/ddm/005/070/012000c?fm=mnm
・” なお影を落とす明治憲法の論理”
1) <1945年夏の敗戦によって、大日本帝国は崩壊した。2年後には新しい憲法が施行され、天皇主権から国民主権となった。国の形は大きく変わった。しかし、その日本国憲法は
  大日本帝国憲法(明治憲法)の定める手続きに従って、同憲法を改正したものだ。あるいは毎年春と秋、メディアで大きく取り上げられる叙勲。これも明治の太政官布告によって
  運用されている。>
 ⇒ 明治国家の滅亡が国民に遺した数々の”ツケ”の後始末ができていない事例は記事本文を観て戴くことにして、栗原記者は「150年を祝う前に、戦争という国策で苦しめられ、
   今も補償を求めて命を削りながら闘っているこうした高齢者たちを、救済すべきだと思う。」という。 私は完全に同意する。同時に、国内向けの後処理で明治の負の遺産処理する
   だけに終わってはいけない。

≪明治維新以来の負の歴史に触れる≫とは、大日本帝国が其の名のとおり帝国主義的膨張を止めず、自ら亡びたばかりか近隣緒国を踏みにじった事実を否定したり、黙って触れない姿勢の反対で、潔く具体的に直截的な言葉で大日本帝国の冒した迷惑行為/犯罪行為を謝罪することだ。これは、やたら明るい側面だけ取り上げて150年を祭りのように祝うノー天気な姿とは無縁であり、100年記念行事みたいな独りよがりな明治150年顕彰を再びやれば、「ああ、日本人は明治以来の膨張主義を未だ懐かしみ、称賛するのだな」との印象を焼き付けるだけだ。

2) <なるほど作家、司馬遼太郎も明治を高く評価した。しかし明治の青春を描いた代表作「坂の上の雲」第1巻のあとがきで明治について書いている。
 「庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう」。司馬は明治の暗い部分を知った上で、あえて明るい部分を描いた。同作に限らずこの向陽性こそが司馬作品の魅力であり、多くの読者を引きつけた。世に明治の人気が高いのは、この「国民的作家」の影響もあるだろう。だが歴史を直視し、教訓を得るべき国の指導者たちは、明るい過去だけに目を向けるべきではない。> 
 ← ”暗いことは見たくない/触れたくない”大衆心理が支える幕末/明治もの大河ドラマが何度も繰り返される背景がここにあることを為政者は熟知している。
   だからこそ、『明るい明治』像は今後も欲しい。従い、150年行事は<めでた めでたや>だけにしたい、こういうことだろう。

<安倍首相が紹介した元白虎隊士・山川のエピソードだけを聞くと、明治政府の柔軟かつ寛容な姿勢のみが前面に出てくる。しかしそこでは触れられなかったが、敗戦後の会津藩士とその家族約1万7000人余は、青森県下北半島に移転させられた。23万石、実情は40万石と言われた石高は3万石にまで削られた。事実上の流刑で寛容とは言い難い。これも明治の一面であり、忘れていい歴史ではない。>  
  「なに、いつの世も それは戦さの常さ・・」としたり顔をしたって何もならない。負の側面を無視し、好い事ばかりで飾る、その姿勢は不誠実であり、卑怯なのだ。

<過去の成功体験を振り返って未来への活力にすること自体に異論はない。しかし、明るい部分だけを強調するあまり、暗部が「なかったこと」になってしまう危機感がある。「明治150年」が、負の遺産を清算するスタートになるような報道を続けたいと思う>。 ・・・そう、都合が悪い事、反省になってしまう事は避けたいから、無かったことにしてしまう・もみ消す・誤魔化す、これは第二次安倍内閣になって顕著になってきましたね。。 若き日、坂の上の雲に血を躍らせた世代も今や高齢者に。其の世代こそが正直にならねば、若い人たちは誤魔化されるままだ。       ”それも仕方ない、俺は知らねえ”で、死んでいけますか???
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≪ 疑惑渦中の公文書隠し&小出し:これは立派な犯罪では? ≫  意図的でないなら無罪か?  刑事/民事では「故意」でなくても「過失」は罪に問われるぞ

2018-02-10 10:14:14 | 時評
★ 「森友」新文書20件提出、麻生氏「意図的に隠さず」 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26751900Z00C18A2EA3000/?n_cid=NMAIL007
・ <麻生太郎財務相は9日の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の内部文書が新たに見つかったと説明した。財務省は同日、国会に20件の文書を
  提出。麻生氏は「国会より提出の要請をいただいていた。確認作業を速やかに行い本日示した」と述べた。同学園との交渉記録ではないとして「意図的に隠したわけではない」
  と述べた。>

 皆さん、刑事犯罪なら問答無用の家宅捜索を行い、関連ありそうに見える文書は一網打尽に押収される。民事裁判でも同様で、書類を保有する側の「出す/出さない」の裁量はいっさい
 許さない。 
  このルールが何故、官僚がらみの経済事案では適用されないのだ?  おかしいと思いませんか? 籠池夫婦ではない第3者の誰かが森友事件疑惑を告発せぬ限り、財務省・近畿財務局
 への強制捜査は出来ない仕組みなのか? 強制捜査する前に官庁は随意に証拠隠しもできるしな。 
  だとしたら、此の国の<法治>なんてチャンチャラ可笑しいではないか? 法の下の平等はどこへ行った?   隣国に向かい<法治>を偉そうに説く資格が、日本のどこにある???
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