静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 幼児・學童虐待家庭への法規制強化を! ≫  親であれ暴行は刑事犯罪に変わりない  親の資格がない未熟者に もう養育を任せるな

2019-01-31 09:46:52 | 時評
 統計を確認するまでもなく、親(シングル・内縁者含む)幼児や学童への暴行/虐待件数は増え続けている。子供の絶対数が減り続ける中での増加だから、相対的な危機は見かけ以上に
深刻だ。虐待報道のたび断片的な欠陥指摘に終わり、何年経っても根本的改善が見られないのは、いったい何に不備があるのか? それは素人にも指摘できる総合的な施策を進めるための法改正、新しい施策を纏める部署及び専任担当者を設けないからに他ならない。   では、最低限の施策を思いつくまま挙げてみる。

 (1) 全国の児童相談所間で虐待/暴行事案のデータベース(DB)を構築/共有し、虐待家庭の転居追跡に遺漏なきを期す。このDBには幼稚園/保育園/学校/医師などにアクセス権を
     与える ← 沖縄から転居した虐待父親による殺人事例をみよ。 糸満市からの情報が埼玉側に若しあったなら・・・と天を仰ぐ気持ちで一杯だ

 (2) 児童自身/周囲/学校/医師等からの虐待被疑事例の報告をDBにて受理後、たとえ1回目の報告であろうが、児童相談所職員は警察官を伴い家庭内調査する権限を保障されるよう
     法を改正する
        ← 虐待加害者が立ち入り調査を拒否できる現在の仕組みこそが再発の温床となり、悲劇が無くならない主因である

 (3) 児童相談所での保護期間ならびに保護解除にあたっての判断をバラツキなく合理的に行えるよう、統一判断基準を中央省庁で作成するとともに、家庭帰還後の再発については、
     例外なく、死亡せずとも、親権剥奪及び逮捕のうえ送検処分とし、養子縁組手続きに諮るものとする。← 同じ虐待加害者による再犯と言い訳を許さない
 

 スポーツ界にみられる暴力/パワハラを伴う指導が犯罪であるばかりか、選手の育成強化には何も役立たず、結局は将来ある選手の芽を摘んでしまっている。精神論だけで発奮する気質は
現代社会にはもう無い。これと同様で、≪親が『しつけ』と称して体罰を繰り返すことは子供の成長に百害あって一利なし。弁明の許されない犯罪なのだ≫という共通理解を社会全体で育てなければならない。

例え祝福されざる結婚/出産/同棲であっても、生計が苦しくストレスに潰れそうな毎日であろうが、子供に鬱憤のはけ口を求めるのは「人間として、してはいけないこと」なのだ、
これが守れない者は親で在り続ける資格がない。  そういう資格のない人格未熟者に子供の教育を任せることこそ、「社会として、してはいけないこと」ではないか???
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≪ 大相撲:貴景勝の大関昇進見送り ≫  妥当な判断だ   相撲協会はスター造りに耽った過去の失敗を振り返るべし

2019-01-28 08:53:29 | トーク・ネットTalk Net
◆ 貴景勝の大関昇進は見送り 「3場所33勝」も千秋楽で豪栄道に完敗 https://mainichi.jp/articles/20190127/k00/00m/050/077000c?fm=mnm
・ 関脇「玉鷲」の優勝で幕を下ろした初場所。 ここ何場所も横綱・大関陣の不甲斐なさが続くなか、御嶽海に続く貴景勝そして今回の玉鷲の”活躍”には素直に喜べないものがある。
  それはそれでおいておくとして、いまいちど相撲界が歩んで来た流れを振り返っておこう。

1.明治以降の国家意識醸成で、江戸以前には無かった『国技』という位置づけが与えられた。それは相撲競技に備わる<神事との繋がり=奉納相撲><日本文化の伝統=神前儀式>が
  国家神道精神ともマッチしたため、現在に至る『日本文化の代表のひとつ』という地位となった。
2.然し、高度成長との関連があるのかどうか不明だが、日本人力士の供給が細り、まずはハワイやトンガなど南太平洋出身の力士が角界入りしたのに続き、モンゴルから力士候補が
  迎えられ、欧州ほかの様々な地域からも相次いで来日。 大相撲は他の協議にも劣らない多国籍選手で支えられるようになった。
3.なかでも言語の同質性が効果的なのか、日本語習得に長けたモンゴル出身力士が上位で優勝をさらう時期が長く続いてきた。

 ⇒ こういう過去50年の流れにあって、日本出身力士の横綱が貴乃花を最後に居なくなり、朝青竜から白鵬・日馬富士・鶴竜に至るモンゴル力士全盛時代が長く続いてきた。
  ここで頭をもたげたのが<国技意識>に基づく国粋感情だ。 ”日本人力士を何とか盛り立て、モンゴル出身者による寡占状態を破れそうな対抗馬を育てたい”という焦りでもある。
  この国民感情をバックに相撲協会は<琴奨菊><豪栄道><稀勢の里><高安><栃ノ心>など、モンゴルではない出身者を含めてでも大関に昇進させ、モンゴル全盛の一角を何とか
  崩そうと試みてきた。 
 

 然しながら相撲ファンなら改めて指摘するまでもなく、上に挙げた力士は期待に応えることもなく惨憺たる成績を重ねている。稀勢の里の引退は其の悲劇的象徴の最たるものだ。
 力士本人の努力が足りないと切って捨てるのは簡単だが、もっと構造的に捉えるならば、≪関脇から大関に昇進させる基準が甘い≫の一言に尽きるだろう。。。

 興行ビジネスである以上、大相撲には常にスターが必要なので看板力士が欲しい、しかもそれが外国人では困る、願わくば日本人で・・。ファンもそれを望んでいる。 
 この焦りが近視眼的な昇進を続けさせ、力士の将来を潰した側面があるのでは?  と相撲協会は反省するのか、しないのか?  
 「新陳代謝に期待する」という気持ちにはモンゴル勢力の加齢を待つ意味もあろうが、それは本筋ではあるまい。昇進を誰よりも協会が焦らないことだ。
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≪ 日本のアンケート調査/世論調査で不思議なこと ≫  「わからない」「どちらともいえない」を入れて ”反対は民意ではない”としたい国

2019-01-26 21:02:09 | トーク・ネットTalk Net
◆ 県民投票「全県」に道筋 3択に懸念の声も 沖縄 https://mainichi.jp/articles/20190125/k00/00m/040/379000c?fm=mnm
 <2択から3択に変更されることに複雑な思いを抱く市民もいる。宜野湾市長の不参加表明後、投票実施を求める街頭活動を続けた安次嶺(あしみね)美代子さん(72)は
 「何とか投票できるという意味で良しとするしかないが、『どちらでもない』への投票を促す動きが起きて、民意をあやふやにさせられないかが気になる」と心配そうに語った。>

★ 基地移設に対する反対・賛成を現在の法制化では拘束力が無い県民投票でも敢えて問うことで何とか、現在の中央集権国家における地方自治精神を盛り返す機会にもしたい。 
  たぶん、沖縄で移設反対運動を続けている人たちの心の奥底には此の動機があり、もっと深い部分では本土に虐げられてきた辺境王朝の怨念がある。

 ⇒ さて、あるテーマについて自分の明確な賛成・反対がまだ形成できていない人がアンケートへの応答を求められた時、「どちらでもない」「わからない」に〇をつけることが、
  意識調査結果の解釈でどう利用されるのかを考えただろうか?? 若し2択の設問しかないアンケートなら、答えない選択はある。然し、答えない事の積極的意味合いは問われぬまま、
  結果的に「棄権票」扱いではなく、賛成主導派からは「反対意見は高くない」例証に使われよう。 片や反対派からは「賛成者が多くない」ことの証左とされる。
  つまり、3択を設けたので逃げられる「意見を決めかねている」とはどういう事なのか不明のまま、全体を位置づける方向には行かない。  これが3択の弊害である。


 英国がEU離脱を国民投票で問うた際の質問設定に「どちらでもない」はあったのだろうか?? 離脱という重大な選択に「どちらでもない」は許されないだろう。
  では、沖縄の基地移設への賛否投票は英国の国民投票と比べ何が違うのだろう? 
  防衛安保は国家の専権事項だからと、県知事が何を言おうと県民投票権結果がどうであれ、 中央政府は耳を貸さない。。 
    ・・・・従来から日本の中央政府は そうしてきたし 今後も同じ・・・・。 
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≪ クアルテット ベルリン‐トウキョウ ≫ 演奏会を聴いて  一段と感動溢れる演奏に酔う  贅沢で幸せなひととき

2019-01-25 11:35:32 | 文芸批評
 先日、およそ1年ぶりに素晴らしい演奏を聴く機会に恵まれた。 ヴィオラ奏者の入れ替わりが前回との大きな違いだが、加えて演奏の質を変えたのが4人の舞台上の位置だと感じた。
300名弱が定員のホールなのだが、舞台空間の形状は台形に近く、舞台上の天井は奥から客席方向へ斜めに上がっている。それが影響するのか、此のホールでの演奏は3重奏、または
4重奏であれ、独奏楽器とピアノの場合も、舞台床の中心に置かれた楽器の音量が聞こえすぎ、他の音量と消しあい、或は圧倒してしまう難点を感じていたからだ。

 ところが今回、此のメンバーは賢明にも舞台前の客席に僅か1メートル余りくらいまで出てきて座ったので、上に述べた相殺作用やチェロだけが過剰に聞こえる難点を見事に克服していた。音響デザイナーが客席での聞こえ方をチェックのうえで助言したのか?  それともメンバー自身がホール/舞台の構造を前回の演奏で把握したからなのか。
どちらにせよ、メンバーチェンジの効果を含む技量向上と合いまち、掛け値なしに万雷の拍手にふさわしい演奏となったことを最初に述べたい。 
 なかでもヴィオラ奏者はハニカミ一杯の容貌からとても若そうに見えたが、あんなにキレの良さと豊かさを併せ持つヴィオラサウンドは初めてで、本当に感服したことを申し添えたい。
 
 演奏したのはモーツアルトの「第14番・ト長調/KV387」、そしてメンデルスゾーンの「第2番・イ短調/作品13」の2曲。モーツアルトはうっとりしすぎて眠りに落ちるほど優美だったが、私が特に印象深く感じたのは後者だった。
 冒頭の主旋律は4楽章でも繰り返されるのだが、この作品13を貫くメンデルスゾーンならではの憂愁と切なさ、哀しくも美しい調べが激しい感情の起伏を縫って何度も押し寄せる。 
<波打ち際にひっそり佇む時に覚える心のさざ波>とでも言おうか。それは2楽章のゆったり揺蕩う流れとも呼応しているようで、メンデルスゾーンィア以外の誰にも書けない「歌」だ。

 余談だが、25年ほど前、私は此の曲を人前で演奏させもらったことがある。私以外は、元プロ2人<Vn/Chello>と音大学生<Viola>の組み合わせだったが、此の日の(ベルリン-トウキョウ クアルテット)の足元にも及ぼない演奏だったのを再確認した次第。 
 私は此の曲が入ったCDを2枚持っている。演奏は『クリーブランド・クアルテット』と『ジュリアード・クアルテット』。どちらも甲乙つけ難いが、此の若いメンバーの演奏のようなスピード/鋭さとは対極の<味・落ち着き・深み>に溢れ、これはこれで素晴らしい。 無論、(ナマ音/スタジオ録音)(演奏者の年齢)(時代背景)などの違いを考慮しながらの聴き比べ。これまた、音楽好きの冥利と幸せというものではなかろうか?    そんな余韻をかみしめ 笑顔でホールをあとにした、幸せな午後だった。    < 了 >
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≪ つぶやき ではなく 驚き!呆れ! ≫   殺人したのが市職員・・だから市長が謝罪??  おかしくない?  背任や横領なら当然だが  

2019-01-24 15:19:39 | トーク・ネットTalk Net
★ さいたま女性死亡 逮捕の前橋市職員との交際巡りトラブルか 市長、記者会見で陳謝 https://mainichi.jp/articles/20190124/k00/00m/040/088000c?fm=mnm

 TVニュースでもくだんの市長が幹部と一緒に謝罪する映像が流れたので、ご存知の方も多いだろうが、皆さんは何とも思わなかっただろうか?

 過去にも私は似たケースを取り上げたが、どうして市長が”女性関係のトラブルだから?”といって謝らねばならないのだろう? 市長は組織の上司だ。然し、職員が私生活で起こした
 不祥事の全てに、何であれ、常に、監督責任をお負わねばいけないというのか?  おかしくないか?  市長は親でもないし、刑事・民事責任を問われるに十分な成人である部下の
保護者ではない。  謝罪すべきは寧ろ親の方だろう・・・


 およそアジアであれ欧米であれ、私はこのような展開が起こるとは想像できない。イエロー新聞やゴシップ媒体は別にして、まともなメディアはコメントすら求めないだろう。  
 市長は市の行政に関する監督ならびに付託業務の遂行責任は負う。 それだけだ。  That's It !   

  もう一度問う。。 職員が役所を出た場所で業務外で起こした犯罪にまで、なにゆえに市長が謝罪するのだ? 誰か論理的な正当性を説明できる方がいらっしゃるなら、傾聴する。
 ・・・・それが日本の伝統だから/文化だから・・・というのは何の説明にもならぬうえ、個人の自立を組織ぐるみで邪魔建てする悪弊が続くだけだ。
    行政や政治の世界に情緒は不要。 日本でも政治は論理で動くのだ、といいたいが、実は情緒や浪花節で動いている。   ここを皆さんは放っておくか?
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