静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

声が出なくなるまで歌いたい、橋幸夫さん?  そんな姿は輝いた昔を知る我々には残酷な仕打ちなんだよ  じゃ「人生のけじめ」は何時つけるの?

2024-04-15 19:58:57 | トーク・ネットTalk Net
◆ 【毎日】 橋幸夫さん、歌手活動再開を発表 「声出なくなるまでやりたい」 【西本龍太朗】
* 橋さん(80)は、歌手活動をやめて以降、ファンから活動再開を願う声が寄せられたことを明かし「引退会見でけじめをつけたつもりだったが、歌を歌うことが(自分の)使命だったんだと思った」
  と話した。そして「声が出なくなるまで(歌手活動を)やりたい」と頭を下げた。


〇 ああ、この人もそうか! というため息が出た。歌手に限らず、映画スター、舞台俳優、漫才・落語など娯楽芸能人、およそ容貌・歌唱力・演技力・話術・表現力で人に秀でた業績を残した人は、
  いつの世も一般大衆の憧れ・夢であり続けることで貢献してきた。それはお堅いクラシック音楽界でも同じであり、技量が衰えるまではできる限り努力を重ねる姿が人々の感動を呼んでいる。
  スポーツ選手も同様で、肉体を酷使したぶん、人気商売で生きてきた人どころではなく衰えは早くやってくる。 長寿化のため、残る長い人生の送り方は益々悩ましいだろう。

* いくら長寿が進み、一般論として今の70歳が嘗ての60歳と等しくみえても、肉体の経年劣化から誰も逃れることはない。劣化スピードが遅くなったように映っても昔のままではない。
  それは少し冷静になれば誰もが思い知ること。長くいきることになったせいで、現役を離れた当人が生きる目標を失う辛さから舞台復帰にすがりたくなる心情は一般人と同じだろう。

★ 業界が何であれ大衆を喜ばせ、夢と希望を与えた人こそ<燃え尽きたい欲望と【引き際】の美学>のバランスを配慮する気があるならなら、輝かしかった時を共にいきた人々の幻滅も思いやってくれ。
   若き日の素晴らしい姿の思い出は喝采した人々にとり、人生の貴重な一幕だ。その記憶を持つ人にとり、〇十年後、容貌・技量とも変わってしまった当人の登場は果たして嬉しいだろうか??

  【楽しかった・美しかった思い出を壊すなよ!】・・こう感じる人は現役復帰を歓迎しないどころか、時間の経過がもたらす残酷な現実をわざわざ念押しされる苦痛を味わうのだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

≪ アメリカ大統領選挙戦 ≫    トランプ氏” 公認聖書 "販売でプロテスタント中道主流派の支持者拡大ねらう?           

2024-04-15 07:40:34 | 書評
★【毎日】「公認聖書」を売り出したドナルド・トランプ氏の奇想天外:佐藤優・作家・元外務省主任分析官
      https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20240413/pol/00m/010/005000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailasa&utm_content=20240415
   詳細は上記URLを開いてご覧いただくとして、聖書を自ら(公認?)する神経に驚くとともに、アメリカにおけるキリスト教の占める位置・大きさを私は改めて感じた。
<以下抜粋:佐藤氏>
* 表題は、“HOLY BIBLE:GOD BLESS THE USA"(聖書:神がアメリカ合衆国を祝福する)だ。ラスベガスで印刷されている。旧約聖書、新約聖書に続いて、リー・グリーンウッド氏のヒットソング
  「神がアメリカ合衆国を祝福する」の詩(手書きの写植版)、アメリカ合衆国憲法、権利の章典(米国憲法修正1~10条)、アメリカ独立宣言、忠誠の誓いが収録されている。
   ちなみに忠誠の誓いとは、「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、すべての人のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一つの国家である共和国に、忠誠を誓います」
  との宣誓文だ。米国の学校では、この文章を暗記させられる。  ← 私の息子二人もあちらで在学中は暗記させられたのか?機会があれば尋ねてみたいものだ

* トランプ氏は、自らの権力は聖書、独立宣言、憲法などに基づいていると主張するためにこの本を作ったと筆者は見ている。興味深いのは、この「公認聖書」で使われている聖書の英訳が欽定
  (きんてい)訳であることだ。トランプ氏の支持基盤であるキリスト教右派の人々は、現代英語でわかりやすく表現された翻訳を用いる。しかし、「公認聖書」で用いられているのは、
  1611年にイギリスのジェームズ1世の命令で作られた「欽定訳聖書」だ。キリスト教右派ではない伝統的なプロテスタント教会で広く用いられている聖書だ(実際には、表現を現代的に改めた
  「新欽定訳聖書」=1982年=が使われることが多い)。トランプ氏は、自らの支持基盤をキリスト教右派から伝統的な主流派にも拡大することを考えているのだと思う。

* 米国のプロテスタント教徒には、トランプ氏に対して好感を抱いているわけではないが、性的少数者をめぐる施策を積極的に推進する民主党の姿勢や、新自由主義的競争原理の浸透によって家族や
  村落共同体が解体されていく傾向に対して、違和感を覚えている人が少なからずいる。こういう人々に対して、トランプ氏は「私はアメリカ建国の原理であるプロテスタントの価値観で政治を行う」
  というメッセージを伝えているのだ。・・・同時にライセンス契約で金もうけをするのもトランプ氏らしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 重要なのは、佐藤氏が指摘するように「アメリカ建国の原理であるプロテスタントの価値観」を今もアメリカ人の大多数が信じていることだ。そこには、右派であれ主流派であれ同じプロテスタント
じゃないか!という呼びかけで無党派層や民主党に傾きそうな白人を取り込みたい戦略がある。・・では【政教分離の原則】はどうなってるのだ?と私は素朴な疑問を抱く。
 <特定の宗教団体の活動が政治権力構造に関わることのないように制限する>が【政教分離の原則】の基本精神だとすれば、アメリカに元々この原則は無いことになるのか?選挙なら関係ないのか?

 日本では政教分離原則の下で許される国家行為について、神式地鎮祭、神社等への玉串料等の公金支出、自衛官合祀訴訟、忠魂碑訴訟、即位礼・大嘗祭関係訴訟、内閣総理大臣の靖国神社参拝などが常に問題となる。これらは行政府幹部の政治的行動の当否を問うもので、『このクニは神道神話を建国の原理とする』が明治維新から敗戦までの指導原理だった歴史への反省から生まれている。
仮に公明党の候補者が選挙街宣車から日蓮正宗の教義に絡めて日本の国政を語れば? 憲法上の【政教分離の原則】とは無縁だが、却って他の宗教信心者から反発を喰らい攻撃されるかもしれない。

 最後に私の体験談を。1996年だったか、オハイオ州の某スポーツジムでサウナ施設に入った。先に座っていた男性2人が「あいつはクリスチャンじゃないから云々・・」の罵り口調でだべっていたが、湯気が晴れて東洋人の私に気づくと下を向き、サウナ室を出ていった。非クリスチャンとわかれば排除する、宗教信心者独特の偏りを痛感し、この記憶が宗教信心への私の嫌悪感を醸成した。
 Jap. ・・Yellow Guy と口走るのが聞こえてしまった時の記憶とともに、それらはアメリカ社会の負の側面を私の脳裏に刻み込んだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする