【優生思想】とは、平たく言えば(優秀な生命を尊び、劣悪な種を間引く)ことであり(老若問わず、劣悪者は世の中の邪魔になるから消す)。こういうことだ。
人類史上、いつの時代にも【優生思想】は絶えることなく続いてきた。直近の最も端的な例は<ユダヤ人抹殺>を唱えたヒットラーのホロコーストである。
片や、民族間の憎悪や宗教絡みの大規模な殺戮は<自分の役に立つ優秀な種か?>の判定から発生していない。
では、誰が<優秀な種ではないから邪魔な奴は消せ>の価値判定をするのか? そもそも判定して良いのか? 良いわけがない・・この根本的な否定は正しい。
★ では、昔からある「生後間引き」「堕胎/妊娠中絶」最近の「劣性遺伝子児出産の回避」などは【優生思想】と何がちがう? 私たちは此の反問に答えをもっているか!
このような命の選別が投げかける【優生思想】への根源的な問いと、明確な意思を表明できる障碍者や老人・難病不治患者が自らの終わりを望むことは同じ地平にない。
安楽死とは、他者から生き続ける価値の有無を判断されるのではなく、本人が自分の価値観に基づき自らの存在の終わり方を決めることであり【優生思想】と本来は無縁だ。
積極的か消極的かを問わず、制度濫用は回避しつつ、耐えがたい苦痛から解放して楽にしてあげる事自体を咎める権利・根拠は誰にもない。
医師の使命とは命を助けること・長く保つこと。原則としてそれは間違っていないが、だからといって患者本人を超越して、本人の価値観まで否定することは許されない。
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「安楽死」「尊厳死」を許容するかについて、NHK放送文化研究所が行った調査を島田氏は引用している。長寿化を反映してか、当然と言えば当然の傾向だろう。
2002年 2014年
<安楽死を許容する> 70% 73%
<尊厳死を許容する> 80% 84%
此の調査から8年経過した。人生100年時代などと喧伝される今、劇的な変化ではないが、高齢化が止まらぬ限り「死を選ぶ心理」はじわじわ増え続けるだろう。
前節で触れた「安楽死」の積極性と消極性にみる日本人の特性、即ち、延命拒否や鎮静剤服用による自然死の補助はしても自殺支援だけは嫌う傾向の背景は何か?
「God」を介した1神教世界における「人間が人間以外の自然界を支配する」価値観にあっては、動植物の品種改良は当然なので、そこに種の選別は当たり前。
要らない命と自分が判定すること自体はおかしくない、何が悪い?となる。
一方、「God」を介さない東洋全般では人間の命も他の生き物の命も自然界の同類ゆえ、人間が王者として自然を利用・支配する発想は無かった。従い、命は大自然の
摂理の中で人智の及ばぬ掟に従うものだから「自分で命の終わりを決めてはいけない」となり、積極的安楽死だけはすべきでない、となった?
日本でよく言われるフレーズ;『命と身体は御先祖・親から授かったものだから粗末にしてはいけない』も、上述の自然観から来ている。
さて、皮肉にも自然の摂理に逆らってまで不自然に生き続けるよう強制され、死ねなくなった日本の老人に、自らの良心に従い死を選ぶ道はあるか? < つづく >
人類史上、いつの時代にも【優生思想】は絶えることなく続いてきた。直近の最も端的な例は<ユダヤ人抹殺>を唱えたヒットラーのホロコーストである。
片や、民族間の憎悪や宗教絡みの大規模な殺戮は<自分の役に立つ優秀な種か?>の判定から発生していない。
では、誰が<優秀な種ではないから邪魔な奴は消せ>の価値判定をするのか? そもそも判定して良いのか? 良いわけがない・・この根本的な否定は正しい。
★ では、昔からある「生後間引き」「堕胎/妊娠中絶」最近の「劣性遺伝子児出産の回避」などは【優生思想】と何がちがう? 私たちは此の反問に答えをもっているか!
このような命の選別が投げかける【優生思想】への根源的な問いと、明確な意思を表明できる障碍者や老人・難病不治患者が自らの終わりを望むことは同じ地平にない。
安楽死とは、他者から生き続ける価値の有無を判断されるのではなく、本人が自分の価値観に基づき自らの存在の終わり方を決めることであり【優生思想】と本来は無縁だ。
積極的か消極的かを問わず、制度濫用は回避しつつ、耐えがたい苦痛から解放して楽にしてあげる事自体を咎める権利・根拠は誰にもない。
医師の使命とは命を助けること・長く保つこと。原則としてそれは間違っていないが、だからといって患者本人を超越して、本人の価値観まで否定することは許されない。
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「安楽死」「尊厳死」を許容するかについて、NHK放送文化研究所が行った調査を島田氏は引用している。長寿化を反映してか、当然と言えば当然の傾向だろう。
2002年 2014年
<安楽死を許容する> 70% 73%
<尊厳死を許容する> 80% 84%
此の調査から8年経過した。人生100年時代などと喧伝される今、劇的な変化ではないが、高齢化が止まらぬ限り「死を選ぶ心理」はじわじわ増え続けるだろう。
前節で触れた「安楽死」の積極性と消極性にみる日本人の特性、即ち、延命拒否や鎮静剤服用による自然死の補助はしても自殺支援だけは嫌う傾向の背景は何か?
「God」を介した1神教世界における「人間が人間以外の自然界を支配する」価値観にあっては、動植物の品種改良は当然なので、そこに種の選別は当たり前。
要らない命と自分が判定すること自体はおかしくない、何が悪い?となる。
一方、「God」を介さない東洋全般では人間の命も他の生き物の命も自然界の同類ゆえ、人間が王者として自然を利用・支配する発想は無かった。従い、命は大自然の
摂理の中で人智の及ばぬ掟に従うものだから「自分で命の終わりを決めてはいけない」となり、積極的安楽死だけはすべきでない、となった?
日本でよく言われるフレーズ;『命と身体は御先祖・親から授かったものだから粗末にしてはいけない』も、上述の自然観から来ている。
さて、皮肉にも自然の摂理に逆らってまで不自然に生き続けるよう強制され、死ねなくなった日本の老人に、自らの良心に従い死を選ぶ道はあるか? < つづく >