静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

書評048-5  『アメリカが学んだ教訓』 < On Killing > Dave Grossman  筑摩書房

2015-09-30 14:09:00 | 書評
 ヴェトナム戦争記念碑が築かれ、帰還パレードを政府が主宰するのに20年近くかかったことを著者は「恥ずべきこと」と断じる。
陸軍が教訓として取り組んだのは、戦中・戦後も部隊意識を維持させるため兵員交替制度を個人単位から部隊単位に変更。またイギリス軍に倣い、船による帰国とパレード実施。部隊交替期間中の精神安定維持策だという。著者によれば、これらの対策は湾岸戦争(1991年)では概ね実行された。
  上に紹介したことは米国陸軍の実務面での対応だが、日本にとり、もっと重要な変化の方は見逃せない。それは<ワインバーガー・ドクトリン>と呼ばれるアメリカ国防省の出した指針である。
■ 米国の重大な利益がかかっているのでない限り、合衆国は軍を戦闘に関与させない
□ 戦闘に関与する場合は、勝利を収めるに十分な兵員と支援を与える
■ 政治的および軍事目的を明確にする
□ 勝つつもりのない戦争に二度と再び軍を送らない
■ 海外に軍を派遣する場合、合衆国政府は国民及び議会における国民の代表から支援が得られるという一定の確証を事前に得なければならない
  合衆国軍が海外で勝利を得るために戦っている時に、本国で議会がそれに異を唱えるようなことが有ってはならない
□ 大がかりな外交戦術のために、合衆国軍が捨て駒として派遣されるようなことは、アメリカ国民が黙認しないだろう
■ 合衆国軍の派遣は、最後の手段でなければならない。
   中国の台頭、新生ロシアの対決姿勢、不安定な中東から西アジア。ソ連崩壊前より却って世界のトラブルは拡散し、手に負えなくなった。ヴェトナム戦争が世界で初めてのゲリラ戦争だったとすれば、今は世界中がゲリラとテロリズムに満ちている。 大規模な正規軍同士の戦いはもはや発生せず、民間人なのか兵士なのか見分けがつかないまま、テロまがいの局地戦が「モグラ叩き」のようにあちらこちらで頻発している。
  
 さて、安倍政権は「安保関連法制」と称する法律群を国会で通し、海外派兵可能な国にした。それが「駆けつけ警護」であれ「紛争地域での共同警護」であれ、実弾を発射する機会が飛躍的に増え、犠牲者が必然的に避けられなくなった。たとえPKO行動であれ、これからは外国軍の後ろに隠れる自衛隊では周りが許さないだろう。それを覚悟のうえ、安倍首相はこの国の方向を変えたのだ。 与党支持者も同じ覚悟でいるに違いない・・「靖国が君を待っている」と。
  もう30年近く前のレーガン大統領時代、当時のキャスパー・ワインバーガー国防長官が出したドクトリン。これが現在の世論/歴代政府にどこまで受け継がれ、支持されているのか? それは判断が難しい。 だが、1990年代から21世紀に入って以降の25年間、米国政府が介入した事例を眺めると、私には大なり小なり同ドクトリンの基本精神は消えていないと思える。
 オバマ大統領が<アジア・リバランス><尖閣諸島は日米安保条約の発動対象>と言ったからといって<ワインバーガー・ドクトリン>に照らす時、日本は片思いのお人善しではいられないのだ。 例えば、南シナ海へ海上自衛隊の哨戒機派遣を要請された時、<ドクトリン>精神がどう働くか? この海域は日米安保の発動対象にならないが、米軍は自国の国益保護だからと一緒に戦闘行動に入るか?
 要は、こういうシナリオ想定そのもではなく、自衛隊が<国家としての殺人>を隊員に命じることで発生する心の傷と社会が支払う代償に備えているか、である。専守防衛で戦死者が発生してもPSTD患者は出まいが、遠く離れた海の向こうでの殉死ならどうだ。これに政府と国民は備えができているか?  ≪ つづく ≫
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書評048-4  『国家が支払う 殺人の代償』 < On Killing > Dave Grossman  

2015-09-29 15:01:05 | 書評
昨日の<書評048-3>は、ヴェトナム戦争が大量のPTSD患者を生み出した背景として、10項目に亘る<殺人合理化の手法>がヴェトナム戦争では機能しなかったことを説明した。米国にとりヴェトナム戦争は、それまでの歴史にはなかった<特異な戦争>だった。 実は在米中、私はPSTD患者と接した体験があるので、ご披露しよう。
 南部の某州にドイツのメルセデスがSUVの組み立て工場を建設し、私が働いていた日系メーカーがサプライヤーに選ばれたので、その会社は新工場を立ち上げた。私は其の新工場の間接部門責任者としてミシガンの本拠から赴任。少し若い人事マネージャーの米人と仲良くなったのだが、此の男がヴェトナム戦争で徴兵され、空母で戦闘機にロケット砲等を積み込む係だったという。トンキン湾に居た頃は生きた心地がしなかったぜ、とよく言っていた。
 高卒で徴兵任期を勤め上げると大学進学の優待特典がついたので、彼は大卒資格を得ることができ、人事マネージャーにもなれたせいか、ヴェトナム戦争従軍の話はしたがらなかった。聞けばボソボソ答える程度だ。
 或る日、彼の家で飲んでいると戦友だという男が訪ねてきた。眼光鋭く、斜に構える風貌はどこか陰鬱。少し言葉を交わすうち、突然その戦友氏が言った。

「おお、アメリカ人のお前が ドイツのお客様に仕える日本メーカーで使われてるわけか。Who won the War ? (戦争に勝ったのは誰なんだろうな?)」
 
冷たく乾いた嗤いを口の端に浮かべ、私を凝視した目つきを私は忘れられない。 今でも背筋がぞっとする。
 彼にとってWar とは 勿論第二次大戦ではなくヴェトナムだ。然し、帰還したものの誰からも温かく迎えられない辛い時間、それは前に挙げた【7】【8】の欠如である。第二次大戦(太平洋戦争)の栄光ある戦勝国として、歓喜の声で帰国を迎えて貰った誇りある帰還兵ではない口惜しさ。ぶつける場のない怒り。 人生への憤り。何と表現すれば良いのか?・・・「奴は可笑しくなっちまったんだ、すまないな・・」そう言い訳する彼の声を背に、私はいたたまれず人事マネージャーの家を辞した。
  『十代の戦争』『汚い戦争』『逃げ場のない戦争』『孤独な戦争』『初めての薬物戦争』『浄められなかった帰還兵』『悼まれなかった戦没者』『非難された帰還兵』著者はこのように総括する。  なんと酷いことを、冷静に語るのだろう。 日本人の情緒耽溺では とてもこうは分析できまい。
ヴェトナムの最前線では精神安定薬と<フェノチアジン誘導体(抗精神病薬)>が兵士に投与されたと著者が書いている。マリファナなどがアメリカで急に蔓延した素地がここにあったのだ。ヒッピーと呼ばれた若者の大半は徴兵帰りだったことを思えば腑に落ちる。

周知のように、これらの傷ついた帰還兵は例えPSTDには陥らなかった者も心に深い闇を抱え、多くの家庭崩壊・離婚増加を招き、児童虐待、無差別殺人の温床になったと著者は云っている。そこにTVゲームの発達、探偵/警察モノのハリウッド映画で描かれる暴力描写などが相乗効果をあげ、人殺しが何でもない風景になってしまった<病めるアメリカ>ができた。 

国家として、社会としてアメリカが払った{殺人の代償}、それは負の遺産で今も背負うものだが、アメリカはどういう教訓を得たか。その教訓と現在の日米軍事協力がどう連動しているのか?  いよいよ佳境に入ってきた。                           ≪ つづく ≫
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☆ 2015.09.29    ≪ 軽減税率計算させない理由は? ≫ 誰をかばおうとしてるの?  

2015-09-29 09:12:38 | トーク・ネットTalk Net
☆ 消費増税:インボイス即導入を   http://mainichi.jp/shimen/news/20150929ddm008020064000c.html
・ 野口悠紀雄氏・早稲田大ファイナンス総合研究所顧問は私の疑問・疑念を裏付ける明解な示唆を与えてくれた。
<経済界は経理事務の負担増を理由にインボイス導入に反対しているが、現行の請求書でも消費税を別に記載しているケースは多く、そんなに手間は変わらないはずだ。むしろ、事業者はインボイス導入によって税当局に売り上げを捕捉されることへの懸念が強いのではないか。しかし、税収に占める消費税の割合が増え、今後も重要な税であることを考えると、税当局はインボイスを売り上げの捕捉には使わないことを宣言してでも、インボイスを導入し、適正な課税に努めるべきだ>。

<財務省が今回提案した還付金制度は、インボイスがない日本の消費税の問題を覆い隠すために作ったとしか思えず、奇策としか言いようがない。マイナンバーカードの読み取り機やインターネット環境を全国すべての零細商店にまで備え、メンテナンスできるのか。そんなコストをかけるより、今ある請求書をインボイスにした方がよい>。
    ああ、やっぱり、そうだったんだな。「事業者はインボイス導入によって税当局に売り上げを捕捉されることへの懸念が強いのではないか」というが、この「事業者」とは一体 どの業界で どの程度の規模の事業者であり、今は売り上げ捕捉を逃れられているのか?  そもそも、逃れられているのが事実ならば、それ自体が違法ではないか?  見逃し? 怠慢? 癒着?  何だそこにある闇は???  それだけかい?

 工業生産の場合、原材料仕入れから人件費支払/副資材/消耗品購入等に至るまで、発注書/納品書/請求書/支払記録までが一致しないと決算ができない。この流れの中で最後の売り上げだけを誤魔化そうとしても、原価収支を丁寧に調べればすぐバレテしまう。 売り上げ捕捉から逃げきれている業種/業界/企業があるとすれば、例え製造業でないサービス/流通/販売業であっても、会計監査自体がいい加減だということになる。 
 
  なら、会計士/税理士/監査団体協会と財務省の癒着か?   どうなんです、麻生さん??
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 ≪ キレル親父 ≫  貴方 嗤っているけど 今の年寄りだけの現象ではないとしたら?

2015-09-28 22:39:49 | 時評
 ■ 言語力が老化、コミュニケーション不全に 人間関係、疲弊の証し? http://mainichi.jp/shimen/news/20150928dde012040004000c.html?fm=mnm
この記事は、かねがね自分の行いも含めた折々の憤りについて、冷静に分析したうえ将来に繋がる視点も提供している点で、単なるボヤキに終わっていない。
  私はどこに感心したのか? それを整理しながら、自ずと「現代における老い」を問う自分がそこに在った。 辛すぎて 冷笑すらできない。
≪1≫ 言語操作能力の低下・・・定年などで引退した男性は、夫婦二人暮らしか(離婚や死別による)単身生活者が多い。会話が格段に減り言語力が衰えるため、
   地域などで新たに人間関係を築けない。老人会の組織率が低いのは、男性のコミュニケーション力が落ちたのもあるはず。孤立し自暴自棄になった
   中高年の男性が、積年のストレスを電車などで暴発させてしまうのでは」
≪2≫ 死までの長い時間と不安、年金を使わせる消費社会・・・高齢でエベレスト登頂を果たした人や生涯現役の医師の『若さ』はもてはやされても、
   ただ老いてゆくのはマイナスイメージでしかない」「今は高齢者の体そのものが嫌われる一方、若さにこびる商品が売られる」。老いが疎まれ孤立化する
   から、怒りが爆発するのか。
≪3≫ 高齢者を取り囲む社会の変化・・・「かつて高齢者は少数の弱者でありながらも賢者という社会認識が広くあった。でも今は非正規雇用の若者など弱者の
   枠が広がり、高齢者は相対的に埋もれてしまった。経済、精神が疲弊し、社会に余裕がなくなり、高齢者はかつてない過酷さにさらされている」
   過酷さをあおるのがマニュアル社会とIT(情報技術)の浸透で、「マニュアル化が進んだコンビニでは店員だけでなく、客も店に応じてキャラクターを
   演じないといけない。素早く代金を払い、店員と会話をせずさっと去る。でも、夫や父親、会社員しか演じたことのない人に、電車内やいろいろな店と
   細分化された新たなキャラを演じ分けるのは難しい」 ← 何故 スタバに年寄りは近づかないのか?? これだ。
   * 3世代世帯が減り、家で「おじいちゃん」でいられるのは幸運な人。地縁、血縁、社縁が衰え、高齢者に与えられた役は下手なエキストラくらいか。
≪4≫ ネットでの人間関係・・・「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)での交流が当たり前となり、今やメールも古びた。電話はさらに少数派、
   いきなり自宅に手紙が来たら怪しいという社会で、おいてけぼりを食っているのが今の高齢者」 ”スマホを見つめる群衆の中で自分の存在は「無」となる--

* これを中高年の問題として片付けられるのだろうか。過去20年のマニュアル、ネット社会の進展を見れば、今の若い世代が中高年になる頃、人間関係の手段は想像がつかないほど変わっている。彼らの置かれた環境が今以上に過酷になれば「キレるオヤジ」そのものが標準化する。そんなこともないとはいえない。
 
 <今はやりのコミュニケーション力の押し付けは一種の集団主義で、個性と対立するものです。それよりも、なぜコミュニケーション不全を起こすのか、その起点はどこにあるのか。中高年だけでなく若者を含めた社会全体がもう一度見つめ直さなければいけない。キレる原点がどこにあるのか。その片りんでも暴き、近未来のあるべき人間関係を考えていかなければ悪くなる一方だ>と作家、藤原智美さん(60)は語った。    御意!!
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★ 2015.09.28  ≪ 就活には親を説得? ≫ 情けないと思わないのか、親子とも?

2015-09-28 14:53:21 | トーク・ネットTalk Net
                             
 ★ 就活力:会社説明、保護者にも http://mainichi.jp/shimen/news/20150928ddm013100015000c.html?fm=mnm
いやはや、今更ながら 呆れて天を仰いでしまった。 <選択の基準は親子間で異なる。就活生は「自分のやりたい仕事ができる会社」(40・2%)が最多で働きやすさを重視する志向が強い。一方、保護者は「経営が安定した会社」が48・1%とトップだ。就職先に望む上位は公務員、有名企業、大企業が並び、逆に「設立間もないベンチャー企業」は24・9%が「反対する」と応える>。 

就職活動中の大学生の親に当たる世代といえば、40代後半くらいか。その親たちが就職活動をした頃とは、1990年代あたりだろう。それが世にいう<就職氷河期>だとすると、安定志向に傾く癖が抜けないのは想像できる。 だが然し、である。高度成長期に就職活動した当時も世の中の全てが大企業では無論なかった。中小零細企業が圧倒的に数では多かった。今と産業界の構造は第3次産業が増えたとはいえ、企業規模の差異は変わらない。 変わったのは終身雇用制度の中途半端な崩壊と非正規労働者の激増である。

 いや待て、今と決定的に違うことが一つある! それは、大企業志望者であろうがなかろうが、親向けの説明会や親同伴などは聞いたことがなかった。
大学入試会場/合否発表会場に親が心配そうに同行する・・・この図と同じように、笑止千万を通り越し、私などは笑い泣きしてしまう。
 「(^^♪面白うて、やがて哀しうて。。。。。」そのままだ。       何とかならないのか、このザマは?
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