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【書評 148-4】〆  「戦後」を点検する    保坂正康+半藤一利     講談社現代新書   2010年10月 刊 

2022-02-16 08:49:06 | 書評
 日本政府は60年安保反対闘争を抑え込んだ後、経済高度成長路線に舵を切り、60年代後半から85 年<プラザ合意>までの約20年に亘り日本経済は成功裏に拡大した。
この20年間を成人で過ごした世代の多くが今は勤労から退き、年金生活を送る高齢者となった。世界は?と見れば、此の期間はソ連がアメリカとの軍拡宇宙覇権競争に敗れ、90年初頭の
ソヴィエト連邦解体に繋がる・・その前段階である。
 他方、共産中国は「文化大革命」を終わらせた70年代半ばからの10年で、鄧小平の指導下、代議制民主政治は執らない1党独裁を堅持しながら、現在の繁栄に繋がる基礎を造っていった。
同じ10年間に起きた「米中&日中国交回復」は、言うまでもなくアメリカの対ソ戦略の一環に過ぎないが、ソ連衰亡の成功は強い中国の出現に手を貸す皮肉な結果を招いたのだ。

 本書対談でも半藤氏の「日本近代史40年周期説」は随所に引用されている。これは単なる語呂合わせレベルではないので、ご存知ない方向けに概略を拾っておこう。
まず、朝廷が攘夷から開国に転換したのが1865年、半藤氏は王政復古(1868年)ではなく、これを近代史の起点とし、日露戦争の1905まで40年。そのまた40年後が大日本帝国滅亡の1945年だ。
そして再び40年後の<プラザ合意>で高度成長の終焉を迎えたのは1985年になる。確かに巨視的スコープを採れば「日本近代史40年周期説」は巧く当てはまる。

 40年周期の捉え方は冒頭で両氏が論じた「戦後」の区切りや”時代精神”としての「戦後精神」云々を飛び越えたものであり《「戦後」の点検は敗戦から現在に至る75年余りをも包摂し得る》事を示す。
初回で観たとおり、本書で両氏は二人の元日本兵帰還と「米中&日中国交回復」が重なった70年代半ばから後半に「戦後」の終わりを置いた。一方「戦後」の始まりを本書では1945年と置いているかと
思えば、対談で保坂氏は半藤氏の著書【昭和史~戦後篇】を引き、占領の終わった1952(昭和27)年を「戦後」の始まりと半藤氏が置いているのに触れ、それでいこうと合意している。
 では、両氏が一致した「戦後」の始まり1952年に40年を加えると?ソ連邦解体になる。<プラザ合意>1985年から40年後? それは2025年である。・・・・もうすぐだ。

 さて、偶然にも日本経済面での「高度成長」の終焉(1985年)はゴルバチョフによるソ連邦自壊の起点でもあり、そこから国際政治面での「戦後」の終わり、即ち「ソ連解体」の1992年まで。
そして、その後から2000年辺りまで続く内外の混乱と過渡期こそは、国内外とも広い意味で《「戦後」の終わりの始まり》と言えるのではないか? 
 1992年に世界の「戦後」は終わったが、それはロシア革命(1917年)に始まる20世紀の終焉でもあった。其の混乱が今に続くと解釈すれば、「戦後」でもない現在は名付けようのない時期だ。

 本書は「戦後」概念を使い、私に”時の区切り方と歴史”を改めて考えさせてくれた。加えて、日本に生まれ育った我々が日本の近代史並びに国家と国民の在り方を考えるうえでもヒントに充ちており、
【堕落論】で坂口安吾が吐露した「戦後」への向き合い方の重みを同時に思い出させてくれる良書でもあった。                          < 了 >
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