静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 ひとかどの芸術作品は作者(+親族)だけの独占物ではない   後世人類の共有財産になりえる

2024-04-12 14:00:31 | 文芸批評
▼ 【毎日】金言:没後10年の新作=小倉孝保 (論説委員)  抜粋
* カフカは死後、多くの作家に影響を与えた。コロンビアのガルシア・マルケスもそうだった。17歳で初めて小説を書いたのは、カフカの代表作「変身」を読んだ直後である。その後、ジャーナリスト
  を経て作家となった。祖父母から聞いた民間伝承や戦争体験を基に1967年、「百年の孤独」を刊行し、絶賛される。60年代のラテン文学ブームをけん引し、82年にはノーベル文学賞を受けた。

* 最晩年の原稿が「8月に会う」だ。2003年ごろ、執筆にかかると記憶力低下の症状が出た。認知症だった。病と闘いながら書いたものの、出来には満足しなかった。自分が死んだら破棄するよう
  2人の息子に託している。破棄されるはずの原稿が先月、各国で出版された。邦訳タイトルは「出会いはいつも八月」である。
   息子たちは「お金のために原稿を売るのか」と批判されながら、作品を世に問うた。「父の詩的な言語、魅惑的なストーリー展開は十分に楽しめます」

* 不完全な原稿を残したくないと考える作家は少なくない。ロシアのゴーゴリは亡くなる数日前に「死せる魂」の一部を焼いた。カフカも臨終の際、友人に遺稿の焼却を依頼する。
  しかし、この友は未完の原稿を整理し「城」「訴訟」を出版した。カフカの評価が高まったのは没後である。私たちは「芸術は誰のものか」という難題を突きつけられる。
   作品は死後、いずれかの時点で個人の手を離れ、人類の共有財産になる。発表せずという選択はまだしも、破棄や焼却は避けるべきではないか。

  ガルシア・マルケスほどの作家が認知症になった時、何を考え、どう感じていたか世界史の一コマを生きるに過ぎない私たちに、後世の興味、研究まで封じる権利はない。
  今年はカフカが亡くなって100年である。「城」「訴訟」は、後の芸術家が繰り返し映像・舞台化している。ガルシア・マルケスの新作もきっと将来、新たなアートを生むのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 『作品は死後、いずれかの時点で個人の手を離れ、人類の共有財産になる』・・これは文学に限らず、芸術作品すべてにあてはまる。これに因んで重要な逸話は、モーッアルト。
整理整頓ができない男だったらしく譜面を書きなぐっては散らかし、貧窮のうちに世を去ったが、残された妻は生活の為とはいえ賢明にも出版社にかけあい、不朽の名作を後世の我々に残すことができた。

いくら遺言で託されたにせよ、世に出せるレベルの芸術作品の破棄や償却は親族・友人といえども許されることではない。小倉論説委員の指摘は正しく重要だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ≪ 今朝の3題 ≫  飲食店... | トップ |  教育に携わる職における「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文芸批評」カテゴリの最新記事