静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

【書評185-2】 異文化理解の落とし穴  張 競  岩波書店  2011 年11 月

2024-03-28 14:46:49 | 時評
 第4章:(日本との出会い)は、よく耳にする異文化遭遇話だが、おやっと目を惹いた下りは長兄の買ってきた理系の本が日本語で書かれていたのが出逢いだと言う。理解力を高めようと日本語の小説を読み出したのが著者の人生を決めた。

 ここで面白いのが、著者が最初に感動したのが漱石、藤村、鴎外ではなく徳永直の[馬]という短編だった事。文革が終わり大学に入ると色んな本を読み漁るが、その感想が如何にも外国人。小林多喜二の[蟹工船]や藤村の詩は心に響くも小説は暗すぎたと。そこで漱石の[坊っちゃん]や[吾輩は猫である]等の明るい作品を好きになった。
 興味深い記述は、幾多の作家の作品で、日本人の言う名作や名文に首を傾げるモノと著者の感覚が幾つか一致しないと言う箇所。[暗夜航路]は暗すぎたとも。梶井基次郎の[檸檬]や芥川の[蜘蛛の糸]がベタ誉めされるのが不思議と言う。
 → この部分は、中国人への日本語教育で参考にならないものか? 

 この読書を入口とした日本語への傾倒から留学に進み、東京、山形、横浜と移り住みつつ著者は日本への愛着を深めてゆく。想像するに、著者が上海の華東師範学校を卒業後、東大からハーバードにも滞在するキャリアを積む中、中国、日本、アメリカの異なる文化体験は、二項対比ではない三項対比の客観性を獲得させたと思う。この違いは私が日本とアメリカの二国しか知らないのと比べると決定的な差である。
 その著者なればこそ、5章で(異文化を生きて)と題し、[安直な一般化]を様々な体験談を交え戒めている。そう気付くと、第7章(アメリカという測量点)で著者の言いたい事が、より鮮明に滲み出す。      [ 続く ]
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【書評185-1】異文化理解の落... | トップ | 【書評185ー3】〆 異文化理... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時評」カテゴリの最新記事