静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

” 家族の絆 ”論 と< 個人の自由・尊厳・多様性 >

2024-03-16 12:42:21 | トーク・ネットTalk Net
◆ (A)『夫婦別姓の法制化要求』(B)『同性婚姻の合法化』この要求に反対する一派が必ず示す言葉、それは” 伝統的な家族の絆を損なう ”だ。
” 絆 ”論は、子供をつくる男女が同姓を大前提に夫婦になる婚姻関係を「維持すべき善」と信じる価値観だが、そこに(A)(B)いずれもが前提とする
 「個人の自由と尊厳」は無い。

  儒教的家族第一主義に基づく子孫確保を不可侵の前提価値とし、人口減少危機・少子化懸念を味方につけようとしている。
  何故なら「人口減少は生産力人口を招く故、国力・経済力低下に繋がる」との論法だ。つまり(子供は労働人口確保の為に作らねばならない)との価値観である。
   これは外国人を労働力としてしか扱わない入国管理政策と全く同じ根をもつことにお気づきだろう。

★ では、次の視点からの反駁に” 絆 ”論者は、どう論理的に応えられるのか? 「永い伝統だから」の情緒ではなく、論理で。。。
 1)別姓が伝統で、且つ、近年出生率を向上させてきたフランス。 フランス国民は家族の絆を失った、不幸だと何をもって言えるのか? 
   フランスは国力・経済力を失ったか? 経済成長著しいベトナムも別姓採用国だ。 同性婚採用国は衰えているか?
 2)経団連会長までが「女性の社会進出ならびに職場内での能力発揮の為にも(A)(B)共に政府は方針転換せよ」と迫る。
   これを無視し続ける事こそが経済力低下を促進している、との指摘に正面から” 絆 ”論者は答えられるのか?
 3)この(A)(B)は『LGBTQ擁護』に関する要求とも同根であり、社会の多様性を求める民意でもある。
   ” 絆”論者は杉田水脈議員よろしく<『LGBTQ』は子供を生産しないから国を弱めるので反対している>と まだ開き直るのか? 


 家族の絆に子供の存在は不可欠要件か? 子供を産まない選択をした二人は「家」体系から弾かれて当然だと言うのか?「産めない夫婦」も同じか?
  ≪「きずな」の意味は人と人を結ぶ心の紐帯≫であり、組織、サークル、仲間など様々な人間集団に求められるものだ。
   では、「家」を「族」として切り取った輪の中なら「子供なき夫婦」は「きずな」を両親や親戚の誰とも結べないというのか?

  そう思う人に<思う自由>があるように、思わない人に<思わない自由>はある;それを受け入れる事が『多様性』である。この定義を否定するのか?
   <~に同意しない自由>を認めないなら、それはファシズム・全体主義そのものであり、危険思想である。これを許すわけには断じてゆかない
  早いハナシ、” 絆 ”を叫ぶ人たち自身は(A/B)或いは『LGBTQ』の人達に同意しない自由を享受しているではないか!
。。。
コメント
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