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空を見上げて

事務所猫チャコと家猫ごん太 2ニャンと楽しい日々

スピーカー

2007-08-30 17:38:27 | つぶやき
我が家は昨日から大工を入れて、家の修復にとりかかった。
とりあえず、傾いた家を少し平行にもどして、
壁を作って耐震もどきをしようかと。

すると、今朝、でも評判のスピーカーおばさんが、
枝豆を片手に我が家へやって来た。
そんなに親しくしているわけでもないおばさんが、何故?

理由はただひとつ。

我が家に大工が入っているのを隣の家に来た時に見つけて、
何をしているのか偵察に来たってこと。
隣の家の者にたきつけられたのかもしれないしねぇ。
油断もスキもない人だね・・・と、
我が家ではそうゆう話でまとまった。(笑)

純粋に枝豆を我が家に持って来てくれたのかもしれないけれど、
そんな風に勘ぐられる人だってことよ。
普段の行動なんかで、想像出来ないことではないもの。
今日は、我が家の修復話があたり近所に広まっていることだろうね。

工事が始まると大工さんへのお茶出しとか、
義母に気持ちの負担がかかってしまうようだ。
工事期間中、またウツになってしまわないかと、多少の不安はあるが、
仕方がない。
申し訳ないと思うが、今やっておかないと、もう私達も出来ないからね・・・。

なんとか無事に工事が終わりますように。
祈るだけだ。
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世界陸上

2007-08-29 17:36:49 | つぶやき
毎日興奮しながら見ている世界陸上。
すんごいなぁ~と、感心するばかり。
ここまで来るのに、どれくらい練習を積んだのか、どれくらい涙を流したのか。
相当の努力をしてきたことは、あの身体を見れば一目瞭然。
私のようなぶよぶよの身体とは、比べようもない。(笑)

私は中学生時代、陸上部に所属していた。
とりあえず走り高跳びと200m走の選手だった。
記録的には自慢出来るものはないが、
私が飛ぶ、走り高跳びの背面飛びは、フォームが綺麗だと褒められたことがあった。
それだけのことだが・・・。(笑)

高校生の体育の時間の時、隅の方に走り高跳びの用具が出してあった。
先生はまだ来ていなかったので、走り高跳びをして遊んでいた。
最初は普通に飛んでいたのだが、中学生時代にやっていた背面飛びをやってみたくなって、
ちょっと背面飛びをしてみた。
あら、飛べるじゃないの~~~。
高さはそんなに高くはなかったが、私は調子に乗ってやっていた。
すると、
「何してるんだーーー!!」
先生の怒鳴り声。
授業で教えてもいない背面飛び。
首の骨でも折ったら、大変なことになる。
私は先生から大目玉をくらうことになった。

放課後、先生の所へ頭を下げに行った。
先生は心配したからこそ、怒鳴ったのだと説明してくれた。
私の軽はずみな行動で、迷惑をかけてしまうところだったのだ。
それと、自分の身体をどうにかしてしまったかもしれないと思うと、
後でちょっぴり怖くなってしまったのも確かだ。

そんなことを思い出しながら世界陸上を眺めているが、
競技が何ヶ所かで同時に行われているため、あっちこっちと動いてしまい、
落ち着いて見ていられないのが少し残念だ。
でも、ひとつに集中してしまうと他の競技が見れなくなる可能性もでてくるから、
仕方のないことか。

それと、情熱的にしゃべる織田裕二に対して、
絡み辛そうにしている中井美穂が、何だか笑える。
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なんという・・・

2007-08-28 17:35:54 | つぶやき
愛知県の新聞勧誘員の男ら3人が、通りがかりの女性を拉致し殺害した上、
岐阜県の山中に捨てた事件。
私が被害者だったら、この犯人達の一族を、
孫子の代まで呪ってやりたい。
母子2人でつつましく真面目に生きていたはずの女性。
この女性に落ち度も過失もなく、
一方的な遊び半分の感覚で殺されてしまっている。

こんな事件があってもいいのか?
許せない。
この犯人達を、税金を使って生かしておく必要なんてない。
裁判をとっととやって、
即、死刑でいいのではないか。
判断すべきものなんて、何もない。
憂慮するべき点も、何もない。

許せない。
狂っているよ。
なんていう事件なんだろう。

発覚しなければ、次々とゲームのように事件を繰り返していたはず。
恐ろしいよ。
何故こうなる?
何故こんなことを考える?
許せない事件だ。
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花火の夜

2007-08-27 17:14:19 | つぶやき
毎年、隣町で行う花火大会を、家の前で見ることにして、
テーブルを出したり、チューハイと少しのつまみを持ったりして、
今年も夕涼みがてら繰り出した。

今年は夫の友人を誘い、焼肉をしながら見物しようと言っていたのに、
その友人、当日になって毎年見ている仲間とまた見ることになった・・・と言ってきた。
毎年仲間と見ていたのは知っていた。
どうだろうかと誘ったら、OKだったので、じゃぁってことになったわけだ。
向こうを断ってくるのかなぁと思っていたら案の定、断れなかったってことだよね。
私と2人でスーパーへ行って、肉を買ったり野菜を買ったりお酒を買ったりして、
夫も楽しみにしていたはず。
夕方電話をかけて寄越して、こっちへ来て一緒に見ないかと誘われても、
行けるはずもないよね。

仕方がないので、例年のごとく2人で見ることに。
チューハイを飲みながらたわいのない話をして、
ぼんやり花火を眺めて過ごしてた。
すると、隣の家から楽しそうな小さな子供の声。
隣家は孫が出来て幸せ家族そのもの。
隣の芝生は、真っ青に見えるよ。

きゃっきゃと笑う小さな子供の声は、
子供を産んでいない私には、少し辛い。
こんな時、夫に申し訳ないと思ってしまうわけだ。
こうなると花火の楽しみも半減。
穏やかな花火見物の時間が、私にとってなんともいや~な時間となった。

それでも思った。
何もかもを手に入れても、欲は尽きないもの。
それが幸せかって聞かれれば、そうだとも言えない。
足りないものがあっても、それで十分だと思っていれば、
それはそれで幸せなんだろうなって。
自分の心一つで、幸不幸が決まってしまう。
だったら、幸せだって思ってしまえばいいだけのことだものね。

でも、夫はどうだろう。
私と結婚して幸せだろうか。
子供がいなくて寂しくないだろうか。
しかし、今のこの状態を変えることも出来なくて、
今更どーのこーの言っても始まらない。
だったら、私が幸せになるようにしてあげないといけないってことだよね。
うん、そうだよね。

夫の少し残念そうな横顔を見ながら、あの夫の友人に対して
「あのヤロー、夫を不幸にしたらただじゃおかないぞー」
と心の中で悪態をついた私。
色々考えた花火の夜だった。
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キッチン選び

2007-08-25 17:40:39 | つぶやき
家の耐震構造に加えて、台所の改装もしようと思っている。
来週あたりから工事が始まるようなので、
2期工事としての台所の工事も、今年中には完成するだろう。
私が嫁いで来た時から、床が少し痛んでいたので、
いい機会だ。

今日、キッチンのショールームを2ケ所行ってきた。
商品自体はどれもいいモノばかりで、
どのメーカーのモノがいいとは言い切れない。
自分が使う為に、何を重点に置くか、がカギになる。

キッチンばかりはセールスの上手い下手では決められない。
これだけは自分主体で決めさせてもらう。
夫も姑も関係ない。
毎日使う”私”に権利はあるのだ。

間取り、キッチンの金額、使い勝手。
色々と頭に置きながら商品の品定めをしてみると、
あれはいいけどこれは・・・みたいになってくる。
まだ2ケ所しか見ていないので、
これからもう少し、別の所も見てみようかと思っている。
今日行ったショールームは、まあまあ良かった。

最近のキッチンは、本当に便利になった。
換気扇の掃除が簡単に出来るようになっていたり、
電動吊戸棚があったり、収納もたくさん出来るようになっている。
その中で、どれが今の私の生活に合っているのか、
どれを選んだら、少し楽になるのか、
選びがいがあるってもんだね。
決まるまで、ちょっとの間、楽しんじゃおうと思う。
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意地

2007-08-24 17:20:59 | つぶやき
意地を張って、損をする事はあっても得をする事はない。

そう思い、素直になる事を心がけて今まで生きてきた(つもり)。
しかし、人間が出来てない私は、しばしば悪い意地が出る。
人間が成長する上での意地は、悪い物ではない。
向上心が伴うから。
でも、私の持っている意地は、”我”の伴う物。
無くてもいい意地なのである。

先日、家庭常備薬の人が家へ来て、薬の交換補充をして行ったのだそうだ。
「お金は(オレが)出しておいた。」と、舅。
「あら~、すみません。後でお金をやるからね。」と、私。
「いいよ、いいよ、これくらい出すよ。」と、舅。

去年もそう言われた。
言い訳のようだけれど、本当にお金をやろうと思いながらも、
忘れてしまっていたっていうのが事実。
先日来られたっていうのを聞いて、そういえば・・・と、思い出した。
すると、舅。
「去年も(オレがお金を)出した。」

その言葉を聴いて、頭の中で色々な事がめぐりめぐった。

(今後もずうーっと言われる)
(義姉やの人にも言うだろうな)
(年寄りに薬のお金を出させてるって言われるかな)

何だか気が重くなってしまった。

何を言われても受け流して、好意を受け取れば利口ってもんなのだろうけれど、
あの一言で、何だか受け取りたくない気分になってしまったのだ。
それで、去年の分と今年の分と、
足りなくてはいけないので、少し余計目にお金を渡した。
「いらない」という舅の言葉を素直に受けられず、
返して寄越したが、意地でも受け取らなかった。

似たような事は日常茶飯事。
変な意地を持ってしまったもんだなぁ。
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がばいばあちゃんの勇気がわく50の言葉

2007-08-22 15:18:58 | 読書
お馴染み、島田洋七の「がばいばあちゃん」シリーズの一冊、「がばい語録」の本。
”佐賀のがばいばあちゃん””がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい”の中にも書いてある、
ばあちゃんの言葉である。

この年になると、ばあちゃんの言葉一つ一つに、
思い浮かぶこと、思い当たることがいくつかある。
誰しも解っていること、
頭の片隅で、心の奥底で、感じていることばかり。
「そう、そう」と、相槌を打ちながらも、心に響いてくる。

このがばいばあちゃんは、人を諭す、天才なのではないかと思う。
言い方によって、人の気分を悪くさせることも、素直に受け入れられることもある。
このばあちゃんは、もちろん後者。
利口な人だ。
”物言い”を愛情というオブラートで包んで飲み込ませてくれる。
これなら誰だって、苦い薬でもすんなり口にいれるはずだ。

10代の頃、友人の言葉に「はっ」と我に返ったことがある。
電話で友達の悪口を言っている私に、
「何、あせっているの」
と言ったのだ。
「別にあせってなんか・・・」
とその時は思ったのだが、人気者になっていく友達に対して、
嫉妬心があったのだと思う。
それを友人に見抜かれていたのだ。
その言葉はいつまでも心に残り、
以来、同じようなことがあると、
「お先にどうぞ」
という気持ちになることが出来た。

生きていく上で、出会う言葉は何万とある。
その中で、心に残る言葉があるという事は、
なんて幸せなんだろうと思う。

長男が不登校になってしまった友人が少し元気がなかったので、
「男の子3人なんて私の理想だわ」(友人には3人の男の子がいた)
と言ったことがあった。
その言葉にすごく励まされたと、後々話してくれたことがあったのだが、
いかんせん、言った本人の私は忘れてしまっていた。

私もたまには、役にたっていた・・・・・のか?(笑)
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資源ゴミ

2007-08-21 11:02:48 | つぶやき
捨てればゴミ、分別すれば資源。
そう思って分別していると、1ケ月間でたまる量は相当なモノになる。
カン、ビンはそんなに溜まるものではないが、
トレー、プラスチック類は結構溜まってしまう。
今の世の中、ほとんどがプラスチック製品と言っても、過言ではないくらい、
プラスチックのモノが溢れている。

その中で、ひとつ疑問が。

ペットボトルなんかに貼ってあるラベル。
見ると”プラ”って書いてあるはず。
それは資源ゴミとして出していいもの?
一度、の役員さんに聞いてみたら、
「そんなのダメなんじゃないの?」
って言われた。
”プラ”って書いてあっても、資源ではないってこと?
同じ”プラ”でも、容器は資源でラベルはゴミなのか?
私はバカなので、わからない。

それと、”プラ”のリサイクルマークがあって、
ボトル:PE
キャップ:PP
とか、プラスチックの種類が書いてあるモノがあるが、
そこまで詳しく書いて、何の意味があるのかわからない。
”ボトル・キャップはプラスチックリサイクル”
でいいじゃないかと思う。

先日、姪っ子が海に遊びに行ったらしい。
その時、浜辺のあまりのゴミにびっくりした、と言っていた。
そのゴミの中でも、タバコの吸殻が多かったらしい。
浜辺は海開きの前に、清掃活動をしている。
完全にゴミを撤去出来るわけでもないが、
ある程度は綺麗にしてあるはずなのだ。
それにも関わらずゴミやタバコの吸殻が散乱しているということは、
そーゆー大人が沢山いるってこと。
悲しむべきことだ。

そこで、思う。
今は浜辺も広くなっている。
簡易ゴミ箱なんかを設置できないものだろうか。
燃えるゴミ、カン、ビン等、何ヶ所か設置してあれば、
いくらかは綺麗でいられるのでは?
ゴミ箱を目の前にして、ポイ捨てする勇気のある大人は、
そう何人もいないだろう(・・・と信じたい)。

今はスーパーでもペットボトルやトレーなど、
資源ゴミの分別に協力している所も結構あるが、
その好意に甘えて、いい加減な入れ方をしているのを目にすることがよくある。
自分で分別するのが色々な事情で大変だからそこへ持ち込むのだろうけれど、
その大変な事を他人からしてもらうんだから、
最低限守るべきことがあるはず。

自分がいやな事は、他人だっていやなんだから・・・。
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お疲れ様

2007-08-18 11:28:24 | つぶやき
米大リーグのパイレーツを戦力外になった桑田真澄投手の退団が17日、決まった。
まずは、頑張ったね~、お疲れ様~だね。
そして、桑田をチームの一員として迎え入れてくれたパイレーツにも、
桑田ファンの一人として、心からお礼を言いたい。

思い返せば、PL時代の活躍、そしてすったもんだの巨人入団。
動く不動産屋とか、いろいろダークなイメージがいつも付いて回っていた。
練習も自己流を確立し、周りからとやかく言われても、
自分を信じて戦ってきたように思う。
そして、大リーグへの挑戦。
今回、退団という形になってしまったけれど、
せめて1勝を・・・とファンは思っていたはずだ。

しかし、大リーグでの自分の実力というのを、身体で実感した桑田。
だから桑田の口から出る言葉は、感謝しかないのだと思う。
自分の限界も知らず、「こんなはずじゃぁ」と大リーグにしがみついていることは、
桑田らしくない。
野球選手としての自分をよく知っているからこそ、
悔いなく退団という形を選んだのだと思っている。

私のような凡人では、計り知ることの出来ない努力と練習を重ねて、
夢を追い、夢を叶えて、ファンに希望を持たせてくれたことに感謝したい。
人生、結果だけがすべてではないからね。
今後はどんな形でファンの前に現れてくれるのか、
このままじゃぁ終わるはずのない桑田に期待は膨らむばかりだ。
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同じ誕生月

2007-08-17 16:57:51 | つぶやき
仲の良かった友人が、姑さんとの折り合いが悪く別居することになった。
いろいろと大変なのは話に聞いていたので、
何度か用を作っては足を運んで、話を聞いたりしていた。
姑さんにも話かけないといけないと思い、
庭に咲いている花の話や世間話など、なるべく話をするようにはしていた。
しかし、二人の溝は埋まることはなかったようだ。

合う合わないは性格上仕方のないこと。
今の時代、別居を選ぶことも、自分の人生の選択の一つになるのだろうと、
理解は出来る。
ただ、ひとつ、気になったことがあった。

友人は姑と話をする時に、丁寧語を使っていた。
「そうですか」
「~なんですか」
「違います」
文字にすると、本当に丁寧に言っているようなのだが、
その言葉はつっけんどんで、愛情が無かった。
こんな言い方をされる側は、気分が良くないだろうな・・・っていうのは、
自分(私)がもし、姑の立場になったときのことを考えての気持ち。
そして、こんな言葉を使っている間は、溝が埋まることはないだろうと、
想像は出来た。

同じ言葉を実家でも聞いている。
実母に言う嫁さんの言葉だ。
小姑の私が聞いていても、寂しくなるほど冷たい。
何故、普通に話が出来ないのだろうと、
そっちの方が不思議である。
今の嫁姑は、四六時中顔を突き合わせて仕事をしているわけではない。
たまに会うその時くらい、近所のおばちゃんと話をするように、
出来ないものなのだろうか。

この二人は同じ誕生月である。
人当たりも良く、どちらかというと人気者。
私とは比べ物にならないほど友達も多いし、人も寄ってくる。
ただ姑に対しては、折れるとか一歩譲るとか、
それが出来ないようだ。
そして、わざとではない事は承知しているが、
自分の事で一生懸命で、周りには大分疎いような気がする。

ウチの姑も同じ誕生月。
結構無神経な言動で嫌な思いをしているので、
友人も実家の嫁さんも、同じなのかと思い、
ちょっと、イヤな感じではある。
バカげた事ではあるが、今、ちょっと気になる事の一つである。
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