”年老いた私がある日今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私を理解して欲しい
人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい”
樋口了一さんの「手紙~親愛なる子供たちへ~」にある歌詞の一節。
この歌の存在を最近知って、聞きたいと思っていた矢先、
先日、NHK歌謡コンサートで初めて耳にした。
今日も外で車を待つという舅と一緒に、
今日は30分だったけれど、外にいた。
そしたら、何となくこの歌のことを思い出して、
あぁ、そうなのかなぁって。
でも寄り添ってるのは他人である嫁の私。
配偶者でも子供でもない。
これでいいのか?
嫁いだからには家族の一員ではあるのだけれど、
いろいろな手続き(特に解約)をすることにおいては、
やっぱり他人である”嫁”っていうのは、
ある種、信用に値しない部類にはいるのかもしれないんだなぁ~なんて、
思えることがあるんだよね。
それでも一番先に立って面倒見てるのはやっぱり嫁で、
なんか歯がゆいわ。
人生の終わりに寄り添ってくれる人は、誰がいい?
そう聞かれれば、私は迷わず「夫」だな。
どうかそのままの私を理解して欲しい
人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい”
樋口了一さんの「手紙~親愛なる子供たちへ~」にある歌詞の一節。
この歌の存在を最近知って、聞きたいと思っていた矢先、
先日、NHK歌謡コンサートで初めて耳にした。
今日も外で車を待つという舅と一緒に、
今日は30分だったけれど、外にいた。
そしたら、何となくこの歌のことを思い出して、
あぁ、そうなのかなぁって。
でも寄り添ってるのは他人である嫁の私。
配偶者でも子供でもない。
これでいいのか?
嫁いだからには家族の一員ではあるのだけれど、
いろいろな手続き(特に解約)をすることにおいては、
やっぱり他人である”嫁”っていうのは、
ある種、信用に値しない部類にはいるのかもしれないんだなぁ~なんて、
思えることがあるんだよね。
それでも一番先に立って面倒見てるのはやっぱり嫁で、
なんか歯がゆいわ。
人生の終わりに寄り添ってくれる人は、誰がいい?
そう聞かれれば、私は迷わず「夫」だな。