空を見上げて

事務所猫チャコと家猫ごん太 2ニャンと楽しい日々

寄り添う人

2009-05-28 11:46:45 | 介護日記
”年老いた私がある日今までの私と違っていたとしても
 どうかそのままの私を理解して欲しい
 人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい”

樋口了一さんの「手紙~親愛なる子供たちへ~」にある歌詞の一節。
この歌の存在を最近知って、聞きたいと思っていた矢先、
先日、NHK歌謡コンサートで初めて耳にした。

今日も外で車を待つという舅と一緒に、
今日は30分だったけれど、外にいた。
そしたら、何となくこの歌のことを思い出して、
あぁ、そうなのかなぁって。
でも寄り添ってるのは他人である嫁の私。
配偶者でも子供でもない。
これでいいのか?

嫁いだからには家族の一員ではあるのだけれど、
いろいろな手続き(特に解約)をすることにおいては、
やっぱり他人である”嫁”っていうのは、
ある種、信用に値しない部類にはいるのかもしれないんだなぁ~なんて、
思えることがあるんだよね。
それでも一番先に立って面倒見てるのはやっぱり嫁で、
なんか歯がゆいわ。

人生の終わりに寄り添ってくれる人は、誰がいい?
そう聞かれれば、私は迷わず「夫」だな。
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チェック

2009-05-28 09:14:13 | つぶやき
ここ2日ばかり、私が舅に付き合って外にいる間、
姑はなにをしているかというと、
すぐに出かけられるように階段下に置いてある私のカバンの中をチェック。
お弁当の中身をチェック。
めちゃくちゃ気分が悪くなる。

何故わかるかというと、普段カバンのファスナーは開けてある私。
舅を送り出して会社へ行こうとしてカバンを見ると、
ファスナーがきっちり閉まっている。
お弁当のひもの縛り方が違っている。
一目瞭然だ。

問い詰めたい気持ちは目いっぱいあるのだが、
なんせウツの姑、変なことも言えない。
私の持ち物をチェックすることで気分が良くなるのだろうか。
病気だと思いながらも、気分の悪い事といったら・・・。
2階の部屋のものをかき回すこともある姑。
認知症の舅より始末が悪い。

自分の気持ちを抑えるのに、精一杯だ。
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