ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ウィズ・コロナ 正しく怖がる

2020-08-08 12:43:14 | 日記
けさネットの森を散策していたら、おもしろそうな記事に出会った。センセーショナルなタイトルが目についた。

《PCR拡大は意味がない!検査・感染者増の呪縛から脱せよ 左派メディアに煽られ社会不安が蔓延…もう経済的犠牲者を増やすな 》

コロナ感染の拡大におびえて暮らす私に対して、この記事は「あんたの不安は、『左派メディアに煽られた社会不安』に過ぎないんだよ。だから心配することはないんだよ」と訴えているようだった。

この記事は、右翼の言論サイト「zakzak」に掲載されたものであり、コロナ不安を「左派メディアに煽られた」社会不安だと断定するあたりが、いかにも右派メディアのアジテーションらしい。

もっと言えば、この記事の筆者は、文芸評論家の小川榮太郎氏である。この人はバリバリの右翼で、「LGBTは生産性がない」発言で世間の反発を買った自民党衆議院議員・杉田水脈氏の、そのトンデモ発言を擁護すべく、ことさら論説文を書いて、世間の失笑と顰蹙を買った人物として知られる。

ここまで書きながら、私はなぜこの記事を読む気になったのか。一つには、この私が常々コロナ不安から逃れたいと思っていることがある。私の不安は左派メディアが捏造した妄想だと言うのなら、その断定の根拠を見届けたい。どうせできっこない、と考える私は、「できるものならやってみろ、受けて立とうではないか」と、なぜか対決する気持ちになっていた。この記事に対峙し、それを本ブログのネタにしようと思ったのが、第二の理由である。

この記事には、「もう経済的犠牲者を増やすな」とタイトルにあることからもわかるように、「コロナ問題に感(かま)けず、家を出て消費し、経済を回そうではないか」とする主張が込められている。筆者の小川氏は、瀕死の観光業界の、その意見を代弁しようとしているのかも知れない。

さて、この記事の中で小川氏は、論敵を「大量検査推進派」と名づけ、その主張を次のように要約している。
(1)現在、感染者が急増し、日本は危機的状況にある。
(2)これを解消するには大量のPCR検査を導入し、移動・行動は慎重にすべきだ。
(3)新型コロナウイルスを「コントロール」「制圧」すべきだ。

これに対して、小川氏は次のように反論している。
(1)たしかに感染者は急増したが、日本は危機的状況にはない。なぜなら、重症者数や死亡者数が激増しているわけではないからである。
(2)(3)コロナウイルスは常在ウイルスであり、そうである以上、PCRを増やせば、増やした分に比例して陽性反応は出るが、いくら検査を増やしたところで「コントロール」や「制圧」などできない。コロナウイルスは常在ウイルスであり、そうである以上、エボラ出血熱を引き起こすエボラウイルスのように、封じ込めて「制圧」できる相手ではない。

つまり、小川氏の見解が正しいとすれば、こういうことになるだろう。新型コロナウイルスは常在ウイルスであり、「制圧」できるようなものではない。除去したり駆逐したりできるようなものではない。そうである以上、我々はこれと上手く付き合っていくしかない。「ウィザウト・コロナ」ではなく、「ウィズ・コロナ」の現実を受け入れ、この現実の中で生きていくしかない。
だから、我々は徒にコロナを怖がっていてはならない。つまり、我々はコロナを怖がる必要はないのであって、コロナなんか気にせずに、家を出て街に行き、観光地に行き、大いに消費しようではないか、ーーこれが小川氏の主張である。

私の主張はこれとはちょっと違っている。私の主張は以下のようなものになる。

だから、我々は徒にコロナを怖がっていてはならない。つまり、徒にコロナを怖がるのではなく、正しくコロナを怖がる必要がある。コロナ対策には充分に気を配り、不要不急の外出は避けながら、時には家を出て、程々の範囲で観光や消費を楽しもうではないか。

ただ闇雲に怖がるのではなく、賢明に怖がる、正しく怖がる。ーーこれはどこかのテレビ局のニュース・キャスターが言っていたことだが、その通りだと爺も思うよ。お盆で帰省するにしても、コロナ対策には充分に気を配った上でだぜ。
コメント
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