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Trapped in me.

韓国漫画「Cheese in the trap」の解釈ブログです。
*ネタバレ含みます&二次使用と転載禁止*

三人の幼馴染み(2)

2013-09-23 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)
「おい!!」



夕闇迫る夏空に、亮の大声がこだました。

車のキーを手にした淳の背中に、何度も待てよと声をかける。



そのしつこさに閉口し、淳は振り向き溜息を吐いた。

「なに?」



その人を見下したような視線と態度に、亮は頭に血が昇るのを感じた。

淳の方を指差し、憤慨を明らかにしながら近寄る。

「テメェ!!」



「オレはなぁ!テメーの目つき、言葉遣い、行動、顔、何から何まで気に食わねぇ!反吐が出そうだ!」



「一体何様のつもりだよ?!あぁん?!」



いつも上から目線で人の事を見下してくる彼を、亮はあらん限りに罵り続ける。

「世の中がいつまでもお前の思い通りになると思ったら‥」



そう言いながら右足を上げた。勢いをつけて、思い切り蹴る。

「大間違いなんだよっ!!」



衝撃で、車の前輪上の辺りが凹んだ。



淳はそれを見て、ポカンと口を開ける。



亮はニヤニヤしながら、ゆっくりと淳の出方を窺った。

「ムカつくだろ?腹ン中が煮えくり返りそうだろ?」



「でも残念だったな?テメェの親父さんはオレら姉弟がかわいくてしょうがねーんだとよ?!」



ヒャハハハ、と亮は笑いながら、その後もガンガンと淳の車を蹴り続けた。




ようやく亮の気が済んだ頃には、車はボロボロになってしまっていた。

それでも淳は沈黙を保ったままだ。亮が言葉を続ける。

「手を上げるわけにもいかないし~、問題になるのは尚ゴメンだし~」



亮の態度に、淳は再び溜息を吐く。

「かわいそうな子供達に同情してくれてるだけだってのに」と亮は両手を広げて見せた。



そして心の表面に、鋭い言葉のナイフを突きつけた。

「恵まれて育った一人息子が愛情惜しさにスネちゃって、器がちっせーのなんのってな?」



「あン?」



淳は言葉のナイフを向けられても、微動だにしなかった。

しかしその瞳の奥の深い闇は、亮の言葉が紡がれるたびに、徐々にその帳を下ろして行く。



ゆっくりと淳は、亮の方へ向き直った。

暗い瞳の奥は、吸い込まれそうな闇が広がっている。

「イイね~その顔」と亮が、その顔を見て唸るように言った。



そして淳に向かって顔を近づけると、「殴りてぇだろ?やり返してぇだろ?」とその気持を煽った。

「殴れよ。先に殴らせてやるよ。ほら」



「殴ってみろよ」



「なぁ?」



次の瞬間、予想だにしない方向から、亮の身体に衝撃が走った。

ガッ!






ぐああああ!!



亮の大きな呻き声が、夕焼けの空に響き渡った。

亮はスネを押さえ、ぴょんぴょんと飛びながら悶絶している。

「くあっ…!あっ…!こ…の野郎!いてぇじゃねーかっ…!汚い手使いやがってぇぇ!!」



突然の脛蹴りに抗議した亮に構わず、淳は「これは修理代を貰わない代わりだ」と淡々と言った。



当然亮は怒り顔だ。

卑怯な手で反撃してきたかと思えば、未だに上から目線で言葉を掛けてくるのだ。

しかし亮の反撃を待たずに、淳は言葉を続けた。

「それと、お前には俺がそう見えるのかも知れないけど、

俺にはお前ら姉弟の方がそう見えてならないけどな」




亮は一瞬何を言われたのか分からず、「は?」と言ってまだスネをさすっていた。

そして淳は冷静沈着に、言葉のナイフを返した。

最短距離を、躊躇わずに。

「あらゆる被害妄想に囚われて、現実のせい人のせいにして努力もせずに、人に縋り付いてばかり」



「情けない」







その容赦ない言葉に、亮は声を荒げた。

「んだと…?!」

「そんな捻くれてる暇があったら、もっと慎重に行動したらどうだ」



けれど淳は目を伏せると、ただ淡々と忠告にも似た苦言を繰り返す。

「俺が惜しんでるのは愛情じゃなくてお前らの相手をするための労力だ。何度も言っただろ?」

「なんだと?!」



亮は思わずカッとなったが、淳はそれに構わず車のドアに手を掛けた。

振り返りながら口を開く。

「それと、世の中全部俺の思い通りだって‥?」





淳の記憶の海を、いつもの風景が過っていく。



常に何かを期待して、下心を持って寄って来る人々。

金、成績、見栄、打算。

近付いて来る目的が透けるように見える。



顔の無い人々に囲まれて、毎日毎日疲弊する。

淳が望んでいるのはただ平穏に、静かに暮らすことだ。

物心ついたときからずっと、そう願い続けているのに。

     

どうでもいいもの、どうでもいい人は思い通りに動かせても、

本当に欲しいものは、いつも手に入らない。





「‥なめてんのか?」



見下すような視線の奥に、暗い炎が燻ぶっている。

「その歳になってもまだそんな考え方しか出来ないなんて、可哀想だな」

「はぁぁ?!」



怒る亮もそのままに、淳は車に乗り込んだ。

バタンとドアを閉めると、亮は「出てこいこの野郎!」と言って窓をガンガンと叩く。



やがて淳は運転席横の窓を開けると、淡々とこう言った。

「そもそも、そんなに俺が嫌なら始めからここへ来なければ良かっただろう?

全く表裏不同もいいとこだ」
「ひょ‥何て?」



亮は淳の言った”表裏不同”の意味が分からず、怒りマークの上に疑問符を浮かべた。

そんな亮を見ながら、「お前の姉貴はともかく」と淳は前置きをした後、一つ彼に忠告する。

「お前、これ以上俺の周りの人間に付きまとうなよ」



「はぁ?」



亮の疑問はそのままに、車はエンジンの唸りを上げ走り去っていった。



亮はその場に取り残されたまま、未だ先ほど淳の言った言葉の意味を図りかねていた。

周りの人間?つきまとう?



すると脳内に、あの女の姿が浮かび上がって来た。

顔を顰めながら、淳に言われたらしいことをそういえば口にしていた。

先輩はあなたのこと友達でも何でも無いって言ってましたけど?



淳は亮があの女に近付いたのを知っていた。

そして”友達でも何でもない”とあの女に説明したのだ。

その意図は‥。

「ハッ!」



亮は息を吐いて、ニヤリと口元に笑みを湛えた。

物事に深く執着しない淳が、わざわざ自分に警告して来たことに面白味を感じながら。

「気にしてやがんだな」



赤山雪に淳のことを怪しむよう働きかけた亮だが、淳の方にも何らかのプレッシャーを与えていたことに、亮はほくそ笑んだ。

淳の警告を受けて亮は、ますます復讐心が燃え上がるのを感じていた。

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<三人の幼馴染み(2)>でした。

”表裏不同”というのは、韓国の四字熟語で「表と裏が異なること、言行が一致しないこと」という意味をもつものだそうです。

日本語版を読んだ時に、亮が「ひょ‥なに?」と言っているのに、その前の淳のセリフに「ひょ」なんてついてなくて、「???」だったんですよ。

解決出来て良かったです。(自己満の世界ですいません‥)

今回、淳の車がボロボロになってしまいましたね~。この車はプジョーだそうで。

修理費を請求されたら、亮の数ヶ月分の給料が‥(^^;)スネ蹴りで済んで良かったかもしれませんね。。

今回も、修正版の方で記事作成してます〜(2019年4月)


次回は<重なる二人>です。


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三人の幼馴染み(1)

2013-09-22 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)


直接二人が顔を合わせるのは、実に八年ぶりだった。

亮は淳の方へ向き直り、「よぉ」と声を掛けた。

「誰かと思えば‥おいおいマジで久しぶりだな」



亮は淳の顔を間近でジロジロと眺めながら、

「お前変わんねーな。なんだか嬉しくなっちまうなぁ!顔なんて高校のときのままだ。

スキンケアでもしてんのか?」
と皮肉っぽく言葉を掛けた。



立ち上がった亮は淳に近づき、彼の右肩に触れる。

「お前は?嬉しくねーのかよ?」



そう淳の耳元で囁いたが、淳は微動だにしなかった。

笑ってもくれねーのか?と亮は大仰な泣き真似をしたが、淳は完全無視で静香に声を掛ける。

「久しぶり」



続けられた言葉は素っ気ないものだった。

「なんだ、大したことなかったんだな。なんで俺を呼んだんだ?」



「来て損した」



自分に一瞥すらしない淳に対して、亮の胸が憎しみに焦げる。

静香は鼻にかかったような甘えた声を出し、首を傾げた。

「ええ~?だってお見舞いに来てくれたんでしょ?他に理由があるの?」



「見舞い?」と聞き直した淳に、静香は足を擦りながら説明した。

「ほらギブスまで嵌めてるのよ。超重症なんだから~」



淳は小首を傾げる。

「足にヒビいったくらいで大袈裟だよ。歩けないわけでもないだろうし」



冗談もほどほどにしたらどうだと、淳は呆れたように言った。

しかし静香はおちゃらけた様子で、「冗談じゃないも~ん」と唇を尖らせる。

「ほらこの顔見てよ!傷跡残ったらどーしよー?

後頭部だって腫れてるし、血も出ちゃったんだよー?見る?」




「遠慮しとく」と淳はその申し出を断った後、

「時間の無駄だからもう行く。余計な人数呼ぶなよな」と言い捨てた。



亮は冷淡すぎるほどの淳を、意外な面持ちで眺めていた。

記憶の中の二人は、多少の言い合いはあっても上手くやっていた筈だ。



静香は尚も甘えた声を出す。

「淳ちゃん、最近なんでそんなに冷たいのー?昔はあたしに何かあったら、

真っ先にすっ飛んできてくれたじゃーん」




なんでなんでと静香は身をくねらせて淳に聞いた。

「あたし何かした?」という質問に、淳は空を見つめてしばし黙っていたが、



彼女のわざとらしく同情を引くような態度に、辟易したように口を開いた。

「ほらな、やっぱり茶番だ。まさか何も知らずに聞いてるわけじゃないだろ?」



父親から何度も説教の電話がかかってくるのは、静香が変なことを吹き込んでいるからに違いなかった。

それをすっとぼけるような彼女の態度は、淳の気に障った。

「お前が病気をしようが怪我をしようが、もう俺には関係の無いことだ」



「今後口に気をつけろ」



亮は、淳のそのあまりにも冷たい言い方に当惑し、口を挟もうとした。

しかし淳は意に介さず抑揚無い口調で、静香に対しての不満を並べ始めた。

「ことあるごとに口ばかり先走って、尾ひれをつけてあることないことペラペラと

父さんに告げ口するのがそんなに楽しいか?」




淳の表情を見た静香はオクターブ高い声で、

「やだぁ~、未だにそんなこと根に持ってるワケ~?」と肩をすくめて見せた。



静香が青田会長に頻繁に連絡を取るのは、

「おじさんには娘が居ないから話し相手になれればいいなと思って」との意見だった。

淳の言及した”告げ口”には一切触れない静香の言葉を遮って、淳は「もういい」と背を向けた。

「お前と話してる時間が無駄だ」



「これ以上嫌われたくなければ、口に気をつけろ」と言って、淳はドアから出て行こうとした。

すると先程までくねくねと甘えた口調で淳の出方を窺っていた静香は、手のひらを返したかのような一言を発した。

「嫌だけど?」




今まで様子を見ていた亮は、驚きのあまり目ん玉が飛び出るかと思った。



淳はついに本性を現した彼女を、冷淡な目で眺めている。

「あたしの取り柄といえばこれくらいしか無いのに、やめるワケないじゃん?」



持って生まれた美貌と、減らず口が彼女の武器だ。

先のことなんて興味無い。今が良ければそれでいい。


そんな静香の言葉に亮は当惑し、淳は呆れ果てて溜息を吐いた。



静香は諭すように、ドアに向かって歩いていく淳に向かって言う。

「あんたの振る舞い一つで、皆が平和で居れんだよ?よーく考えてみてよ~。ね?」



キャハハ、と静香は淳の姿が見えなくなってからも笑っていた。


「状況が全く読めねぇ」と、亮は淳を追ってドアの外に出た。



「おい、淳!」






大声で呼び止めた亮に向かって、淳はゆっくりとそちらを向く。

見開かれた瞳に宿るその深い蒼を見て、亮は思わず息を飲んだ。



「………」



沈黙が二人の間に落ちる。

気まずくなった亮は、頭を掻きながら感じた違和感を口に出した。

「…いやお前ら、うまくやってたんじゃなかったのかよ…?」





だが淳は依然として何も答えない。亮は肩をすくめながら口を開いた。

「まぁ、アイツあの性格だしな。つーかただのバカ女だと思ってたけどよ、

思わぬ特技を発見したぜ」




「テメーを怒らせること。ギャッハッハッハ」

「新しい仕事ってのは、時間に融通の利くいい仕事みたいだな」



亮はそう言って腹を抱えたが、淳はまるで取り合わずそう聞いてみせた。

そして亮はその言葉を受けて、思わずニヤリと笑う。



社長に気に入られてるから問題無いんだと言う亮に、淳は「出世したもんだな」と素っ気なく言った。



それじゃこれで、と立ち去ろうとする淳に、

亮は尚も言葉を続ける。

「ああ、出世したさ。なんせスーツ着ての仕事だからな。前に比べたら超出世したっつの」



「あ、勿論蝶ネクタイは無しでな。つーか元々アレ好きじゃねーんだわ。

てかこんな話、テメーにはどうでもいいか?」




過去の傷をえぐるような発言をする亮に、淳は無表情で相対していた。



亮はニヤリと口角を歪めながら、蝶ネクタイを付ける仕草をする。



二人の脳裏に、タキシードを着て蝶ネクタイを付けていた頃の亮の姿が蘇った。




淳は亮の言わんとしていることを全て分かった上で、静かに口を開く。

「‥未だに俺のせいにするつもりなら、

リハビリ代を出してやるって言った時に姿を消した自分を省みるんだな」




他人ごとのようなその言い分に、亮は逆上した。

「リハビリしたら!」



「治るって保証でもあったのかよ?」



淳は表情を変えない。

亮は力の入らない拳を握りしめながら、沸々と湧いてくる怒りを鎮めながら、言葉を続けた。

「何がリハビリ代だよ。アメとムチのつもりか?

それに素直にその金受け取ってお前の顔色窺うくらいなら、死んだほうがまだマシだ」




それなら、と淳は口を開いた。

「それならはっきりさせよう。そんなに嫌なら、今すぐお前の姉貴を連れて消えるんだな」



それならばこれ以上関わることも無くなっていいじゃないか、と淳は冷静に言った。

亮はその物言いといけ好かない態度に腹を立て、「んだと、テメェ?!」と突っかかろうとした時だった。

「あたしははんた~い。消えるならあんた一人で消えてよね~」



話を聞いていたらしい静香が、病室から間延びした声でそう言った。

亮は話の腰を折られたのと、余計なことばかり言う姉に青筋を立て、病室に向かってがなった。



そんな姉弟のやりとりを見て、淳は溜息を吐きながら「全くおかしなもんだな」と呆れたように言った。

「河村教授は堅実で尊敬出来る人だったって聞いたけど、孫のお前らは似ても似つかない」



そしてドアから出て行く直前、独り言のような呟きを漏らした。

「‥にしても、やっぱり姉弟は姉弟なんだな」



それきりドアは閉じられた。

亮はその言葉の意味が飲み込めず、頭に疑問符を浮かべた。

「何を言ってやがんだ?姉弟が姉弟なくしてなんだってんだよ‥」



そんな亮のつぶやきに、静香は病室から「皮肉ってんのよ~」と言葉を返した。

それを聞いてようやく亮は意味を解した。このだらしのない、軽蔑すべき対象の姉と一緒くたにされたことに。


気がついたら走り出していた。

あの疎ましい後ろ姿の残像が、亮の目の前にちらついた。


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<三人の幼馴染み(1)>でした。

この回は韓国版の2部単行本が出版された際、大幅に修正された回なので、

日本語版のウェブの方と絵柄もコマ割りもかなり変わっています。

そして2018年から始まった再連載では韓国版はウェブでも修正版の方に変わったので、

こちらでも修正版のコマを使っての記事に直させてもらいました。

元の修正前の方が読みたい方は、ウェブ日本語版の方をご覧になって下さいね〜

(2019年4月 修正)

次回は<三人の幼馴染み(2)>です。

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見えてくるもの

2013-09-21 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)
青田先輩が事務室を出て行ってから、雪達は休憩時間に入った。

机にお菓子を広げ、ペチャクチャとお喋りは続く。



事務員と学生といっても、たいした歳の差もない女三人だ。話は恋バナにも及ぶ。

品川さんと木田さんが、「二人を見てるとじれったい。早く付き合っちゃえ」とからかってくる。



その度雪は否定するか固まるかするのだが、

それでも先輩は雪を頻繁に訪ねてくるので、それは二人を誤解させるのは十分だった。




そういえば、と品川さんが言い出した話は、雪の名前はなかなかインパクトがあるということから始まった。



だから前回の奨学金名簿で雪の名前が首席の欄に書かれていることにも、

彼女らはいち早く気付いたのだった。



雪が照れたように頭を掻くと、品川さんと木田さんは雪を褒めそやした。

「さすがね~!学年トップどころか経営学科のトップだなんて!」
  
「ほんとほんと!」「うちの学科は競争率もすごい高いのにねぇ」



加えて顔も可愛く頭の回転も早く仕事も効率的と、雪への賞賛は止まらない。

雪は思い切り赤面した。こんなにも褒められると逆に困ってしまう。



遠くの席から遠藤が睨んでいるが、雪はそれに気づかず弁明のような形を取った。

「そ、そんなことないですって。前期はたまたま運が良かっただけで‥」



成績だけ見れば、次席の青田先輩とは僅差である。

それに今回の雪の全体首席は、漁夫の利みたいなものだと雪は謙遜した。




それを聞いて品川さんが、青田先輩のレポート紛失時件のことを思い出した。

それで自分に全額奨学金が回ってきたのだと雪が言うと、遠くの席で遠藤がこちらを見て固まっていた。



ハッと雪達は口を噤んだ。

あのレポート紛失事件の担当者、及び紛失の過失を犯したのは、他でもない遠藤だったからだ。



話題を変えなくちゃ、と彼女らがヒソヒソ話をしていると、不意に遠藤が話し掛けてきた。

「‥青田のレポートが無くなったせいで、奨学金を貰ったのが、お前だと?」





赤山雪が座っている席は、元々遠藤が彼の恋人に用意しようとしていた席だった。

しかし予想外の青田淳からの推薦を受けて、結果彼女のものとなった。



そして業務が始まるやいなや、連日のように青田は彼女のところに通い詰めている。

またいつ脅迫されるんじゃないかと、怯える自分など気にもせずに‥。



雪は遠藤の言葉と表情の持つ真意が飲み込めず、疑問符を浮かべながら「はい‥」と答えた。



「‥!! お前‥!」



お前のせいで、と遠藤は言いそうになった。

しかし、すんでのところで言葉を飲み込んだ。ここには品川も木口も居る。



遠藤が、怒りを込めた表情で押し黙る。

木口さんはそれを見て「怒ってるみたい」と呟いたが、雪はその表情に怒りだけはない何かを感じた。



その後、さっさと働けと遠藤の怒号が事務室に飛んだ。

雪達は早急に自分の席へと戻って、仕事を続けたのだった。







その日の夕方。

病院の一室で、河村静香はベッドに座っていた。足にはギブスが巻かれている。



傍らには、河村亮の姿があった。

お見舞い品のりんごを、自ら齧りながら座っている。



静香は意気消沈していた。

いつも自分の身体を過剰なほど労っているのに、なぜかいつもつまらないことでケガをしたり病気をしたり‥。

静香は呪われているのかもしれないと怖がったが、亮はそれを一蹴し、無遠慮にも姉のりんごを齧り続けた。

「しっかし風呂場でスライディングとかマジウケんだけど。そのマヌケな姿拝んでやりたかったぜ~」



しかも加えてゲラゲラと腹を抱え笑い転げる亮に、静香は青筋を立てた。



すると病室のドアが、カチャリと開いた。静香がそちらを窺い見る。

ドアを背にしている亮はそのことに気づかず、静香に向かって言葉を続けた。

「とにかく変なことばっか言ってねぇで、少しはしっかりしろよな。

何の為に目ん玉くっつけてやがんだよ。オレが居なかったら病院にも行けなかったんだぜ?」




加えて「お前の身体は丈夫だから心配すんな。石頭だから脳震盪起こさずに済んだんだ」と話を続けたのだが、

静香はそれには答えず、ドアの方を向いて声を上げた。

「あ、淳ちゃ~ん!来てくれたの?」



静香の言葉に、亮は目を見開いた。

「なんでこんな遅かったの~」



亮は、背中に淳の存在を感じた。


そして淳も、亮の背中を見ていた。口を噤んだまま。




静香は甘えた口調で、淳に自分のケガを報告する。

その鼻にかかった声を聞きながら、亮はゆっくりと振り向いた。





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<見えてくるもの>でした。

韓国語での雪の名前は「ホン ソル」と言って、韓国の名前としては姓と名で二文字は珍しく、インパクトがあるそうです。

作者さんが耳に残る名前がイイと思って付けたそうですよ。

日本版の「赤山雪」も結構インパクトありますよね。「青田淳」と合わせてカラフルだし‥。ww


次回は<三人の幼馴染み(1)>です。



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波乱の予兆

2013-09-20 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)
シャボンの香る湯船に浸かりながら、静香は昔のことを思い出していた。



胸を掠めるのは、高校時代天才だと褒めそやされ、

傲慢な態度を取った弟に対して感じた憤りと、



そんな弟が不慮の事故で、

指の感覚を失くした時の暗い嘲りの記憶。



頭を抱え、これからどうすればいいんだと嘆く亮を見て、静香は嗤った。



弱々しく身体を震わせる亮を、静香は無慈悲にも罵倒したのだ。情けないと言って。

己の中にある虐げられてきた自分自身が、その輝かしい未来を失くした弟に対して、残酷なまでの冷淡さを剥き出しにした。

「マジウケる。可笑しくって死にそー」





静香の鼓膜の裏には、未だ自分の嘲笑いが焼き付いている‥。







今まで優雅な気分で湯船に浸かっていたというのに、思いがけず蘇ってきた記憶に静香は興ざめした。

あの時の記憶は今も亮と静香を縛り続けている。

静香は苛つきを抱えながら湯船から上がり、エステにでも行こうと浴室から出ようとした。



ツルン、と不意に足が滑った。シャボンの泡が残っていたせいかもしれなかった。

大きな音を立てて、静香はその場ですっ転んだ。

なんとか起き上がろうと洗面台に手を掛けるも、上の棚に置かれたものが先ほどの振動で、静香めがけて落っこちてきた。



静香はそのままその場に倒れた。

身体中痛くて、立ち上がることは出来なかった。








雪は今日も事務補助のバイトだった。

机の上にはやるべき仕事が積まれ、キーボードを叩くカチャカチャという音が響いている。



雪は隣の席を横目で窺った。

今日、キーボードを叩いているのは雪だけではないのだ。

今はむしろ、彼の方が速いペースで作業を進めていた。



事務員さん達は、並んで作業する二人を見て微笑ましそうにしているが、

その中で遠藤は一人、苦い顔をしていた。



雪は真面目にPCに向かいながらも、時折チラと先輩の横顔を窺った。



断続的に響くキーボードの音の中で、先輩は真剣に画面に向かっている。

伏せた睫毛が長い。そして眼の色は、深く蒼い色をしている。



雪はマジマジと彼の横顔を見た。

今までよりずっと強く、彼を意識しながら。



その時、机の上に置かれた先輩の携帯が震えた。

彼はそれを手に取り着信画面を一瞥したが、すぐに机の上に戻した。

雪はその仕草に少し疑問を抱いたが、また画面に向かう先輩の横顔を見て、フゥと息を吐いた。



先日の記憶が、脳裏を掠める。

俺は、そうだったよ



知れば知るほど好きになったという彼の言葉。

耳の奥に響く彼の声。


雪はもう一度横目で彼を盗み見た。



「雪ちゃん」



先ほど画面に向けられていた瞳が、二つとも雪の方を向いていた。

先輩は書類をまとめながら、「全部終わったよ」とニッコリと微笑む。



いきなり目が合って、雪は驚きのあまり冷や汗をかいた。

心臓もドキドキと鳴っている。

しかし先輩は意にとめず、「俺こういうの得意だって言っただろう?」と出来上がった資料を雪の前に広げた。



さくさくと仕事を終わらせていく二人を、事務員さん達は笑って眺めた。

夏休みなんだから、そんなに頑張らなくて大丈夫だと品川さんが言ってくれる。



そんな様子を、遠藤は興醒めした表情で眺めていた。コーヒーがいつもより苦く感じられる。



続いて作業を進めようとする先輩に向かって、雪が声を掛けた。

「これ、そんな急ぎじゃないんで大丈夫ですよ。締め切りまで時間も十分にありますし‥」



その言葉に、遠藤はビクッと身を強張らせた。

昨日雪に嫌がらせをして、あまつさえそれがバレてしまったことが遠藤の立場を弱くしていたのだった。



遠藤は人知れず二人を睨んだ。

クソカップルが、と自分を苦しめる彼らに怒りを覚えながら。



二人は済ませた仕事をデスクに置きに行って、もう一度席に着く。

先輩は雪の椅子の背を引いて、彼女を座らせてやった。

すると先輩の携帯がまた震えたのだが、彼はもう一度それを机の上に放置した。






何かと忙しいであろう四年生の夏休みを、先輩は夏期講習が終わった後雪の隣で過ごしている。

「ここでこんなことをしていても大丈夫ですか?」という雪の質問に、先輩は力強く「大丈夫だよ」と答えた。



「今日は予定も無いし、ここで待ってるから夕飯でも食べに行こうよ。な?」



突然の先輩からの誘いに、雪は幾分戸惑った。



先輩と食事を共にすることは以前からの彼との約束だったが、いきなりその機会がやってくると、

何をご馳走したら良いのかも分からない。雪は正直に先輩に聞いてみることにした。

「あの‥先輩の好みが全然分からなくて‥。

実は私の払える範囲内で最大限高くていいものを見つけようとしたものの‥私そういうの結構うとくって‥」




雪は生真面目に日々考えていたことを伝えた。

すると先輩は雪が言葉を紡ぐにつれ、口元をほころばせていく。

「プハハハハ!」



そしてついには爆笑した。

なぜ笑っているのか、ワケの分からない雪の前で、彼の笑いはなかなか止まらない。


ひと通り笑い終えると、先輩は言った。

「あの話真に受けてたんだ?」



そんな気にすること無いよ、と言う彼に雪は赤面するが、先輩は続けてキッパリとこう言う。

「コンビニじゃなかったらどこでも構わないよ」



学食も却下、と先輩は言った。

雪の脳裏に、今まで彼と食事した思い出が走馬灯のように浮かんでくるようだった‥。

  



「わ、分かりました‥。それじゃあ私が考えておきます‥」



わ、笑えない‥。

この人の言う冗談は、全く冗談に聞こえないのがたまにキズである。


そう言いながら雪は、英語の教材をカバンから取り出した。

すると先輩は雪に近付いてそれに目を落とす。



教材を捲る先輩の手が、顔が、髪の毛が、すぐそこにある。

雪は至近距離に感じる彼に思わず赤面した。


「塾の方はどう?」と聞く先輩に、雪は「お陰様で」と答え頭を掻いた。



「何か困ったことがあったら言ってな」と言う先輩の言葉で、

一人の男の姿が脳裏に浮かぶ。



河村亮‥。

雪の脳裏に、走馬灯のように河村亮とのやりとりが流れ始める。



なぜかは知らないが英語塾で働き始めた河村亮と、雪は頻繁に顔を合わせることになった。

雪のことを「ダメージヘアー」と呼びながら、隙があればメシをおごれとたかってくる‥。


そして最近の彼はといえば‥。



Impromptuー即興曲ー、ノクターン、長くしなやかな指、そして聞かされた言葉。

「指を故障しちまってな」

「これ、淳のせいなんだ」









今までのやりとりをまとめて、雪は昨夜一人で色々と考えてみた。

河村亮と先輩との間に何かがあったのは明らかだが‥。しかしあくまでも自分は第三者だ。



真相がハッキリしてるわけでもない出来事を、亮の話を鵜呑みにして信じるのはどこか違っていると思った。

黙り込んだ雪を見て、先輩は不思議そうな顔をしたが、雪は「なんでもありません」と笑って見せた。


するとまた先輩の携帯電話が震えた。

さすがに三回も鳴り続けていると、見過ごすのも不自然だ。

雪が「さっきから電話鳴ってるみたいですけど‥」と言うと、先輩は憂鬱そうに着信画面に目を落とした。



画面を見た淳は、先ほどまでと違う反応を見せ、電話を取った。

父親からの着信である。

「‥はい」



電話に出た淳に向かって、父親は開口一番「静香がケガをした」と切り出した。

淳はそれを聞き、「またですか?」と半ば呆れたように言う。



いつもケガをしただの体調を崩しただの、自己管理のなっていない彼女に淳は辟易していた。

しかし父親は淳に、静香を見舞うよう命令を下す。

「分かりました。では夜にでも‥」



父親はそれを聞いて、「いや、今すぐ行ってやれ」と言葉を続けた。

父親によると、静香は風呂場で滑って転んだそうだ。女の子が一人で怖かったろうに、と言う父親の言葉は、

まるで小さな女の子を心配しているような憂いた口調だ。

淳の瞳が、だんだんと暗く沈んだ色を帯びていく。



父親は淳の最近の静香に対する態度を見れば、そうやって後回しにして行かないに決っていると断言した。

淳の携帯に静香から何回も着信があったことも知っていた。

おそらく静香はまたあの甘えた口調で、父親に向かって色々と泣きついたのだろう。



淳が気乗りしない様子で通話する横で、雪は静かに様子を窺っていた。


「とにかくわかりました」と電話を切った先輩は、一つ溜息を吐いてから雪に向き直った。

「雪ちゃん、悪い。急用が出来て今すぐ行かなきゃならなくなった」



そう言うなり先輩は立ち上がり、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「今日こそは一緒に御飯したかったのに、結局今日も‥」  



雪はそんな彼に、大丈夫ですと両手を広げて見せた。

「また今度誘いますね」



そう言って笑顔を浮かべた彼女を、淳は温かな気持ちで眺めた。



触れて欲しくない線を、彼女は決して超えてこない。

淳は「それじゃあ」と言って彼女に手を振ると、事務員さん達に挨拶した後ドアから出て行った。


どこか雰囲気がおかしかったような‥何か不都合なことでもあったのかな‥?



雪の鋭敏さが、彼の態度の変化を見抜いていた。

しかしその後すぐ品川さんにお茶を誘われ、雪の思考はそこまでとなった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<波乱の予兆>でした。

小さなコマですが、先輩が雪の椅子の背を引いてやるところ、スマートさが出てますね。

そしてまたミスターウラメのお父さん‥。ドンマイです。


次回は<見えてくるもの>です。

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ちらつく過去

2013-09-19 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)


雪が幼稚部501号室に到着すると、河村亮が小さな机で背を丸めているところだった。

ペンを額に当てながら、何やら必死に考えている。



そんな亮は雪に気がつくと、いきなり「遅いじゃねーか」と彼女をなじった。

「そのパズルのピース合わせといてくれ。ちょっと手が塞がってて忙しくてよー」



突然仕事を言いつけられて、雪はわけの分からぬまま、亮の言うなりに子供用パズルのピースを拾い始めた。

「てか‥あなたが一体どうしてここにいるのか、未だに疑問なんですけど」



なぜ自分がこんなことをしているのか考えると、自ずとなぜ彼がここに居るのかという疑問に辿り着く。

雪がその疑問を口にすると、亮は空を見ながら答え出した。

「モデル‥兼雑用って感じか?広告の写真撮らせてやったら、1階でバイトしないかって誘われてな」



亮は、これが結構金になるんだと言った。

雪は自分が拾い集めたパズルの子供用教材を見て、「もしかして補助講師なさってるんですか?」と聞いた。



近頃では補助講師も学歴重視で、なかなか採用されないと聞く。

亮が肯定したのを見て、雪はさすがハーフ、とそのエキゾチックな外見を眺めた。

「英語、さぞお上手なんでしょうねぇ」



そう言った雪に、亮は「いや?出来ないけど?」とあっけらかんと答えた。

意外過ぎる‥。

「でも幼稚園のガキどもよりはマシだ。ナメんなよ」とカッコつけた亮だが、雪は何と答えれば良いか分からなかった‥。



しかもなぜここに呼び出され、手伝わされているのか謎である。

雪が不当を訴えると、亮はちょっとぐらい手伝ってくれてもいいじゃねぇかとブーブー言った。



メシもおごらねーくせにと続ける亮に、雪は黙秘権を行使した‥。











しかし結局雪はその仕事を手伝っていた。

バラバラになったイラストと英単語を繋ぎ合わせながら、机に座った亮を横目で眺めた。



小さな椅子に座り大きな身体を曲げながら、眉間にシワを寄せてプリントと睨めっこする彼は、とても不思議な存在だった。

てか本当にこの人昔何してた人なんだろう?スポーツとか?



そう思いながらも真面目に仕事をこなす雪である。

そして自分の持っている象のイラストを見て、亮に声を掛けた。

パズルの片割れ、「Elephant」が亮の足元に落ちているのだ。

「あの、エレファント取ってもらってもいいですか?」



「は?」



最初雪は、亮が聞き取れなかったんだと思って、「エレファントですってば」ともう一度言った。

しかし亮は「なんだそれ」と全く分かってない様子だった。



ゾウですよと言ってようやく分かってもらえ、カードを拾った亮は雪に向かってヒュッと投げた。



続けて「カウとスネイクもお願いします」と雪は亮の足元にあるカードを拾ってもらおうとしたのだが、

亮は「スネイク」と「ステーキ」を聞き間違える始末だった‥。




そして何度も亮の作業を中断させ、声を荒げる雪に亮は青筋を立てた。

「ナメてんのか」とまで言った亮だが、負けずに雪も言い返した。

「はい?!もたもたなんてしてられないんですよ!もうすぐ授業が始まっちゃうんです!」



雪はついイライラして、「てかこんな簡単な英単語も分からないんですか?!」とまで言ってしまった。

亮はキレそうになるのを堪えながら、「お前の発音がクソだから聞き取れねぇんだろーが」と雪の非を責めた。



ハッキリ言って発音を問うほどの単語じゃない‥。

雪は亮の態度に苛ついた。

「そういうあなたはさぞお上手なんでしょうね?!」と皮肉を込めて言ったのだが、



「少なくともお前よりはな」と上から目線に返された。

続けて「オレはこう見えて教養人だからな~」と亮は言ったのだが、雪は微塵も信じなかった。

疑いの目を向けた雪を見て、亮は机に力強く指を広げて見せた。

「お前、Impromptuって知ってるか?」



「え? 何ですか?」



いきなりの質問に、雪は面食らった。

すると亮は「大学生のくせにそんくらいのことも分かんねーのかよ」と呆れたように言った。

「即興曲だよ、即興曲!」



幼い頃少しピアノをかじっていた雪は、それくらい知っていると憤慨した。

不明瞭な発音で突然そんなことを言われても、即答出来る方が珍しい。

そんな雪に、亮は「もう一つ」と質問を投げかけた。

「Die Forelleは?」  「はい?」



雪は亮に詰め寄った。

もう英単語ですらないじゃないかと。Dieという冠詞がついているところから推測するとドイツ語だ。

「そんなもん私に分かるわけないじゃないですか!」



そんな雪の主張にも、亮は「そんくらい基本的知識だろ」と悪びれない。

「英語はともかくマスくらい分かってもらわねぇとな。教養が足りねぇな~教養が」



タカタカと指を動かしながら亮は言う。

「Die Forelle」とは、シューベルトが作曲した「鱒」という曲だ。

高校時代、亮の好きだった、シューベルトの‥。






しかし雪にとっては意味不明である。

突然「鱒」と言われたって、何が何やら分からない。



亮は指を動かしながら、今度は英語の問題を出してやるよと言って、

「ノクターンって分かるか?ノクターン」と雪に聞いた。


「‥夜想曲?」



正解、と亮はどこか嬉しそうに言った。

しかし彼女がそれを知っているのは、教養が深いからでは無いと考えた。

「ま、あれか。あのキモい男が合コンの時にほざいてたことを、たまたま覚えてただけじゃねーの?」



雪はそう言われて、そういえばそういうこともあったと思い出した。

確かショパンの夜想曲について、又斗内はウンチクを語っていた‥。



「‥‥‥‥」



雪は自分も忘れていたようなことを言及した亮に驚いた。

あれはまだ彼が自分の前に姿を現す前だったはずだ。そんな時から‥。




亮の指が、音階を越えるように大きく動いていた。

久しぶりに口にする用語の数々に心が弾み、亮はつい自分の手のことを忘れていた。

「お前ってマジ面白ぇヤツ」と、ククッと笑った時だった。



突然異変を感じた。

脳内で鳴っていた音が、流れていた音符が、いきなりプツリと切れた。



机の上の手が、その指が、自分のものじゃないみたいだった。

動かないそれと共にしばし亮は、その場に固まった。





雪はその様子を黙って見ていた。

滑らかに続いていたタカタカという音は、ある時ピタッと止んだ。

そして彼の顔を見ると、苦虫を噛み潰したような表情で、舌打ちをした。



それきり亮は拳を握ったまま、雪の前で指を広げることはなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<ちらつく過去>でした。

二人のやりとりが面白いですね~。

シューベルトの「Die Forelle」


亮がタカタカと指を動かしていたのはこれでしょうか。

それともピアノ君が弾いていた&又斗内がウンチクを垂れたショパンのノクターンでしょうか。



しかし気になるのは、「元は左手だったけど故障した」と以前言っていたと思うのですが、

今回指を動かし、止まってしまったのは右手‥。

右手も故障しているのか、作者さんが間違えたのか‥。ちょっと謎が残ったところでした‥(^^;)


次回は<波乱の予兆>です。


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