ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

自分でやった!

2019-06-10 07:16:20 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「自分でやったという錯覚」6月4日
 余録欄に、大手家具チェーンIKEAの戦略が取り上げられていました。『購入者は部品から組み立てる手間が要り、一見、敬遠しそうである。ところが「作ったのは自分」との満足感から、逆に値打ちを見いだす』というのです。これを「イケア効果」と呼ぶのだそうです。
 やらされているにもかかわらず、自分でやったという自己達成感を得る。錯覚です。しかし、人間は錯覚を重ねる生き物です。錯覚であっても、そのことで満足感を得られるのであれば、文句をつける筋合いはありません。
 私はこの、やらされているのに自分でやったという錯覚を生かすのが、授業力のある教員だと考えています。このブログで何回も触れてきた目賀田八郎先生、その先生が主宰してきた「社会科勉強会」の授業観が、まさにこれだったのです。
 教員は、学習指導要領や学校の指導計画等に基づき、授業における狙いを明確にもっています。しかし、「今日はこういうことについて理解してもらいます」などと言ってしまっては、子供はやる気を失います。やらされている感が強くなりますし、あらかじめゴールが見えているわけですから、驚きも意外な発見もありません。あるのは、退屈な「覚えること」だけになってしまうのです。
 それでは、主体的な態度も育ちませんし、自ら考えようとすることもなく思考力も身につきません。そこで、教員は、子供の興味関心を引く事実(資料・情報)を提示し、子供を引き込みます。さらに、子供の常識や既にもっている知識と矛盾する「不思議」を発見させ、問いを作らせるのです。そして、子供の躓きを予想し、あるいはわざと躓かせるように罠を仕掛け、子供の問題解決への意欲が低下しないように工夫するのです。子供は教員が用意した仕掛けであることに気付かないまま、一つ一つ小さな疑問を解決しながら、大きな学習課題を解いていきます。そして、学習課題が解けたとき、「やった!分かった!できた!」、「自分の力でやり遂げたんだ」という満足感と自信を得るのです。
 それは単に、ある授業でできたということではなく、こうした授業を繰り返すことで、自分には、困難な問題を自力で解決していく能力があるんだという自信となり、それが田の教科の学習や、大袈裟にいえばその後の生き方にも生かされていくという考え方です。
 こうした授業観は、子供を一人の学習者として尊重していない、として批判されることもありました。しかし、限られた時間の中で、学習指導要領に定められ必要とされる学習内容を、教え込みではなく問題解決的に終えるという学校教育の使命を考えたとき、こうした授業観こそベストであると考えたのです。
 幼児との触れ合いで、大人はときにわざと負けたり、手を緩めたりして、子供を喜ばせようとします。そこでは教育理論など意識されていないかもしれません。しかし、そうしたことで幼児は、自分はできる、自分は価値がある、という感覚を体得していくのです。これもまた、錯覚の善用なのです。
 良き教員は、子供に良き錯覚をさせるのです。
 
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