ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

知育が苦手な教員

2018-03-04 08:44:39 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「知識が必要?正解がある?」2月21日
 『アートはビジネスに役立つか』という見出しの特集記事が掲載されました。記事によると『西洋美術を「学ぶ」ことが、ちょっとしたブームになっている。ビジネスにおける美術の重要性をテーマにした書籍がヒットし、社内研修に取り入れる企業も増えている』のだそうです。
 記事では研修会等の参加者や企画者の声として、『海外の方とお話しするときには、美術や絵画の話題になることが多い』『多様な人々と共に働く今はビジネススキルはもちろんのこと、コミュニケーションの幅、深みを持つ人間的魅力の向上が欠かせません。西洋美術史を通しグローバルな強要を身につけること』『欧米のエリートは子どもの頃から美術史を学んでいるので、芸術に対する素養が身についています(略)美術史を知らなければ会話が成り立ちません』などが紹介されていました。
 なぜ、西洋だけなのか。アジアは、アフリカやラテンアメリカには、美術はないのか。そもそも自国の美術については語れなくてもよいのか、といった疑問が浮かびますが、それはここでは触れないことにします。私が感じたのは、我が国の学校の美術教育における知識の扱い方はどうあるべきなのか、ということです。
 同じ芸術教科である、音楽では、ベートーベンやバッハ、ショパンやブラームスなどについて、簡単な知識を学びました。曲の鑑賞もします。しかし、図画工作や美術の時間に、ムンクやピカソ、フェルメールやターナーについて学んだ記憶がないのです。代表作品を鑑賞したという経験もありません。もちろん、教科書に掲載されている作品を目にしてはいましたが。
 さらに、今鑑賞という言葉を使いました。鑑賞とは、手許の辞書によれば「作品のあるがままの姿に接して美を捉え、対象に内在する味わい・性質・価値を正当に判断すること」であり、感性が重要となる行為だと思います。授業で行われていたのは「鑑賞」であり、作品についての歴史的・文化的・宗教的背景や芸術家個人の人生の起伏、作風の変遷、他の芸術家との交流や影響などについて、論理的に分析したり、知識を与えることを狙いとした授業はほとんどなかったのです。教員からは、「どう思う?」「どんな感じがした?」「好きなのは?」などと訊かれ、当然のことですが、そこには正答はありませんでした。
 しかし、国際化するビジネス環境の中で、美術史的な知識や造詣の深さが求められるのだとすれば、今後は美術の授業の中で、知識が重視されるようになるのでしょうか。美術の教員は、そうした知育を単なる注入型ではなく行うノウハウを身につけているのでしょうか。そもそも美術教員養成課程において、他の教科においても望ましいとされている問題解決型の学習で知識を身につけさせるスキルの獲得が意識されているのでしょうか。
 それとも、美術に、ビジネスツールなどという俗な概念を持ち込むことは冒涜であるというような古い考え方(私がそうなのですが)が力を持ち続けるのでしょうか。私が知っている美術教員は、感性の人という印象の方が多く、アクティブ・ラーニングで知識を、などとは考えたこともないような人ばかりです。彼らに知育は難しいように感じるのですが。

 

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