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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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小林居地頭着任の日

2019-10-05 23:58:02 | 名越左源太と家族

2008年7月に「左源太の任期」でも書きましたが、

10月5日は高祖父・名越左源太時敏が小林に居地頭として着任した日、でした。

1864年(元治元年)のことでした。

 

『南島雑話の世界』によると、「『小林市誌』によるとそれまでの小林地頭は、赴任しない「掛持地頭」が長く続き、居地頭は実に228年ぶりだった。」ということです。

 

同年9月16日に急遽、現在の宮崎県小林市の「居地頭」に任命されたそうです。

そして、左源太は10月2日に家族同伴で鹿児島を発ち、5日に小林に着任しているとのこと。

 

なお、左源太の長男・平馬(のち時成、変名・三笠政之介)が 薩摩藩英国留学生の1人として渡英したのは、

左源太がこの小林地頭時代の1865(慶応元)年3月のことでした。

 

 今日小林居地頭着任の日、という事でメモとして記しておきます。

画像は2008年7月撮影

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小林市の地頭仮屋跡』 2008-07-25  カテゴリー : 名越左源太と家族

 

  

  

   

  


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1 コメント

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Unknown (クマタツ1847)
2020-06-14 16:02:33
 高祖父・名越左源太さんは、奄美から帰られたあと、公職に就かれたのですね。しかも、小林地頭に「居地頭」として赴任され、その後、高岡地頭を経て寺社奉行となられてご子息の平馬さんは薩摩藩英国留学生として串木野から旅立たれたという。一回は騒動に巻き込まれて不遇な目にあわれたものの、実力でまさに立志伝中の人になられて、老後は悠々自適の生活をおくられたということで、終わってみれば「南島雑話」という本まで残されて言うことなしの人生をおくられたものと思います。現代から見てもご苦労はあったものの羨ましい人生です。
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