昨日、FBにも書いたのですが、以前このブログで書いた記事の画像を目にして、あることに気づきました。
『小松帯刀清廉の誕生日に 』(2020-12-03) カテゴリー| 曾祖父・轟のこと
以下、FBで投稿したものをそのまま載せておきます。
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今日(8月3日)、拙宅ブログでこの6時間以内に読まれた記事リストを見て、その中の一つをチェックしてみたところ、その中の画像から気付いた事がありました。
記事タイトルの「小松帯刀の誕生日」はこの際関係ないのだけど、『鹿児島県史料 名越時敏史料 一』のp.74に文久二年(1862年)の正月の名越家の家族構成を書いてあり、よくよく見てみると、その中で「文化二年乙丑八月三日誕生 於枝様 一 母上様御歳五十八歳」とあるのです!
それに気付いたのが今日、8月3日とは‥‥。
ただ、「於枝様」と名前に様付で書いてありますし、文化二年は1805年、高祖父・名越時敏は「拙者四十四歳」とあり「母上様」との年の差は14歳なので、時敏の実母ではなさそうですね。
今までは高祖父・時敏や、曽祖父・轟(当時は郷十郎)の二人の姉と兄弟について知りたいと、このページの下段ばかり読んでいて、上段の端にある両親のところをよく読んでいなかったのですが、時敏の父・名越盛胤についても初めてちゃんと読んでみたのです。
「天明七年丁未十月七日誕生 一 父上様当年御歳七十六歳」とあり父上については名前は書いていません。
ここで自作の「家族・親族の生没年カレンダー手帳」を見ると、こちらも旧暦・新暦の違いはありますが亡き父の次兄の誕生日と同じでした!
同じ日といえば、時敏三男の吉次郎(曽祖父・轟の長弟)の誕生日が、私の亡き父と同じ日だったことにまたビックリ!
前にも一応目を通してはいるはずなのですが、今日はこれについても改めてメモを取りました。今日の収穫でした♪
なお、三男・吉次郎と四男・徳熊(曽祖父の弟達)については詳しいことはわかっておりません。