☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「於枝様」に気付いた話

2022-08-04 12:47:37 | 名越左源太と家族

昨日、FBにも書いたのですが、以前このブログで書いた記事の画像を目にして、あることに気づきました。

小松帯刀清廉の誕生日に 』(2020-12-03) カテゴリー| 曾祖父・轟のこと

以下、FBで投稿したものをそのまま載せておきます。

===================

今日(8月3日)、拙宅ブログでこの6時間以内に読まれた記事リストを見て、その中の一つをチェックしてみたところ、その中の画像から気付いた事がありました。

記事タイトルの「小松帯刀の誕生日」はこの際関係ないのだけど、『鹿児島県史料 名越時敏史料 一』のp.74に文久二年(1862年)の正月の名越家の家族構成を書いてあり、よくよく見てみると、その中で「文化二年乙丑八月三日誕生 於枝様 一 母上様御歳五十八歳」とあるのです!
 
それに気付いたのが今日、8月3日とは‥‥。
 
ただ、「於枝様」と名前に様付で書いてありますし、文化二年は1805年、高祖父・名越時敏は「拙者四十四歳」とあり「母上様」との年の差は14歳なので、時敏の実母ではなさそうですね。
 
 
今までは高祖父・時敏や、曽祖父・轟(当時は郷十郎)の二人の姉と兄弟について知りたいと、このページの下段ばかり読んでいて、上段の端にある両親のところをよく読んでいなかったのですが、時敏の父・名越盛胤についても初めてちゃんと読んでみたのです。
 
「天明七年丁未十月七日誕生 一 父上様当年御歳七十六歳」とあり父上については名前は書いていません。
 
ここで自作の「家族・親族の生没年カレンダー手帳」を見ると、こちらも旧暦・新暦の違いはありますが亡き父の次兄の誕生日と同じでした!
 
同じ日といえば、時敏三男の吉次郎(曽祖父・轟の長弟)の誕生日が、私の亡き父と同じ日だったことにまたビックリ!
前にも一応目を通してはいるはずなのですが、今日はこれについても改めてメモを取りました。今日の収穫でした♪
 
なお、三男・吉次郎と四男・徳熊(曽祖父の弟達)については詳しいことはわかっておりません。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『新 南島雑話の世界』 | トップ | 「デヴィッド・ボウイ ライブ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

名越左源太と家族」カテゴリの最新記事