喜劇な日々

名古屋の劇作家、鹿目由紀のほんの少しだけ喜劇的な毎日を、綴ります。

五月の意識に意識的になったのだ

2009-05-29 03:57:41 | 芝居のこと
そうだ、五月がもうすぐ終わろうとしているのだ。それにふと気付いたら、そうだ、私は五月が嫌いだったんだと思い出した。それはこれまで、五月に嫌な出来事がある割合が高かったからで、数年前にも嫌いだという話を此処に記したのを覚えている。だから毎年、五月になり、五月の空気や匂いや色合いを感じると、なにやらもやもやと嫌な気持ちになっていたのだ。だが今年はそうならなかった。それはもう美化されたという事なのか、それより楽しい事が勝ったからなのか、それより嫌な季節を見つけたからなのか。ちゃんとした理由は分からないが、五月をなんの嫌気もなく越えようとしている自分が、ほんの少しだけ前に進んだような気がした。こんな事でしか進んだ自分を認識しないのもどうかと思うが、自分が進んだのか進んでないのかは、こんな些細な『気付き』でしか分かり得ないものだと思っている。『進んだ』というのは『成長』とは違うつもりで、文字通り一歩踏み出した、という事である。例えば『成長したか』などというものは周りが判断する事であり、自身が判断する事ではない。その考えは、昔から一貫して変わらない。好きな季節がある、好きな月がある、好きな日がある、好きな時間や思い出や場所や人や物や事や言葉や空気や雰囲気が、数え切れないくらいある。私が五月を越えられた理由は、こうした好きなものが、前よりもずっとずっと増えたから、なのかもしれない。そうだといいし、そうだと思う。

少しずれるが、前々から思っている事。好きなものと嫌いなものがあるのは幸せなのだ。嫌いなものから得るものは多い。こないだテレビを観ていたら秋元康氏も言っていた。うわ、なんでそんな風なのかなぁ、と思いながら自分を省みる。これ、かなり大事。いつぞやのカメの後ろ姿は、哀愁を抱えながら今にも歩き出しそうだ。カメの歩む速度は私なんかよりもずっと速いのを、カメと共に暮らす私は知っている。過去は振り返らないが、反省はする性質だからして、常に自分を疑いながら、信じながら。

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