喜劇な日々

名古屋の劇作家、鹿目由紀のほんの少しだけ喜劇的な毎日を、綴ります。

『かばん症』に共感する日々

2005-12-23 14:15:25 | 読んだ本のこと
 川上弘美さんのエッセイ集『あるようなないような』の中に『かばん症』という話がある。
 「心配性なので、かばんにたくさんの荷物を持って、歩く」のだが、「持って歩いているものを実際に使うことは、あまり、ない」くせに、「財布だのくちべにだのをかばんに入れ忘れたりする」というくだりを読み、思った。
 これは、私のことだ。
 山中崇敬氏に「かばんに鉄アレイが入ってる」と言われるくらい、私のかばんはいつもぎっしり。
 財布や化粧ポーチ、携帯はもちろん、稽古用の台本、筆箱、手帳、ネタ帳が二冊、資料本が一、二冊、辞書、気が向いたら読む本がニ冊、冬はホッカイロ、手袋、お茶かコーヒーの缶、などなど。
 その重さにも今ではすっかり慣れた。執筆中はさらにノートパソコンのかばんを持ち歩くのだが、両手に持つと重さのバランスがとれてちょうど良いとさえ感じるようになった。
 だが結局使わない物が多く、財布や携帯は本当によく忘れる。
 忘れたりして落ち込むと、『かばん症』を読み返す。
 そうだ、私だけじゃない。
 それで読み返すためにまた、この本をも持ち歩き、またもや我がかばんの『鉄アレイ度』は上昇するのである。

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2 コメント

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私も「かばん症」 (NEKOMATAGI)
2005-12-23 16:22:30
小学生の頃のランドセルはいつもパンパンで教科書は全教科に近く、ノート、ドリル、文房具、たて笛、給食で残したままカチカチになった食パンまで入りっぱなしでありました。 これはつまり家に帰ってから翌日学校に行くまでランドセルに触ってないことを意味します。 家で勉強しなくてもできたという僕の黄金時代を表\しています(笑)。

中学時代のカバンは重みで持ち手が切れたりしました。

高校時代ショルダーバッグにしたら肩を痛めました。肩紐が切れたりしました。

大学入って車乗るようになったら車の中がカバン化しました。未だにそれは続いています。

いつか使うかもと入れてある物で使われたことはあまりありません。もういらないと思って出したり捨てたりしたとたんに必要な場面が出てきます。

パンパンのカバンを担いでると重いけど安心します。ライナスの毛布です。でもそれを手放したときの不安感と解放感が快感になりつつある近頃の私です。
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同志発見! (かのめ)
2005-12-23 22:53:54
私もかばんの持ち手が切れたことが二度ほどあります。はい。確かに「重み」に安心感を抱くことって、かばんならずともありますよねぇ。「常に何か持っていないと」とか「眠るとき、誰か寄りかかってくれないと」とか。私の場合は……コーヒーカップか缶ですね。
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