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病気は歪んだ心そのものである

2016-03-24 22:05:48 | 日記
「病気は歪んだ心そのものである」と
谷口雅春先生は
誠にきびしいことを
書いてくださっている。
これはどうしても
ブログでお知らせしなければと思い、
投稿をいたします。


(参考 真理第十巻実相篇 谷口雅春著 日本教文社)
<単なる物質としての肉体は病気を造り得ない>
肉体は「心」が具象化した結晶体であるから、「病気は心で起る」というよりも、病気は「歪んだ心」そのものである。精確な意味に於いて、病気は「病気」であり、“disease”
は“dis-ease”(平和なき心)なのである。だから、その根本解決法は「唯一つ」―「心」を解決するほかはないのである。単なる物質としての肉体は、上野公園の西郷隆盛の銅像のようなものであって、決して病気を起す力はないのである。毎分、毎秒、肉体は「心」(無意識層の心)の支配下に於いて新細胞がつくられ、それを新秩序の下に排列せしめつつあるのである。その「心」が健全であれば、健全な新細胞がつくられ、それが健全な新秩序の下に排列せしめられ、肉体は常に生き生きとして若々しく健全であるのである。細胞という「生きた構造」をもつ物質をば、分子を正しく積み上げる物質的工作によって製造するならば、一秒間に15万個というようにそんなに速やかに血球を創造し得る筈はないのである。

らい病人のきよめ(解説含む)

2016-03-24 21:49:08 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第8章>
(8・1―4)らい病人のきよめ
(1)イエスが山をお降りになると、おびただしい群集がついてきた。
(2)するとそのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
(3)イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病人は直ちにきよめられた。
(4)イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・イエスは説教だけでなく、行為をもって群集に語りかけた。ハ章にはらい病、中風、熱病など、病気回復の奇跡が三つ記されている。イエスのガリラヤ伝道は多くの奇跡によって飾られた。イエスの病のいやしは神の国がサタンの国を征服するしるしであった。
・1 《山をお降りに》原文には「の山」とあって、説教した山をさしている。
・2 らい病はパレスチナではほとんど風土病化していた。この人の忌みきらう病気は、個人または先祖の罪の報いと考えられ、汚れた者とされ、隔離されて住み、人が近づくと自分で「汚れた者」と言わなければならない。《ひれ伏し》あわれみを求めるしぐさ。《みこころでしたら》イエスの力に対する疑問というより、その意志に対する疑問。意志があれば必ず行われると信じた。《きよめていただける》と言ったのは、らい病は汚れであると考えられたからである。したがってきよめられることはいやされること。
・3 らい病人は健康人に近づくことが律法で禁止されていたが、イエスは律法に対し自由な行動をした。
・4《だれにも話さないように》その理由について種々の解釈がある。一節は患者が全快したことを誇らしげに吹聴することをとめた。二節は全快の話を聞いて群集が押しよせ、イエスの本来の宣教が妨げられることを恐れた。三節は全快のことが祭司より先に知れることを恐れた。第二の解釈がだいたいあたっているであろう。《祭司に見せ》らい病がなおると祭司の認定を受け、通過すると、きよめの儀式をしてから、はじめて隣人の仲間入りが許された。イエスはこのような庶民の日常的慣習に従われた。《モーセが命じた供え物》らい病が治った時に、清い小鳥二羽や香柏の木などを祭司のもとに持って行くという供え物の規定があった。ルカによる福音書によるとイエスの注意にもかかわらず彼の評判が広まった。