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施しをする時(解説含む)

2016-03-03 16:43:31 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第1章>
(6・1―4)施しをする時
(1)自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
(2)だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
(3)あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
(4)それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)・学者、パリサイ人の義にまさる義の例に続いて、ここでは天国の民の行為の動機が義善であってはならないことを、施し、祈り、断食(ヤダヤの三大善行と認められた)の三つの例によって教えられた。一節は見せびらかしの戒めの前文。2~4節は施しについて。天国の民にふさわしい行為は、ありのまま(直接目的的)であるべきこと。イエスは伝統の義を制度的に改革しようとしたのでなく、神の国の実践にふさわしい意味あるものにしようとされた。《人の前で行わないように》人の前で行なう必要がある場合もあるが、ここでは隠す場合をいう。
・2 《施し》ユダヤ人はいわゆる慈善事業としてでなく、宗教的実践として行った。《偽善者たち》実際以上に信心深いふりをする人。また前後一貫しないふるまいをする人。語源は俳優。ギリシャ劇俳優は舞台で面をかぶり素顔を隠すところから来ている。《自分の前でラッパを》口にラッパをあてて吹くかっこうの描写。ひでりの時、雨請いの祈りとともに、ラッパが吹かれたという。またラッパで貧者のために施しをうながし、集めた。ラッパは慈善の代名詞となっていた。《その報いを受けてしまっている》善行を吹聴して人からほめられ、すでに報いを得ているため神の報いは期待できない。人の報いによって神の報いが差し引きゼロになり、おあいこになっている。ユダヤ人の思想では現在報いを受けている人は来たる世に報いを受けることはできない。
・3《右の手のしていることを左の手にしらせるな》金を勘定して右手から左手に金を送るしぐさの連想(ルター)。施しを受けた人以外はだれにもわからないように《施しが隠れているためである》。「ひそかに神の名を汚す者は、明らかに罰を受ける。しかしひそかに律法を学ぶ者は、公に知らされるであろう」。