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求めよ

2016-03-15 22:19:18 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第7章>
(7・7~12)求めよ
(1) 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
(2) すべて求める者は得、捜す者は見い出し、門をたたく者はあけてもらえるからである。
(3) あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与えるものがあろうか。
(4) 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
(5) このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っていれば、天にいますあなたがたの父は、なおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
(6) だから、何事でも人々からほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・この項では「求めよ」と言うことが強調される。すなわち祈りに対する確信である。
・7 神への祈りが、《求めよ》《捜せ》《門をたたけ》の三様に表現されている。祈りの性格―父なる神への訴え、探求、熱情―が現わされている。
・8 《すべて求める者は得》自然に得るのではなく、祈りに対する神の応答として与えられる。神のみこころに合う祈りは聞かれるという制限は、ここにはない。しかし山が海の中にはいる(21―21)と同じ表現法である。
・9 祈りが聞かれるのは、祈る者と祈られる者との人格的信頼関係の結果である。《パン》《石》よく似ていてまったく違っている。《魚》《へび》、ガリラヤの海にはへびによく似た魚が住む。
・11 祈りが聞かれることを、親子の関係によって説き、神と人間の関係に説き及ぶ。《あなたがたは悪い者で》人間の原罪にふれているというより、人間の現実の利己性をいう。神に比べて。この項は祈りの教えを子供の立場から始めているが、ここでは《自分の子供には》と、父の立場から教えるように変わっている。《なおさら》肉の父より天の父に話を移す。粘り強い願いは人を動かす。そして天の父を動かさないはずはない。《良いもの》ルカによる福音書では聖霊といっている。
・12 この教訓はイエスの黄金律であり、山上の説教の一部というより、その全体の結論である。ヒレル(イエス時代の著名なパリサイ人)はこの教訓を消極的な形で、「あなたがきらいなことは、人にもするな」と教えた。孔子にもヒレルと同様の教訓がある。これが《律法であり預言者である》旧約聖書の精神を要約している。しかしこの教訓の積極性は旧約をこえて福音から出る。