(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第7章>
(7・15―20)にせ預言者
(15)にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
(16)あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
(17)そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
(18)良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
(19)良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げこまれる。
(20)このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・イエスの天国の到来を否定し、また別の天国を宣べるにせ預言者に対して警戒をすることを教える。にせ預言者はだれをさすかは明らかでない。パリサイ人またサドカイ人ではないことは、彼らが預言者と自称しなかったことで明白。本書が書かれた時代の教会にいたにせ教師であるとする見方がある。
・15《羊の衣を着て》旧約で神の民は羊に譬えられ、おおかみは羊の敵として表わされている。おおかみが羊の敵として表わされている。おおかみが羊の衣を着て牧場(教会)に忍び込む。昔の預言者は羊皮の衣を着ていた。見せかけは柔和だが《その内側》すなわち彼らの正体は《強欲なおおかみ》権力・地位・金銭に対し強欲であって、結局その対者を破壊する。新約聖書においておおかみはイエスの弟子を迫害する者にたとえられている。他人の安眠中を襲う陰険な動物。
・16~20 羊かおおかみかを見分ける方法を教える。《その実によって》彼らの行為によって見分けがつく。《茨からぶどうを、あざみからいちじくを》収穫することはできない。人が茨であるかぶどうであるかどうかは外形や言葉だけで見分けられない。その実によって知る。これは預言者の真偽の鑑別法を示すにとどまらず、天国の民自身が訓練いかんによって茨ともなり、ぶどうともなることを教えている。
・バプテスマのヨハネの説教の言葉が引用されている。
<マタイによる福音書第7章>
(7・15―20)にせ預言者
(15)にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
(16)あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
(17)そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
(18)良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
(19)良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げこまれる。
(20)このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・イエスの天国の到来を否定し、また別の天国を宣べるにせ預言者に対して警戒をすることを教える。にせ預言者はだれをさすかは明らかでない。パリサイ人またサドカイ人ではないことは、彼らが預言者と自称しなかったことで明白。本書が書かれた時代の教会にいたにせ教師であるとする見方がある。
・15《羊の衣を着て》旧約で神の民は羊に譬えられ、おおかみは羊の敵として表わされている。おおかみが羊の敵として表わされている。おおかみが羊の衣を着て牧場(教会)に忍び込む。昔の預言者は羊皮の衣を着ていた。見せかけは柔和だが《その内側》すなわち彼らの正体は《強欲なおおかみ》権力・地位・金銭に対し強欲であって、結局その対者を破壊する。新約聖書においておおかみはイエスの弟子を迫害する者にたとえられている。他人の安眠中を襲う陰険な動物。
・16~20 羊かおおかみかを見分ける方法を教える。《その実によって》彼らの行為によって見分けがつく。《茨からぶどうを、あざみからいちじくを》収穫することはできない。人が茨であるかぶどうであるかどうかは外形や言葉だけで見分けられない。その実によって知る。これは預言者の真偽の鑑別法を示すにとどまらず、天国の民自身が訓練いかんによって茨ともなり、ぶどうともなることを教えている。
・バプテスマのヨハネの説教の言葉が引用されている。