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二つの基礎

2016-03-22 21:36:47 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第7章>
(7・24―29)二つの基礎
(24)それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
(25)雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
(26)また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家に建てた愚かな人に比べることができよう。
(27)雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
(28)イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群集はその教えにひどく驚いた。
(29)それは律法学者たちのようにではなく、権威あるもののように、教えられたからである。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・山上の説教を結ぶ終わりの比喩(たとえ)。上述のイエスの説教に聴従する者が、《岩の上に》家を建てた人に比べられ、イエスの言葉に聴従しない者は、《砂の上に》家を建てた人にたとえられている。前者は《賢い人》神の国の目的にかなうように全生活を位置づけ、方向づける人であり、後者は《愚かな人》自己の生の基礎、土台にまったく無思慮な人である。賢い人か愚かな人かは平時には見分けることができないが、《雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いて》その家に打ちつけるとき、明らかにされる。暴風雨がしだいに発達する経路の描写。人生の苦難の有様、そして多分に終末における審判の意味をもっている。平時から神の言に聴従する者は、非常時においても彼の生の根拠が動かされることがない。しかし平時に神の言に聴従しない者は、非常時に《倒れてしまう》しかも土台が砂であるなら、上部建築が強固で華麗な石であることは、かえって《その倒れ方はひどいのである》
・28 イエスが《これらの言》すなわち山上の説教を語り終えたとき、《群集は》当面の聞き手は弟子たちであったが、一般の群集も自由に聞いていた。群衆はイエスの教えを聞いて《ひどく驚いた》イエスの教えは《律法学者たちのように》先人の教えのくり返しでなく、《権威あるもののように》彼の独創的な人格から発する独創的な教えであったからである。