1947(昭和22)年の今日(7月4日)は 日本初の『経済白書(当時は「経済実相報告書」)』を発表した日。 副題は「財政も企業も家計も赤字」。
「経済白書」とは、内閣府(旧・経済企画庁)が国民経済の年間の動きを分析し、今後の政策の指針を示唆するために1947(昭和22)年から毎年発行している文章のことであり、正式には「年次経済報告」というが、一般的には「経済白書」という言葉が広く使われている。なお、省庁再編により内閣府が発足した2001(平成13)年以降の版は、正式名が「年次経済財政報告」で通称が「経済財政白書」と、財政に関する記述が加わっている。
1947(昭和22)年6月1日、片山内閣が発足した。10日後の6月11日の内閣府の発表した「経済緊急対策」は「国家財政は赤字をつづけ、重要企業も赤字になやみ、国民の会計もまた赤字に苦しんでいるのがわが国経済の状況である」という文章に始まる。
内閣府では、政府の施策に対する国民の意識を把握するために、ほぼ毎月「世論調査」を実施しているようだが、この「世論調査」も1947(昭和22)年の「経済実相報告書」に対する世論動向調査」が始まりだそうである。世論調査は各省庁の要望をふまえつつ、時々の行政需要に適った調査主題を選定している。
第1回経済白書(「経済実相報告書」)を執筆したのは都留重人さんであった。都留氏は、1947(昭和22)年に社会党の片山内閣が成立すると、経済安定本部次官に任命され、第1回経済白書「経済実相報告書」を執筆、経済実態分析とともに復興再建に尽力した。また、1949(昭和24)年には日本の税制改革についての勧告のため「シャウプ使節団」が来日し、その公式顧問役を池田勇人大蔵大臣から任命され、占領下の経済政策にも貢献した。1948(昭和23)年に東京商科大学(現一橋大学)教授へ着任し、以来経済研究所長や一橋大学学長を歴任、1975(昭和50)年に退官、2006(平成18)年2月5日逝去している。
都留さんは、自著『経済の常識と非常識』(1987年、岩波書店)の冒頭で、「なんのために経済学を学ぶか、それは、経済学者にだまされないためだ」という、イギリスの理論経済学者ジョーン・ロビンソン(Joan Robinson、1903-1982)の言葉を引用している。ジョーン・ロビンソンは、不完全競争論、経済成長論など経済学の様々な分野に大きな業績を残した経済学者であるが、彼は、同時に、自身が研究している経済学の「限界」を常に認識していた経済学者であったという。
今小泉内閣では、経済学者である竹中平蔵氏が大臣になって日本の経済政策を自ら実行したり、政府の委員会などで経済政策の立案に大きな影響を及ぼしていた。そこでは、自分の考えている経済学の理論を直接、現実の経済に適用するという姿勢が強く打ちだされた。
私が、現役時代勤めていた会社では、毎年、全国の部長職以上を集めトップセミーを開催していたが、そこでは、その時代の注目を集めている経済学者や作家など数人の講義を受けられる。その中に小泉内閣入閣前の慶應義塾大学教授時代の竹中平蔵氏もいた。会社も彼の理論を信頼しているから講師に招いたのである。私も、現役時代に彼の講演を聴いたことがあり、優秀な学者であると思っている。
しかし、経済学者によって作られた経済政策が現実に効果をあげるかというと、必ずしも、そうとは言い切れないだろう。アメリカには「神様は誤りを犯しても学者は誤りを犯さない」というブラックジョークがあるという。神様は、最初完全な人間を作ろうと考えていたが、結果的に、不完全な人間しか作ることは出来なかった。しかし、学者といわれる人たちは、弁護士が、黒でも白と言い張るように、絶対に自分の理論は間違っているとは認めない。それが、学者と言うものだろうから、そのような学者が現実の政治の中で自分の理論にこだわると経済はおかしくならないだろうか?。
東京大学経済学部を卒業後、ハーバード大学助教授を経て、東京大学経済学部教授となった経済学者の石川 経夫(1947年 - 1998年)氏は、「経済学とはどういう学問ですか?」という問いに対して「この世は不公平なものだが、それぞれが努力すればそれに見合ったものをみんなが得られるようになる社会をどうすれば実現できるだろう、ということを愚直なまでに考えるのが経済学だ。」と答えたといわれている。いい言葉だ。
2001(平成13)年4月26日 、郵政民営化をスローガンに高支持率を得て第87代内閣総理大臣に就任した小泉首相による小泉内閣も今年で、5年を経過した。 竹中平蔵氏は小泉内閣に於おて、銀行の不良債権削減に努める など経済面での重要ポストを担いそれなりの努力はしたのだろう。しかし、小泉内閣の5年間を振り返ると、強者と弱者がはっきりと別れ、貧富の格差が拡大してきている。小泉首相は、「資本主義の自由競争の社会の中では、貧富の格差が広がることはいたし方のないこと」と言っているが、石川氏の経済の考え方とは、大分違っているように思われる。日本の経済学者が唱和した規制緩和論、公的年金民営化論など・・・も本当に、それが良いことなのだろうか?
いつか、TVで著名な数学者が言っていた。「経済学は学問ではない」」・・・と。それは、数学のように必ず、計算した通りの答えが出ないからだ。いや、それとも、経済政策をつくる基礎となる経済学そのものに問題があるからなのか?。
1956年(昭和31年)7月に発表されたときの経済白書では、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して「もはや『戦後』ではない」と説き、これは流行語にもなった。
しかし、この「もはや・・・」という言葉は、日本が復興期から脱して、高度成長という明るい未来を目の前にした状況を表現したものと誤解されることが多いが、当時の経済企画庁の執筆者の「もはや・・・」に込められた意図は、今日的解釈とはむしろ正反対で、「今までは戦後復興ということで、成長の伸びが多大であったが、戦前の生産水準にまで回帰してしまった以上、この先、この成長をどうやって続けたらよいものだろうか」という、いささか困惑気味のものであったという。
「平成17年度年次経済財政報告公表にあたって」、経済財政政策担当大臣 竹中平蔵氏は以下のように述べている。
”小泉内閣は、「改革なくして成長なし」との認識の下、各般の構造改革を進めてきたが、白書では構造改革の進展と日本経済の現状と課題について、きめ細かく分析してきた。”として、”不良債権処理は順調に進み2004年度末には3%を下回るなど、目標の早期実現が達成された。また、金融機関の不良債権処理の進展とともに、企業の雇用・設備・債務における過剰もほぼ解消した。この結果、企業の体質が強化され、それが雇用の改善を通じて家計部門にも好影響をもたらしている。 ”・・・と。
確かに、大手企業など、リストラを断行し、これらの企業は財務的には体質改善もされ、そして、これらの企業に働く人たちなどの家計部門にも好影響はもたらされているだろう。しかし、一方で、中小企業は、いまだに、業績不振のところが多く、就職できない人達が溢れているとも聞く。1956年(昭和31年)7月に発表されたときの経済白書も結局、この心配は杞憂に終わり、「もはや~」という言葉も今日的な意味で用いられることになるのだが、今回の経済白書も、書いてある通りに行くとよいのだが・・・。
(画像は、2005年版「中小企業白書」中小企業庁 編集)
参考:
日本占領期年表・1947(昭和22)年
http://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/senryou/1947.htm
広告景気年表:1947年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1947.htm
白書について
http://www.gioss.or.jp/clip/hakusyo4.htm
厚生労働省:白書等
http://www5.cao.go.jp/keizai3/whitepaper.html
経済白書- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%99%BD%E6%9B%B8
ジョーン・ロビンソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
都留重人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E7%95%99%E9%87%8D%E4%BA%BA
EDP都留重人と激動の時代
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/pamphlet/pamphlet_16.pdf
竹中平蔵 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5
石川経夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%B5%8C%E5%A4%AB
シャウプ使節団日本税制報告書(序文、目次)
http://homepage1.nifty.com/kybs/shoup/shoupj00.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E
国民諸君に訴う /組閣を了えて〈NHK放送〉:内閣総理大臣・片山哲一九四七年六月二日
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_124.htm
「経済白書」とは、内閣府(旧・経済企画庁)が国民経済の年間の動きを分析し、今後の政策の指針を示唆するために1947(昭和22)年から毎年発行している文章のことであり、正式には「年次経済報告」というが、一般的には「経済白書」という言葉が広く使われている。なお、省庁再編により内閣府が発足した2001(平成13)年以降の版は、正式名が「年次経済財政報告」で通称が「経済財政白書」と、財政に関する記述が加わっている。
1947(昭和22)年6月1日、片山内閣が発足した。10日後の6月11日の内閣府の発表した「経済緊急対策」は「国家財政は赤字をつづけ、重要企業も赤字になやみ、国民の会計もまた赤字に苦しんでいるのがわが国経済の状況である」という文章に始まる。
内閣府では、政府の施策に対する国民の意識を把握するために、ほぼ毎月「世論調査」を実施しているようだが、この「世論調査」も1947(昭和22)年の「経済実相報告書」に対する世論動向調査」が始まりだそうである。世論調査は各省庁の要望をふまえつつ、時々の行政需要に適った調査主題を選定している。
第1回経済白書(「経済実相報告書」)を執筆したのは都留重人さんであった。都留氏は、1947(昭和22)年に社会党の片山内閣が成立すると、経済安定本部次官に任命され、第1回経済白書「経済実相報告書」を執筆、経済実態分析とともに復興再建に尽力した。また、1949(昭和24)年には日本の税制改革についての勧告のため「シャウプ使節団」が来日し、その公式顧問役を池田勇人大蔵大臣から任命され、占領下の経済政策にも貢献した。1948(昭和23)年に東京商科大学(現一橋大学)教授へ着任し、以来経済研究所長や一橋大学学長を歴任、1975(昭和50)年に退官、2006(平成18)年2月5日逝去している。
都留さんは、自著『経済の常識と非常識』(1987年、岩波書店)の冒頭で、「なんのために経済学を学ぶか、それは、経済学者にだまされないためだ」という、イギリスの理論経済学者ジョーン・ロビンソン(Joan Robinson、1903-1982)の言葉を引用している。ジョーン・ロビンソンは、不完全競争論、経済成長論など経済学の様々な分野に大きな業績を残した経済学者であるが、彼は、同時に、自身が研究している経済学の「限界」を常に認識していた経済学者であったという。
今小泉内閣では、経済学者である竹中平蔵氏が大臣になって日本の経済政策を自ら実行したり、政府の委員会などで経済政策の立案に大きな影響を及ぼしていた。そこでは、自分の考えている経済学の理論を直接、現実の経済に適用するという姿勢が強く打ちだされた。
私が、現役時代勤めていた会社では、毎年、全国の部長職以上を集めトップセミーを開催していたが、そこでは、その時代の注目を集めている経済学者や作家など数人の講義を受けられる。その中に小泉内閣入閣前の慶應義塾大学教授時代の竹中平蔵氏もいた。会社も彼の理論を信頼しているから講師に招いたのである。私も、現役時代に彼の講演を聴いたことがあり、優秀な学者であると思っている。
しかし、経済学者によって作られた経済政策が現実に効果をあげるかというと、必ずしも、そうとは言い切れないだろう。アメリカには「神様は誤りを犯しても学者は誤りを犯さない」というブラックジョークがあるという。神様は、最初完全な人間を作ろうと考えていたが、結果的に、不完全な人間しか作ることは出来なかった。しかし、学者といわれる人たちは、弁護士が、黒でも白と言い張るように、絶対に自分の理論は間違っているとは認めない。それが、学者と言うものだろうから、そのような学者が現実の政治の中で自分の理論にこだわると経済はおかしくならないだろうか?。
東京大学経済学部を卒業後、ハーバード大学助教授を経て、東京大学経済学部教授となった経済学者の石川 経夫(1947年 - 1998年)氏は、「経済学とはどういう学問ですか?」という問いに対して「この世は不公平なものだが、それぞれが努力すればそれに見合ったものをみんなが得られるようになる社会をどうすれば実現できるだろう、ということを愚直なまでに考えるのが経済学だ。」と答えたといわれている。いい言葉だ。
2001(平成13)年4月26日 、郵政民営化をスローガンに高支持率を得て第87代内閣総理大臣に就任した小泉首相による小泉内閣も今年で、5年を経過した。 竹中平蔵氏は小泉内閣に於おて、銀行の不良債権削減に努める など経済面での重要ポストを担いそれなりの努力はしたのだろう。しかし、小泉内閣の5年間を振り返ると、強者と弱者がはっきりと別れ、貧富の格差が拡大してきている。小泉首相は、「資本主義の自由競争の社会の中では、貧富の格差が広がることはいたし方のないこと」と言っているが、石川氏の経済の考え方とは、大分違っているように思われる。日本の経済学者が唱和した規制緩和論、公的年金民営化論など・・・も本当に、それが良いことなのだろうか?
いつか、TVで著名な数学者が言っていた。「経済学は学問ではない」」・・・と。それは、数学のように必ず、計算した通りの答えが出ないからだ。いや、それとも、経済政策をつくる基礎となる経済学そのものに問題があるからなのか?。
1956年(昭和31年)7月に発表されたときの経済白書では、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して「もはや『戦後』ではない」と説き、これは流行語にもなった。
しかし、この「もはや・・・」という言葉は、日本が復興期から脱して、高度成長という明るい未来を目の前にした状況を表現したものと誤解されることが多いが、当時の経済企画庁の執筆者の「もはや・・・」に込められた意図は、今日的解釈とはむしろ正反対で、「今までは戦後復興ということで、成長の伸びが多大であったが、戦前の生産水準にまで回帰してしまった以上、この先、この成長をどうやって続けたらよいものだろうか」という、いささか困惑気味のものであったという。
「平成17年度年次経済財政報告公表にあたって」、経済財政政策担当大臣 竹中平蔵氏は以下のように述べている。
”小泉内閣は、「改革なくして成長なし」との認識の下、各般の構造改革を進めてきたが、白書では構造改革の進展と日本経済の現状と課題について、きめ細かく分析してきた。”として、”不良債権処理は順調に進み2004年度末には3%を下回るなど、目標の早期実現が達成された。また、金融機関の不良債権処理の進展とともに、企業の雇用・設備・債務における過剰もほぼ解消した。この結果、企業の体質が強化され、それが雇用の改善を通じて家計部門にも好影響をもたらしている。 ”・・・と。
確かに、大手企業など、リストラを断行し、これらの企業は財務的には体質改善もされ、そして、これらの企業に働く人たちなどの家計部門にも好影響はもたらされているだろう。しかし、一方で、中小企業は、いまだに、業績不振のところが多く、就職できない人達が溢れているとも聞く。1956年(昭和31年)7月に発表されたときの経済白書も結局、この心配は杞憂に終わり、「もはや~」という言葉も今日的な意味で用いられることになるのだが、今回の経済白書も、書いてある通りに行くとよいのだが・・・。
(画像は、2005年版「中小企業白書」中小企業庁 編集)
参考:
日本占領期年表・1947(昭和22)年
http://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/senryou/1947.htm
広告景気年表:1947年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1947.htm
白書について
http://www.gioss.or.jp/clip/hakusyo4.htm
厚生労働省:白書等
http://www5.cao.go.jp/keizai3/whitepaper.html
経済白書- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%99%BD%E6%9B%B8
ジョーン・ロビンソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
都留重人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E7%95%99%E9%87%8D%E4%BA%BA
EDP都留重人と激動の時代
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/pamphlet/pamphlet_16.pdf
竹中平蔵 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5
石川経夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%B5%8C%E5%A4%AB
シャウプ使節団日本税制報告書(序文、目次)
http://homepage1.nifty.com/kybs/shoup/shoupj00.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E
国民諸君に訴う /組閣を了えて〈NHK放送〉:内閣総理大臣・片山哲一九四七年六月二日
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_124.htm