
1921年の今日(2月11日 )栄養菓子「グリコ」が発売された日。
「 グリコ」とは、江崎グリコから発売されている玩具付きキャラメルである。
江崎グリコの創業者・江崎利一は、1882(明治15)年12月23日佐賀県神崎郡蓮池村に薬種業の長男として生まれた。1897(明治30)年小学校高等科卒業。家業である薬種業を引き継いだ。以下、参考に記載の江崎グリコのホームページや江崎記念館など記載されえいるところによると、1919年(大正8年)の春、有明海沿いの堤防で、漁師たちが牡蠣(カキ)の煮汁を捨てているのを目にしたとき、薬業新聞で見た「牡蠣にはエネルギー代謝に大切なグリコーゲンが多く含まれている」という記事を思い出し、九州大学に分析を依頼の結果、多量のグリコーゲンとともにカルシウムなどが含まれていることが分かった。そして、まず薬への利用を考えたが、九州大学の先生から「治療よりも、病気にならない体をつくる予防が大切だ」とアドバイスされ、それなら健康づくりのために活用しようと、育ちざかりの子どもが喜んで食べるお菓子、中でも当時洋菓子として人気が高まってきていた、キャラメルに入れることを思いついたのが”栄養菓子グリコ”のスタートだったという。
グリコーゲンを利用した栄養菓子といっても、他社製品にはない特長が必要であり、製品化のめどがついたところで利一が取り組んだのが、他社よりも目立つ、名称とパッケージ、商標(トレードマーク)であった。そして、名称は、グリコーゲンにちなんで簡潔で覚えやすい「グリコ」とした。箱は目立つ赤、それも品のよさと食欲をそそる色を追求し、あの特長ある赤い箱が誕生したという。 最後に、商標をどうするか考えごとをする時、利一は、家の近くの神社へよく行き、ある日、境内でかけっこをしている子どもが両手をあげてゴールインする姿が目に飛び込み、「これだ!」と思いつき、商標をゴールインマークと決めた。利一は小学校の生徒たちに候補のマークを見てもらい、ゴールインマークに人気があることを確かめたという。今でいうマーケティングリサーチまで行っていたというのだからたいしたものだ。以下参照。
赤箱とゴールインマーク http://www.glico.co.jp/kinenkan/sogyo/sogyo3.htm
そして、この栄養菓子グリコを全国に広めるため、1921(大正10) 年に一家をあげて商都・大阪へ移転。合名会社江崎商店を設立。水飴にグリコーゲンを多量に含むカキの出汁を加えた栄養菓子「グリコ」を創製し、試験発売した。これが、大阪西区堀江工場の始まりである。この時の、キャラメルの型は、今の四角い型ではなく、ハート型に固めて製品化したという。理由は、ハートは健康を思いやる心を表わし、角のない形で口あたりをよくしようとしたのだそうだ。
当初は家庭販売をしていたようだが、市中の小売店で製品を扱ってもらえるようにするためにはもっとも信用のある店から売り出せばと大阪・北浜にある百貨店三越への販売に努力するが、ようやく大阪・三越に置かれるようになったのが1922(大正11)年2月の事であり、同社では、この三越で発売を始めた日・2月11日を「江崎グリコ創立記念日」としている。
この時、”キャラメル「グリコ」。「栄養菓子」として発売。赤いパッケージと「一粒300米突(メートル)」のキャッチフレーズが新鮮だった。又、10粒入り5銭。20粒入り10銭だったそうだ”(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。
このマークは何度か変わっており、大きく変わった最初は、1928年(昭和3年)だそうで、女学生が「顔がこわい」というのを聞き、当時活躍していたスポーツ選手数人のゴールイン姿を参考に表情を描き直したという。
同HPには、誰を、モデルにしたのかは書かれていないが、アサヒクロニクル「週刊20世紀」には、”箱に描かれた陸上競技のゴール姿のモデルは、フィリピンのカタロン選手や金栗四三選手が参考にされた。”・・・との記載があった。
フィリピンのカタロン選手とは、1921年の第5回極東選手権競技大会(現・アジア競技大会)に出場したフィリピンのマラソン選手らしい。金栗四三は、日本人初のオリンピック選手として、1912(明治45)年ストックホルムオリンピックに出場し、1920(大正9)年のアントワープオリンピック、1924(大正13)年のパリオリンピックでもマラソン代表として出場している。若々しくあたたかみのある表情の現在のマークに変わったのは、1992(平成4)年、江崎グリコ創立70周年の時である。
以下参照。過去のゴールインマークの変化が見れて面白いよ。
江崎記念館・ゴールインマークの歴史 http://www.glico.co.jp/kinenkan/goal/goal.htm
大阪ミナミの戎橋にネオン塔を最初に建設したのは1935(昭和10)年のことである。高さ33メートルという型破りなネオンは人々を驚かせ、たちまちミナミの夜の名物となった。1943(昭和18)年、戦況が厳しくなり鉄材供出のため撤去されたが、戦後の1955(昭和30)年、2代目が再建された。その後、1963(昭和38)年には3代目、1972(昭和47)年に4代目が、1998(平成10)年7月からの5代目の巨大ネオンが、現在私達の目を楽しませてくれている。現在の5代目グリコネオンは、グリコのランナーが、大阪城や海遊館、大阪ドーム、通天閣を背景に大阪の街を走る。空の部分のネオンの色が、昼、夕焼け、星空、そして朝と2分7秒かけて変わっていく。まるでランナーが大阪の街を一日かけて走っているかのように演出されている。
そういえば、2002(平成14)年に開催されたサッカーワールドカップの期間中は、青のユニフォームに、又、翌・2003(平成15)年、阪神タイガースが、稀にみる独走で18年ぶりのリーグ優勝を果たした年、8月20日から11月4日まで、グリコのランナーが阪神タイガースのユニフォームに着替えたこともある。(詳細は阪神ファン#道頓堀への飛び込みを参照)
以下では、グリコネオンの歴史が分かるとともに、大阪道頓堀の夜景と共にネオンサインのイルミネーションをムービーで楽しめるようになっている。
江崎記念館・大阪道頓堀のグリコネオン http://www.ezaki-glico.net/neon/index.html
2003年4月11日、この道頓堀 グリコネオン (中央区) は、大阪市指定景観形成物に指定されている。以下参照。
大阪 道頓堀のグリコネオン・大阪市指定景観形成物に指定
http://www.ezaki-glico.net/neon/neon4.html
もう1つ。なんといっても、「グリコ」と言えば、”玩具のおまけ”をつけたお菓子として、有名であるが、1921(大正10)年発売の翌1922(大正11)年、つまり大阪・三越百貨店で発売したと同じ年に、試験的にイラストカードを封入する(このブログ冒頭に貼付の画像参照)と、この試みが大当たりとなり、1927(昭和 2)年から本格的に”玩具のおまけ”をつけるようになったという。これは、子供の二大天職である「食べる」「遊ぶ」を同時に満足させる商品化を図ったものだそうだ。
懐かしの20世紀をテーマにしたシリーズ「タイムスリップグリコ」シリーズでは、なつかしの雑誌がミニサイズになった「思い出のマガジン」や、1960年代後半の懐かしのグループサウンズがシングルCDになった「グループサウンズ編」、1970年の日本万国博覧会が「太陽の塔」や月の石などのフィギュアで蘇った「大阪万博編」など過去の懐かしいものを出している。(Glico「タイムスリップグリコ」シリーズ参照)
かって、これらをすべて集めるためにサラリーマンが何ダースもまとめ買いする大人買い」という言葉まで生まれた時代があったが今はどうなんだろうか。私も我楽多大好き人間であり、いろいろなものをコレクションしているが、確かに、面白い。
江崎記念館で、どんなものがあったか見てみませんか。以下で時代別にスライド形式で見れるよ。
江崎記念館・おもちゃの歴史 http://www.glico.co.jp/kinenkan/omocha/omocha.htm
(画像:向かって左:1922年発売時のグリコ。右:1922年~1926年までグリコに封入された絵カード。写真江崎グリコ提供分。アサヒクロニクル「週刊20世紀」掲載分より)
参考:
グリコ (菓子) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B3_(%E8%8F%93%E5%AD%90)
江崎グリコのホームページ
http://www.glico.co.jp/index.htm
江崎記念館
http://www.glico.co.jp/kinenkan/index2.htm
COBS ONLIN:20世紀の発明品カタログ 第3回 「文化的滋養菓子『グリコ』 誕生物語
http://cobs.jp/life/regular/hatsumei/bn/1218.html
キャッチコピー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC
極東選手権競技大会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A4%A7%E4%BC%9A
阪神タイガース - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B9
グループ・サウンズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BA
日本万国博覧会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A
フィギュア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2
大人買い - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E8%B2%B7%E3%81%84
「 グリコ」とは、江崎グリコから発売されている玩具付きキャラメルである。
江崎グリコの創業者・江崎利一は、1882(明治15)年12月23日佐賀県神崎郡蓮池村に薬種業の長男として生まれた。1897(明治30)年小学校高等科卒業。家業である薬種業を引き継いだ。以下、参考に記載の江崎グリコのホームページや江崎記念館など記載されえいるところによると、1919年(大正8年)の春、有明海沿いの堤防で、漁師たちが牡蠣(カキ)の煮汁を捨てているのを目にしたとき、薬業新聞で見た「牡蠣にはエネルギー代謝に大切なグリコーゲンが多く含まれている」という記事を思い出し、九州大学に分析を依頼の結果、多量のグリコーゲンとともにカルシウムなどが含まれていることが分かった。そして、まず薬への利用を考えたが、九州大学の先生から「治療よりも、病気にならない体をつくる予防が大切だ」とアドバイスされ、それなら健康づくりのために活用しようと、育ちざかりの子どもが喜んで食べるお菓子、中でも当時洋菓子として人気が高まってきていた、キャラメルに入れることを思いついたのが”栄養菓子グリコ”のスタートだったという。
グリコーゲンを利用した栄養菓子といっても、他社製品にはない特長が必要であり、製品化のめどがついたところで利一が取り組んだのが、他社よりも目立つ、名称とパッケージ、商標(トレードマーク)であった。そして、名称は、グリコーゲンにちなんで簡潔で覚えやすい「グリコ」とした。箱は目立つ赤、それも品のよさと食欲をそそる色を追求し、あの特長ある赤い箱が誕生したという。 最後に、商標をどうするか考えごとをする時、利一は、家の近くの神社へよく行き、ある日、境内でかけっこをしている子どもが両手をあげてゴールインする姿が目に飛び込み、「これだ!」と思いつき、商標をゴールインマークと決めた。利一は小学校の生徒たちに候補のマークを見てもらい、ゴールインマークに人気があることを確かめたという。今でいうマーケティングリサーチまで行っていたというのだからたいしたものだ。以下参照。
赤箱とゴールインマーク http://www.glico.co.jp/kinenkan/sogyo/sogyo3.htm
そして、この栄養菓子グリコを全国に広めるため、1921(大正10) 年に一家をあげて商都・大阪へ移転。合名会社江崎商店を設立。水飴にグリコーゲンを多量に含むカキの出汁を加えた栄養菓子「グリコ」を創製し、試験発売した。これが、大阪西区堀江工場の始まりである。この時の、キャラメルの型は、今の四角い型ではなく、ハート型に固めて製品化したという。理由は、ハートは健康を思いやる心を表わし、角のない形で口あたりをよくしようとしたのだそうだ。
当初は家庭販売をしていたようだが、市中の小売店で製品を扱ってもらえるようにするためにはもっとも信用のある店から売り出せばと大阪・北浜にある百貨店三越への販売に努力するが、ようやく大阪・三越に置かれるようになったのが1922(大正11)年2月の事であり、同社では、この三越で発売を始めた日・2月11日を「江崎グリコ創立記念日」としている。
この時、”キャラメル「グリコ」。「栄養菓子」として発売。赤いパッケージと「一粒300米突(メートル)」のキャッチフレーズが新鮮だった。又、10粒入り5銭。20粒入り10銭だったそうだ”(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。
このマークは何度か変わっており、大きく変わった最初は、1928年(昭和3年)だそうで、女学生が「顔がこわい」というのを聞き、当時活躍していたスポーツ選手数人のゴールイン姿を参考に表情を描き直したという。
同HPには、誰を、モデルにしたのかは書かれていないが、アサヒクロニクル「週刊20世紀」には、”箱に描かれた陸上競技のゴール姿のモデルは、フィリピンのカタロン選手や金栗四三選手が参考にされた。”・・・との記載があった。
フィリピンのカタロン選手とは、1921年の第5回極東選手権競技大会(現・アジア競技大会)に出場したフィリピンのマラソン選手らしい。金栗四三は、日本人初のオリンピック選手として、1912(明治45)年ストックホルムオリンピックに出場し、1920(大正9)年のアントワープオリンピック、1924(大正13)年のパリオリンピックでもマラソン代表として出場している。若々しくあたたかみのある表情の現在のマークに変わったのは、1992(平成4)年、江崎グリコ創立70周年の時である。
以下参照。過去のゴールインマークの変化が見れて面白いよ。
江崎記念館・ゴールインマークの歴史 http://www.glico.co.jp/kinenkan/goal/goal.htm
大阪ミナミの戎橋にネオン塔を最初に建設したのは1935(昭和10)年のことである。高さ33メートルという型破りなネオンは人々を驚かせ、たちまちミナミの夜の名物となった。1943(昭和18)年、戦況が厳しくなり鉄材供出のため撤去されたが、戦後の1955(昭和30)年、2代目が再建された。その後、1963(昭和38)年には3代目、1972(昭和47)年に4代目が、1998(平成10)年7月からの5代目の巨大ネオンが、現在私達の目を楽しませてくれている。現在の5代目グリコネオンは、グリコのランナーが、大阪城や海遊館、大阪ドーム、通天閣を背景に大阪の街を走る。空の部分のネオンの色が、昼、夕焼け、星空、そして朝と2分7秒かけて変わっていく。まるでランナーが大阪の街を一日かけて走っているかのように演出されている。
そういえば、2002(平成14)年に開催されたサッカーワールドカップの期間中は、青のユニフォームに、又、翌・2003(平成15)年、阪神タイガースが、稀にみる独走で18年ぶりのリーグ優勝を果たした年、8月20日から11月4日まで、グリコのランナーが阪神タイガースのユニフォームに着替えたこともある。(詳細は阪神ファン#道頓堀への飛び込みを参照)
以下では、グリコネオンの歴史が分かるとともに、大阪道頓堀の夜景と共にネオンサインのイルミネーションをムービーで楽しめるようになっている。
江崎記念館・大阪道頓堀のグリコネオン http://www.ezaki-glico.net/neon/index.html
2003年4月11日、この道頓堀 グリコネオン (中央区) は、大阪市指定景観形成物に指定されている。以下参照。
大阪 道頓堀のグリコネオン・大阪市指定景観形成物に指定
http://www.ezaki-glico.net/neon/neon4.html
もう1つ。なんといっても、「グリコ」と言えば、”玩具のおまけ”をつけたお菓子として、有名であるが、1921(大正10)年発売の翌1922(大正11)年、つまり大阪・三越百貨店で発売したと同じ年に、試験的にイラストカードを封入する(このブログ冒頭に貼付の画像参照)と、この試みが大当たりとなり、1927(昭和 2)年から本格的に”玩具のおまけ”をつけるようになったという。これは、子供の二大天職である「食べる」「遊ぶ」を同時に満足させる商品化を図ったものだそうだ。
懐かしの20世紀をテーマにしたシリーズ「タイムスリップグリコ」シリーズでは、なつかしの雑誌がミニサイズになった「思い出のマガジン」や、1960年代後半の懐かしのグループサウンズがシングルCDになった「グループサウンズ編」、1970年の日本万国博覧会が「太陽の塔」や月の石などのフィギュアで蘇った「大阪万博編」など過去の懐かしいものを出している。(Glico「タイムスリップグリコ」シリーズ参照)
かって、これらをすべて集めるためにサラリーマンが何ダースもまとめ買いする大人買い」という言葉まで生まれた時代があったが今はどうなんだろうか。私も我楽多大好き人間であり、いろいろなものをコレクションしているが、確かに、面白い。
江崎記念館で、どんなものがあったか見てみませんか。以下で時代別にスライド形式で見れるよ。
江崎記念館・おもちゃの歴史 http://www.glico.co.jp/kinenkan/omocha/omocha.htm
(画像:向かって左:1922年発売時のグリコ。右:1922年~1926年までグリコに封入された絵カード。写真江崎グリコ提供分。アサヒクロニクル「週刊20世紀」掲載分より)
参考:
グリコ (菓子) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B3_(%E8%8F%93%E5%AD%90)
江崎グリコのホームページ
http://www.glico.co.jp/index.htm
江崎記念館
http://www.glico.co.jp/kinenkan/index2.htm
COBS ONLIN:20世紀の発明品カタログ 第3回 「文化的滋養菓子『グリコ』 誕生物語
http://cobs.jp/life/regular/hatsumei/bn/1218.html
キャッチコピー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC
極東選手権競技大会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A4%A7%E4%BC%9A
阪神タイガース - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B9
グループ・サウンズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BA
日本万国博覧会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A
フィギュア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2
大人買い - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E8%B2%B7%E3%81%84
母校にグリコというあだ名の旧制中学時代からの名物教師が居ました。体育の教師でしたが、いつも元気いっぱいでした。きっとグリコのゴールの絵からこのあだ名がついたのでしょう。
子供のころはグリコはおまけ、シスコは南海ホークスの選手カード、カバヤキャラメルはカバのカードが出ると1つおまけでした。カバヤキャラメルはあまり美味しくなかったのですがカードにつられて買いました。