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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

東芝が「電気釜を発売」した日

2005-12-10 | 歴史
1955(昭和30)年の今日(12月10日)は 東芝が「電気釜を発売」した日である 。
この1955(昭和30)年という年代と電気釜の出現は、日本の歴史上においても重大な出来事なのである。
この年は、国際的緊張緩和を背景として、この年の世界経済は戦後最大の繁栄を記録した。日本でもこの年は、いわゆる’55年体制といわれるものの始まった年であり、これにより戦後の自民党の長期政権が始まる。一方、戦後10年を迎えた経済は、今までの数年越しの緊縮予算で、産業は元気がなく、国民の財布の中身も寂しく、何もかもデフレのせいと諦めていたのに、天の恵みか、世界的好況を背景に、わが国の輸出も伸長し、海運ブームで造船ブームもやってきた。その上、米の未曾有の大豊作で農村活況もあり、物価上昇を伴わずに投資および消費の拡大による大幅な景気上昇を示し、いまだかってない「神武景気」に突入した年である。
今の日本の経済は、家電産業がリードしているともいえるが、日本の家庭電化は高度経済成長と同一歩調を取りながらこの1950年代に始まったといえる。1953(昭和28)年2月、東京でテレビ放送がスタートして、この年の8月には、三洋電機が国産初の噴流式電気洗濯機を発売した。評論家の故大宅壮一氏は、この1953年を「電化元年」と呼んでいた。 1955年、にはこの洗濯機がよく売れていた。そして、前年あたりから「三種の神器(電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビ)」という言葉がよく使われ流行語にもなるなど、これらの家庭電化製品の急速な普及と共に欧米化の生活が広がっていくこととなる。そして、この1955年12月10日。その後の日本人の生活スタイルを変えてしまうことにもなる商品が登場した。それが、東芝が発売した「自動電気式電気釜(ER-4)」であった。価格は3200円。当時公務員の初任給が10,000円にも届かない時代にしては、相当な高値ではあったが、他の三種の神器に比較すると安価であることもあり、生産が追いつかないほどの売れ行きで大ヒットとなった。電気を使った炊飯器は、既に、大正4~5年ごろから考案・製造されていたが、燃費や使い勝手とともに、出来上がったご飯の味の面でも家庭の主婦を満足させるものにはいたらず、薪やガスを使った従来の竈(かまど)で飯炊きをする伝統的な方法にとって代わるものではなかった。そこで、東芝は、「炊飯とはどういうことか?」「本当に旨いご飯とはどういうものか?」といった原点のことを化学的に究明し、さらに、家族の誰よりも早く起きて竈に薪をくべて飯を炊くという、古来からの主婦の作業を軽減するため、単に熱源を電気にするだけではなく、飯炊きの手間をなくすための電気釜のメリットを考え、スイッチ一つで行なえる炊飯の完全自動化に成功したのであった。そして、これに、併売されたタイムスイッチを使えば、望みどうりの時間にご飯が炊けた。
日本人の主食であるご飯を釜で炊くということは掃除、洗濯とともに、主婦の家事労働の一つであり、経験に基づいたノウハウによりご飯の出来栄えが左右されるものだった。タイムスイッチを使って、希望の時間にご飯が炊ける電気釜の出現は、炊飯を単に自動の電気式に変えただけでなく、主婦の家事労働にかかる時間を大幅に軽減し、しかも、上手下手にかかわらず誰にでも炊くことが可能になり、家事に未熟な主婦でも台所に立てるようになるなど、生活様式にも大きな変化をもたらした。、発売当初から売り切れ店が続出し、発売から4年後の1960(昭和35)年には、日本の全家庭の約半数にまで普及。国民的漫画『サザエさん』の一家にも東芝電気釜が登場するなど、1960(昭和30)代の一般家庭にとって、最も関心の高い家電製品となったのである。
思い起こせば、私が子供の頃はまだ、竈で羽釜を使って飯を炊いていた。竈(かまど)に大きな羽釜を据え、雑木を燃やす。湿った木はなかなか燃え上がらず、火吹き竹を使って火力を強め、吹き出したら弱火にして蒸らす。「初めチョロチョロ中パッパ」とは、ご飯の炊き方で教えられたことである。着火から蒸らし終わりまでこ1時間はかかる、一家の主婦にとって一大家事労働だったに違いない。 その後、竈がガスに変っても、釜で炊くことには変わりなかった。私は、子供の頃、家の手伝いのなかで、この、お釜を使っての飯炊きが得意であった。親から教えられたとうりに米をとぎ、火加減をしながら、炊いたが、炊き上がるまで、ずっと火の前にいたのを思い出す。当時家の中のことで忙しかった母親にとって、手間の掛かる飯炊きを私がするとものすごく喜んでくれた。それがうれしくて、得意になってしていたのだった。しかし、この日本生まれの電気釜は、日本の主婦の社会進出に貢献すると同時に家庭の主婦の朝寝坊に今も大きな貢献を果たし続けているのだろうね~。 正に東芝は「主婦に睡眠時間を」を合い言葉に、1台の電気釜で台所革命を起こしたといえるね。
(画像は「わが国初の自動式電気釜」以下参考の東芝科学館 より)
参考:
東芝科学館 - 東芝一号機ものがたり:わが国初の自動式電気釜-
http://kagakukan.toshiba.co.jp/history/1goki/1955cooker/
広告景気年表:1955年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1955.htm
炊飯器 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%87%9C
[PDF] って どんな時代?1955年
http://www.shindaiwa.co.jp/company/fabrica/fabrica21.pdf
運! なんでも鑑定団(木製電気釜 )
http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/database/lists/files/category_3154_3337.html


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4 コメント

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Unknown (Linda)
2005-12-10 10:49:07
よーさん、お早うさんです。

我が家は長い間がすの炊飯器を使っていました。

僕はやはり昔のようにお釜で炊いたご飯が懐かしいですね。特にお焦げが好きでした。炊き上がったご飯をお櫃に移し、冬はそのお櫃をふごに入れる。何時も着物を着ていたおふくろの白い割烹着を思い出しました。
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お釜のご飯 (よーさん)
2005-12-10 17:51:44
Lindaさん、昔、私達が子供の頃の米は,古米のものだったですが、それでも美味しく食べれましたね。これはやはり、お釜でじっくり時間をかけて、炊いていたせいでしょうかね~。
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55年経って、初めて使いました。 (ざわ)
2014-12-21 11:49:09
云われはわからないのですが、この電気釜の新品があります。昨日、どうしても、使わざるをえない事態になりまして、使いました。二層式の釜は、現在では見ない構造ですね。使用説明書を見ながら、使いましたが、普通に炊けました。
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すごい! (よーさん)
2014-12-28 09:23:18
ざわさん東芝が発売した初めての「電気釜」があるなんてすごいですね。
それも新品なんて。
よく残っていましたね。
骨董的価値があるんじゃないですか。
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