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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

松竹歌劇団(SKD)が、新宿の厚生年金会館で最終公演を した日

2008-02-25 | 歴史
1990(平成2)年 2月25日の今日、松竹歌劇団(SKD)のレビュー「東京踊り」が東京・新宿の厚生年金会館での舞台を最後にサヨナラ公演となった。SKDは2年後に活動を再開するが、華麗なラインダンスで人気を集めた「グランド・レビュー」はこの日が見納めとなった。
松竹歌劇団(SKD)は、宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団と並ぶ日本の三大少女歌劇のひとつとして、かつて存在した東京を代表するレビューを主とした歌劇団。浅草・国際劇場を本拠地とし、「西の宝塚・東の松竹」とも呼ばれ、戦前・戦後を通して一時代を築いていた。
SKDとは、劇団名であった「松竹歌劇団」(Shochiku Kageki Dan)の略称。かつて、宝塚歌劇団と同じ関西でしのぎを削り、「歌の宝塚、ダンスのOSK」と並び称されていたOSK(以前の劇団名であった「大阪松竹歌劇団」(Osaka Shochiku Kagekidan の略称)とは、姉妹会社である。同じ松竹が経営していたSKDは、OSKの後に東京を本拠とする劇団としてつくられたもので、大阪本拠のOSKとの棲み分けを図っていた。このOSKのことについては、OSK日本歌劇団を見てください。
1922(大正11)年4月に、大阪にて松竹合名社分室に松竹楽劇部生徒養成所が生まれた。これは、後の大阪松竹少女歌劇団(OSK。現在の日本歌劇団)の前身で、1923(大正12)年5月には、第1回公演を行っている。1928(昭和 3)年8月、OSKの『虹の踊り』が浅草松竹座にて高い人気を集めたのをきっかけに、浅草松竹座の支配人が東京でも別に楽劇部を作ることを勧め、同年10月12日 東京松竹楽劇部が発足。10月に有名な水の江瀧子を含む16名を一期生として採用。しかし、当初は、一本立ちするには難しく、大阪組の東京公演時に合流・助演という形での応援出演からスタートし、翌1929(昭和 4)年11月の浅草松竹座での公演から正式に活動を開始。次いで新宿松竹座にも出演した。 (以下参考に記載の「浅草松竹座」参照)
1930(昭和 5)年4月 恒例の「東京踊り」公演を浅草松竹座と帝国劇場で開始。名古屋松竹座へも出張公演を開始。メンバーも月を重ねる事に増加し、東京一の大レビュー団に成長。同年9月 水の江滝子が髪型を刈り上げ、「男装の麗人」で登場。多くのファンを魅了する。そして、 10月には 松組・竹組の二組制となり、翌年1月には梅組・桜組を新設し、四組制になる。 1932(昭和 7)年7月 松竹少女歌劇部(略称・SSK)に改称。 絶頂期を迎えるが、翌1933(昭和 8)年6月 松竹少女歌劇団の少女達が労働争議団を結成し、待遇改善を巡る労働争議を起こした。委員長には、当時まだ18歳の水の江が選ばれていた。労働争議の中心人物である彼女の愛称にちなんで「ターキー・ストライキ」の異称もあるようだ。その2年ほど前には爆発的な人気が出て、いよいよ上り調子の最中のこと。いわば超アイドルの争議委員長が誕生したわけである。アサヒクロニクル「週刊20世紀」によると、これを「桃色争議」と呼んだマスコミも含めて世の中は好意的な興味を持って成り行きを注目したというが、後年彼女自身は、「私達には別に不満はなかった。楽士さんたちの待遇があんまりひどいというので、じゃ、可哀想だからって応援しただけ」と回顧しているという。発端は待遇改善を求める数十人の学士たちと会社側との争いだったが、思想弾圧が激しさを増す反面、映画館や芝居小屋でも労働争議が続いていた時世。彼女がいうところの「ホンモノの共産党」が直ぐ肩入れする。すると待遇についての少女達の日頃の不満も覚醒し、たちまち、争議は本格化したという。「演説の台本は共産党が書いてくれた。難しい言葉なんだ、専門用語が。でも若いからすぐ覚えて、時々、自分の感情を入れてやったりして、おもしろかったね」とそんな回想ばかりすることもあって、彼女は、操り人形だと評されることが多いが、しかし、間違いなく、彼女は、強い自我と義侠心をもつ強い闘士であったらしい。(詳しくは桃色争議を参照)このことから、同年7月 には松竹本社の直轄となり、松竹少女歌劇団となる。1934(昭和 9)年9月 本拠を(新宿第一劇場に、1937(昭和12)年7月に浅草国際劇場に移した。
しかし、1941(昭和16)年太平洋戦争に突入。1944(昭和19)年3月 戦時体制の強化に伴い、国際劇場が閉鎖されまた退団者も相次いだため、解散。 残留者により「松竹芸能本部女子挺身隊」が組織され、各地の慰問に派遣(以下参考に記載の「女子挺身勤労令」参照)。翌1945(昭和2)年にはその一部が、「松竹舞踊隊」の名で浅草大勝館等のアトラクションに出演するなどして凌いでいたという。 同年8月終戦を迎え、10月には松竹歌劇団(SKD)に改称の上、復活、浅草大勝館で公演を行っていたが、 1947(昭和22)年11月 国際劇場が復興。 国際劇場の大舞台を最大限に利用した「屋台崩し」(舞台上の建物が崩れ落ちるさまを見せる仕掛け)や15間の舞台にずらりと並んだラインダンス「アトミックガールズ」、踊りの上手な精鋭団員8名で構成された妖艶かつ華麗なダンス「エイト・ピーチェス」(踊りの上手い団員8名で結成されていたチーム)、本物の水を大量に使用した大滝のセットなど見る者全てを魅了した舞台は東京名物ともなった。定期公演の一部は必ず日本舞踊や日本の地域の祭りをフィーチャー(feature。呼び物となる企画)した舞台が組み込まれ、外国人観光客にも好評だった。しかし、かっては、水の江瀧子、川路竜子、小月冴子(おづきさえこ)などの大スターを生んだSKDフランチャイズも1965(昭和40)年をピークに客足は遠のき、1970年代に入ると娯楽の多様化などに伴い、本拠地・浅草と共に斜陽化。宝塚歌劇のような恒常的な女性ファンも付かなくなり、次第にはとバスの観光客で糊口を凌ぐようになっていった。既に毎年多額の赤字を出しており、1981(昭和56)年2月有楽町の日劇が、施設の老朽化と東京都の再開発事業により閉館されたのに続いて、東京でただ1ヵ所レビューを続けていた浅草國際劇場は9月17日、松竹労使の交渉でSKDが独立することを決める(松竹、国際劇場とのフランチャイズ契約を打ち切り)。翌年4月の「春のおどり」を最後に、レビュー館としての役目を終えることとなった。そして、1982(昭和57)年4月15日、最後の公演「第51回東京踊り」には4000人のファンがつめかけという。
当時の華やか国際劇場の雰囲気が以下で味わえるよ。
レビュー研究室/今はなき浅草国際劇場について
http://vintaka.fc2web.com/kokusai.html
劇場閉鎖に前後してSKDは、ミュージカル劇団に転身を試みるが、ミュージカルとしての完成度は低く失敗に終わっただけでなく、従来のレビューのファンをも失う結果となったようだ。1990(平成 2)年の今日・2月25日、新宿の厚生年金会館でレビュー最終公演「東京踊り きのう・今日・明日」の上演をもって、62年に及ぶレビューの歴史に幕を下ろした。この時の全出演者のプロフィ-ル、チラシの詳細など以下参考に記載の「僕のSKDア―カイブス 」の以下のページで見ることが出来る。レビューファンには懐かしいだろう。
SKD東京踊り SKD~きのう・今日・明日 PARTⅡ /チラシ・新聞広告
http://bokuchan.fc2web.com/h02toukyouodori.html
SKD東京踊り SKD~きのう・今日・明日 PARTⅠ/全出演者のプロフィ-ル
http://bokuchan.fc2web.com/h02toukyouodorisyutuensya.html
また、当日フィナーレの団歌「さくら咲く国」の全員による大合唱は、客席のファンも口を合わせ目を潤ませれば、舞台では頬を流れる涙を拭うことも忘れた団員、嗚咽があちこちからあがり、また、皆が歌ったという。「さくら咲く国」を私は知らないが同「僕のSKDア―カイブス 」)に掲載されていたものだろう。ちょっと、聴いてみては・・・。
団歌「桜咲く国」
http://bokuchan2007.hp.infoseek.co.jp/SKDdanka.html
この公演以後2年間公演を休止して本格的にミュージカル劇団への再編を試み1992(平成 4)年6月 ミュージカル劇団再編後第一作として「賢い女の愚かな選択」を東京芸術劇場中ホールで上演するが、退団者が激増して松竹も運営の継続を断念。1996(平成 8)年6月30日を持って突如解散となる。解散から1年後の1997(平成9)年には、解散時のメンバー西紀佐江子(以下参考に記載の「竹歌劇団(SKD)OG 西紀佐江子」参照)を代表としたOG(女性の卒業生)らによって新たに薔薇笑亭SKD(バラエティSKD)が組織され、レビューの継承と新人育成を目的に、現在まで継続的に活動を行っているようだ。一方、元トップスター・千羽ちどり、高城美輝、明石薫、銀ひ乃らを中心としたSTAS(以下参考に記載のSKD OG. STAS dotREVIEW [スタス オフィシャル サイト]参照)も1992年より活動を続けており、後継団体は統一されていないのが現状である。
SKDは映画館・松竹座のアトラクション「松竹楽劇部」として組成された歴史的経緯から、その公演は国際劇場のアトラクションのひとつであり、併映した松竹映画とワンセットの興行形態だった。このため、舞台の内容はほとんどレビューのみであり、人気歌手のショウ等のバックダンサーとしても活躍した。この点から、ライバルは宝塚よりむしろ同じ東宝のNDT(日劇ダンシングチーム)であったともいえるようだ。 その日劇も1981(昭和56)年建物の老朽化により閉鎖。劇場としての歴史は現在の日劇PLEXに繋がっているものの、今ではレビューは見れない。 今の宝塚のレビューは少女趣味なものであり、SKDや日劇の時のような大人の娯楽としてのものではないので、男性のレビューファンにはちょっと寂しいだろうね~(^0^)。
最後に、余談であるが、昨日今日、1981年に米国ロサンゼルス市内で妻一美さんを銃撃・殺害(ロス疑惑参照)したとして、ロス市警によって、サイパン島で逮捕されたとして話題になっている三浦和義は、先に述べた、創業間もない松竹歌劇団(SKD)を一躍有名にした大女優水の江滝子の甥(実兄の子)にあたる人物である。そのため、舞台・映画・テレビにわたる半世紀以上の芸能生活をしていたが、甥である三浦和義が1985年にロス疑惑で世間に騒がれたのを機に引退し、本名である三浦ウメを芸名の水の江滝子に改名した・・・と言うようなことがあった。日本の裁判で無罪となっていた人物が、アメリカの裁判でどのような結果が出るのだろうか。
(画像は、1990年2月25日、東京新宿厚生年金開館でのSKDのレビュー最終公演。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
松竹歌劇団 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%AB%B9%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3
浅草松竹座
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/asakusa6k5.htm
僕のSKDア―カイブス
http://bokuchan.fc2web.com/index.html
女子挺身隊制度強化方策要綱 | 国立国会図書館-National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00549.htm
女子挺身勤労令
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jyositeisinnkinnrourei.htm
浅草・大勝館
http://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/asakusatishokan.htm
レビュー研究室/松竹歌劇団(SKD)のコーナー
http://vintaka.fc2web.com/skdmain.html
桜咲く国(1991年版) - ちどりんメモ ((松竹歌劇ファン)
http://wiki.livedoor.jp/chidori527/d/%BA%F9%BA%E9%A4%AF%B9%F1%A1%CA1991%C7%AF%C8%C7%A1%CB
松竹歌劇団(SKD)OG 西紀佐江子
http://skd2002.hp.infoseek.co.jp/
薔薇笑亭 SKD のホームページ
http://skd.hmc6.net/
SKD OG. STAS dotREVIEW [スタス オフィシャル サイト]
http://skd-og-stas.pave.jp/stas.html
OSK
http://ja.wikipedia.org/wiki/OSK

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5 コメント

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Unknown (Linda)
2008-02-26 10:23:20
よーさん、お早うさんです。
宝塚は女性のファンが多いようですが、SKDやOSKは男性ファンが多かったのでしょうか?僕はどれも見たことがありませんが(OSKは近鉄バファローズの試合の時にチアガールをしていましたかな?)宝塚など好きな人にはたまらないのでしょうね。一寸テレビで見る限り、僕は、あの男役さんの台詞の言い回しが気持ち悪いのですが。
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SKD (よーさん)
2008-02-26 15:01:23
Lindaさん、宝塚歌劇は女性客を対象とした少女歌劇的なものからはでているだけに、男性には、ちょっとと思う人も多いでしょうが、SKDの方は、ブログの中の「レビュー研究室/今はなき浅草国際劇場について」や「SKD東京踊り SKD~きのう・今日・明日 PARTⅡ /チラシ・新聞広告」などを見ても判るように宝塚よりも大がかりな舞台で、男性が見ても楽しいショー的な要素が多かったようです。だから結構男性ファンが多かったようですよ。
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はじめまして (あすか)
2012-01-12 04:24:36
風間水希(ミキ)さんの舞台を見てファンになり、彼女がSKD出身と知り、色々見ていたら、あなたのブログに目がとまりました。

風間さんはSKD時代どんな方だったのでしょうか?
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あすかさんへ (管理人)
2012-01-12 10:13:39
あすかさん、ブログ見てくれて有り難う!
ただおたずねの風間水希さんのことはよく知りません。
検索すると1966(昭和41)年生まれとか。
私など年代的なことからこのような今の若い女優(女優に限らず男優でも)には余り関心がなく、舞台どころか映画もテレビも殆ど見ないのでまったくと言ってよいほど若い人のことは知らないといえます。
お尋ねのことにこたえられず<(_ _)>
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ありがとうございます (あすか)
2012-01-12 20:33:36
わざわざ返信してくださりありがとうございます。

ブログ、色々読ませていただきました。
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