1977(昭和52)年 の今日(1月19日)、フォード米大統領が任期最後のこの日、第2次世界世界大戦中に対米宣伝放送の「東京ローズ」ことアイヴァ(郁子)戸栗・ダキノに特赦を発表した。
「東京ローズ」とは、太平洋戦争(大東亜戦争)時に日本が流したプロパガンダ放送のアナウンサーにアメリカ兵がつけた愛称である。
アイヴァ(郁子)戸栗・ダキノ(本名:戸栗郁子)は、日系アメリカ人二世としてカリフォルニア州で生まれた。カリフォルニア大学大学院在学中の1941(昭和16)年7月に叔母の見舞いに来日したが、同年12月の太平洋戦争の開戦で帰国が不可能になり、二度の戦時交換船による渡航申請にも拘わらず帰国することができなかったという。そして、生活のために1942(昭和17)年より同盟通信社の愛宕山情報受信部で外国の短波放送の傍受の仕事に就く。日本放送協会(NHK)は、この年の4月1日から南太平洋の米軍兵士向けに15分間の英語番組「ゼロ・アワー」(名称は零戦・日の丸から命名)のプロパガンダ放送を開始。彼女も、翌年からNHK海外局米州部業務班でタイピストとして勤務するなかで、オーストラリア兵やアメリカ兵捕虜他数人の女性たちと共に同番組での放送を行うようになった。この「ゼロ・アワー」での日系二世の彼女達の陽気な声とコミカルさが連合国軍兵士の評判となり「東京ローズ」の愛称ついた。当時、対連合軍プロパガンダ放送の女性アナウンサーは複数存在したため、東京ローズが誰かは不明だが、4 - 20人いたという証言もあるという。
その中で、終戦後唯一名乗り出たアイヴァ(郁子)戸栗・ダキノ(本名:戸栗郁子)が伝説上の人物として祭り上げらた。しかし、兵士が証言する東京ローズの声や発言と、アイヴァのそれとは一致しないのともいわれている。
彼女は、1945(昭和20)年7月には中立国であるポルトガル人の同盟通信社員のフィリップ・ダキノと結婚。
戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立った同じ8月30日、横須賀には米海兵隊が上陸。朝日新聞支局長であった米永祝栄氏は、その海兵団の埠頭でよこすか海軍鎮守府の丸腰の将校の上陸を待っていたという。定刻の10時より、訳0分早くマリン(海兵隊)は上陸を始めた。その上陸用舟艇で最初に上って来たのは、何とカメラマンと記者だったという。
そして、彼等の第一声が「東京ローズはどこにいる」だったのに驚いたという。(朝日クロニクル「週刊20世紀」)それほどに、米軍の間で評判になっていたのだろうね~。
戦後、「東京ローズ」と目された彼女は日米のマスコミの関心の対象となり、米従軍記者達に追い回されたあげく、米軍により、反逆罪の嫌疑をかけられ、9月5日逮捕され、巣鴨プリズン(旧東京拘置所)に1年間投獄されるが、証拠なしとして釈放される。
しかし、その後帰国した彼女は、母国アメリカで反逆罪の汚名を着せられ、、国家反逆罪で起訴され、1949(昭和24)年にカリフォルニア州・サンフランシスコで開始された裁判にかけられ、最終的に有罪を宣告され、禁錮10年と罰金1万ドルが課せられた。しかも市民権の剥奪を言い渡されるなど、アメリカ史上に名を残す反逆者となってしまったのである。
だが、この裁判自体が、陪審員制度の問題などから、終始人種的偏見に満ちたものであったようであり、1970年代には全米日系アメリカ人市民協会や在郷軍人たちによる支援活動が実って、この判決は非常に疑問視されるようになったいう。そして、1977(昭和52)年の今日(1月19日)、フォード大統領は彼女に対する特赦を発表。それまでのアイゼンハワーやジョンソン大統領などには受け入れられなかった減刑嘆願がやっと3度目に実り、彼女は60歳にして初めて、市民権を取り戻す事ができた。
日米開戦により数奇な運命を辿った彼女はシカゴに在住していたが、その彼女が、脳卒中のため90歳で死去のは、昨年(2006年)9月26日のことであった。彼女の訃報を報じているもの以下参照↓。
「東京ローズではありません」アイバさんを悼む(産経新聞)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/worldnews/21256/
この中で、彼女は、「私自身は、東京ローズと名乗ったことなど一度もありません」と言っていることが書かれている。事実、「東京ローズ」というのは、対米宣伝放送に従事した数人の女性アナウンサー達に付けられた愛称であり、何も、彼女一人を指すものではなく、声だけで実体のない存在であった。日本に来て帰国する前に、戦争となり、帰国できなくなり、日本で敵性外国人として暮らすことになってしまった彼女は、当時、宣伝放送に協力せよとの日本当局の命令には従うしかなかっただろう。それに、彼女は、当局からの圧力にもかかわらず頑としてアメリカの市民権を放棄することを拒み、日本国籍をとらなかったという。もし日本国籍を取得していればアメリカで裁判にかけられることにはならなかっかもしれないと思うとその祖国への忠誠心が、かえって仇になってしまったといえるかもしれない。
そして、一番考えさせられるのは、アメリカの裁判制度、「陪審員制度」の問題だろう。>陪審員制においては、陪審員が行った決定に基づき、量刑を決定するが、陪審員に偏見があると、裁判の結果に重大な問題を及ぼすこととなる。
日米開戦時の、「真珠湾攻撃」は日本が、宣戦布告なしに先制攻撃し、多大な被害を与えたとして、アメリカ人にとっては、忘れることのできない歴史的な出来事となっている。だから、彼女が、日系二世であるがゆえに、戦後間無しの裁判では、アメリカの陪審員達の日系人に対する見方は、相当厳しかったであろうことは察せられる。
日本もいよいよ「裁判員制度」制度が2009(平成21)年5月から開始される予定。どれくらい、偏見を持たずに市民が市民を裁く事ができるのだろうかね~。
以下参考の「東京ローズと私」は、彼女の後輩で、彼女と同じ職場でNHKの海外向け放送のアナウンサーをしていたという豊田沖人氏の回想である。
また、以下参考の「EarthStation1.com's Radio Propaganda Page」では、彼女のアナウンス音声他、豊富な写真を含むデータバンクになっている。興味のある人は一度覗かれるとよい。
(画像は、アイヴァ・郁子・戸栗・ダキノさんの取調べ時のっ写真。アメリカ公文書館蔵。画像は、 フリー百科事典Wikipediaのもの借用)
参考:
東京ローズ-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA
関心空間・東京ローズ
http://www.kanshin.com/keyword/785098
「東京ローズと私」
http://www.uclajapan.gr.jp/archives01/columns/tokyorose.htm
EarthStation1.com's Radio Propaganda Page: (こちら)には彼女のアナウンス音声他、豊富な写真を含むデータバンクになっています。
http://www.earthstation1.com/Tokyo_Rose.html
陪審制 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%AA%E5%AF%A9%E5%88%B6
東京ローズ (単行本) ドウス 昌代 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%B9-%E6%98%8C%E4%BB%A3/dp/4163442804
「東京ローズ」とは、太平洋戦争(大東亜戦争)時に日本が流したプロパガンダ放送のアナウンサーにアメリカ兵がつけた愛称である。
アイヴァ(郁子)戸栗・ダキノ(本名:戸栗郁子)は、日系アメリカ人二世としてカリフォルニア州で生まれた。カリフォルニア大学大学院在学中の1941(昭和16)年7月に叔母の見舞いに来日したが、同年12月の太平洋戦争の開戦で帰国が不可能になり、二度の戦時交換船による渡航申請にも拘わらず帰国することができなかったという。そして、生活のために1942(昭和17)年より同盟通信社の愛宕山情報受信部で外国の短波放送の傍受の仕事に就く。日本放送協会(NHK)は、この年の4月1日から南太平洋の米軍兵士向けに15分間の英語番組「ゼロ・アワー」(名称は零戦・日の丸から命名)のプロパガンダ放送を開始。彼女も、翌年からNHK海外局米州部業務班でタイピストとして勤務するなかで、オーストラリア兵やアメリカ兵捕虜他数人の女性たちと共に同番組での放送を行うようになった。この「ゼロ・アワー」での日系二世の彼女達の陽気な声とコミカルさが連合国軍兵士の評判となり「東京ローズ」の愛称ついた。当時、対連合軍プロパガンダ放送の女性アナウンサーは複数存在したため、東京ローズが誰かは不明だが、4 - 20人いたという証言もあるという。
その中で、終戦後唯一名乗り出たアイヴァ(郁子)戸栗・ダキノ(本名:戸栗郁子)が伝説上の人物として祭り上げらた。しかし、兵士が証言する東京ローズの声や発言と、アイヴァのそれとは一致しないのともいわれている。
彼女は、1945(昭和20)年7月には中立国であるポルトガル人の同盟通信社員のフィリップ・ダキノと結婚。
戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立った同じ8月30日、横須賀には米海兵隊が上陸。朝日新聞支局長であった米永祝栄氏は、その海兵団の埠頭でよこすか海軍鎮守府の丸腰の将校の上陸を待っていたという。定刻の10時より、訳0分早くマリン(海兵隊)は上陸を始めた。その上陸用舟艇で最初に上って来たのは、何とカメラマンと記者だったという。
そして、彼等の第一声が「東京ローズはどこにいる」だったのに驚いたという。(朝日クロニクル「週刊20世紀」)それほどに、米軍の間で評判になっていたのだろうね~。
戦後、「東京ローズ」と目された彼女は日米のマスコミの関心の対象となり、米従軍記者達に追い回されたあげく、米軍により、反逆罪の嫌疑をかけられ、9月5日逮捕され、巣鴨プリズン(旧東京拘置所)に1年間投獄されるが、証拠なしとして釈放される。
しかし、その後帰国した彼女は、母国アメリカで反逆罪の汚名を着せられ、、国家反逆罪で起訴され、1949(昭和24)年にカリフォルニア州・サンフランシスコで開始された裁判にかけられ、最終的に有罪を宣告され、禁錮10年と罰金1万ドルが課せられた。しかも市民権の剥奪を言い渡されるなど、アメリカ史上に名を残す反逆者となってしまったのである。
だが、この裁判自体が、陪審員制度の問題などから、終始人種的偏見に満ちたものであったようであり、1970年代には全米日系アメリカ人市民協会や在郷軍人たちによる支援活動が実って、この判決は非常に疑問視されるようになったいう。そして、1977(昭和52)年の今日(1月19日)、フォード大統領は彼女に対する特赦を発表。それまでのアイゼンハワーやジョンソン大統領などには受け入れられなかった減刑嘆願がやっと3度目に実り、彼女は60歳にして初めて、市民権を取り戻す事ができた。
日米開戦により数奇な運命を辿った彼女はシカゴに在住していたが、その彼女が、脳卒中のため90歳で死去のは、昨年(2006年)9月26日のことであった。彼女の訃報を報じているもの以下参照↓。
「東京ローズではありません」アイバさんを悼む(産経新聞)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/worldnews/21256/
この中で、彼女は、「私自身は、東京ローズと名乗ったことなど一度もありません」と言っていることが書かれている。事実、「東京ローズ」というのは、対米宣伝放送に従事した数人の女性アナウンサー達に付けられた愛称であり、何も、彼女一人を指すものではなく、声だけで実体のない存在であった。日本に来て帰国する前に、戦争となり、帰国できなくなり、日本で敵性外国人として暮らすことになってしまった彼女は、当時、宣伝放送に協力せよとの日本当局の命令には従うしかなかっただろう。それに、彼女は、当局からの圧力にもかかわらず頑としてアメリカの市民権を放棄することを拒み、日本国籍をとらなかったという。もし日本国籍を取得していればアメリカで裁判にかけられることにはならなかっかもしれないと思うとその祖国への忠誠心が、かえって仇になってしまったといえるかもしれない。
そして、一番考えさせられるのは、アメリカの裁判制度、「陪審員制度」の問題だろう。>陪審員制においては、陪審員が行った決定に基づき、量刑を決定するが、陪審員に偏見があると、裁判の結果に重大な問題を及ぼすこととなる。
日米開戦時の、「真珠湾攻撃」は日本が、宣戦布告なしに先制攻撃し、多大な被害を与えたとして、アメリカ人にとっては、忘れることのできない歴史的な出来事となっている。だから、彼女が、日系二世であるがゆえに、戦後間無しの裁判では、アメリカの陪審員達の日系人に対する見方は、相当厳しかったであろうことは察せられる。
日本もいよいよ「裁判員制度」制度が2009(平成21)年5月から開始される予定。どれくらい、偏見を持たずに市民が市民を裁く事ができるのだろうかね~。
以下参考の「東京ローズと私」は、彼女の後輩で、彼女と同じ職場でNHKの海外向け放送のアナウンサーをしていたという豊田沖人氏の回想である。
また、以下参考の「EarthStation1.com's Radio Propaganda Page」では、彼女のアナウンス音声他、豊富な写真を含むデータバンクになっている。興味のある人は一度覗かれるとよい。
(画像は、アイヴァ・郁子・戸栗・ダキノさんの取調べ時のっ写真。アメリカ公文書館蔵。画像は、 フリー百科事典Wikipediaのもの借用)
参考:
東京ローズ-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA
関心空間・東京ローズ
http://www.kanshin.com/keyword/785098
「東京ローズと私」
http://www.uclajapan.gr.jp/archives01/columns/tokyorose.htm
EarthStation1.com's Radio Propaganda Page: (こちら)には彼女のアナウンス音声他、豊富な写真を含むデータバンクになっています。
http://www.earthstation1.com/Tokyo_Rose.html
陪審制 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%AA%E5%AF%A9%E5%88%B6
東京ローズ (単行本) ドウス 昌代 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%B9-%E6%98%8C%E4%BB%A3/dp/4163442804
偏見を持った人が人を裁くことは怖い結果を招くことがあるでしょうね。裁判官だって偏見を持っていないとは限らないと思いますが、知識があります。無知なうえ、偏見に満ちた人たちが裁判員に偶然多く選ばれることがあれば・・・、裁判員制度の怖さを感じます。
私なんかでも、偏見はもっていないつもりでも、ニュースなどで流されている報道などから、全く、影響されずに、中立的に公平な判断ができるかどうかは、自信がありませんよ。