今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「マリリン・モンロー(米国・女優)」が元プロ野球選手のジョー・ディマジオと結婚

2006-01-14 | 人物
1954年の今日(1月14日 )、「 マリリン・モンロー(米国・女優)」が元プロ野球選手のジョー・ディマジオと結婚。同年に離婚 。
マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)、1926年6月1日 、ロサンゼルスで生まれ。本名、ノーマ・ジーン・モーテンソン、その後改名してノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)。私生児として生まれ、不幸な幼少期を過ごす。1946年から映画に端役で出演。身長166.4cm 体重53.5kg B94 W61 H86の見事なスタイルに、トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ・・・。それに、1953年の「ナイアガラ」で見せた「モンロー・ウオーク」と呼ばれた独特な歩き方が評判になり、「紳士は金髪がお好き」でトップに躍り出る。以来、豊かな肉体とあどけない要望で世界の「セックス・シンボル」に。ちなみに本当の髪の色はブロンドではなく褐色(ブルネット)であったとか。
1954年1月14日 、マリリン・モンロー(当時27歳)が、元プロ野球選手のジョー・ディマジオ(38歳)と結婚。 彼女は、16歳(1942年)の時に、近所の高校時代の先輩で20歳の航空機整備士、ジム・ドゥアティと結婚したが、20歳(1946年)の時、20世紀フォックスと契約・芸名マリリン・モンローとなったときに、離婚している。二人目の夫となった、ジョー・ディマジオ(Joe DiMaggio )は、2年前の1952年には野球界を既に引退していたが、現役時代には、56試合連続安打という記録を持ち、ベーブ・ルースに匹敵する存在であったアメリカ・野球界のスーパー・ヒーロー。野球ファンにとっては神様のような存在であった。彼はある日、野球場でポーズをとるマリリンの写真を雑誌で見て、彼女をディナーに誘った。最初、マリリンは余りディマジオに興味はなかったようだが、ディマジオが積極的にアプローチし、やがて二人は親しい関係になったという。そのモンローとデイマジオの2人が、結婚をした同、1954(昭和29)、年2月1日、日本に来日。既に世界的な人気者となっていた彼女を見ようと、羽田空港には、約200人近い報道陣、ファン、GIなどが集まった。新婚旅行中の2人は、東京・帝国ホテルに宿泊。モンローはこの後日本を離れ、2月中旬にアメリカ軍の朝鮮部隊を慰問している。デイマジオは、野球指導のため日本に、2月下旬まで滞在した。この年8月13日ロバート・ミッチャムとマリリ・モンローが競演した西部劇「帰らざる河」が日本で公開された。モンローが演じる酒場の芸人ケイが後にヒットした主題歌を歌うシーンは、彼女の魅力を余すところなく表現していた。ジョー・ディマジオでなくても世界中の男性が一目ぼれするよ。しかし、そんな映画界の女神と野球の神様との結婚生活は、わずか9ヶ月しか、もたず、この年10月に2人は離婚している。なんでも、噂では、彼女は、デイマジオの「肉体」面では非常に満足していたのだが彼の「知性」に満足できなかったと言われている。サンフランシスコ近郊の漁師の家に生まれ、野球しか知らずに育ったデイマジオに、彼女が求めていた「知性」が及ばなかったのだとか・・・。又、彼は、異常なまでに嫉妬深い性格で、日本への新婚旅行で、空港に訪れたファンがマリリンにしか注目せず、自分は無視された・・そんな状況に嫉妬した。或いは、翌年封切られる「七年目の浮気」の撮影中のスカートシーンが原因になったとか。あの有名な地下鉄通風孔の上に立つ、マリリンのスカートが風であおられて顔面まで舞い上がるシーンを見て、野卑な声ではやしたてる何千という見物人の中にいたディマジオは、撮影後、マリリンとホテルで大喧嘩をしたと言われる。それが、家庭内で暴力にも及んでいたと言われている。
ディマジオとの離婚後、モンローは作家アーサー・ミラーと結婚するも、2度の流産などがあり破局。就任間もないケネディ大統領との関係なども噂されたが、1962年8月5日の早朝、モンローは自宅で全裸の遺体となって発見される。(36歳)。検視官は「睡眠薬の多量服用による自殺」と発表しているが、謀殺説も根強い。彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られており、電話局からは通話記録、そして、マリリンの日記も消えていたという。一般人には、電話の通話記録の改ざん、隠蔽を行うことが難しいことから、かなりの政治力の持ち主が関わっていた可能性が大きいとされ、ケネディ一家、マフィア、政府が彼女の死に関わったという陰謀説までモンローの死因には様々な憶測が飛び交っている。
1960年から1961年にかけて、マリリンとディマジオはよりを戻していたともいわれる。マリリンが遺体となって発見されたとき、その場に立ち会ったのはディマジオだったそうだ。遺体はジョー・ディマジオが引き取り、葬儀はディマジオがとりしきり、ハリウッドの見世物となるのを拒んだのだという。そして、ひとり彼女の棺の前で一晩中泣き続けたそうだ。彼女の亡骸はロサンゼルスにあるウエストウッドメモリアルパークに埋葬され、そこには毎日・ディマジオからのバラの花が絶えることはなかったという。
そのジョー・ディマジオは1999年3月8日、米フロリダ州ハリウッドで84歳で死去した。彼が、死ぬ間際に残した最後の言葉は「やっとマリリンに会える」 「あの世でやっとマリリンに会える…」-と、離婚した元妻の故マリリン・モンローへの思いであったことが、米誌バニティー・フェアの記事で明らかになったそうだ。晩年のディマジオは、最愛の人を失ったことを後悔する日々だったという。
何を着て寝てますか?」と聞かれて、「シャネルの5番よ」(つまりは裸)という冗談を言っただけで、世間が大騒ぎした。波乱万丈の生い立ち、スターとしての生き様、結婚とゴシップ、そして、永遠に若さをとどめた謎の死。ファンの心を捉えて離さなかった20世紀を代表するスーパースターマリリン・モンロー。彼女は、よく、「モンロー・ウオーク」や小さなホクロに注目され、余り頭の良くないふしだらな女優。単なる「セックス・シンボル」と見られているが、一方で、目の肥えた人は、モンローの演技を絶賛しているという。あのもろく小さなささやき声を、わざとらしい芝居と捉えるか、それともモンローなりの「芸」と捉えるかの問題で、モンローは役作りにかけては熱心だったという。来日したときには、記者陣のインタビューに、落ち着き払って、どんな質問にも即答し、その機転を利かせた発言からは、肉体派のバカな役柄とは裏腹に、聡明さがうかがえたともいう。
彼女に接した人たちが皆彼女のとりこになったと言われるが、多くの男性の中でも、本当に愛していた男性は、彼女にとっても、ジョー・ディマジオその人ではなかったかと言われている。
(画像は、映画・西部劇「帰えらざる河」1954年米20世紀フォックス作品。モンローが酒場のケイを演じ、主題歌を歌っているシーン。朝日クロニカル・週刊20世紀より)」
参考:
マリリン・モンロー
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/marilyn-monroe.htm
マリリン・モンロー Marilyn Monroe
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/m-monroe.html
HWT DATA FILES - Marilyn Monroe / ジョー・ディマジオとの結婚
http://www.heatwave-toys.com/datafiles/legend/monroe-ref-joe.shtml
井上篤夫の眼 - JOE DIMAGGIO ジョー・ディマジオ
http://www.ainoue.com/a-z/d2.html
Cinema Clip:TOPICS
w.sankei.co.jp/mov/db/2000d/0811backup_e.html


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (オーロラ姫)
2006-01-15 18:52:22
マリリン・モンローのデヴューは確か「イヴの総て」で女優志願の役でしたね まだ縁起が初々しい感じがしました

遺作は「荒馬と女」でこの中で演じていたマリリンがとても心拍迫っていたように思います 若い頃に見ましたがマリリンのことを世間ではセックス・シンボルって言っていましたが本当は誠実で優しい人なのに理解してあげない大人たちに悲しい思いをしました

同じ女としてやはり大好きな女優さんです

お出かけする時はせめて少しでもマリリンのように素敵になりたくてシャネルの五番をちょっとシュッと吹きかけます
返信する
Unknown (オーロラ姫)
2006-01-15 18:54:47
転換間違い

縁起→演技です
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。