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続:蘇我入鹿 (廷臣,蘇我蝦夷の子) が中大兄皇子らにより殺害された日

2008-06-12 | 歴史
舒明天皇擁立を見ても、蝦夷は皇族や諸豪族との融和を重視していたところがあり、また、蝦夷・入鹿親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたということについても、2005年(平成17年)から始まった発掘調査の結果、飛鳥甘樫丘で蘇我入鹿の邸宅が、「谷の宮門(たにのみかど)」の谷の宮門で兵舎と武器庫の存在が確認されたという。
唐が朝鮮半島へ影響力を及ぼしていることから、倭国も唐の脅威にさらされているという危機感を蘇我氏は持っていた。そのため従来の百済一辺倒の外交を改め各国と協調外交を考えていた。それに対し、従来の「百済重視」の外交路線をとる中臣鎌足や中大兄皇子ら保守派が「開明派」の蘇我氏を倒したと言うのである。このクーデターで、蘇我氏打倒後、保守派は百済重視外交を推し進め、白村江の戦いで敗れそれが破綻する。今ではいわゆる「大化の改新」もその後に行われたと考えられている。
このことは、2007年(平成19年)NHKスペシャルで、とりあげられていた。以下参照。
[大化改新 隠された真相 ~飛鳥発掘調査報告~](NHKオンライン)
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070202.html
結果的に、中大兄が蘇我氏族内の内部対立を利用して、その勢力をそぎ、天皇家の力を伸ばしていった可能性は高い。また、中央集権的な律令国家を目指して行われたという大化改新の一連の改革も、今では『日本書紀』編者による創作が疑われている。実際に律令制度が完成したのは、大宝律令からであり、その大宝律令と重ね合わせて解りやすく『日本書紀』には記述(捏造)した可能性が高いともいわれており、これは藤原不比等が、父親である藤原鎌足の功績を高く評価させたためではないかとも考えられている。
そして、蘇我蝦夷の蝦夷は、蝦夷と同じ漢字であり日本人によって異族視されていた人々に対する蔑称である。蘇我蝦夷・入鹿など死後、中大兄皇子らによってこれまでの名前を資料とともに消され、新たに卑しい名前として勝手に名付けられたという説もある。もともと、ヤマト政権は大王(天皇)を中心として、大和(奈良地方)や河内(かわち。大阪府の北東部)とその周辺に勢力をもった豪族たちによって成り立っていた。(以下参考に記載の日本史入門サイト 歴史の扉■第7章:大和政権と豪族参照)。大王にしても、もともと渡来人の中の力の強いものがついたものであろう。大王より勢力のある当時の蘇我氏が大王になっても何の不思議もなかったであろう。古代歴史を色々研究している人の中には、そのようなことを説く人も少なくはないようだ。
(画像は、甘樫丘。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
Wikipedia - 大化の改新
http://ja.wikipedia.org/wiki/大化の改新
ヤマト王権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9
明日香村(飛鳥の寺院・宮跡)
http://www.begin.or.jp/sakura/asuka4.htm
万葉散歩/飛鳥逍遥/甘樫丘東麓遺跡 飛鳥板蓋宮伝承地 (蘇我入鹿暗殺事件)
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/27.htm
三韓- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93
朝貢 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E8%B2%A2
●日本書紀
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O034C200.HTM
●法興寺 
http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q328L300.HTM
飛鳥寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E5%AF%BA
※上宮王家の終焉
http://www.pluto.dti.ne.jp/~miopon/history.html#jyouguu
複都制 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E9%83%BD%E5%88%B6
日本史授業拾遺■飛鳥時代
http://www3.oninet.ne.jp/i_gokan/PRINT/index.htm
日本史入門サイト 歴史の扉
http://www2.odn.ne.jp/~rekisinotobira/index.html
中村幸雄論集 新「大化改新」論争の提唱
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakamura/nakamur4.html
阿毎多利思北孤
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/shotoku/ametartshihiko.htm
蘇我入鹿とは何者か?
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/taika.html
倭国と日本国の関係史
http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/index.html
日本書紀(朝日新聞社本)
http://www.j-texts.com/sheet/shoki.html
私本日本書紀‐目次‐
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki.html
上宮聖徳法王帝説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E8%81%96%E5%BE%B3%E6%B3%95%E7%8E%8B%E5%B8%9D%E8%AA%AC
Category:日本の歴史書 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8


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2 コメント

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権力 (ゆうさん)
2008-06-13 06:46:41
よーさん、お早うさんです。
権力を得るためには、今も昔もマキアヴェリズムが幅を利かしたんですね。そして手に入れるとそれを美化するのは権力者みんなにいえることですね。
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マキアヴェリズム (よーさん)
2008-06-14 07:34:25
ゆうさんのいわれるとおりですね。
明治維新も勝てば官軍でしたからね。
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