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池田勇人通産相が衆議院で「中小企業の倒産・自殺もやむを得ない」と発言した日

2006-11-27 | 歴史
1952(昭和27)年の今日(11月27日)、池田勇人通産相に対して、日本社会党加藤勘十の「中小企業発言」(1950年3月の「中小企業の一部倒産もやむを得ない」発言)の確認に対し「経済原則に違反して、不法投機した人間が倒産してもやむを得ない」と再発言。翌日、不信任案が提出され可決。29日に辞任した。
池田勇人(いけだ はやと)は、京都帝国大学を卒業して大蔵省に入り、主計局長、大蔵事務次官等を務めて、1949年衆議院議員に当選。 翌年2月16日成立の第3次吉田内閣で、1年生議員でありながら吉田茂が党内の反対を押し切って大蔵大臣に抜擢。1950年2月には通商産業大臣を兼務。1949年3月ジョゼフ・ドッジと会談し、ともにドッジ・ラインを実施。 1954年自由党幹事長に就任。1958年6月12日第2次岸内閣成立。岸信介内閣の蔵相、のち国務相、通産相を歴任。1960年7月岸信介内閣総辞職。 第58代内閣総理大臣に就任から第60代と3期にわたり内閣総理大臣を勤めた。同じ大蔵官僚であった野田卯一福田赳夫と共に、「大蔵省の3田」と呼ばれれた人。戦後、吉田茂の側近の一人として、連合国との講和、冷戦下における日米関係の構築にかかわると同時に、 戦後日本経済の再編成においても指導的な役割を担い、首相就任後は1960年に、所得倍増計画を打ち出して、日本の高度経済成長の進展にもっとも大きな役割を果たした政治家の一人として知られている。1960年11月20日の第29回総選挙に先立って自民党のテレビCMに登場した際は「私は嘘は申しません」と発言。この言葉は「所得倍増」と共に一躍流行語にもなった明言といえるだろう。
所得倍増計画は、1960年、池田内閣の下で策定された長期経済計画であるが、閣議決定された際の名称は国民所得倍増計画という。この計画では、翌1961年からの10年間に実質国民所得国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標に掲げたものであり、この計画は、岸信介内閣の安保政策重視から一転、経済政策を前面に押し出す格好となった。
国民所得倍増計画の目的は、輸出増進による外貨獲得を主要な手段として国民所得(国民総生産)を倍増させ、これによって雇用を拡大し、失業問題を解決する(完全雇用を目指す)ことで生活水準を引上げることにあった。またこの過程で地域間・産業間における所得格差の是正もその目的とされていた。 具体的には、農業近代化、中小企業の近代化、経済的な後進地域の開発(工業の分散)である。
計画の数値目標は1960年度の国民総生産額である13兆6千億円の2倍、26兆円を10年以内に達成するというものであり、1960年度から年間平均9%の経済成長率を維持し、以後3年で17兆6千億円に到達させることが中期目標とされた。しかし日本経済は予想以上の驚異的な経済成長を遂げ、実質国民総生産は約6年で国民1人当り実質国民所得は7年で倍増を達成。計画2年目の1961年度には早くも目標が達成されてしまった。ただし物価の方も倍になったのでは・・・?。
「私は嘘は申しません」と発言したとおり「所得倍増」を達成した池田であるが、このような明言と実行力は別に、「中小企業の一部倒産もやむを得ない」「貧乏人は麦を喰え」や「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」などの迷言も残っている。
ただ、これらの迷言については、「貧乏人」という言葉も、「麦を食え」という言葉も使ってはいないのであり、マスコミなどにより、かなり本人の言わんとする趣旨とは違った形で報道されているようだ。
実際には、1950(昭和50)年3月1日の記者会見の際に、大蔵大臣だった池田は、「中小企業の経営が最近厳しくなったことは認める。しかし、一度は通らなければならない関門だ。信用が無くて銀行から金を借りられないのは経営者の責任で、政府の責任ではない。その為企業がつぶれても仕方がない」というものだったといわれる。翌日の予算委員会で各新聞紙上に報道された談話について聞かれ「5人や10人倒産し、自殺してみても国民全体の数から見れば、大したことではない。今は企業の整理期で財政事情を変える時ではない」と話したことなどが、マスコミには池田の答弁が、「中小企業の五人や十人、倒産してもやむを得ない」とだけ報じられる事になったようだ。又、野党の社会党や民主党は一斉に反発し、4日の衆院本会議に池田蔵相兼通産省の不信任案を提出。与党自由党内にも責任を問う声があったが、吉田首相はこれを抑え、不信任案は否決された。
そして、同年12月7日の参議院の予算委員会においては、木村禧八郎議員の米価および麦価に関する質問に答弁する際に「御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいの。パーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」。」と発言したものを、これが「貧乏人は麦を食え」と伝わったため、失言として、マスコミから強い批判を受けた。この発言の真意は、池田が小さい頃から麦食であったため、お互いに苦しいときは麦飯を食べて頑張ろうではないかというものであったよいうだ。
その2年後の、1952年11月27日 には、日本社会党加藤勘十の「中小企業発言」の確認に対し「中小企業者が倒産し、思いあまって自殺するようなことがあってもやむをえない」と再発言。これに対して、翌日、野党が不信任案を提出。与党の中の反主流派(反吉田色のつよい三木、河野、石橋派など)の一部欠席もあり、不信任案が衆院で可決されたのを受け、通産相を29日に辞任した。
このことは、以下参考の「衆議院会議録情報 」や「現実無視の陥穽は避けつつ」を見ると良くわかる。「現実無視の陥穽は避けつつ」によると当時は以下のような状況だったのである。
1945年に戦争が終わり、日銀引受の公債による復興が図られた結果、日本経済は劇的な物価高騰に見舞われた。1948年、GHQ は経済安定9原則を指令、1949年のドッジ・ライン施行によって物価は安定したものの、徴税強化と通貨供給量の減少により安定恐慌に陥っていた。そして1950年、朝鮮戦争が勃発。再びインフレが加速しつつあり、景気好転の兆しが現れたため政府財政の大幅な改善が見込まれ、減税が計画された。一方、インフレから庶民の最低限の生活を守るため、1950年当時、政府は米価の統制を行っていた。その結果、日本米の価格は諸外国と比較して異常に安価となっていた。そして、安価な小麦・大麦の価格は、概ね諸外国と同等であった。こうした価格統制の結果、各自の収入に関係なく国民の米・麦消費比率が一定となっていた。米価統制は農民に大きな負担となっており、また生産者価格のみ引き上げて消費者価格を据え置けば政府の負担が大きい。
そこで、経済が好転してきた機会を捉え、政府は減税の実施とともに米価の段階的引き上げを画策する。これに対し、野党ガ米価引き上げに異議を唱えていくことになる。
そして、消費者物価の上昇があるのでインフレであるから引き締め政策を採るべきだとする議員に対して、経済に強い池田は「卸売物価が上がっていないのでインフレではない、消費者物価が上昇するのはサービス価格の上昇によるもので経済が豊かになるにつれて当然起こる正常なもの、コメの値段が上がって困るというがムギの値段は上がっていない」と回答。これを野党とかマスコミが「貧乏人はムギを食えと言うことか」と大反発し、それがいつの間にか「池田勇人が貧乏人はムギを食えと言った」と言うことになってしまったもののようである。マスコミの報道にはややもすると扇動的なところがあるのは今も昔も変わらないようだね。
でも、今は、貧乏人よりもむしろ、お金持ちの人の方が健康などに配慮して麦飯を食べているのではないかな?
(画像は、池田勇人肖像。首相官邸HP歴代総理の写真と経歴 より)
参考:
池田勇人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA
ドッジ・ライン- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
衆議院会議録情報 第007回国会 予算委員会 第19号/昭和二十五年三月二日(木曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0514/00703020514019c.html
衆議院会議録情報 第007回国会 本会議 第21号/昭和二十五年三月四日(土曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0512/00703040512021c.html
現実無視の陥穽は避けつつ
http://deztec.jp/design/05/11/25_real.html
1950年当時の主なできごと.事件年表
http://www.gameou.com/~rendaico/toshi/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_12.htm
ドッジ、経済安定9原則実施について声明 / クリック 20世紀
http://www.c20.jp/1949/03dodge.html
経済安定9原則の実施に伴う物価政策の方針
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00951.htm
データベース『世界と日本』 戦後日本政治・国際関係データベース 東京 ...演説種別] 経済演説
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/em/19490404.SZJ.html
所得倍増計画
http://study.masm.jp/%BD%EA%C6%C0%C7%DC%C1%FD%B7%D7%B2%E8/
首相官邸・内閣制度と歴代内閣
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/showa20.html
楽しく学ぼう大麦のこと「大麦探検島」|大麦歴史博物館
http://www.oh-mugi.com/tankenjima/history/index.html

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3 コメント

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 (Linda)
2006-11-28 10:42:07
よーさん、お早うさんです。
子供の頃、親父が昔の政治家は本気で国のことを考えていたのに、今は井戸塀なんて考えられないとよく怒っていました。それでも、今の政治屋より未だ骨っぽかったような気がします。政策に反対して除名されたのに、また雁首をそろえて復党願い。おまけに反省文まで出すとは・・・。連中に投票した有権者は虚仮にされているようなものですね。投票した人もあまり深く考えずに投票したのでしょうが・・。そんな動きに対して党首は我関せず。出鱈目が大手を振って歩く国ですね。
今時の政治家は・・ (ザ・ランス(石原))
2006-11-28 18:28:15
Lindaさん、「今時の若いもんは・・」というグチは、古代エジプトにも既にあったそうですね。ちょっと、それに似てるような気がしました。
 でも、そうだとすると、コイズミやアベもずっと将来には「立派な政治家だった」ということになるんかな(^^);;;

政治家? (よーさん)
2006-11-29 09:29:15
Lindaさん、ザ・ランスさん、自分より若い年代が頼りなく見えるのは、年の瀬だろうし、また、当然層でないと困ると思う。そう思わない人は,その人が年齢相応の成長をしていないからでしょう。
ただ、今と昔の政治家(政治家だけではないが)の違いは、昔の人には、誇りと言うものがあったと思います。お金に欲のある人は今も昔も同じだろうが、やはり、自分の信念と誇りにかけて何事もやっていたと思います。ところが、今の政治家だけではないが、ただの面子だとか、世間体は気にしても確たる信念ややそれを押しとおす気概、又誇りなどというものを持ち合わせていないように思います。

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