1998(平成10)年の今日(4月5日)10年の歳月と約5000億円を投じて建設された世界最長の橋吊り「明石海峡大橋」が開通した。これで、神戸(神戸市垂水区)と淡路島(兵庫県淡路市〔旧津名郡淡路町〕)が繋がり、1985(昭和60)年に完成した淡路島と徳島を結ぶ大鳴門橋を合わせて神戸ー鳴門ルートが全線開通。神戸徳島間は1時間40分とほぼ半分になった。全長3,911m、中央支間長((主塔間、塔と塔の距離)の長さ1,991mは世界最長。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、国内では東京タワー(333.0m)に次ぐ構造物である。建設当初は全長3,910m、中央支間1,990mであったが、1995(平成 7)年1月17日の阪神・淡路大震災で地盤がずれ、1m伸びた(阪神大震災の影響参照)。潮流が激しく、水深が深い明石海峡に、橋梁技術の粋が集められ、建設された。世界第2位の吊橋であるデンマークのグレートベルト橋と姉妹橋縁組みをしている(吊り橋の一覧参照)。
当初、中央径間長1,780mの道路・鉄道併用橋とする計画であったが、建設費用の問題から1985(昭和60)年8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、現在の中央支間長となった。
工事期間は本格工事10年。工事従事者は延べ約210万人。鋼材は約20万トン。コンクリートは約42万立方メートル。1988年開通の児島ー坂出ルートと1999年開通の尾道ー今治ルートで「四国三橋時代」を迎えるが、1998年3月に発表された「全国総合開発計画」(5全総)では、さらに和歌山ー淡路島の「紀淡」ルートと大分ー愛媛の「豊予」ルートの海峡横断大橋を完成させ、将来的には「四国五橋」にする構想であった。管理者は本州四国連絡高速道路株式会社(愛称はJB本四高速。JBはJapan Bridgeの略)である。現在、本社は兵庫県神戸市中央区にある。本州四国連絡橋個々の概説は同社HP本州四国連絡橋の紹介参照)
明石海峡大橋は、公募により愛称がパールブリッジと定められたが、地元でもこの名前で呼ぶ人は少ないが、夜はその愛称の名に相応しく文字通り異彩を放つている。
明石海峡大橋のケーブルには光の三原色のイルミネーションランプが1084組取り付けられており、季節や日時に応じて彩りを変えている。(国際的な照明デザイナーである石井幹子が担当)ライトアップは日没から24時まで。橋が日本標準時子午線近くにあることから、毎正時と毎30分にも点灯している。(ライトアップパターンはJB本四高速HPのここを参照)又、神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナード(以下参考に記載の「舞子公園」参照)という遊歩道、展望台が設けられている。橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで上り海面からの高さ47mへ上がり、そこから海側約150mまで行くことができる。途中、床が透明になっている部分もあり直接海面を望むことができる。以下参考に記載の「明石海峡大橋(パールブリッジ) 吊り橋の壁紙写真 」では、その美しい景観が見れるので覗いて、みると良い。
鳴門ー淡路・淡路ー神戸間を結ぶ架橋構想自体は戦前からあったが、技術的など当時の事情から立ち消えになっていた。この橋を最初に構想したのは、戦後の1949(昭和24)年に、神戸市長となった原口忠次郎(プロフィールは以下参考に記載の「銅像 原口忠次郎」参照)だといわれている。戦前に内務省神戸土木出張所長を務め、終戦直後の神戸市局長、翌年復興本部長を経て、神戸市助役を務め市長となった原口(工学博士でもある)は神戸-鳴門間の架橋建設に執念を燃やし続け「市長は夢を見ているのか」と批判されたことに対し「人生、すべて夢なくては」と言ったことから夢の架け橋と呼ばれるようになったとされてる。戦後神戸の街づくりを語るとき彼抜きでは語れない。「山、海へ行く」大構想の下にポートアイランドなど建設がされたのも彼の発想からである。
1988(昭和63)3月13日、北海道と本州を結ぶ青函トンネルが開通、4月1日には四国と本州をつなぐ瀬戸大橋が開通し、日本列島は北から南まで鉄路で結ばれた。この2つの開通は明治・大正の時代から構想されてはいたものの、直接には、1954(昭和29)年の台風15号の暴風雨をついて出向した青函連絡船・洞爺丸の座礁・転覆事故、その1年後の1955年5月11日の高松港を出向した国鉄宇高連絡線の紫雲丸が濃霧の中、貨物航送中の第三宇高丸と衝突し転覆、修学旅行中の中学生ら168人が犠牲になるという2つの海難事故がきっかけが引き金となった。難工事のため莫大な費用(工費600億の予算の倍以上)と長期を要して青函トンネルが完成し道民の悲願が実現した頃には周りの環境がすっかり変り、航空機に客を取られ、大赤字。瀬戸大橋も事情は似たようなものであったが、それにもかかわらず、本州四国連絡橋は、1998年のこの「神戸鳴門ルート」で世界一の明石海峡大橋を、翌1999年に「尾道ー今治ルート」で来島海峡大橋が完成したが、どの橋でも自動車の交通量は当初の見込みを下回っており、また、期待された「架橋効果」を四国にもたらすまでにはなっておらず、「世紀の大事業」もいまや年間数十億もの維持費に泣かされお荷物状態である。特に、最後の2つなど、予想を下回ったというよりも、むしろ、もともとの計画があるから造ったといった感じである。最近の詳しい状況は良くわからないが、2002(平成14)年7月の、道路関係四公団民営化推進委員会の第4回議事要旨など見て推測してみてください。
道路関係四公団民営化推進委員会第4回議事要旨(速報版)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai4/4gijiyousi.html
橋の開業によって、本州と淡路島を結ぶフェリーは次々と廃止され、2007年2月以降は、明石淡路フェリー(愛称:たこフェリー)が、本州と淡路島を結ぶ唯一のフェリーとなり、のんびりと海を渡っての淡路・四国への旅行は過去のものとなってしまいつつある。現役時代よく乗ったフェリーでの旅が懐かしく思い出される。
なお、今日は、「明石海峡大橋」開通10周年記念日である。これを記念して、ケーブルを支える主塔の最上部に上る有料ツアー「ブリッジワールド」が1昨日の3日から始まった。塔内のエレベーターで98階まで上り、眼下の橋や神戸市外、淡路島が眺められる。この催しは、11月末まで木・金・土・日と祝日に実施とか。料金は2100円だそうだ。詳しくは以下参考に記載の「橋の科学館ホームページ」を見られると良い。
それにしても、本州側から四国へ3本もの橋をつけるなんて、その地域、地域の政治家の人気取りだろうが、税金の使い方のいい加減さには驚かされるよね~。
(画像は、舞子公園から見た明石海峡大橋」の夜景。以下参考に記載の明石海峡大橋(パールブリッジ) 吊り橋の壁紙写真より借用。)
明石海峡大橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E5%A4%A7%E6%A9%8B
JB本四高速 -本州四国連絡高速道路株式会社-
http://www.jb-honshi.co.jp/
徳島新聞Web「特集・連載」 明石海峡大橋 関連記事あり
http://www.topics.or.jp/index.html?m1=5
6月8日「大鳴門橋開通記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/2d16fc097d2de88e2d59b27808cd49e0
銅像 原口忠次郎
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/26_ha/haraguti_tyuujirou.html
土木学会/橋の話
http://www.jsce.or.jp/contents/hakase/bridge/05/index.html
神戸港[その2](社団法人 日本土木工業協会【土工協】HP)
http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0606/aruku_01.html
高知新聞・連載・結ぶ
http://www.kochinews.co.jp/rensai99/musubu11.htm
舞子公園
http://www.hyogo-park.or.jp/maiko/contents/sisetsu/area_prom.html
連載<50年目の決算/震災で問われたもの>神戸新聞HP
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/95kessan/950810kessan1.html
明石海峡大橋(パールブリッジ) 吊り橋の壁紙写真
http://kobe-mari.maxs.jp/akashikaikyo_bridge/index.htm
明石淡路フェリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC
橋の科学館ホームページ
http://www.jbec.or.jp/kagakukan/1kagakutop.htm
当初、中央径間長1,780mの道路・鉄道併用橋とする計画であったが、建設費用の問題から1985(昭和60)年8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、現在の中央支間長となった。
工事期間は本格工事10年。工事従事者は延べ約210万人。鋼材は約20万トン。コンクリートは約42万立方メートル。1988年開通の児島ー坂出ルートと1999年開通の尾道ー今治ルートで「四国三橋時代」を迎えるが、1998年3月に発表された「全国総合開発計画」(5全総)では、さらに和歌山ー淡路島の「紀淡」ルートと大分ー愛媛の「豊予」ルートの海峡横断大橋を完成させ、将来的には「四国五橋」にする構想であった。管理者は本州四国連絡高速道路株式会社(愛称はJB本四高速。JBはJapan Bridgeの略)である。現在、本社は兵庫県神戸市中央区にある。本州四国連絡橋個々の概説は同社HP本州四国連絡橋の紹介参照)
明石海峡大橋は、公募により愛称がパールブリッジと定められたが、地元でもこの名前で呼ぶ人は少ないが、夜はその愛称の名に相応しく文字通り異彩を放つている。
明石海峡大橋のケーブルには光の三原色のイルミネーションランプが1084組取り付けられており、季節や日時に応じて彩りを変えている。(国際的な照明デザイナーである石井幹子が担当)ライトアップは日没から24時まで。橋が日本標準時子午線近くにあることから、毎正時と毎30分にも点灯している。(ライトアップパターンはJB本四高速HPのここを参照)又、神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナード(以下参考に記載の「舞子公園」参照)という遊歩道、展望台が設けられている。橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで上り海面からの高さ47mへ上がり、そこから海側約150mまで行くことができる。途中、床が透明になっている部分もあり直接海面を望むことができる。以下参考に記載の「明石海峡大橋(パールブリッジ) 吊り橋の壁紙写真 」では、その美しい景観が見れるので覗いて、みると良い。
鳴門ー淡路・淡路ー神戸間を結ぶ架橋構想自体は戦前からあったが、技術的など当時の事情から立ち消えになっていた。この橋を最初に構想したのは、戦後の1949(昭和24)年に、神戸市長となった原口忠次郎(プロフィールは以下参考に記載の「銅像 原口忠次郎」参照)だといわれている。戦前に内務省神戸土木出張所長を務め、終戦直後の神戸市局長、翌年復興本部長を経て、神戸市助役を務め市長となった原口(工学博士でもある)は神戸-鳴門間の架橋建設に執念を燃やし続け「市長は夢を見ているのか」と批判されたことに対し「人生、すべて夢なくては」と言ったことから夢の架け橋と呼ばれるようになったとされてる。戦後神戸の街づくりを語るとき彼抜きでは語れない。「山、海へ行く」大構想の下にポートアイランドなど建設がされたのも彼の発想からである。
1988(昭和63)3月13日、北海道と本州を結ぶ青函トンネルが開通、4月1日には四国と本州をつなぐ瀬戸大橋が開通し、日本列島は北から南まで鉄路で結ばれた。この2つの開通は明治・大正の時代から構想されてはいたものの、直接には、1954(昭和29)年の台風15号の暴風雨をついて出向した青函連絡船・洞爺丸の座礁・転覆事故、その1年後の1955年5月11日の高松港を出向した国鉄宇高連絡線の紫雲丸が濃霧の中、貨物航送中の第三宇高丸と衝突し転覆、修学旅行中の中学生ら168人が犠牲になるという2つの海難事故がきっかけが引き金となった。難工事のため莫大な費用(工費600億の予算の倍以上)と長期を要して青函トンネルが完成し道民の悲願が実現した頃には周りの環境がすっかり変り、航空機に客を取られ、大赤字。瀬戸大橋も事情は似たようなものであったが、それにもかかわらず、本州四国連絡橋は、1998年のこの「神戸鳴門ルート」で世界一の明石海峡大橋を、翌1999年に「尾道ー今治ルート」で来島海峡大橋が完成したが、どの橋でも自動車の交通量は当初の見込みを下回っており、また、期待された「架橋効果」を四国にもたらすまでにはなっておらず、「世紀の大事業」もいまや年間数十億もの維持費に泣かされお荷物状態である。特に、最後の2つなど、予想を下回ったというよりも、むしろ、もともとの計画があるから造ったといった感じである。最近の詳しい状況は良くわからないが、2002(平成14)年7月の、道路関係四公団民営化推進委員会の第4回議事要旨など見て推測してみてください。
道路関係四公団民営化推進委員会第4回議事要旨(速報版)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai4/4gijiyousi.html
橋の開業によって、本州と淡路島を結ぶフェリーは次々と廃止され、2007年2月以降は、明石淡路フェリー(愛称:たこフェリー)が、本州と淡路島を結ぶ唯一のフェリーとなり、のんびりと海を渡っての淡路・四国への旅行は過去のものとなってしまいつつある。現役時代よく乗ったフェリーでの旅が懐かしく思い出される。
なお、今日は、「明石海峡大橋」開通10周年記念日である。これを記念して、ケーブルを支える主塔の最上部に上る有料ツアー「ブリッジワールド」が1昨日の3日から始まった。塔内のエレベーターで98階まで上り、眼下の橋や神戸市外、淡路島が眺められる。この催しは、11月末まで木・金・土・日と祝日に実施とか。料金は2100円だそうだ。詳しくは以下参考に記載の「橋の科学館ホームページ」を見られると良い。
それにしても、本州側から四国へ3本もの橋をつけるなんて、その地域、地域の政治家の人気取りだろうが、税金の使い方のいい加減さには驚かされるよね~。
(画像は、舞子公園から見た明石海峡大橋」の夜景。以下参考に記載の明石海峡大橋(パールブリッジ) 吊り橋の壁紙写真より借用。)
明石海峡大橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E5%A4%A7%E6%A9%8B
JB本四高速 -本州四国連絡高速道路株式会社-
http://www.jb-honshi.co.jp/
徳島新聞Web「特集・連載」 明石海峡大橋 関連記事あり
http://www.topics.or.jp/index.html?m1=5
6月8日「大鳴門橋開通記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/2d16fc097d2de88e2d59b27808cd49e0
銅像 原口忠次郎
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/26_ha/haraguti_tyuujirou.html
土木学会/橋の話
http://www.jsce.or.jp/contents/hakase/bridge/05/index.html
神戸港[その2](社団法人 日本土木工業協会【土工協】HP)
http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0606/aruku_01.html
高知新聞・連載・結ぶ
http://www.kochinews.co.jp/rensai99/musubu11.htm
舞子公園
http://www.hyogo-park.or.jp/maiko/contents/sisetsu/area_prom.html
連載<50年目の決算/震災で問われたもの>神戸新聞HP
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/95kessan/950810kessan1.html
明石海峡大橋(パールブリッジ) 吊り橋の壁紙写真
http://kobe-mari.maxs.jp/akashikaikyo_bridge/index.htm
明石淡路フェリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC
橋の科学館ホームページ
http://www.jbec.or.jp/kagakukan/1kagakutop.htm