今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

東京ディズニーランドが開園した日

2008-04-15 | 記念日
1983年4月15日 千葉県浦安市舞浜にアメリカ国外では初となる「ディズニー・テーマパーク」、「東京ディズニーランド」が開園 した。約1ヵ月後の5月23日 -には100万人目のゲスト(来園客)を迎えるという大盛況であった。
現在の東京ディズニーランドは、:2001(平成13)年9月4日 開園の東京ディズニーシーなどと共に東京ディズニーリゾートを形成するディズニーパークである。海外にある他のディズニーパークと違い、誘致当時の経緯から東京ディズニーシーと共に唯一ディズニーグループの直営ではなく、オリエンタルランドライセンス方式で運営している。
建設計画当時、ウォルト・ディズニープロダクションズ(当時、現、ウォルト・ディズニー・カンパニー。以下「ディズニー」)は、フロリダ州オーランドエプコットセンター(EPCOT Center。現在は単にエプコット)の設計・建設のまっただ中で初の海外投資には消極的であり、リスクを軽減するために、同社日本法人による直接経営を避けた。そのため朝日土地興業(当時、後に三井不動産に吸収合併)、京成電鉄三井不動産が主要株主である株式会社オリエンタルランドがディズニーとのライセンス契約のもと施設を所有運営し、ディズニー側がパークの設計をすると共に版権および運営の指導・クオリティー管理を行い、そのすべての費用をオリエンタルランドが負担するというフランチャイズのような方式がとられている。
オープン当初のパーク施設のデザインはそのほとんどが米国に既に存在した二つのディズニーパークからの複製であった。 特にフロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内にあるマジック・キングダム・パークから多くの影響を受けており、世界に4つある「ディズニーランド」と名の付くディズニーパークのうち、東京以外はすべて「眠れる森の美女の城」をシンボルにしているが、東京では「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」のマジック・キングダム・パークと同じ「シンデレラ城」をシンボルとしている。
東京ディズニーランドの沿革や、パークのことは、もう誰もが承知だから省略する。米国誌フォーブスが選んだ「世界10大テーマパーク」(2006年6月1日)には、マジック・キングダム(アメリカ) に次いで、東京ディズニーランドが2位に選ばれており、米ERA社が2008年3月1日に発表した、2007年3月期の世界のテーマパークの集客数では、1位マジック・キングダム ディズニーワールド フロリダ(米国) 2位ディズニーランド アナハイム (米国)に次いで、3位東京ディズニーランド、4位東京ディズニーシーとなっており、2つのテーマパークを合わせると、年間約2,500万人が来場しているといい。これは日本のテーマパークのみならず、世界のテーマパークでもトップクラスの集客人員だそうである。ただ、客層の約7割は関東地方在住者で占められ、開園以来、関東地方の人たちが、ほぼ一度は足を運んだといわれており、少子高齢化、人口減少なども加わり、集客数が頭打ち傾向のにあることが、これからの課題があるとはいえ、入場者不振で閉演している遊園地や不祥事などで倒産する企業が続出している中で、もう、約20年になるディズニー・パークが現在でもなぜ一人勝ちを続けているのははなぜか?。ディズニーのノウハウとはどのようなものだろうか?
私が現役のころ、東京ディズニーランドが出来、ディズニーの経営ノウハウが話題になった。一度千葉県の幕張へ仕事で行ったとき、夜は東京ディズニーランドのある浦安に住んでいる飲み友達の家に泊めてもらうことになっていたのだが、丁度夏でもあり、夕方早く仕事も終えたので、バスで、ディズニーランドへ行ってみた。そして、夕方だから入園料が安ければ入ろうと思ったのだが、料金は、夕方からだからと言って安くならないというので、馬鹿らしいから、入らず、外から眺めただけで、引き上げ、以来、今日まで、東京ディズニーランドへは行ったことがない。ただ、1990年ごろか、r仕事で、米国西海岸をロス中心に視察したとき、最後の一日は、ロサンゼルス近郊のアナハイム市の南西部オークランドにある本場のディズニーランドへ行った。この日は、1日十分に楽しむためであるが、その中にも、先に延べたディズニーランドが何故多くの人に飽きられず何時までも人気を得ているのかを肌で感じてくることも目的の1つであった。
ここにディズニーランドを作った、ウォルト・ディズニーは、1925年に結婚し、後に2人の子を儲けるが、結婚から3年後の1928年、世界で最も有名なネズミ、ミッキーマウスを生んだ。そして、ある日、ウォルトは子供たちを連れて遊園地に出かけた。そこで子供たちは楽しそうに遊んでいるのを見て、その時、ウォルトは思った。遊園地で楽しいのは子どもだけで、大人にはベンチ位しか居場所がない。大人と子どもが一緒に楽しめないか・・・と。そこで、謝肉祭の悪い側面を取り除いた恒久的な娯楽施設の建設を計画した。その際、ウォルトが参考にしたのは、オークランドに1950年に作られた、最初の子供用遊園地「チルドレンズ・フェアリーランド」と、デンマークに1843年に作られた遊園地チボリ公園であったという。また、ウォルトは計画中の遊園地のためには、より広い土地が必要なことが判明し、初めの計画の22倍に相当する160エーカー(730,000m²)の用地をアナハイムに取得。1954年7月に着工されて以降、ディズニーは建設現場に度々訪れ、屈んで子供の視線になって、様々なアトラクションや各種施設が出来上がっていくのをチェックしていたという。
ウォルトはディズニーランドのオープン時のスピーチの中で、「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、 おとなも子供も、ともに生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出をつくってもらえるような場所であってほしいと願っています。」と言ったという。 その"誰もが楽しめる"というファミリーエンターテイメントの理念が、今も各ディズニーのパークで受け継がれている。
ディズニーのアニメ作品に登場する人物を始め全ての動植物には豊かな表情があり、愛と友情、人間の愚かさ、生きることの厳しさなど、作品のメッセージを子供たちにも、そして、大人たちにも楽しくわかりやすく見せてくれる。だからこそ世界の人々にディズニーのアニメが愛されているのであろが、ディズニーランドでは、そのようなスクリーンの中での楽しい世界を、私たちが暮らしている現実の世界でも楽しんでもらおうと考えてつくられた。そして、パーク内では幾つかのテーマエリアを儲けて、各エリアごとにそれぞれテーマに合わせたアトラクションやダイニング、ショップなどが設定されている。兎に角、ディズニー・テーマパークでは「ファミリーエンターテイメント」という基本テーマを徹底的に追求しているのである。
ディズニーランドは日常から切り離された架空の世界を冒険するというコンセプトにのっとり、パーク内では徹底した雰囲気作りが行われている。パークにはいわゆる『従業員』が居らず、従業員を『キャスト』来客を『ゲスト』と呼称し、キャストは全員がディズニー作品にのっとったコスチュームをまとって役を演じながら作業をしている。先ず、私達がディズニーランドに入って驚かされたのは、パーク内には全くゴミなどは落ちていないことである。そのようなゴミは、片っ端から、そして、『キャスト』が処理してゆく。また、パークの周囲は木で覆い隠され周囲の住宅が見えないようにしたり、食料やゴミの運搬は地下の通路を通じて搬送することで、現実感をゲストに与えないようにしている。ディズニーのノウハウなどは、私などがくどくど書かなくても、以下参考に記載の「「PDF] 人々に夢と感動を与えるディズニーランド」に詳しく書いてあるのでそれを見られると良い。アメリカの流通業などな視察をして一番感じることは、どこでも「サービス」が徹底していることである。ただ、アメリカと日本では「サービス」の概念が全く異なる。日本では、物を買えば景品をくれたり、配達をしてくれたりするようなことを「サービス」と考える人が多い。しかし、欲しくもない景品を貰う人や配達してもらわなくても自分で持って帰る人にとっては、これは何のメリットもないことであり、その分物の代金を安くしてもらった方が良い。アメリカなどの合理的なものの考え方をする国ではそうなる。だから、このような日本で言うところのサービスは全て有料である。その代わり物の代金は安くする。それが、全ての人に対して平等に接していることであり、サービスしていることなのである。ディズニーランドのように楽しさを売る企業。物販だけではなくこれも今日ではサービス業と呼ばれるが、このようなサービス業は、サービスを売り物にし、お金を戴いて楽しんでもらう以上、徹底的に楽しんでもらえるように工夫をしている。日本の場合物を作ることは優れているが、一番遅れているのが「サービス業」だろうと思う。今主流をなしているサービス業全盛時代、本当の意味での「サービス」とは何かを、理解し、その徹底が出来たところがこれからの時代を制してゆくだろう。もう遅いかも知れないが、物が売れないとか人が来てくれないとか言ってぐちっている人は、今からでもディズニーランドとは何なのか勉強してみるといいよね~。
冒頭の懐かしい国鉄(現在のJR)の民営化前のチラシ。此の頃は必死になって乗客数を増やそうと努力をしていた。もし、国鉄だって、切符を買って乗車している人達に、少しでも安く快適に楽しく目的地に移動していただくことが国鉄の指名であり、乗車している人達へのサービスであることに気付いていたら、今日とは違った結果が出ていただろうがね~。しかし、親方日の丸時代の国鉄にはそのような認識は無かったが、民営化が叫ばれるようになってやっと気がついた・・と言う感じであった。遅かりし、由良の介・・・てところだろう。兎に角、税金で飯を食っている人達や、給与から天引きされる組合費で飯を食っている組合員などには、努力だのサービスなどと言う言葉は辞書に乗っていないのだろうね~。
(画像は、コレクションの国鉄のチラシ。「東京ディズニーランド往復割引乗車券発売中」の1985年4月のチラシ。)
参考:
Category:ディズニーのテーマパーク
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF
東京ディズニーランド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
東京ディズニーランドホームページ
http://www.tokyodisneyresort.co.jp/tdl/
「PDF] 人々に夢と感動を与えるディズニーランド
http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/gallery/sotsuron2001/files/3.pdf
サービス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9
国鉄分割民営化 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E5%88%86%E5%89%B2%E6%B0%91%E5%96%B6%E5%8C%96
アメリカの西部の観光案内
http://www.saloonusa.com/index.html