今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

畳の日

2008-04-29 | 記念日
今日(4月29日)は、「畳の日」
全国畳産業振興会が制定。
イ草の美しい緑色から長年「みどりの日」として親しまれていた4月29日と、環境衛生週間の始まりの日であり「清掃の日」である9 月24を「畳の日」とした。畳の持つ住宅材としての素晴らしさや、敷物としての優れた点をアピールしていく日。だからこの記念日は年に2回あるわけだ。
畳(たたみ)は、現在日本で利用されている伝統的な材である。 乾燥させた稲藁を強く圧縮して縫い止め、厚さ5cm程度(標準的には5.5cm)の芯材になる板状の藁床(わらとこ。畳床とも)の表面をイ草または七島イ(しちとうい)の茎を乾燥させて織ったござ(畳表,たたみおもて)でくるんで作る。縁には畳表を止める為と装飾を兼ねて、畳縁(たたみべり)と呼ばれる帯状の布を縫い付けるが、一部には縁の無い畳もある。
日本の文化は中国や朝鮮から影響を受けたものが多いが、この畳は、中国などから入ってきたものではなく、日本で発展してきた敷物で、縄文時代の竪穴式住居の中では、土の上に草を敷き、その上にさらに動物の皮などを敷いて寝ていた。それが、弥生時代になると、(わら)を編んで薦(こも)や筵(むしろ)にし、より使いやすくした。
松尾芭蕉の句に「薦を着て誰人ゐます花の春」があるが、薦とは粗く織った筵である(句の意味は芭蕉db 芭 蕉 句 集ここ参照)。
昔、乞食と言われる人などが薦を着ていたが、藁(わら)の(むしろ)は吸湿性・放湿性、保温性にも優れ、クッション性もあり、日本の床材には非常に適したものであった。
原始的な毛皮や筵(むしろ)などの敷物に縁をかがるなど成形技術などが加わり、発展して成立したものと考えられているそうだ。
古墳時代から飛鳥時代になると、それまでの土間に寝所として板敷きの床が作られるようになる。その床の上に敷くものとして「畳」が誕生する。
文献では奈良時代の古事記中巻(神武天皇から応神天皇の段)に、
葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し(神武天皇)
海に入りたまはむとする時に 菅畳八重 皮畳八重絹畳八重を波の上に敷きてその上に下りましき(景行天皇)
と「菅畳(すがたたみ)」「皮畳(かはたたみ)」「絹畳(きぬたたみ)」等の記述が初めて登場している。
ところでこの「畳」と言う字であるが、「当用漢字表に採用された文字の中で唯一全く新に作られた字体の漢字だそうである。畳」の字源は、「疊」の省略形「疂」を元に当用漢字制定時に作られたものだという(詳しくは、以下参考に記載の「日本語を読むための「漢字辞典 当用漢字・常用漢字新字体・簡化字ルーツ辞典」」参照)。
しかし当時の「畳」は今のように「藁(ワラ)床」のあるものではなく、高貴な人の寝床や座る場所に敷く、敷物の総称であったようだ。これらは、使わない時は折り畳んでいた、つまり、「畳」とは「たたむ」ことを意味し、折り返して重ねる意味でもあっったようだ(「畳」の語源)。
現在存在する最も古い畳は、奈良東大寺正倉院には聖武天皇と皇后が使用した畳が残されているそうだが、これは、「御床畳」(ごしょうのたたみ)という木でできた台の上に、真薦(マコモ)を編んだござのようなものを5、6枚重ねて畳床とし、イグサの菰(コモ)で覆って錦の縁がつけられていたといい、これを2台並べてベッドのように使用していたようだ(以下参考に記載の「御床 (ごしょう) 」参照)。
真薦(ま‐こも、真菰とも書く)はイネ科の大形多年草であるが、万葉集にも登場し、
真薦(まこも)刈る大野川原の水隠(みごも)りに恋ひ来し妹が紐解く吾(あれ)は(巻十一 2703)
と歌われ、秋、茎頂に約50センチメ-トルの穂を出し、上部に雌花、下部に雄花をつけ、葉はむしろとし、果実と若芽は食用としていたようだ。
このような厚みのある畳が使われるようになったのは、貴族の邸宅が寝殿造りの建築様式になった平安時代からで、板敷きの間には、座具や寝具として畳が部分的に置かれるようになった。
冒頭に貼付の画像は、「源氏物語絵巻」などを参考に12世紀ごろの寝殿造の内部空間と装束・調度の状況などを推定復元されたものだそうでるが(週刊朝日百貨「日本の歴史}62源氏物語の世界より)、これは、後宮の中、藤壺飛香舎=ひぎょうしゃ)の壷庭に咲く藤を眺めて中宮と女房達が語り歌う、ある初夏の昼下がりのひとこま(※その右部藤木や分中宮と女房達がいる部分はカットしている)。寝殿造りの母屋に置かれ天皇や中宮の寝台として使われる御帳台(みちょうだい)の几帳(きちょうの間から見えているの寝台には木でできた台の上に畳が敷かれているのが見える。又、その脇に敷かれた高麗縁の厚畳に座っているのが藤壺だろう。飛香舎は、清涼殿の北西に隣り合った位置であることなどから平安中期以降中宮や有力な女御の局になった。この寝台の前には、このブログ「4月3日シーサーの日」で書いた、魔除け、お守りとしての狛犬と唐獅子が置かれているのが面白い。
鎌倉から室町時代にかけて、武家屋敷の主流は書院造となり、部屋全体に畳が敷き詰められるようになった。書院造りは、玄関・床の間・違い棚・付書院をもち、ふすま・障子・畳を使った、現在の日本家屋の元となった様式。畳はこの頃から、建物の床材のひとつとなった。
部屋内に何枚の畳(たたみ)が敷き詰められているかで部屋の大きさ(床面積)を表す単位は畳(じょう)と呼ぶ。ただし、畳の大きさには複数の種類があるので、どのサイズの畳に基づくかによって面積は変わる。畳は先にも書いたように寝具から発展してきたので人の大きさに合わせていたものであり、又、日本家屋そのものが3尺×6尺(半間×1間、910mm×1820mm)という寸法が全ての基本となっているため、畳もこの寸法が基本となるが、2:1の縦横比が崩れないように長さを調整されている。
畳のサイズに違いが出たのは、もともと一(いっけん)という、税金の概念が出始めた時代の影響だそうである。豊臣秀吉の時代に柱の外から外までを一間と定め(これが最も大きい寸法である京間)、関西地方ではこの畳の広さを基準に家を建てたが、江戸時代には柱の内から内までを一間として、事実上の増税を行ったのだという。このようなことから東西で同じ1間でもサイズに大きな差が出来たようである。 今、一般的な規格としては、京間(本間)、中京間(三六間)、江戸間(関東間、五八間)、団地間(公団サイズ、五六間)の四種類が有名であるが、この他にも地域ごとに様々な規格が存在するようである。
私の妹が結婚したとき、お袋がまだ結婚後の居住先が決まりもしていないのに、早々と家具類などを揃えてやったが、妹夫婦が結婚して最初に住んだアパートは団地間サイズであったので、家具が収納できずに困ったのを思い出す。当時のお袋にとっては、関西ではまだ本間が当たり前と思っているから、そんな小さなサイズの間取りがあるなんて考えもしなかったのだ。私なども、子供の頃からボロ家ではあっても本間のサイズの広い家に住んでいたので、初めて、団地サイズの4畳半の部屋にはいった時など、余りにも狭くって息苦しくさえ感じたことがある。昔は、日本家屋の畳の部屋が当たり前であったが、日本家屋の良さは、襖などで仕切っているだけなので、襖を開ければ続き部屋となり広くしたり、狭くしたり融通が利くのが特色である。畳の部屋は、洋間と違って、ごろ寝が出来るし、フローリングと違って冬暖かく、夏は涼しい。良いところが多くあるのだが、今は、洋風の家が多く、床もフローリングが多い。私の家はリビングときっちん以外は洋間と和室を半々にしてあるので、両方の良さを楽しんでいる。ただ、去年、私達夫婦の年齢からして、もう最後の大改装を行ったが、工事に約2ヶ月近くを要した。そして、和室などは、来客のときぐらいしか使わないので新しい畳に入れ替えた時、もう、部屋のガラリの雨戸を閉めたままにしておいたのに、工事が完了し、部屋においていた小さな家具を移動させて驚いた。冬なのにたった2ヶ月で、家具の置いてあった場所以外のところの畳の色があせているのである。畳の色がこんなに早く色あせるとは思わなかったな~。ま、あせていないところに家具を置けば、それ以外の場所全体が焼けているので気にしなければ見た目にはどうもないのだが・・・。「女房と畳は新しい方がよい」 と言うが、新しい畳は本当にいい臭いがして良いのだけれど、日当たりの良い部屋には向かないよね。
(画像は、「源氏物語絵巻」などを参考に12世紀ごろの寝殿造の内部空間と装束・調度の状況を推定復元されたものの部分。(週刊朝日百貨「日本の歴史}62源氏物語の世界より)
参考:
畳 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B3
環境衛生週間 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E8%A1%9B%E7%94%9F%E9%80%B1%E9%96%93
全国畳産業振興会
http://www.xpress.ne.jp/~tatami/
全日本畳事業協同組合
http://www.stannet.ne.jp/zentatami/
畳店の全国ネットワーク・タタミショップネット
http://www.tatami-shop.net/modules/pukiwiki/?%BE%F6%A4%CE%C6%FC
畳ワールド
http://www.tatami-world.com/
風俗博物館
http://www.iz2.or.jp/
芭蕉db 芭 蕉 句 集
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm
日本史時代区分表- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8C%BA%E5%88%86%E8%A1%A8
日本神話の御殿
http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/index.htm
松本畳店ホームページ「畳 の 歴 史」
http://www2.odn.ne.jp/matsumoto-tatami/rekisi.htm
日本語を読むための「漢字辞典 当用漢字・常用漢字新字体・簡化字ルーツ辞典」
http://209.85.175.104/search?q=cache:LI2yqnxviT4J:ksbookshelf.com/nozomu-oohara/Roots.htm+%E7%95%B3+%E5%AD%97%E6%BA%90&hl=ja&ct=clnk&cd=6&gl=jp
御床 (ごしょう)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~asakitatamiten/gosou.htm
訓読万葉集
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyo_k.html
4月3日シーサーの日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/5cbd96381c52e9de26431a17d5cbccb4
源氏物語絵巻 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%B5%B5%E5%B7%BB
武家屋敷 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%B1%8B%E6%95%B7
豊臣秀吉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89