五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

1968年日本グランプリとトヨタ7

2011年08月02日 | ミニカー
1968年の日本グランプリ決勝レースは5月3日、全周6キロメートルの富士スピードウェイで行われました。

レースの前評判は「TNT対決」、すなわち3リッターのトヨタ7を擁するTOYOTA、ニッサンR381・R380を大量7台エントリーしたニッサン(NISSAN)、そしてローラT70とポルシェカレラをエントリーしたプライベート参加のタキ(TAKI)・レーシングの三つ巴の戦いという評判でした。

結果から先に言うとシヴォレー5.5リッターエンジンを積んだニッサンR381(ドライバーは北野元選手)がその馬力に物を言わせてレースの四分の三ほどを首位で走って優勝し、また3位から6位までをニッサン勢が占めるという圧勝でした。
タキ・レーシングは2位に2リッターのポルシェ・カレラ10が、同じく7位にポルシェ・カレラ6が入り、トヨタ勢は大坪選手の8位が最高でした。

当時の雑誌記事を読むと、トヨタのクルマはニッサンと比べまだまだマシンとしての熟成が進んでいなかったと書いてあります。トヨタとニッサンが本格的な対決をするのは翌1969年の日本グランプリのことになります。

写真のカーナンバー2のトヨタ7は、福澤幸雄選手が運転して予選6位、決勝は一時2位まで順位を上げましたが59週目にマシントラブルでリタイア、総合14位に終わったマシンです(EBBRO製、1/43スケール)。

福澤幸雄選手は福澤諭吉のひ孫。
レーサーのかたわら、アパレルメーカーの取締役(トヨタチームの制服のデザインを担当していました)やモデルとしても活躍していた当時のトレンドリーダーのような存在で、まあ今でいう“イケメン”でした。某人気女性歌手の恋人でもあったのです。

残念ながら福澤選手は翌年の2月、テスト中に事故を起こし弱冠25歳の若さでこの世を去ってしまいます。

犬の事故

2011年08月02日 | 日々のつれづれに
庭の雑草を取っていたら、突然急ブレーキの音と「ドスン」という大きな音。
見ると白い大きな犬が目の前を猛烈なスピードで走り去っていきました。

どうやら走っている車にぶつかった様子で、車はそのまま走り去って行ったようでした。
犬を連れていた人(飼っているのではなく、近所の犬が散歩についてくるのだとか)によると、ちょっと目を放した隙に事故にあったものらしく当然のことながらリードなどは付けていないとのこと。

既に犬は姿を消してしまい、現場には私とその方とが取り残される形となりました。
その方に勝手について来るとはいえ、よそ様の犬なのでしきりと容態を心配していましたが、私も「まああれだけ力いっぱい走れるのだから骨には異常はないみたい」と言えるくらいで。

実は以前我が家で飼っていた犬も目の前で車にはねられたことがありました。

その時ももんどり打って転がった愛犬が、起き上がるや家の裏手の土手の方へと一目散に走り去ったのでした。その時とまったく同じ光景だったのです。

家から700メートルくらい離れた土手に探しに行くと、小道を歩いていた犬は私を見つけて走り寄ってきました。
どこも怪我をしていないようでしたが、かわいそうなくらい体が震えていて、よほどショックだったんだろうと思いました。
思わず駆け出したのは大きな音(急ブレーキ)と身体がぶつかったこととで、アドレナリンが放出され一時的に「大」興奮状態になってしまったんだろうと思います。


事故から一時間あまり、先ほどの犬はどうしているのでしょか。
どこかで震えながら飼い主が来るのを待っているのかもしれません。
見つかるといいですが...。