五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

代官所のフジ

2022年04月24日 | 市川三郷百景

かつて通った市川小学校の跡地にある「代官所のフジ」が見頃を迎えています。
代官所というのは、その昔(江戸時代)市川の代官所の跡地に小学校が建てられ、その後現在の場所に小学校が移転された際にフジも移植されたことから名付けられたと聞いています。

現在では、小学校は別の地に移り、町役場、町役場の駐車場、青洲高校の駐車場と名前が変わる中で、藤棚も整備されて現在に至っています。
小学生の頃、校門を入ると右手に大きな(しかも高い)藤棚があったことを覚えています。
もっとはが茂っており、薄暗かった記憶があります。
60年以上も昔のことなので、ぼんやりとではありますが...。

古いフジだけに、其の幹も結構太くて、上の写真などはけっこう格好良く写っていたりします。
が、実際は古い樹なので、骨と皮ばかりみたいな感じです。

藤棚の下には椅子が置かれていて、これからの暑い時期には「良い日陰」でくつろぐことができると思います。
が、現在は藤の花の蜜を求めてアブがたくさん飛び交っていますので、ゆっくりと花を眺めることはできないかもしれません。

今月いっぱいくらいは藤の花を眺めることができそうです。

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青洲高校

2021年12月04日 | 市川三郷百景

青洲高校の校舎が外装工事を終え、その姿を現しました。
散歩の途中で、写真に収めました。

青洲高校は、長女が通った市川高校の後継になる高等学校で、増穂商業と峡南高校という三校が統合されてできた県立高校です。
開校は令和2年4月8日ですから、一年半ほど前。
そのとき、正面に見える校舎はまだ建設中でした。

手前の駐車場は元市川三郷町役場の庁舎があったところ、それ以前は市川小学校の古い校舎が立っていて、私もそこに通いました。
これらの土地は、町から県へ譲渡されて、その場所に県立高校が建設されることになったのです。

高校生が町内で見かけるというのは、過疎の町にとっては良いことなんだと思います。
勉学だけでなく地域のイベントとか、あるいは町おこしに、今以上に一役も二役も買ってほしいところです。
ちなみに、一番手前の影は、昔からある「代官所の藤」の藤棚の影が写りこんだものです。
この藤棚だけでもブログが書けるのですが、まあ今回は止めておきます。

ということで、今回は知る人ぞ知る話題でした。

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柿の木と鬼ごっこ

2021年06月17日 | 市川三郷百景

家の近くの空き地(もちろん、どなたかの所有地でしょうが)に古い柿の木があります。
今から60年以上も前、私が小学生の低学年のころ、近所の子たちと遊んだ場所です。

当時は広い空き地(古い記憶では、使われなくなった牛小屋があって、その前の庭だったかと)のように思えたものですが、年月が経ってこうして見てみると、さほどの広さはありません。
それでも、この柿の木の近くで缶蹴りをしたり、「紐掛け」(この辺りの方言では「ひぼかけ」)という陣取り遊びを良くしたものです。

「ひぼかけ」というのは、二つのチームに分かれて、相手を追いかける遊びで、その際に持っているリボン(紐)の色によって強さが決まっているので、互いに追いかけたり逃げ回ったりするのが特徴です。
一番強いのが桃色(「くうらい」と呼んでいました。空雷の意味か?)、以下みかん色、緑色、...と決まっていて、一番弱いのが黒色、しかし黒色は桃色に勝てる、というところがミソでした。
誰が何色なのかは戦いの前に見せあって確認しておきます。
強い色は上級生が持ち、年下の子たちは弱い色や無色でした。

相手の黒色を捕まえてしまえば桃色の天下、勝負は一方的に決まってしまいます。
ですからチームの中で一番すばしっこいのが選ばれて黒色になっていたような記憶があります。
何となく、当時流行っていた軍人将棋(懐かしい名前!)と似ている気もします。

また、相手方に捕まって相手陣地で捕虜になっていたとしても、味方にタッチすれば助け出すことができる、というルールがありました。
ですから、けっこう長い時間がかかる鬼ごっこでした。
その一方の陣地がこの柿の木でした(ああ、やっと話がつながった)。

当時は見上げるような大木だった記憶があるのですが...。

ちなみに、木の向こうの空き地(造成中)はその昔、文房具屋があり、更にそれ以前は我が家の作業場として借りていた家だったそうです(私には全く記憶がありませんが)。

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甘々娘のベビーコーン

2021年05月22日 | 市川三郷百景

地元・市川三郷町大塚地区の名産であるトウモロコシ「甘々娘」(かんかんむすめ)のベビーコーンです。

「甘々娘」は1本の茎から1本の実しか採らないので、残りの実は若いうちにすべて摘み取ってしまうのです。
少々もったいないとは思いますが、そうして摘み取った小さな実がベビーコーン(ヤングコーン)とも呼ばれ、先に出荷されるのです。
今年のベビーコーンは、成長が早かったのかやや大きくて、どちらかと言うとヤングコーンですね。

ひと袋に10本入って200円(税込)。
近くの農協の無人直売所で購入してきました。
朝、早めにいかないと無くなってしまいます。

シャキシャキとした独特の歯ごたえのあるベビーコーンは、サラダやパスタに和えてもいいのですが、やはり茹でてマヨネーズを付けて食べるのがシンプルで一番おいしいと思います。

写真は皮をむいてレンジでチンしたベビーコーン(皮付きの時の写真を撮るの忘れちゃいました)。
実は茹でるよりはレンジの方が断然おいしいと思います。

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笛吹川右岸の護岸工事

2021年02月14日 | 市川三郷百景

厳密に言うと、市川三郷町内の光景ではないのですが、市川の方から見える風景ということで...。

午後から腹ごなしの散歩に出かけました。
土手、公園の中、狭い路地、小学校への登校ルートなど、あまりクルマの来ない道を選んでの散歩になりました。
ちなみに、いつもの職場の散歩よりも倍近い距離を歩いたことになりました。
お休みですから。

散歩で最初に向かったのが笛吹川の土手、ちょうど芦川との合流点の辺りになります。
上の写真は笛吹川の右岸(南アルプス市側)での護岸工事の様子。
場所としては、三郡橋の上流に当たります。

ちなみに、「三郡」とは中巨摩郡、南巨摩郡、西八代郡という三つの郡の郡境にあったため名付けられました。
橋ができるまでは渡し舟だったそうで、子どもの頃、近所に「船頭さん」と呼ばれているお宅がありましたっけ。

それはさておき、

ずいぶん前から着手していたはずなのに、まだまだ工事は始まったばかりのような見た目です。
河川工事は雨量の多い時期はできないので、渇水期の冬季に集中して工事を行う模様です。
位置から見ると、芦川からの水流がぶつかる部分の補強工事が目的ですね、きっと。

けっこう長い距離の工事です。
写真中央で、土木工事の業者(工区)が分かれています。
まあ、どうでもいい情報ですが...。

仮の堤防を作り、一時的に笛吹川の流れを大きく曲げて(瀬替え、といいます)、護岸工事を行っています。
写真ではちょっとわかりずらいですが、右手前から芦川が合流している地点にあたります。

国土交通省の大きな看板が土手の上にかかっています。
どういう計画でこれから工事が行われるのかが良くわかります。

笛吹川は、三郡橋の下流で釜無川と合流して富士川となります。
水害が起きる前に、危険の芽を摘んでおく。
富士川の治水は、流域の市町村にとって、とても重要なのです。

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芦川橋周辺の改修工事

2020年12月30日 | 市川三郷百景

今年も残すところあと二日(このブログを書いている時点では、残りほぼ一日)になりました。
30日は正月支度のための買い物に行ったりしましたが、今年は静かなお正月なので、買い物自体も極めて少ない形ですみました。

今年最後の打ち納めは南アルプス市のゴルフ練習場に行きました。
購入したばかりの中古のウェッジの具合を試すため。
結果も含めて、この話はまた別の機会に書くことにします。

午後からの買い物を終え、三カ所のお墓に正月用の花を供えて戻ってきた後、散歩に出かけました。
職場近くの散歩と違い、町内の散歩はまだコースが確定していません。
今日は、自動車の通らない細い道(路地)ばかり選んで歩いてきました。
風が強く、日陰が多いためにあまり良いコースではなかったと後で反省。

それはともかく(本日の主題)...

芦川にかかる芦川橋。
川幅を拡げ、堤防を補強し、河底をさらって深くする工事が進められています。

町にとっての一番の脅威は、芦川の決壊です。
ですから、そのリスクを減らすのが一番の予防になります。
写真の芦川橋も、その工事に合わせて架け替えられるということです。

芦川橋の下流には新しい堤防が築かれています。
高く、丈夫そうで安心感があります。
視た感じ、まだ違和感がありますが、完成することには見慣れた光景になっているかもしれません。

「雪の予報があるのに、ずいぶんと天気の良い日だな」とお思いかもしれません。
実はこれらの写真、先日散歩した時のものです。
今日も重いカメラを持って散歩し始めたのですが、あまりの寒さに立ち止まって写真を撮る気になりませんでした。

負荷を掛けて歩いただけで終わってしまったという...。

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寿会館跡地

2020年12月23日 | 市川三郷百景

一見、ただの更地のように見えると思いますが...。

以前、寿会館という建物が立っていたところです。
近くの御陣屋(ごじんや)地区の公民館としても使っていた建物が老朽化し、このたび取り壊されたのです。

ただの地面だけになってしまうと、思いの外広いな、と思ってしまいます。
江戸時代には、この場所に甲斐の国の代官所があったところで、南側に「市川陣屋跡」という石碑が立っています。

御陣屋と言う地区名も市川代官所(陣屋)の名前から付いたのでしょうね。

近くには代官所の門があり、そこに「御陣屋の道祖神」が祀られています。

この道祖神は以前、町内の道祖神を回った時に紹介しました。
当時は赤い垣根はありませんでしたから、その後に建てられたものと思われます。
その割には色がすすけて古めかしく見えます。
わざとしたのではないと思いますが...。

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青洲高校の今

2020年12月07日 | 市川三郷百景

古い市川高校の校舎はすべて取り壊されました。
あとにはだだっ広い地べたが残っているだけ。

上の写真は、現場を東側(町役場の方)から見たところ。
遠くに見えるのは文化創造館(通称りんどう館)と呼ばれる講堂と、その左の低い建物はクラブ活動の部室です。
重機の向こう側に見えるのは体育館。

下の写真は、部室の横から見た新しい青洲高校の校舎。

今見えている空き地に、新しい体育館や講堂が建てられる予定です。

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大塚にんじん

2020年12月02日 | 市川三郷百景

妻と道の駅に行った時に「大塚にんじん」を買ってきました。

大塚にんじんは旧三珠町大塚地区の「のっぷい」と呼ばれる火山灰土で育てられる細長いにんじんです。
とても甘くて良い香りがするので人気があるのですが、残念ながら収穫量はそれほどでもなく、とても多く出回っているとは言い難い作物なのです。

多分、もうすぐ収穫祭と言うのがあって、町内外から大勢の人が大塚にんじんを求めて集まります。
人混みの嫌いな私は一度も行ったことがありませんが、毎年けっこうな人出になります。
今年もやるのでしょうか?
このコロナ禍で...。

それはさておき、私が買ってきたのは、収穫の際に折れてしまって商品価値が下がって(あるいは無くなって)しまったもの。
いわゆる「ハネ出し」ですね。

本来ならば長~~い一本ものなのですが、ハネ出しは細かく切り揃えてあります。
でも折れていようが味に変わりはありません。
我が家で買うのはいつもこういったものです。
量もそんなに必要ありませんし、何よりも安い(笑)。

妻が早速にんじん飯を作りました。

美味しそうに見えないのは、私の撮影が下手なせい、本当においしかったです。
かきあげなんかもおいしいです。

にんじん飯を食べる頃になるともう年の瀬、今年もそろそろお終い、といった感じが強くします。

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市川高校解体始まる

2020年08月19日 | 市川三郷百景
青洲高校が開校して、次はその裏にある市川高校(旧を付けるのは忍びない)の校舎の解体が始まりました。

写真は、右側が青洲高校の新校舎。その奥が市川高校の旧校舎(足場に囲まれています)です。
八乙女公民館の裏側から撮影しました。

旧校舎からは、高校の顔とも言うべき大きな校章は既に撤去されていて、解体を待つばかりになっています。
名残惜しいことは惜しいけれど、青洲高校の新しい建物やグランドを作らなければならないので、解体は止むを得ません。

思い返せば、市川高校はとにかく、我が家から一番近くにある高等学校であり、隣にあった市川小学校や市川中学校に通っていた時から見慣れてていた公舎なので、いざ無くなってしまうと思うと感慨深いものがありますね。

そう言いながら、我が家では長女以外の4人は、市川高校のOBではないので、「新設高校名は『市川高校』のままで」とか「せめて校名に『市川』の文字を残したい」というところまでの思い入れは無いのです(ゴメンナサイ)。
OBにとっては、日に日に姿を失っていく校舎を見るのはツラいあだろうなあ、と思います。

先日解体に伴う説明会が、近所の住民を対象にありました。
一時的にクルマが通行できなくなる場所もあったりするので、私も聞きに行こうと思いながら用事で行けずじまいでした。
しばらくこの様子を見守っていこうと思います。
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「心の絆」商品券

2020年07月25日 | 市川三郷百景
町民の皆様へ、
コロナに負けない「心の絆」商品券をお届けします

という手紙が届きました。
中に入っていたのは商品券2万円分。
町独自で取り組む第2弾の支援策(第1弾はマスクでした)として配布されたものです。
私と家内の分、それぞれ1万円。

町内の商店やスーパーなどで使用できるということです。
少しでも、町内の商店を始めとする経済の活性化につながれば、ということなのでしょう。
有り難く使わさせていただきたいと思います。

千円の券が10枚つづりで入っていて、そのうち7枚は商店専用(大型店では使えない)です。
困ったことに、私が無尽などで使う飲み屋さん以外には、いつも通っているお店がありません。
こんな時だけ、商品券を握りしめて買い物に行くのも何だかカッコ悪い気もしますし...。
といって、飲み会に持って行くのもなあ。

使い道は少し悩みそうです。
コメント (2)
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神明社

2020年07月06日 | 市川三郷百景
市川大門に紙漉(す)きを広めた人を祀った神明社(しんめいしゃ)の総代さんが我が家に訪ねてきました。
社(やしろ)を町の文化財に申請するので協力してほしい、という内容です。

神明社は私が総代を務めている八處女(やおとめ)神明宮の本殿の隣にあります。
というよりも、元々神明社のあった場所に八處女神明宮を移したのです。

ただし現在の神社庁への届けは「八處女神明宮」ということになっていますから、いわば「軒を借りて母屋を獲った」形になっています。
昔は紙漉きの業者もたくさんいて、祭りの日(本来は7月20日、今は第二土曜日)には屋台はもちろん奉納相撲などもあって盛んだったらしいのですが、今は一つの組・十数軒で、それこそ細々と守っています。
一方で、借家人である八處女神明宮は、氏子が十一組・約二百戸ありますので、勢いはどうしても勝るということになるわけです(決して威張って言っているわけではありませんが)。

それはともかく、少ない人数に加えて高齢化が進み、今回町の援助をお願いすることになった次第。
元々は町の所有物であったのを紙漉き業者の組合が譲り受けた経緯があるそうで、言わば「元の状態にお返しする」と言えないことも無いのだとか。
行政は特定の宗教への肩入れはしませんが、この「神明社」の方は元々「紙明社」といって、製紙の技術をこの地方に広めた「甚左衛門」という方をおまつりしているので、宗教色は無いのです。

ちなみに、この甚左衛門さんという方は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の子、義清が甲斐の国の下司としてこの地方に館を構えた時に、京都から付き従ってきた家来なんだそうで、その方の命日が7月20日、というわけなのです。



写真の建物は八處女神明宮の拝殿、後ろに見えるのがその本殿(手前側)です。
冒頭の写真が神明社の本殿で、八處女神明宮の本殿の右隣にあり、斜め前から見たのが次の写真になります。



神明社の本殿はけっこう立派な建物で、参拝に来た方々が皆、八處女神明宮の本殿だと勘違いするのですが、こちらは神明社の本殿です。
八處女神明宮の方は、その左側の物置のような建物の中にある小さな社で、年に一度、例大祭の時だけ御開帳することになっているのです。



神明社の本殿には、写真のような彫刻が施してあって、先代の総代さんに聞くと「とても今では直せるような人はいない」のだとか。
修繕するにも、トンデモない費用がかかるようです。

そんなこともあって、今回の申請に至るということのようですね。
さて、どうなるのか。
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甘々娘のヤングコーン

2020年05月17日 | 市川三郷百景
毎年この時期になると、地元の農産物直売所に甘々娘(かんかんむすめ)という名前のトウモロコシのヤングコーンが並びます。
甘々娘は一本の茎に一本のトウモロコシしか育てないので、残りのものはすべて間引いてしまい、それがヤングコーンとして売りに出されます。

15本で250円(税込)。

いつもなら、大量に扱っている農協の直売所に買いに行くのですが、新型コロナウィルス騒ぎで今月末まで閉まっているので、今日は農家の方が直接やっている(文字通りの)直売所に行って購入しました。

色々な食べ方があるのでしょうが、我が家ではフツーにゆでてマヨネーズを付けて食べるかサラダに入れるくらい。
今夜の食卓に出てくるかと思いましたが、どうやら明日以降になるようです(笑)。

ヤングコーンとして出荷するためには、農薬を使う時期を変更したりして対応しなければならず、少々厄介だと聞いたことがあります。
それまでは、単純に捨てていたのですから、そんな気遣いはしなくてもよかったんでしょうが、賞品として出すとなれば話は別。

ということで、農家の方に感謝しながら頂くことにします。
成熟した甘々娘が店頭に並ぶのはもう少し先になります。
今年は出荷のイベントはどうでしょうか?
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ボタンの花

2020年04月22日 | 市川三郷百景
家内と買い物に行った帰り、町内の歌舞伎文化公園内にあるボタン園に立ち寄りました。
歌舞伎資料館はあいにく休園中ですが、庭園は解放されています。



平日ということもあって、来園する客はそれほどいないようでした。
今の時期には、それが一番です。

満開になるのは、もう少し先でしょうか。
それでも「色とりどり」という言葉通りに、さまざまなボタンが咲いています。
ということで、スマホでの写真ですが、いくつか載せておきます。













観光に来たのではなく、「たまたま帰り道に立ち寄った」ということを強調しておきましょう(笑)。
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完成間近の青洲高校

2020年02月22日 | 市川三郷百景
朝の散歩。
近くのスーパーまで家内に頼まれてプリペイドカードのチャージがてら、ですが。

役場の向かいに建設中の青洲(せいしゅう)高校があります。
青洲高校は、市川高校、増穂商業、峡南高校の三校が統合された県立高校で、この4月から開校になります。

青洲という名前は、明治時代にこの地に紡績工場を設立した実業家、渡辺青洲(以下青洲)に由来しています。
青洲の本名は信(市川の豪商・渡辺寿の婿養子となって改名)、山梨の殖産に貢献したほか、岳父・本人・息子の三人で2万5千冊ほどの蔵書を持った図書館(青洲文庫)をつくり公開したことで知られています。

青洲文庫の蔵書は後に東京帝国大学に売却・寄贈されています。
実際には青洲文庫の名前が、高校名の由来になっているのでしょう。

青洲文庫は、山梨日日銀行市川支店のある場所に立っていました。
子供の頃は、立派な蔵のような建物を見た記憶があります。

高校の名前に個人の名前(号)を付けるのは珍しいのかな?

「市川高校の名前を存続させて」という地域住民(特に市川大門地区)の強い要望に対して、「旧高校名は使わない」「町の名前(市川三郷町、富士川町、下部町)は使わない」という条件の元に校名募集して決めたそうですが。

私は、近くを流れる三つの川(釜無川、笛吹川、芦川)が合流して富士川となることから「富士川高校」の名前で応募したのですが、上記の理由でボツになりました(多分)。
ちなみに、我が家では、長女だけが市川高校の出身です。



建物本体は(少なくても外からは)完成し、現在周辺の整備を行っています。
正面玄関前にはまだ重機が。
古い校舎(市川高校)や体育館、文化創造館(りんどう館)などを取り壊し、全体が完成するのはまだまだ先のことになります。
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