五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

クレジットカード

2013年04月30日 | 日々のつれづれに
昼過ぎに携帯に電話がかかってきました。
見かけない(つまり未登録の)携帯の電話番号。
あるクレジット会社のセキュリティセンターを名乗る人でした。

「26日にAmazon(名前出しちゃったけどいいかな?)で23万円のデジカメをお買いになりましたか?」
「???」

もちろんそんな買い物をした覚えは無いので、その旨を告げると担当者から「このカード番号は使用停止にして後日(10日ほどかかるそうです)新しいカードを送ります」との返事でした。

どうやら何者かが私のIDとパスワードを使って買い物をしたようなのです。
Amazonに登録してある私のクレジット会社に請求がいったのでしょう。
その請求額が高額だったものだからクレジット会社からカードの所有者に確認の電話が来たものと思われます。

念のため一度電話を切って、この電話番号(市外局番は福岡でした)をネットで検索すると同じような例がたくさんヒットしました。
皆さんブログなどで盛んに書いていますが、やはりこの電話自体を一度は疑っているんですね。
でも「ちゃんとした」ところからの電話でした。

あらためて電話番号にかけなおし、(その後更に先方から生年月日を確認した上でかけなおしてきました)詳しい情報を聞きました。
どちらかというとやはりクレジットカードそのものというよりもネットショッピングに使用するパスワードなどのセキュリティ管理をしっかりしておかないといけない、という話です。
基本的なことですが「パスワードを共用しない」「パスワードは定期的に変更する」ということを守らなければいけないということにつきるみたい。

くだんのカードは私のメインカードなので、この番号で登録してあるショッピングサイトや定期的な引き落としの設定がたくさんあるのです。
次の引き落とし期日までに新しいカード番号に変更しなければならないことになってしまったので少しユウウツ。
でも休み中に一気に片付けてしまうことにしましょう。

みなさまもお気をつけて。



昭和の日

2013年04月29日 | 日々のつれづれに
今日は4月29日、昭和生まれの人(いやそれ以前に生まれた人)からは「天皇誕生日」として長く親しまれてきた日です。

もちろん、ゴールデン・ウィークを構成する重要な日でもあり、昭和天皇が崩御された平成元年からは「みどりの日」として、また平成19年からは「昭和の日」として国民の祝日であり続けています。
我が家の三人の子供たちは平成の時代になって小学校へ通い始めたので「天皇誕生日」としてはあまり馴染みがないようです。

ちなみに明治天皇の誕生日である11月3日は、大正時代までは「天長節」で昭和になってからは「明治節」として“明治天皇の誕生日”という祝日でした。
戦後は日本国憲法を公布した日ということで「文化の日」と呼ばれて引き続き祝日になっており、「明治節」とは直接係わり合いは無いことになっています(うーん、含みのある言葉)。

いずれにしろ64年間続いた昭和の時代を振り返る大切な日として、末永く記憶に残していきたい日であります。

スマホ出荷、携帯抜く

2013年04月28日 | 日々のつれづれに
アメリカの調査会社IDCの調べで、今年1月から3月までのスマホの出荷台数が従来型携帯(ガラケーってことかな)のそれを抜いたそうです。
「携帯の主な用途が通話と簡易メールだった日々は急速に過去のものとなり、スマホ依存度が高いメーカーが力を付けている」と分析しているそうなのですが、そのスマホもうかうかとしていられないのはタブレット端末の急成長でしょうか?

多分、昨年度くらいにインタネットをやる人口がPCからモバイル端末に移ったのですが、その大半は携帯・スマホでした。
しかし、その天下もつかの間、今にその中でタブレットの占める割合が大きくなると思います。

ともあれ、スマホ。

そろそろ本気でスマホに代えるべきかどうか決めなければならなくなりそう。
でも、今のところはノートPCとiPadとガラケーで十分やっていけるから、スマホにする必要性は感じられないのですが。

でも、知り合いが家族でLINEなんかやっているのを聞くとけっこう楽しそうだし。
といいつつ、我が家では五人の家族中、スマホを所有しているのは独りだけ。

この先の仕事も微妙に絡んで、スマホ導入決定のリミットは7月くらいでしょうか?
私自身も先行きがまったく見えません。

GWに突入

2013年04月27日 | 日々のつれづれに
世の中は今日からゴールデン・ウィーク(GW)に入っていたのですね。
テレビを見れば、東名(自動車道路)も羽田(空港)も行楽客や帰省客で混雑している様子。

アベノミクス効果で景気の先行きが良いとみたか、はたまた某国のミサイルは結局飛んでは来ないと判断したのか、今シーズンの旅行客は昨年より多いそうですが、そんなに浮かれていて大丈夫なのでしょうか?
それとも、つかの間の休みをせめてエンジョイしたいとの気持ちの吐露なのでしょうか?

我が家では帰省するものは誰もおらず、私も普段と変わりない仕事をやっていると、そうしたメリハリがなくていけません。
私は5月1日公開のホームページ&ブログの仕上げに追われています。
連休前半はその仕事にかかりきりになりそう。
加えて、あるセミナーのチラシを作る仕事を頼まれたので、そちらのデザインにも取り掛かったため、普段より忙しい連休初日でした。

区長の選出

2013年04月26日 | 新米組長
今夜は「区長・組長・防災組長会議」(正式名称はもっと長いのですが省略)がありました。
その名のとおり、自分の属する区の区長さん、私のような組長が6名、および各組の防災担当の副組長(防災組長と呼ばれます)6名による集まりです。

区長・組長組織の成り立ちは6年前、当時「区」と呼ばれていた現在の組組織を、いくつかの区にまとめて区長を置いたのが始まり、所によっては数世帯しかない組をまとめることによって、共同の催しとか、町などへの要望を通りやすくする狙いがあったようです。

で、私たちの区長さんから「自分も高齢(80歳を超えました)だし6年間区長をやってきたので、次の方に区長職を譲りたい」というお話があったのが先月の会議の席上でした。
突然のことでもあり、その場ではもう一年間区長職を続けていただき、この間に新しい区長を選出する話し合いを行おう、ということになりました。

今回、新しい組長さんを迎えて(6名の組長さんのうち4名が新任)その話し合いがもたれました。
私は、2年目の組長ということで会議の進行役をおおせつかりました。

区の規約では、

1.区長の任期は2年(再任可)
2.必ずしも組長から選ばなくても良い
3.各組長は副区長とする
4.選出のための区長輪番表というものあり

ということになっていますが、実際のところ6年前に選ばれた初代区長(当時の輪番表第1位の組長)がそのまま現在まで区長を務めてきています。
現在の区長さんのおかげで区-組の組織も整い、町への要望書提出などもしっかりと行われるようになってきているので、今後の区長さんの仕事は大分やりやすくはなってきていると思います。

ただしその組長さん自身もそれぞれの組の中での輪番制で決まった方がほとんどですから、「たまたま」区長の順番に回ってきた組長さんは大変であるとか、組長さんからではなく区内の「区長にふさわしい」方から選出した方がいいのではないか、といった意見が出されました。

たしかにそのとおりなのですが、選ばれた方が現区長のように長く区長職を引き受けざるを得なくなると、段々引き受けて害なくなるのでは、という懸念が出てきます。
私は、「現区長さんのご努力でスムーズに区長の仕事ができるようにしていただいたのだから、(同じ区内で輪番制を採っている)育成会長さんと協力し合って、引き受けやすく(次の人に)引き継ぎやすい制度を目指したらどうか」との意見を述べました。

今回では結論を出さず、次の会議以降でまた意見(知恵)を出し合って決めていきたいと思います。

組長2年目スタート

2013年04月25日 | 新米組長
実質的にはすでに3月末の総会のあとから組長としての2年目はスタートしており、組費の徴収や、そこからの支払いなども始まっているわけですが、明日は平成25年度組長活動の最初のイベントである12区防災組長会議が開催されます。

近くの6つの組が「12区」という組織に属していて、そこで一年間の共通の取り組みなどを協力して行うわけですが、エリアが微妙に異なる育成会という組織も絡んでいて協同事業などもあるため、そのあたりは慎重に対応しなければなりません。

5月には「河川一斉清掃」という名前の全戸総出の“ドブさらい”があり、各地域の防災上問題と思える場所の改善要望なども町に提出する時期も迫っています。
また、来年度から区長を各組で持ち回りすることを前年の会議で決めたので、その具体的なローテーションについての話し合いも行う必要があります。

いろいろと課題が山積する一年ですが、周りと協力し合いながら一年間をすごしていきたいと思います。

今日は一日雨

2013年04月24日 | 日々のつれづれに
今日は一日雨。
休みをとって帰省していた長女を甲府駅に送って行ったのですが、途中のデニーズに寄ってお昼を食べました。

料理を待つ間、店内で使用できるWi-Fiのフリースポット登録をしました。
60分間無料の「セブンスポット」は、仮登録するとメールが送られてきて、その中に書かれているリンクをクリックすると登録完了となる仕組み(よくあるパターン)。
しかし、待てど暮らせどメールが来ない。

仕方がないので、モバイルルーターを使ってメールの確認を行いました。
ちなみにメールが来たのは夜になってからでした。

ともかくこれで、いくつかのフリースポットへの登録が出来たので、スーパー、喫茶店、コンビニ、ファストフード店などでタブレットが自由に使えるようになりました。
モバイルルーターでの通信がうまくできない時のためのバックアップ手段として今後できるだけ利用していきたいと思います。

並べることと飾ること

2013年04月23日 | ミニカー
ミニカーのコレクションラックをあと1本追加して、これまで窮屈に並べていたミニカーを少し余裕のある並べ方に変えることが出来るようになりました。

考えてみると知らず知らずのうちに「飾る」というよりは「並べる」もしくは「収納する」ようになっていたと見えて、書棚を改造した陳列台に収納してあるミニカーは皆ほとんど正面を向いてぎっしりと置かれているようになっていました。

このことに気がついたのはコレクションラックを購入したのがきっかけでした。
新しいコレクションラックは奥行きがないので、どうしても斜め横を向けて飾らざるを得ず、スペース効率は悪いのですが、飾り映えが断然違うんですね。

ラックに移したミニカーと残されたミニカーの差を埋めるためには、もう少し(旧)書棚の配置を余裕のあるものにしなければならない。
そう考えての今回の追加購入となりました。



ラックの方に新たに二十台ほど(具体的には1969年以前のル・マン出走車)を移したので、その分の余裕ができ、ミニカー同士の間隔を広げて少しながらも斜め横を向かせることができるようになりました。

(旧)書棚は全部で二十段ありますから、一段ずつにしてみれば1台分の空きができたことになるだけなのですが、その差は歴然。写真ではなかなかわからないかもしれませんが、ミニカーはやはり車体の横を見せてナンボだなということがよくわかります。

次なる目標は、奥行きのある(旧)書棚の光の届かないところをどうするか、です。

長男の引越し

2013年04月22日 | 日々のつれづれに
長男から引越しのメールが来ました。
これまで千葉県の松戸にある会社の独身寮に住んでいたのですが、日曜日に横浜に引っ越したとのこと。
保険会社に勤務している関係からか、短期間に職場が異動になり、これまで最初の任地・京都から始まって東京(千歳船橋)、千葉ときて、今度は横浜だそうです。

京都から東京に移るときには、私が東京にいたこともあって(山梨の実家に預かっていた荷物もあったので)手伝いに行ったのですが、その後千葉に移る際には長男が仲間に手伝ってもらいながら引越しはしたようです。今度の住居もどんなところか良く知りません。

長男も今年で30歳ですから、もう親の口出しも必要ないでしょう。
学生時代をあわせれば、引越しの回数も親の私の回数を抜いたことになります。

あとは新しい職場でがんばって働いてくれることを期待します。

タンスをバラす

2013年04月21日 | 日々のつれづれに
納戸に古い洋服ダンスがあります。
私の物心が付くころにはもうあったような気がしますから、50年は超えている?
まあ、そこまでではないかもしれませんが、古いのは確か。
前開きの戸が閉まらずに紐で縛って使っていたようなタンスでしたが、家内がついに「処分する」と言い出し、私の留守の間に中身を空にして縁側に運び出してありました。
二つに分割できるとはいえ、結構な重量物、よほど腹に据えかねていたんでしょうね。

そのまま粗大ゴミで出すと処分料がかかってしまうので、細かくして燃えるゴミとして出すことにしました。
ドアはちょうつがいを外し、引き出しをすべて外した後は、四隅をかなづちでたたくと、簡単にバラバラになりただの板材になりました。

家具も場所によって厚い合板で出来ている部分、薄いベニヤを張り合わせたところなどさまざまな作りになっています。
釘などはほとんど使ってなく、接着剤で貼り合わせているところがほとんど。
だから簡単にばらばらになるわけです。

ただし、このままではゴミ袋に入らないので、庭に運び出して金具を取り除いたあとで丸のこで細かく切断しました。
切断した板材をゴミ袋に入れたのですが、思いの外多くて、ゴミ袋3個に入りきれませんでした。
これだけの量だと一度にゴミに出すわけにもいかないので、残りを段ボール箱に入れて物置にしまうことにしました。
来週から少しずつ出そうと思います。

ゴミ袋に入れるために、ベニヤの部分を手ではがしたり、更に細かく手で裂いたりしたおかげで腕が筋肉痛を起こしています。


シファートとル・マン

2013年04月20日 | ミニカー
スポーツカーレースで私が一番好きなドライバーはスイス人のジョー・シファート(ジョセフ・シフェールの方が発音的には正しいようですが、私は今回あえてシファートと呼びたい)です。

シファートは1960年台後半から1970年代前半にかけてワークス・ポルシェのエース・ドライバーでした。
1968年から1971年にかけて、世界選手権のかかったレースで実に13勝をあげ、ポルシェの選手権4連覇に貢献したのでした。

そんなシファートですが、ことル・マン24時間レースとなると芳しい成績を上げられずに終わりました。
(先に言っちゃうと)何と一度も表彰台に立つことはなかったのです。

シファートのル・マンデビューは1965年、この年はマセラティTipo65というクルマでプライベート参戦してリタイヤという結果に終わっています。
このクルマ、ミニカーは発売されていないようです。
予選21位、決勝レースではわずか3周でリタイヤしたのですから無理もありません。
発売されたとしても買うような好き者は私くらいのものでしょう。

そんなシファートでしたが、1965年のF1の成績(このときはロブ・ウォーカーというチームからブラバムというクルマに乗って3回入賞しています)がポルシェ・チームの目に留まったのか、1966年のル・マンでコリン・デイヴィスと組んでワークス・ポルシェから初出場しています。
そのときに運転した車が上の写真のポルシェ906/6でした(/6は6気筒エンジンの意味です)。

7リッターエンジンのフォードGTや4リッターエンジンのフェラーリなどが大挙して出場したこの年のル・マンで、たった2リッターのシファートの906/6はトップから遅れることわずか21秒という成績で予選22位(クラス1位)、決勝でも3台の7リッターフォードに次いで堂々の4位(もちろんクラス1位)という成績を上げました。
ちなみにこのミニカー、エブロ製でオークションで購入したのですが、中古品としては「そこそこ」の価格でした。


翌1967年のル・マン、シファートはポルシェ907で出場しました。
ポルシェ907はポルシェ910(906の発展型)をベースに空気抵抗を極限まで減らすようデザインを追及したクルマで、シファートの907は予選21位、決勝でも順調に走って総合5位(クラス1位)を獲得しています。
この年も優勝は7リッターエンジンのフォードGTでしたが、シファートの907は首位からわずか1周遅れでフィニッシュし、907の実力を証明しました。

この907、エブロ製が発売されているのですがレジン製ということもあってか数が少なく、オークションでもめったに見ることがありません。
1/64のサイズのものなら見かけるのですがまさか一緒に並べるわけにもいきませんので、1/43のモデルを引き続き鋭意捜索中です。


さて、1968年はポルシェが907と新開発の3リッターエンジンの908で選手権の総合優勝を狙った年になりました。
シファートは開幕2戦目のセブリング12時間でハンス・ヘルマンと組んで907で優勝、6戦目のニュルブルクリング1000kmとル・マン直前のオーストリア・グランプリでは908で優勝を飾り、勢いをつけてル・マンに乗り込んできたのでした。
シファート/へルマン組のドライブするカーナンバー31の908は予選首位、しかし決勝レースでは59周目ギアボックスのトラブルでリタイヤしてしまい、選手権初制覇の夢も断たれてしまいました。



この908もエブロ製。
こちらはダイキャスト製で価格も手ごろ、まだ普通に販売されていますが、私はオークションで少し安く手に入れました。
ちなみに908は出場した4台全てがエブロから販売されていて、3位に入った#33と並べて飾っています。


1968年はシファートにとってスポーツカーレースとしては最高の年になりました。
ブライアン・レッドマンと組んだシファートはこの年の選手権で908で5勝、917で1勝を上げ、ポルシェは念願の世界選手権初制覇を果たしました。
残るはル・マンのタイトルのみ。
改良型908/2(のっぺりとした形から「ひらめ」というニックネームがついています)で出場したシファートは2台の917に次いで予選3位となり、決勝でも一時首位を走ったのですが、前年に引き続きギアボックスのトラブルのために前半でリタイヤしてしまいました。
優勝はフォードGT40、2位のヘルマン/ラルース組の908との差わずか120メートルという大接戦でした。



オープンタイプのひらめ908/2は他の908と比べて特徴のあるスタイルをしています。改良を重ね、908最強と呼べるレースカーになりました。
この#20の908/2はスパーク製、普段あまりのぞいたことのない通販ショップで見つけて購入しました。
オークションではほとんど見たことがありませんので貴重な一台です。


1970年、ポルシェは前年までフォードと組んでいたジョン・ワイヤー率いるレーシング・チームとタッグを組み、有名なガルフ・カラーのワークス・ポルシェが誕生します。
さらにドライバーにもフェラーリ・チームにいたペドロ・ロドリゲスを迎え、某お金持ち球団のようななりふり構わぬ必勝体制を構築します。
その甲斐あってかポルシェはこの年全10戦中実に9勝を上げ世界選手権2連覇を達成します。
シファートはブライアン・レッドマンと組んでタルガ・フローリオ、スパ・フランコルシャン1000km、オーストリア1000kmの3つのレースに優勝しています。

この年のル・マンは7台出場したポルシェ917と実に11台も出場したフェラーリ512Sとの5リッターエンジン同士の対決となりました。
シファートがル・マンで走ったのはカーナンバー20のガルフポルシェ917K。
予選は3位、決勝レースでは首位を走りながら156周目にエンジンを壊してリタイヤしてしまうという結果になりました。
レースは結局ザルツブルグというチームから出場した917Kが優勝し、ポルシェはル・マンを初めて制覇する結果にはなりましたが。



このモデルもスパーク製、さすがにすごい人気で、もはやどこにも売っていないと思っていた矢先、とある通販ショップで1台だけ残っていたのを見つけて購入したといういわくつきのモデルです。
ちなみに、スティーブ・マックイーンが映画「栄光のル・マン」のモデルにしたというクルマでもあり、特別パッケージのオートアート製の1/18モデルも持っています(こちらを購入したいきさつは更にドラマチックなものですが、話が脱線しまくりなので今回はあえて割愛)。


フェラーリが去った1971年、ポルシェは全11戦中8勝(残り3レースはアルファロメオが勝利)をあげて選手権3連覇を達成しました。
ガルフカラー2年目のワークス・ポルシェに乗ったシファートは緒戦のブエノスアイレス1000kmで優勝し、幸先の良いスタートを切りますがその後は勝利に恵まれず、迎えたル・マンでも予選3位ながら、決勝はオイルもれのためリタイヤ(周回数不明)という残念な結果に終わりました。

このときのモデル(カーナンバー17)はミニチャンプスとスパークから出されていますが未入手です。
実はあるショップで売られているのを発見しているのですが、現在お財布と相談中。
「見つけたときが買い時」というこの世界の常識は承知してはいるのですが、何分タイミングが悪くて...。


さて、この長い物語りもそろそろお終いです。

1971年スポーツカー選手権の最終戦ワトキンズ・グレン6時間(7月24日)のシファートはアルファロメオに次いで2位で終了しました。
そして翌月行われたF1オーストリア・グランプリで、シファートは1968年以来2勝目となる優勝を飾りました。
このとき乗っていたのが、BRM P160というマシンです。

F1のミニカーは私の収集対象ではないのですが、やはりシファートの優勝マシンとなると話は別。
とにかくこのレース、シファートはポールポジションを獲得、決勝レースは全ラップ1位で優勝し、なおかつレース中の最速タイム(ファステスト・ラップ)も記録したというのですからまさに「完全勝利」だったのです。



このモデルはスパーク製、この頃のF1モデルはけっこう人気が高く、オークションでも高い値段が付いているのですが、このときは安価で出品されており、しかも競合がなかったためにワタシ的には「奇跡に近い」安さでの入手でした。
そして今回のブログを書こうと思ったきっかけになったオークションでもありました。
これまでのナショナルカラーに塗られたボディとは異なり、チームを表すヤードレー・カラーに彩られた車体は一度見ると忘れられません。ゴールドリーフのロータスと共に私の好きなデザインです。

と、話が少しそれました。

オーストリア・グランプリで優勝したシファートは10月3日に行われた最終戦アメリカ・グランプリでも2位に入り、個人総合ランキング5位という彼自身過去最高の好成績を残しました。

そしてそれから3週間後の10月24日、イギリスのブランズハッチで行われたノンタイトルのF1レース中に、シファートはマシンの制御を失ってコース脇の土手に衝突してしまいました。
シファートは横転し炎上したマシンから脱出できず死亡してしまったのです。35歳でした。

そのレースは最終戦のメキシコ・グランプリがコースの安全性に問題があるということで中止になったのを受けて開催されたレースでした。
シファートと同じBRMのF1マシンに乗り、スポーツカーのポルシェ・チームでのライバルでもあったペドロ・ロドリゲスが同じ年の7月に31歳で事故死していることを考えると、何か因縁めいたものを感じぜずにはおれません。(ペドロの弟のリカルドも1961年にメキシコ・グランプリで事故死しています)

1969年に来日し、その年行われた日本グランプリでもポルシェ917で富士スピードウェイの30度バンクを駆け下っていたセッピィ(シファートの愛称)。
前年の9月にヨッヘン・リントが事故死し、ペドロ・ロドリゲスに続いてシファートが亡くなったときに私のモータースポーツへの憧れは完全に消えてしまいました。

そして今、シファートのドライブしたクルマのミニカーを眺めながら、往時の彼をしのんでいます。
長文をお読みいただきありがとうございました。

DVD動画をHPに

2013年04月19日 | 私のPC
今頼まれているホームページに動画を入れて欲しいとDVDを渡されました。
DVDの動画データは通常VOBとかTSなどと呼ばれている形式なので、これをAVI、WMV、MPEGなどのファイルに変換します。
このときに使うソフトをネットで探したのですが、Windows8で使えそうなものが見当たりませんでした。

Windows7で使える有名な(あえて名を秘す)無料ソフトをダウンロードして使ってみようとしましたが、フリーズしてしまいあきらめざるを得ませんでした。
結局Windows8用のフリーソフトの使用をあきらめ、Windows7のPCを引っ張り出してネットで検索してみたところ、写真の「Freemake Video Converter」という無料ソフトがあることを知り、ダウンロードして使ってみることにしました。

※インストールは標準を使わずにカスタマイズで。でないと、色々なツールがアドオンされます。

使ってみた感じは、わかりやすくていいです。(フリーソフトにありがちなオンライン登録もありませんし)

DVDが入っているドライブを指定し、変換したいファイル形式を選んでスタートさせるだけ。無事に変換ファイルを手に入れることができました。
ここまで来れば後は、「Windows Live ムービーメーカー」で読み込んで編集して、Youtubeへアップロードします。

Youtube画面で埋め込み用のソースコード(といっても単なるインラインフレームのタグが付いたもの)を手に入れて、それをHTMLに埋め込んでやれば、ホームページで動画を埋め込み再生させることができました。

「Freemake Video Converter」自体にも簡易的な編集機能や、Youtubeへのアップロードする機能なども付いているようですが、今回はあえて(使い馴染みがある)「Windows Live ムービーメーカー」と組み合わせて使ってみました。

次はWindows8で使えそうなフリーソフトを探します。

ポテトホルダー

2013年04月18日 | 日々のつれづれに
日本マクドナルドからマックフライポテト用ホルダー

日本マクドナルドがバリューセットを購入した客を対象にマックフライポテト用ポテトホルダーを4月24日からプレゼント開始するんだそうです。
ネットではけっこう評判になっていて「欲しい欲しい!」という声が大きいようですが。
クルマのドリンクホルダーに付けて運転中でも食べられるようにというほか、自転車のフレームや椅子の背もたれなどにも付けることが出来るようで、色々なシチュエーションでの利用を呼びかけているみたい。
専用のキャンペーンサイトもできるらしいので、興味のある方はネットで調べてみてください。

まあ、私は運転しながら食べる気にはならないので買わないな。

町税のコンビニ納付

2013年04月17日 | 日々のつれづれに
「平成25年4月から町税がコンビニエンスストアや郵便局でも納付できます」
こんな手紙が固定資産税の納付通知書と一緒に届きました。

県民税・町民税だけでなく固定資産税・都市計画税、軽自動車税、国民健康保険税も同様、全国のコンビニ、郵貯銀行の窓口・ATMでも支払うことができることになったそうです。
対象コンビニはセブン・イレブンやローソン、ファミマなど全部で23種類、休日夜間でも手数料不要とのこと。
さっそく、買い物のついでに近くのファミマに出かけたのですが、

納付は現金のみ、ファミマカードによるクレジット支払いはダメでした。
帰りにローソンに寄って別のクレジットカードで使えるか尋ねてみましたが、こちらもノーでした。

結局現金がないとダメとのことで、コンビニのATMで現金を引き出す際に手数料がかかってしまいますからコンビニ納付は私にとって「メリットはありません」。手数料不要でいつでも引き出せるカードをお持ちの一部の方だけには便利なものかもしれません。
あと、町外にお住まいの方の固定資産税納付は便利になったかなと思いますが...。

結局銀行で現金を引き出し、町役場の中のJA窓口で納付手続きを行いました。
何と言っても町役場が我が家から一番近いところにありますから。

水質検査の結果

2013年04月16日 | 日々のつれづれに
3月末に行った井戸水の水質検査の結果が検査機関から送られてきました。

結果は「水質基準に適合」。

一般細菌、大腸菌とも無し、硝酸態窒素及び亜硝酸態窒素、鉄及びその化合物、塩化物イオン、有機物も基準値よりはるかに少ないという結果。
味・臭気とも異常なし、有害物質であるトリクロロエチレン・テトラクロロエチレン・1,1,1-トリクロロエタン・砒素及びその化合物も基準値以下でした。

まあ、これでまた一年間、安心して井戸水を飲用その他の生活用水として使うことができます。