ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

全身を覆い隠すオリンピック女子選手

2012年09月17日 | 日記

ロンドンオリンピックに大変感動した。

さて、私は、オリンピックについて、3つの考えを持っていた。そして、今回あるシーンを見て、もう一つ増えることになった。

 まず、3つの考えとは。

第1。人間は、グローバル世界に参加し、自分を世界に示したいという強い意志を持つ。今回、北朝鮮、シリヤ、イラン、イスラエル、パレスチナなどが、政治的困難を越えて参加した。

第2。人間は闘うこと、勝ち残ろうとすることで、恐ろしいほどの力を発揮する。闘う姿は崇高で美しく、最高のエンターテイメントである。

第3。オリンピックの最高のシーンは、閉会式である。「闘い」を終え、宗教、文化、人種、政治の違い、壁を超え、一体感を分かち合う。これこそ、政治、経済、文化のどの領域でも実現困難なものである。

さて、今回見たあるシーンとは。

陸上女子800メートルである。サウジアラビアの選手が、頭から、手足を覆うユニフォームで走った。後方でゴールしたが、顔は笑顔であった。過去には、同様のユニフォームの女子選手がメダルを獲得している。こうして4つ目の考えが加わることとなった。

第4。自国の文化にプライドを持って闘う。他と違いがあってこそ、グローバル世界での固有の存在価値となる。

メダル争いは、人種的肉体の優位性、経済力などで偏りがちであり、国籍変更というおぞましいと思える現実を産む。いまや死語となった観があるが、「オリンピックは参加することに意義がある」である。     【岩下賢治】

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1 コメント

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Unknown (玉造 )
2012-09-18 17:30:40
小生も女子800mを見ました。ご指摘の女子選手も見ました。
でも、全身を覆う姿は、文化の固有性を発揮しているというより、
依怙地な宗教性にまとわりつかれている印象でした。
スポーツをする衣装に決まりがあるわけではありませんが、
勝敗を競うかぎり、相応しい用具とウエアはあるはずではないか。彬。
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