はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

東京バレエ団 三島由紀夫没後50周年記念公演 「M」

2020年10月24日 | バレエ

2020/10/24

 

東京文化会館で行われた東京バレエ団の「M」を見てきました。

 

「M」とは三島由紀夫のMです。

モールス・ベジャールが東京バレエ団のために1993年に振付けた三島をモチーフとした作品で、今年が三島没後50年にあたり上演されるというので、これはぜひとも見に行かなくてはと思っていました。

バレエ化するにあたって三島夫人・瑤子さんに許可を求めたところ、バレエはよいが三島の名前は出さないようにとのことで、イニシャルにしたそうです。

音楽を担当した黛敏郎、モーリス・ベジャールの頭文字も「M」なので、3つの「M」には彼らの意味も込められているそうです。

ベジャール振付の「ザ・カブキ」も2018年に見て、素晴らしいと思ったのですが、「M」の世界観、ダンサーたちのレベル、舞台装置、音楽もすべて素晴らしかったです。

私もだいぶ三島を読みましたが、違和感なく三島らしさを感じました。三島について書かれたものを読んできて、変な言い方に思われるかもしれませんが、最近になって「三島の美学」などというものはないと感じ出していたのです。

でも、やはり三島の美の世界はあったと思えた公演でした。

それは、三島の愛した男性美の世界でした。

三島の子ども時代から始まり、簡潔で、どこか緊張感のある美しい場面が多かったのですが、楯の会らしき制服集団が出てくると一転して、きな臭い悲劇を帯びた雰囲気に変わります。あの軍服というのは非常事態を感じさせますね。いいものではありません。

切腹の場面では思わず涙が出ました。それまで泣くなんて少しも思っていなかったのに、突然、泣けました。残酷な切腹ではなく、美しく、上から花や花びらが降ってきて、まるで祝福されているようでした。

ああ、彼にとって死は祝福だったのだなと・・・。深く納得しました。

 

日本のバレエダンサーの質は世界トップレベルじゃないでしょうか。

世界の有名バレエ団にはほぼ日本人がいますし、ローザンヌにも毎年のように上位入賞しています。体の線の美しさも引けをとらない。三島の祖母&シ(死)を演じた池本祥真さんの跳躍、回転が素晴らしかった。

長いカーテンコールがあって、観客の満足は高かったと思います。

 

この作品を見て、私の三島観も少し変わったのですよ。

私は三島は好きかと問われれば、大好きですが、嫌いでもあるのです。それよりも興味が尽きない存在と言ったほうがいいのです。

三島は複雑な人であり、三島を知る人、本を読む人すべてが違った感想を持つのだと思います。三島について書かれた評論は1000冊以上あると言われています。各人がそれぞれの三島観を持ち、それを語りたくなる人だったろうと思うのです。

 

調べると1993年初演時の動画がありました。

NHKテレビの「芸術劇場」で放送されたようです。

画質はあまりよくありませんが、衣装、振付、舞台装置などほぼ今回と同じで、記憶を思い起こせます。バレエはなかなか放送されませんから記録としても貴重です。劇場で見るものは一期一会のことが多いのです。

稽古風景、ベジャールのインタビュー、黛敏郎のインタビューの後、18分58秒頃から公演が始まります。1時間以上と長いですが、興味のある方はどうぞ。

世界初演 モーリス・ベジャールの「M」 PartⅠ

 

冒頭の能や歌舞伎を思い起こさせる日本的な音楽が、将来の悲劇を予感させるようです。女性たちは波、潮騒です。

実際の舞台でも、祖母に手をひかれた学習院の制服を着た少年が出てきたときから、何か胸に迫るような痛々しい感じを受けました。子どもの無邪気な素直さが、かえって涙を誘うのです。

 

ベジャールのインタビューでは「M」というのは多くの意味があると語っていますね。神秘(mystere)の「M」、死(Mort)の「M」、音楽(Musique)の「M」と。

「三島を人間として作家として心から感嘆している。三島は多くの様相を持っていて、実に多様な小説を書いた」といっています。「非常にモダンでありながら、日本の伝統文化を守った人でもあった。」

言われてみると、本当にそのとおりだ、そういう人だったなあと思われるのです。

ベジャールの、「振付(動作)の意味は言葉では表現できません。人々は動作・身ぶりを見てから、その意味を解釈しなくてはなりません。宗教的儀式の場合と同じです。私にとって、バレエ作品とはいつも大きな宗教的儀式なのです」という言葉と、そのあとに語っていることも意味深いですね。

黛敏郎は、ベジャールが自由に作曲させてくれたと言っています。能楽のリズムがもとになっているので、西洋音楽と違って難しい。不規則なリズムで拍子がわからないので、いつ出るか、いつ「ヤア」というのか、踊るほうは大変だったと思うと言っています。

 

後半部分はpartⅡ動画になります。

切腹場面は大人の三島ではなく、学習院の制服を着た子どもの三島なのです。この少年は初めから終わりまで、重要なところで出てきます。人はずっと少年の心を持っているという意味です。

私が切腹と思われる場面で不意に泣いたのは、ただただ、子ども姿の三島がかわいそうだと思ったからなのでした。

三方の前に正座する、それだけで、これから行われることがわかるのですね。扇で顔を隠す、上から花びらが降ってくる。それだけの表現です。簡潔で、生々しいことは何もないのですが、美しくて、悲しさが伝わってきます。

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の「愛と死」がピアノの生演奏で流れます。

世界初演 モーリス・ベジャールの「M」 PartⅡ

 

こうして動画で見返してみると、音楽がいかに物語の感情を伝えるのか、改めて感じます。美しければ、美しいほど悲しみは深く感じられます。

このとき(1993年)はまだベジャールも黛敏郎も存命だったのですね。カーテンコールに出てきています。

 

 

 

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